第22話:最初の収穫祭と、遠い町の噂
聖浄樹の苗床が産声を上げてから、数週間が経った。
アークと『緑の番人』たちが慈しむように育てた『奇跡の作物』は、ついに最初の収穫期を迎えた。
収穫された作物は、量も質も、村人たちの想像を遥かに超えていた。一つ一つの野菜が、まるで内側から光を放つかのように艶やかで、生命力に満ちあふれている。
番人たちの魔法の才能も、それぞれの人生経験と融合し、固有の才能として開花し始めていた。
その日の午後。
予想を遥かに超える収穫を祝し、村の広場では、史上初となる「収穫祭」の準備が進められていた。
村全体が、一つの家族のように、心を一つにして祭りの準備を進めていた。
陽が傾き始める頃、収穫祭が始まった。
広場に並べられた長机には、山と盛られた料理が並ぶ。濃厚な豆のシチュー、蜜のように甘い焼きニンジン、芳醇な香りのハーブを練り込んだパン。村人たちは、生まれて初めて経験する「美食」と「満腹」に、ただただ涙を流して笑い合った。アークも、家族や仲間たちと共に、その幸福な光景の中心で、満ち足りた時間を過ごしていた。
その、祝祭の輪から少し離れた場所に、一人の男が、まるで亡霊のように立ちつくしていた。
みすぼらしい身なりの行商人だった。彼は、大商会との競争に敗れ、家族を養うために、誰も手を出さないこの辺境ルートに最後の望みを託した、崖っぷちの男だった。だが、この貧しい村で売れるものなどなく、彼の旅は、ここで終わりを告げようとしていた。
(……ここまでか)
彼が全てを諦め、空腹で倒れそうになった、その時。
「旅の人、腹が減ってるんだろ? まあ、食っていきな!」
セーラが、大きな皿に盛られた豆のシチューを、気前よく手渡してくれた。
彼は、どうせ不味いだろうと期待せずに、そのシチューを一口すする。
次の瞬間、行商人の全身に、雷が落ちたかのような衝撃が走った。
なんだ、この味は!?
豆の濃厚な旨味と、野菜の優しい甘み。違う、それだけじゃない。これは、ただの「味」ではない。「生命力」そのものだ。ここ数ヶ月、心と体を蝕んでいた冷たい絶望が、胃の腑から広がる温かい活力によって、みるみるうちに溶かされていく。忘れていた、満ち足りるという感覚。希望という名の、熱。
行商人は目の色を変え、アークの父の元へと駆け寄り、必死に懇願した。
「お、お願いでございます、領主様! この作物を、私に、私だけに卸してはいただけないでしょうか!」
だが、父は威厳をもって、静かに首を横に振る。
「これは、我らの土地の宝。よそ者においそれと売ることはできん」
絶望に膝から崩れ落ちる行商人。
その姿を見て、アークは父のそばに進み出た。そして、行商人に、こう告げた。
「あなたの旅が、大変なものだったのは、よくわかります。だから、少しだけ、村の恵みをおすそ分けしましょう。荷馬車一台分だけ、適正な価格でお売りします」
アークは、子供らしい笑顔の裏で、冷静に計算していた。
(可哀想だという気持ちだけじゃない。これは、僕らが作ったものの価値を、外の世界がどう評価するのかを知る、最初の市場調査だ。この量なら、万が一情報が漏れても、リスクは管理できる)
数週間後。
辺境伯が治める、この地方で最も大きな町。
行商人が持ち帰った「奇跡の作物」は、瞬く間に町の富裕層の間で評判となり、元の値段の百倍もの値で取引されていた。
「北の果ての、貧しいライナス男爵領で、天上の味がする作物が獲れるらしい」
そんな噂が、まことしやかにささやかれ始めていた。
そして、その噂は、ついに届くべき人間の耳へと届いた。
この地方を統括する、辺境伯の代官、ゲルラッハの執務室。
机の上には、領地の収支報告書が乱雑に積み上げられ、その横で、飲み干された高級ワインのグラスが、いやらしい光を放っていた。
「……それで、面白い噂とは何だ?」
ゲルラッハが、退屈そうに部下に尋ねる。
部下は、町で聞いたばかりの噂を、世間話のつもりで報告した。
最初は聞き流していたゲルラッハだが、「貧しいはずのライナス男爵領」「金貨一枚でも惜しくないほどの価値」という言葉に、ぴくりと眉を動かす。
彼は、眺めていた書類からゆっくりと顔を上げ、その強欲に濁った瞳に、ギラリと光を宿した。
「……ライナス領だと? あの、何の価値もない、痩せこけた土地から、宝だと?」
「詳しく話せ」
その一言が、アークたちの築いた温かい日常に、初めて忍び寄る、明確な「悪意」の影となった。
***
最後までお読みいただき、ありがとうございます。面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価、フォローをいただけますと、執筆の励みになります。




