第154話:陽だまりの香印と、最初の奨学生
#### 創造主の工房
陽だまりの街に、新しい工房が産声を上げた。それは、ダグやグンナルのような、炎と鋼鉄の匂いに満ちた場所ではない。聖浄樹の木材だけで建てられ、窓から差し込む陽光が、空気中の塵をキラキラと輝かせる、静かで、どこか神殿のような清浄さに満ちた空間だった。
ここが、新たなる時代の信頼の証、『陽だまりの証明印』を生み出すための、聖域。
その中心で、アークは、まだ本調子ではない体を椅子に預けながら、集まった仲間たちに、穏やかな声で語りかけていた。彼の足元では、相棒のウルが、主の繊細な作業の邪魔にならぬよう、息を殺してじっとその様子を見守っている。
「ありがとう、みんな。集まってくれて」
そこにいたのは、聖女ミカエラ、エルフの森から招かれた老練な薬草師、そして、料理長セーラ。それぞれの分野における、最高の「感覚」を持つ専門家たちだった。
「これから僕らが創るのは、ただのインクじゃない。陽だまりの『魂』そのものを、一滴の雫に込めるんだ」
アークの指導の下、神聖な儀式が始まった。
ミカエラが、その清らかな聖なる力で、工房全体に浄化の結界を張る。エルフの薬草師が、アークが『契約の木』の枝から削り出した、微細な木の粉を、月光樹の若葉から採れた朝露で、ゆっくりと溶かしていく。
そして、最後の仕上げ。セーラが、その大陸一と謳われる鋭敏な嗅覚で、アークが聖浄樹から抽出した数種類の香油の中から、最も「陽だまりの森の夜明け」に近い香りを、一滴、また一滴と、慎重に選び出していく。
「……これだね」セーラは、目を閉じたまま、恍惚とした表情で呟いた。「雨上がりの土の匂いと、若葉の上を滑る陽の光の匂い。そして、ほんの少しだけ、アルフォンス様が焚き火にあたっている時の、あの安心する匂いがする……。これこそが、陽だまりの香りだよ」
アークは、その光景を、満足げに見守っていた。彼は、もはや一人で奇跡を創るのではない。仲間たちの、それぞれの最高の才能を引き出し、束ね、一つの、より大きく、より温かい奇跡へと昇華させる、真の『指揮者』となっていたのだ。
#### 最初の奨学生
その頃、『盟約の館』の円卓では、もう一つの、未来を創るための議論が白熱していた。
議題は、アークが提案した**『陽だまりの奨学金』**、その記念すべき第一期生を、どこから、どのような基準で選ぶか。
「最初の奨学生は、我が南方の王都からこそ選出すべきです! 飢えに苦しんだ我ら南方の民にとって、この陽だまりの思想は、魂の救済そのもの!この光を、まずは我らの同胞に、一人でも多く届けることが、我らの使命ではないのですか!」
「いや、お待ちいただきたい、カエラン殿」ヴォルカンが静かに、しかし力強く反論する。「技術交流の拠点として、西方の職人公国にこそ、最初の宿木を。我らが誇る職人の技と、陽だまりの文化が融合すれば、そこから、全く新しい創造の炎が生まれるはずです!ディアナ殿のお考えは理解できる。だが、我ら職人の技を、ただの客寄せのための見世物にするつもりか!技とは、魂そのもの。その魂を理解できる、真の仲間を育てる場所こそが必要なのだ!」
『経済的な観点から申し上げれば、お二人とも、情熱が先走りすぎておりますわ』
ディアナの、冷静な声が響く。『まずは、大陸最大の交易路が交差する、わたくしのザターラにこそ設立すべき。より多くの人々に、陽だまりの文化を広め、その価値を大陸全土に知らしめる。それこそが、最優先事項では?』
それぞれの国の未来を背負った、三者三様の正義。その、決して交わることのない議論の中心で、盟主アルフォンスは、静かに、その全てに耳を傾けていた。
そして、彼は、ゆっくりと立ち上がった。その声には、若き王としての、揺るぎない決意が宿っていた。
「皆の意見は、全て正しい。だからこそ、俺は、選ばない」
彼は、集った仲間たちを見回した。
「俺たちは、国も、身分も、才能も問わない。大陸の全ての街の、全ての子供たちに、たった一つの問いを投げかける。『君なら、君の故郷に、どんな小さな陽だまりを創りたいか?』と。俺たちが探しているのは、最も優秀な才能でも、最も恵まれない境遇でもない。ただ、その胸に、最も温かい『心』を宿した、たった一人の仲間だ」
カエランは故郷の飢えた子供の顔を思い浮かべ、ハッとして顔を上げた。ヴォルカンは技だけでなく心をこそ伝えるべきだと気づき、固く握っていた拳をゆっくりと開いた。そしてディアナは『(……金貨では計れない価値。それこそが、究極の投資先…!)』と、その魂を震わせていた。アルフォンスの言葉は、三者三様の正義を、一つの、より気高い理想へと昇華させたのだ。
#### 創造主の葛藤と、守護者の支え
夕刻。証明印のインクが、完成の時を迎えようとしていた。
最後の工程は、アーク自身の、生命力を僅かに注ぎ込み、インクに「魂」を定着させる、最も繊細な魔法作業だった。
彼は、集中力を高め、その指先を、インクの入った水晶の小瓶へと、ゆっくりと近づけた。
だが、その指先は、彼の意志とは裏腹に、疲労で微かに震え、魔力の制御が、僅かに乱れる。
「くっ……!」
アークは、唇を噛み締めた。もどかしい。頭の中には、完璧な設計図がある。だが、この体が、まだ、それについてこない。永い眠りの代償は、彼が思うよりも、ずっと深かった。
誰よりも先に主の異変を察知したウルが、心配そうに「きゅぅん!」と鳴きながら、アークの足元にその身をすり寄せた。
その、小さな悲鳴のような声に、アルフォンスが弾かれたように駆け寄る。
「……また、一人で全部やろうとしてるだろ、お前」
兄の、温かい手が、震える肩を、そっと包み込んだ。
「忘れたのか?お前の仕事は、こっちだ」彼は、アークの頭を、優しく指で差した。「お前は、設計士。俺たちは、お前の設計図を、形にする職人だ。……俺たちを、信じろ」
アークは、自らの震える手と、兄の、どこまでも力強く、揺るぎない手を見比べた。そして、ふっと、肩の力が抜けるのを感じた。
「……うん。ごめん、盟主殿」
彼は、悪戯っぽく敬礼すると、隣に立つミカエラに、最後の指示を託した。
「ミカエラさん。あなたの、その清浄な祈りの力で、このインクに、最後の祝福を」
「はい、アーク様」
ミカエラが、アークの指示通りに、その両手で小瓶を包み込む。彼女の、純粋な祈りの光が、インクの一滴一滴に、陽だまりの魂を、完璧な形で定着させていった。
最初の『陽だまりの香印』は、アーク一人ではなく、仲間たちの『絆』によって、この世に生を受けたのだ。
#### 最初の『真作』
その夜、工房には、全ての仲間たちが集まっていた。
ダグとグンナルが誇らしげに見守る中、刷り上がったばかりの『陽だまりの騎士の譚詩曲』の、真新しい一冊が、アルフォンスの手に渡される。
彼は、完成したばかりの証明印を手に取ると、緊張した面持ちで、その本の、最後のページに、ゆっくりと、押し当てた。
アークが、その兄の手の上に、自らの手を、そっと重ねる。
二人の英雄の想いが一つになった、その瞬間。
紋章は、ふわり、と、陽だまりそのもののような、温かい黄金色の光を放った。そして、工房全体に、まるで陽だまりの森の朝そのものが訪れたかのような、清浄で、懐かしい若葉の香りが、満ち溢れた。
「……これが……」
アルフォンスは、その、あまりにも美しく、あまりにも希望に満ちた光と香りを前に、静かに呟いた。
「俺たちの、答えだ」
兄弟の傍らで、ウルが、その温かい光を嬉しそうに見上げ、満足げに尻尾を揺らしていた。
「ううん」アークは、首を横に振ると、最高の笑顔で、兄を見上げた。
「これが、兄さんと僕の、最初の『作品』だよ」
創造主と、守護者。二人の英雄が創り出した、たった一つの小さな光。それは、偽りの闇を払い、世界中に、本物の陽だまりの温もりを届ける、新たなる時代の、あまりにも力強い、最初の狼煙だった。
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