第21話:緑の教室と、共生の奇跡
聖浄樹の苗床が産声を上げてから、数日が経った。
朝日を浴びてキラキラと輝く若葉は、アークの魔法によって、すでに驚くべき速度で成長を始めている。その神々しい光景を前に、『緑の番人』に任命された村人たちが、緊張した面持ちで集まっていた。
「みんな、おはよう! 今日から、ここが僕らの教室だよ」
アークは、彼らにとっての最初の「先生」として、にこやかに言った。
フィンは期待に目を輝かせているが、他の村人たちは「俺たちのような土百姓に、魔法なんて本当にできるのか?」と、緊張と不安でガチガチになっている。
自分を不安そうな目で見上げる、実直な大人たち。前世では、クライアントや職人たちに、何百枚もの設計図を見せてきた。だが、こうして人に「教える」、人を「育てる」ということの、その責任の重さと、温かさに、アークは不思議な感慨を覚えていた。
彼らを単なる作業員ではなく、この壮大な計画を共に進める、真のパートナーとして育てようという、アークの強い意志の表れだった。
「一番大事なのは、この子たち(聖浄樹)の『声』を、心で聞くことだよ」
アークは、苗木にそっと手を触れさせ、その生命力を感じるように教える。
しかし、ほとんどの村人たちは、何も感じることができない。そんな中、アークを純粋に信じ、目を閉じて懸命に意識を集中させていたフィンだけが、小さな声で呟いた。
「……なんだか、ポカポカする。それと……この子、『もっとお水がほしい』って言ってる、気がする……!」
「大正解だよ、フィン!」
アークが嬉しそうにうなずくと、仲間たちの間に、焦りだけでなく、確かな目標と希望が生まれた。
授業を終えた後、アークは一人、苗床の土を調べていた。
聖浄樹の成長をさらに安定・向上させるには、もっと豊かな栄養が必要だ。そこでアークは、前世の知識である「コンパニオンプランツ(共生植物)」の考えを応用する。
アークが『種子生成』で候補となる植物の種を作ると、肩の上のウルが、その匂いを一つ一つ真剣に嗅ぎ分ける。そして、聖浄樹と特に相性の良いクローバーの種を見つけると、「きゅい!(これ!)」と喜びの声を上げた。最高の相棒との、微笑ましくも重要な共同作業だった。
アークが、ウルに選ばれたクローバーの種を聖浄樹の苗木の間に植え、『植物育成(中)』の魔法をかける。すると、驚くべき現象が起きた。クローバーが勢いよく芽吹くだけでなく、そのクローバーに応えるかのように、聖浄樹の苗木の葉の輝きが、明らかに増したのだ。聖浄樹は、仲間となる植物から栄養をもらい、自らの浄化の力で、仲間の成長を逆に促進する、完璧な共生関係を築くことが判明した。
この発見に興奮したアークは、次に、食料となる「アーク豆」の種を、聖浄樹の根元に植えてみる。
聖浄樹の浄化の光を浴びて育ったアーク豆は、わずか半日で成長し、ぷっくりと膨らんだ艶やかな豆の鞘をつけた。
アークが、その場で鞘から豆を取り出して口に含む。瞬間、アークの全身に衝撃が走った。ただ美味しいだけではない。豆そのものが、まるで弱いポーションのように、温かい生命力に満ち溢れていたのだ。
アークは、とんでもない事実に気づいた。
この苗床は、ただ木を育てる場所ではない。聖浄樹が作り出す聖域は、周囲の植物の性質すらも変質させ、ただの作物を、魔力を帯びた「奇跡の作物」へと昇華させる、最高の錬金術農場に他ならなかったのだ。
『緑の防壁』は、瘴気から世界を守るための「盾」。だが、この苗床は、村に富と健康をもたらし、計画を支えるための、尽きることのない「力の源泉」。攻めと守り、その両輪が、今、ここに揃ったのだ。
その日の授業の終わり。
魔法を感じ取れず、落ち込んでいた緑の番人たちを前に、アークは収穫したばかりの「奇跡のアーク豆」を差し出した。
番人たちは、半信半疑で、その豆を口に運んだ。
「……なんだこりゃ!?」
「うめぇ! 身体の芯から、力が湧いてくるようだ!」
番人たちは、自らが育てているものの本当の価値を、その舌で、その体で理解し、興奮に打ち震えた。
たった一粒の豆がもたらした、体の芯から力が湧いてくる感覚。それは、何世代にもわたって、痩せた土地と厳しい冬に苦しみ、常に空腹と病に怯えてきた、彼らの血に刻まれた絶望を、根底から洗い流すような、魂の救済だった。
アークは、目の色を変えた緑の番人たちに向かって、力強く宣言した。
「みんなの仕事は、ただ木を育てるだけじゃない。この村の、いや、この国の誰も食べたことがない、最高の宝物を育てる仕事なんだ!」
アークが力強く宣言した時、折しも傾きかけた太陽の最後の光が、苗床を照らし出した。
聖浄樹の若葉が、その光を浴びて、まるで内側から発光しているかのように、神々しい緑色の輝きを放つ。その聖なる光に照らされた番人たちの顔は、もはやただの農夫ではない。自らの手で奇跡を育てる、誇り高き神官のようだった。
彼らの瞳に、新たな、そして、より力強い熱意の火が灯った。
彼らの使命は、遠い未来のための苦役ではなく、日々の暮らしを、そして愛する家族を豊かにする、希望そのものとなったのだ。
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