第158話:魔法使いの天秤と、陽だまりの熱量
#### 陽だまりの季節
リーリエが陽だまりの街へ来てから、最初の季節が巡ろうとしていた。
北から来た小さな蕾は、仲間たちの温かい光を浴び、驚くほどの速さでその才能を開花させていた。アカデミーのガラス温室では、彼女が弟を想う心で育てた『月光花』が、今や数十輪の花を咲かせ、夜になると、まるで小さな月々のように、穏やかな光で周囲を照らしている。その光景は、街の子供たちにとって、眠る前に必ず訪れたい、新しい名所となっていた。
彼女はもはや、ただの留学生ではない。フィンやミカエラから学んだ文字と物語を、今度は自分より幼い子供たちに教える、アカデミーで一番人気の『小さな先生』となっていたのだ。
街は、盟主アルフォンスの誠実な采配と、眠れる創造主アークの遺した温かい理の下で、完璧な調和を保っていた。南からは豊かな食料が、西からは優れた道具が、そしてザターラからは大陸中の情報と富が集まる。陽だまり連合は、大陸の歴史上、誰も見たことのない、理想郷そのものだった。
だが、そのあまりにも完璧な調和は、必然的に、全く異なる理を持つ者たちの、強い好奇心と、そして、かすかな苛立ちを招くことになる。
#### 魔法使いの使節団
その日、街の門をくぐったのは、これまでのどの使節団とも、その空気を異にしていた。
彼らが掲げるのは、水晶の天秤が描かれた、青い紋章。大陸中央に位置し、数千年の歴史を持つ魔法国家『蒼の賢塔』からの、公式な使節団だった。
彼らを率いるのは、壮年の魔術師長、アズライトと名乗る男。その、剃刀のように鋭い知性を宿した瞳は、この街の温かい空気ではなく、その奥にある『理』そのものを見透かそうとしているかのようだった。
「……素晴らしい。実に素晴らしいですな、アルフォンス盟主殿」
『盟約の館』で開かれた歓迎の宴。だが、アズライトの言葉には、感嘆よりもむしろ、解剖学者が珍しい標本を前にした時のような、冷徹な分析の色が浮かんでいた。
「噂に違わぬ、理想郷。ですが、我々魔法使いの目から見れば、この理想郷は、あまりにも多くの『非効率』と『不安定さ』の上に成り立っているように見受けられる」
彼は、セーラが腕によりをかけて創り上げた、色とりどりの陽だまり料理を指し示した。
「例えば、この料理。確かに美味だ。だが、その味は、作り手のその日の気分や、食材の僅かな個体差によって、常に揺らぐ。我らが賢塔で開発した『栄養素自動調合器』ならば、寸分の狂いもなく、常に完璧な栄養バランスの食事を、何万食でも、瞬時に供給できる。感情という、あまりにも不確かなものに頼る文化は、いずれ、綻びを生むものです」
その、あまりにも正しく、あまりにも冷たい『論理』の刃。
カエランやヴォルカンは、自らの故郷が救われた温もりを、ただの『非効率』と断じられ、悔しげに唇を噛み締める。アルフォンスもまた、その反論の言葉を見つけられずにいた。
#### 陽だまりの熱量
「……面白いですね、アズライト様」
その、凍りついた空気を溶かしたのは、兄に支えられ、評議会に初めて公式に参加した、アークの穏やかな声だった。彼の膝の上では、相棒のウルが、主の初めての晴れ舞台を邪魔せぬよう、しかし誇らしげに、静かに丸くなっている。
まだ車椅子に身を預けてはいるが、その二色の瞳には、世界の理を知る者だけが持つ、絶対的な自信の光が宿っている。
「あなたのおっしゃる通り、僕らの街は、非効率で、不安定なものに満ちている。ですが、それこそが、僕らが最も大切にしている『価値』なのです」
「……ほう。詳しく、お聞かせ願えますかな、若き創造主殿」
アズライトの目に、初めて、本物の興味の光が灯った。
アークは、傍らに控えていたリーリエに、静かに頷いた。
リーリエは、緊張に頬を赤らめながらも、自らが育てた『月光花』の鉢植えを、アズライトの前に、そっと差し出した。
「アズライト様。あなたの、その素晴らしい魔法で、この花が、どのような力で咲いているのか、見てはいただけませんか?」
アズライトは、少し訝しげな顔をしながらも、その挑戦を受けた。彼は、懐から取り出した、複雑なルーンが刻まれた水晶のレンズを、その花にかざす。
レンズを通して、彼の目に、この花の『設計図』が映し出された。
「……なるほど。土の魔力、水の魔力、そして、術者の生命力。実に基本的な構成だ。だが……なんだ、これは……?」
彼の、常に冷静な声が、初めて、微かに揺らいだ。
「この三つの要素以外に、もう一つ、観測できない、未知のエネルギーが、この花の生命の根幹を支えている……。こんな理は、我が賢塔の、いかなる文献にも存在しない……!」
アークは、その驚愕を、楽しむかのように、穏やかに微笑んだ。
「その、観測できないエネルギー。僕らは、それを、**『陽だまりの熱量』**と呼んでいます」
彼は、リーリエの頭を、優しく撫でた。
「それは、この子が、故郷で待つ弟君の笑顔を想う、温かい心。セーラさんが、誰かの『美味しい』の一言のために、厨房で流す汗。ダグさんとグンナル師が、互いの技をぶつけ合う、職人の誇り。兄さんが、この街を守るために、その身を盾とした、揺るぎない覚悟。――あなた方が『非効率』と切り捨てた、その、人の心が生み出す、数値化できない熱こそが、僕らの陽だまりを、そして、この花を咲かせている、本当の力なのです」
アークは、アズライトを、真っ直ぐに見据えた。
「アズライト様。あなた方の『効率』は、確かに素晴らしい。ですが、その完璧な食事は、故郷の味に涙する、カエラン殿の心を救えましたか?その万能の道具は、技の継承に悩む、ヴォルカン殿の誇りを、満たせましたか?」
「僕らが目指すのは、ただ腹を満たすだけの世界じゃない。その、満たされた腹で、空っぽになった心を、どうやって温めるか。その答えこそが、僕らの、新しい時代の『設計図』なんです」
静寂。
アズライトは、ただ、言葉もなく、目の前の、小さな鉢植えと、その隣で誇らしげに胸を張る、名もなき少女を見つめていた。
彼の、数千年の魔法理論で構築された、完璧な世界観が、音を立てて、ひび割れていく。
#### 創造主の見る夢
その夜、アズライトは、一人、アカデミーのガラス温室を訪れていた。
月光の下、無数の『月光花』が、穏やかな光を放っている。その一つ一つから、彼には、確かに感じられた。数値化できない、しかし、確かに存在する、温かい『熱』が。
(……我々は、理を追い求めるあまり、その理を生み出す『心』の存在を、忘れてしまっていたというのか……)
翌朝。
アズライトは、アルフォンスとアークの前に、深く、深く頭を下げた。
「……完敗です、盟主殿。創造主殿。我らは、あまりにも傲慢だった。どうか、お願いしたい。我ら蒼の賢塔にも、その『陽だまりの熱量』を、学ぶ機会を……!」
その、あまりにも真摯な申し出に、二人の兄弟は、顔を見合わせ、最高の笑顔で頷き返した。
その日の評議会で、陽だまり連合と、蒼の賢塔との間に、歴史上初となる**『魔法技術文化交流協定』**が締結された。
その夜、アークは、久しぶりに、自室でペンを取っていた。
兄が創り上げた、この温かい世界。その世界が、また一つ、新しい仲間と手を取り合い、さらに豊かな物語を紡ぎ始めようとしている。
(……すごいな、兄さん。君は、僕が創っただけのこの街に、僕には創れなかった、たくさんの『色』を、与えてくれているんだ)
その、兄への、心からの感謝と誇り。
その温かい想いに応えるかのように。
枕元に飾られた花瓶の中で、七つの黄金の花が、一斉に、これまでで最も眩い光を放った。
そして、眠っていたはずの、**八つ目となる最後の蕾**が、まるで、兄の偉業を、そして、新たなる友情の誕生を、心の底から祝福するかのように、ポン、と愛らしい音を立てて、完璧な形で、その花弁を開いたのだ。
八つの、完璧な黄金色の花輪。そこから放たれる生命の光は、もはや部屋を満たすだけではない。それは、一つの、凝縮された光の奔流となって、アークの胸へと、優しく、吸い込まれていった。
彼の、まだ雪の白さが残っていた髪が、その根元から、まるで永い冬を越えた雪解けの大地に、春の陽光が一斉に差し込むかのように、その大部分が、眠る前の、あの美しい陽光の金色へと、力強く、そしてどこまでも優しく、戻っていったのだ。
その光景を、部屋の外から、そっと覗き見ていたアルフォンスは、息をすることも忘れ、ただ、立ち尽くしていた。(……おかえり、アーク。俺たちの、太陽)声にならない言葉を胸に、ただ、その奇跡の光景に、涙した。弟の、完全なる帰還が、もはや、すぐそこまで来ていることを、彼は、その魂で、確かに感じ取っていた。
***
最後までお読みいただき、ありがとうございます。面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価、フォローをいただけますと、執筆の励みになります。




