第227話:空の上の食卓と、風を鎮める結界
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空飛ぶランチタイム
「……お弁当、だと?」
上空を旋回し、鋭い鉤爪をこちらに向けていたハーピーたちの動きが、アークの素っ頓狂な提案にピタリと止まった。彼女たちは互いに顔を見合わせ、困惑と警戒の色を浮かべる。
だが、その鼻先をくすぐる誘惑には抗えなかった。
高度数千メートル、氷点下に近い極寒の空。
そこに風に乗って漂い始めたのは、濃厚なデミグラスソースの香りと、焼きたてのパンの香ばしい匂い。
彼女たちにとって、それはあまりにも強烈で、かつて嗅いだことのない「温もり」の暴力だった。
一人の、ひときわ大きな翼を持つ女性が、警戒しつつも馬車の近くへと降りてきた。
群れの長とおぼしき彼女は、アークの目をじっと見つめ、そして、バスケットの中身を覗き込んだ。
ゴクリ、と喉が鳴る音が、静寂に響く。
「……毒は、入っていないだろうな」
「入っているのは、愛情と栄養だけだよ」
アークは屈託なく笑い、湯気の立つカップを差し出した。中には、とろとろに煮込まれたビーフシチューが満たされている。
彼女がおずおずと一口飲むと、その瞳が驚きに見開かれた。
「……っ!?」
熱い。けれど、火傷するような熱さではない。冷え切った内臓に、じんわりと染み渡るような優しい熱。そして、口いっぱいに広がる肉の旨味と野菜の甘み。
「……温かい。……そして、甘い」
張り詰めていた彼女の表情が、湯気の中でふわりと緩んだ。
その一言が合図だった。
「わぁっ! いい匂い!」
「あたいにも頂戴! もうお腹ペコペコなの!」
空腹を抱えていた若いハーピーたちが、武器を収め、次々と馬車の周りに降り立った。
浮遊馬車の屋根は、あっという間に即席の展望レストランへと早変わりした。パンをちぎってシチューに浸し、頬張る彼女たちの顔には、もはや敵意のかけらもなかった。
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空の民の悩み
「私はフィア。この『天空の止まり木』を預かる族長だ。……疑ってすまなかった」
食事を終え、すっかり毒気を抜かれた族長フィアが、改めて礼を述べた。その顔色は、食事前よりずっと良くなっている。
アークたちがここに来た理由――世界を見て回り、友達になりたいという話――を聞くと、彼女は深く溜息をつき、悲しげに空を見上げた。
「お前たちのような『地を這う者』が、空へ来るとはな……。だが、タイミングが悪かったかもしれん」
フィアは、集落の方角、荒れ狂う風が吹き付ける断崖を指差した。
「ここ数ヶ月、かつてないほどの『乱気流』が止まらないのだ。巣は吹き飛ばされ、獲物の鳥たちも寄り付かない。我々は今、飢えと寒さに震えている」
見れば、岩肌にへばりつくように作られた彼女たちの住居は、常に轟音を立てる強風に晒されていた。
その時、突如として強烈な突風が吹き荒れた。
「きゃあっ!」
小さなハーピーの子供が、風に煽られて崖から投げ出されそうになる。母親が悲鳴を上げて翼で抱きとめるが、その体ごと持っていかれそうだ。
「……これは、ひどいな」
アルフォンスが顔をしかめ、身を乗り出して支えようとする。
アークは、じっと風の流れを見ていた。そして、膝の上で同じく風を見つめるウルに問いかける。
「ウル。風の『色』は、どう見える?」
ウルは鼻をひくつかせ、空のある一点を見つめて「きゅいっ!(あそこで絡まってる!)」と短く鳴いた。
「……やっぱり。ただの風じゃない。マナの流れが乱れて、風が『迷子』になって暴れているんだ」
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風を編む魔法
「フィアさん。お礼に、僕らがその風を何とかしてもいいかな?」
アークの申し出に、フィアは目を丸くした。
「風を止めるだと? そんなこと、風の精霊でもなければ……。それに、壁を作っても無駄だぞ。この風は、岩さえも砕く」
「止めるんじゃない。……『いなす』んだ」
アークは、馬車の荷台から『聖浄樹の苗木』を取り出した。そして、エコーに指示を出し、浮遊馬車を集落の風上へと移動させる。
アークは断崖の縁に立つと、地面に手を触れた。頭の中に描くのは、前世の知識にある『流体力学』と、航空機の翼の形状。
「**『植物成形(中)・流線型』**!」
アークの魔力が大地に染み渡ると、苗木が一気に成長を始めた。
だが、それは普通の木ではない。
幹は螺旋を描いてしなやかに伸び、枝葉はまるで鳥の翼の断面のように、滑らかな曲線を描いて重なり合っていく。風を正面から受け止めるのではなく、受け流し、整流するための形状。
それは、賢塔のアズライトと共に研究した理論と、アークの『木魔法』が融合した、天然の**『整流防風林』**だった。
**ゴオオオオッ!**
吹き付けた突風が、木々の枝葉に当たった瞬間。
激しい衝突音はせず、ヒュウウ……という澄んだ音と共に、風がふわりと優しく分散され、集落の上空へと逃げていった。
「……風が、止んだ?」
フィアが呆然と呟く。
「ううん、風は吹いているよ。でも、もう君たちの家を壊す『暴力』じゃない。ただの『風』に戻ったんだ」
アークが指差す先では、整えられた風に乗って、洗濯物が心地よさそうに揺れていた。
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翼ある者との盟約
静けさと安全を取り戻した集落で、ハーピーたちの歓声が上がった。
「飛べる! 怖くない!」
子供たちが、風を気にせず空を飛び回り始める。その笑顔を見て、フィアの目から涙がこぼれた。
「……信じられん。お前たちは、風の理すらも変えてしまうのか」
フィアは、アークの手を、その鉤爪のある手で優しく、しかし強く握りしめた。痛いくらいの力だった。
「感謝する、地上の友よ。我ら空の民は、この恩を、子々孫々まで決して忘れない」
彼女は、返礼として一枚の古びた『石版』と、高山にしか生えない希少な『空色ハーブ』を渡してくれた。
「これは我らの祖先が、遥か高い空から見つけた『星の落ちた場所』の地図だ。お前たちの探求の助けになるだろう」
アークは石版を受け取り、輝く瞳で空を見上げた。石版には、アークが探している「過去の真実」に繋がる手がかりが刻まれている予感がした。
「ありがとう、フィアさん! また、ご飯を食べに来るよ!」
『浮遊馬車』は、ハーピーたちの先導を受け、次なる目的地――石版が示す『地底への入り口』へと向かう。
空と大地の絆を結んだ一行の旅は、さらに深く、未知なる領域へと続いていく。
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