第152話:陽光の帰還と、ただいま僕の陽だまり
#### 目覚めの朝
静寂。
八つの黄金の花が咲き誇る枕元で、創造主の魂は、ついに、永い夢の旅路を終えようとしていた。
兄の誇り、仲間たちの誓い、そして世界中で芽吹き始めた新しい物語の温もり。その全てが、彼の魂を現実という名の岸辺へと、優しく、優しく導いていく。
最後に聞こえたのは、最も懐かしく、最も信頼する相棒の、喜びと安堵に満ちた「きゅぅん」という魂の鳴き声。それが、最後の扉を開く、温かい鍵となった。
アークは、ゆっくりと、その重い瞼を開いた。
最初に映ったのは、ぼんやりと霞む、見慣れた自室の木目の天井。次に、心配そうに、そして、これ以上ないほどの愛情を込めて自分を覗き込む、兄アルフォンスの、涙に濡れた顔。その足元で、喜びのあまり全身の毛を逆立たせ、震えながらこちらを見上げる、愛しい相棒、ウルの姿だった。
体が、鉛のように重い。だが、五感は、かつてないほどに研ぎ澄まされていた。
窓の外から聞こえてくる、活気に満ちた、しかし、どこまでも穏やかな街の音。自分が眠る前にはなかった、エルフたちの澄んだ歌声が、子供たちの笑い声に混じっている。セーラの厨房から漂う、醤油と味噌の、懐かしくも、より深みを増した香ばしい匂い。自分が眠っている間に、世界が、自分が夢見た以上に、温かい場所になっていることを、彼は、その魂で理解した。
「……にい……さん……?」
やっとの思いで紡ぎ出した声は、ひどく掠れていた。
その、あまりにも懐かしい響きを聞いた瞬間、アルフォンスの、強靭な精神で張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと切れた。彼は、言葉にならない嗚咽を漏らしながら、弟の、温かい手を、震える両手で固く、固く握りしめた。
「……ああ。ああ……!おかえり、アーク。……本当に、よく、帰ってきた……!」
その手から伝わる、兄の、あまりにも温かい魂の感触に、アークは、自らが、本当に帰ってきたのだということを、ようやく実感した。
#### 新しい世界の音
アークの目覚めは、嵐のようにではなく、陽だまりの街に訪れた朝のように、静かに、そして温かく、仲間たちに伝えられた。
最初に部屋に駆けつけた父と母は、ただ涙を流しながら、痩せた息子の体を固く抱きしめた。かつて息子に命を救われた母が、今度は、目覚めたばかりの息子の体を、慈しむように温かいスープで満たしていく。父は、言葉少なに、しかし、その無骨な手で、二人の息子の頭を、代わる代わる、誇らしげに撫で続けた。
やがて、仲間たちが、次々と部屋を訪れた。
「てめぇ、この寝坊助が!どれだけ心配させやがんだ!」
ダグが、いつものように悪態をつきながらも、その赤く潤んだ目を、必死にごしごしと擦っている。ミカエラは、胸の前で手を組み、その奇跡に、静かな感謝の祈りを捧げていた。ローランは、「ふむ、ようやくお目覚めですかな、若き創造主殿」と軽口を叩きつつも、その声が隠しきれぬほど震えていた。
アークは、一人ひとりの顔を、ゆっくりと、目に焼き付けた。
眠る前の記憶と比べ、誰もが、逞しく、自信に満ちた、素晴らしい顔つきになっている。特に、目の前で、不器用に、しかし最高の笑顔を浮かべる兄アルフォンス。その魂からは、かつて彼を蝕んでいた劣等感の影など微塵も消え去り、代わりに、巨大な陽だまりそのもののような、絶対的な王の風格と、揺るぎない自己肯定の輝きが放たれていた。
彼は、自分が眠っていた時間の長さを悟り、そして、その間に、兄と仲間たちが成し遂げたことの、あまりにも偉大な軌跡に、ただただ胸を熱くするのだった。
#### 旅立つ者たちへの祝福
その報せは、まさに出発の準備を整えていた、最初の『語り部』たちの元にも届けられた。
老農夫バルドは、その場で大地に膝をつき、涙を流して神に感謝した。女性彫金師リーナは、驚きにその美しい瞳を大きく見開き、胸の前で、強く手を握りしめた。
彼らは、アルフォンスに、旅立ちの前に、一目だけでも、その奇跡の主に拝謁したいと懇願した。
アルフォンスは、少し迷った後、静かに頷いた。
彼は、まだ起き上がることもままならない弟を、柔らかな毛布で優しく包むと、その体を、軽々と横抱きにした。
そして、『盟約の館』の、一番陽当たりの良いバルコニーへと、弟を連れて行った。
眼下には、旅立ちを前にしたキャラバンと、それを見送る、街の人々の姿があった。
アルフォンスは、眠る弟に代わり、その、若き王としての声を、街中に響き渡らせた。
「聞け!我が最高の仲間たちよ!そして、新たなる時代の、最初の語り部たちよ!」
「我らが創造主は、今、永い眠りから目覚められた!」
地鳴りのような、割れんばかりの歓声。
「だが、主はまだ、休息を必要とされている。だからこそ、今度は、我らが、主の御心と共に、旅立つのだ!行け、我が同胞よ!そして、大陸中に、陽だまりの物語を届けよ!我らが主が、再びこの大地を歩まれる、その日に。この世界が、主を迎えるにふさわしい、温かい陽だまりで満ちているように!」
その言葉に応えるように、アルフォンスの腕の中で、アークが、ゆっくりと、その手を上げた。
彼は、旅立つ仲間たちに向かって、まだ力はないが、どこまでも優しい、確かな笑みを浮かべて、静かに、手を振ってみせた。
創造主と、守護者。二人の英雄が、初めて、共に民の前に立った、その歴史的な瞬間。その光景を見た人々は、後世にまで語り継ぐことになる。片や、世界を創りし、眠れる太陽。片や、その太陽が不在の世界を守り抜いた、不屈の月。二つの光が、初めて一つの空に昇った、新たなる時代の、本当の夜明けの姿を。
バルドも、リーナも、ただ、涙を流しながら、その光景を胸に焼き付け、深く、深く、頭を下げた。彼らが故郷に持ち帰るのは、もはやただの技術ではない。この、魂を震わせるほどの、生きた物語そのものだった。
#### ただいま、僕の陽だまり
キャラバンが、希望の光の中へと旅立っていく。
その、頼もしい後ろ姿を見届けた後、アークは、兄の腕の中で、安心したように、再び穏やかな眠りへと落ちていった。
アルフォンスは、弟の、子供のように無防備な寝顔に、苦笑しながらも、その金色の髪を、優しく撫でた。
部屋に戻り、セーラが特別に作った、滋養に満ちた温かいスープを、アルフォンスが、スプーンでゆっくりと、弟の口元へと運んでやる。
アークは、その、懐かしい味に、ゆっくりと目を開けた。
窓の外からは、旅立った仲間たちを祝福するかのような、教会の、温かい鐘の音が聞こえてくる。
「……すごいな、兄さん。街の音が、僕が眠る前より、ずっと、優しい」
「当たり前だ。お前が安心して眠っていられるように、俺たちが創った音だからな」
二人の兄弟は、言葉もなく、ただ、静かに笑い合った。
やがて、アークは、兄の手からスプーンを受け取ると、自らの手で、ゆっくりと、しかし、確かに、スープを口へと運んだ。
そして、全ての始まりの日のように、少しだけはにかむと、こう言った。
「ただいま、兄さん。――そして、ただいま、僕の陽だまり」
その言葉に、足元で丸くなっていたウルが、全てを理解したように「きゅぅん」と一つ、幸せそうに鳴いた。主の、完全なる帰還。それこそが、彼にとっての、世界の完成だった。
創造主は、帰ってきた。
自らが創り、そして、兄が守り抜いてくれた、世界で一番、温かい場所へ。
二人の英雄が、再び手を取り合う時、陽だまりの物語は、新たなる、無限の可能性を秘めたページを、静かに、そして力強く、めくったのだった。
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