第14話:もふもふ相棒と、月雫の奇跡
どれほどの時間、気を失っていたのだろうか。
アークが最初に感じたのは、パチパチと薪がはぜる音と、身を包むマントの温かさだった。ゆっくりと目を開けると、すぐ側でローランが、剣を膝に抱きながら、鋭い眼光で周囲の闇を警戒しているのが見えた。彼が、アークが眠っている間、ずっと番をしてくれていたのだ。
「……目が覚めたか、アーク坊主」
「ローランさん……」
アークは腕の中に意識を向けた。
そこには、昨日よりも少しだけ毛並みに艶が戻った、小さな温かい塊があった。子熊の妖精――ウルだ。ウルも静かに目を覚ましていて、漆黒の濡れたような瞳で、アークの顔をじっと見つめていた。その瞳には、昨日までの苦痛の色はなく、ただ、澄み切った信頼だけが映っていた。
ウルはもぞもぞと動き出し、おぼつかない足取りでアークの胸の上によじ登ってくる。そして、くんくんとアークの匂いを嗅ぐと、心の底から安心したように「きゅぅ」と一つ、小さな鳴き声を上げて、胸の上でくるりと丸くなった。
胸の上の小さな重みは、あまりにも軽い。だがアークには、それがどんなものよりも重く、尊いものに感じられた。託された命の重み。聖なる存在からの、絶対的な信頼の重み。焚き火とは違う、魂の芯から温めてくれるような熱が、アークの全身を駆け巡った。
そんな二人を、ローランは少し離れた場所から、複雑な表情で見守っていた。
「アーク坊主、そいつは一体何者なのだ。……気持ちはわかるが、我々には時間がない。お母上のための薬草を探さねばならん」
その、ローランの言葉に、ウルがぴくりと反応した。
ウルはアークの胸からぴょんと飛び降りると、森のある方向をじっと見つめ、アークの方を振り返ると、「きゅいっ!」と、強い意志を込めて鳴いた。
瞬間、アークの脳内に、ウルの思いが流れ込んでくる。
(あっちに、ある。母様を救うのと同じ、綺麗な力を持つものが。でも、それも、すごく苦しんでいるの……)
「ローランさん、この子が、『月雫草』の場所を知っているみたいだ。でも、その薬草も、この世界樹と同じように病気なんだって」
その言葉に、ローランはハッとした顔をした。
希望が見えたと同時に、そのあまりの困難さに、ローランは言葉を失う。
「だとしても、道はそれしかないんだ」
アークの決意は、揺るぎなかった。
ローランは、アークの揺るぎない瞳を見つめた。狂気の沙汰だ。だが、この少年は、革新的な農具の設計思想で、ポイズン・ヴァインを鎮める神聖な魔法で、すでに二度も自分の常識を粉々に砕いてきた。ならば、三度目があったとて不思議はない。
「……神話の中の生き物に導かれるとはな。面白い。乗ったぜ、その博打」
三人は、ウルを先頭に、月雫草が生えるという場所を目指した。
ウルに導かれてたどり着いたのは、瘴気の森の中にあるとは思えない、小さな洞窟の奥深く。そこは、岩の隙間から差し込む僅かな月の光に照らされた、美しい泉と苔が広がる、聖域のような場所だった。
そして、その泉の中心の苔の上に、枯死寸前の『月雫草』は、ひっそりと生えていた。
アークは、月雫草の前に静かに膝をついた。そして、自らの肩に、小さな相棒であるウルを乗せる。
アークは両の手で、そっと月雫草を包み込むようにかざすと、ゆっくりと目を閉じて精神を集中させた。
(目を覚まして。君の本来の力を、本当の姿を、思い出して)
接続した瞬間、月雫草が抱える、冷たく淀んだ瘴気の奔流が、アークの精神へと逆流してきた。死にゆくものの苦痛。アークは歯を食いしばってそれに耐えながら、まるで魂の輸血を行うかのように、自らの温かい生命力を、光の奔流として月雫草へと注ぎ込んでいく。
視界が明滅し、意識が遠のきそうになる。それでも、アークは繋いだ手を離さなかった。
すると、奇跡が起きた。
枯れかけていた葉に、まるで血管のように、力強い緑色の光が走り始めた。色褪せていた葉が、みるみるうちに月光を反射する、美しい銀色の輝きを取り戻していく。
そして、最も大きく広がった葉の上に。
夜空の青を、そのまま凝縮したかのような、美しい瑠璃色の雫が、ぽつり、と一滴、生まれ落ちた。
「……やった……!」
アークは、魔力をほぼ使い果たしてふらつきながらも、ローランから渡された小さなガラス瓶に、瑠璃色の雫を数滴、こぼさないよう、大切に採取した。
これで、母さんは助かる。安堵の空気が、アークとローランを包んだ。
しかし、ローランはすぐに顔をしかめた。
「……まずいな」
月雫草が浄化され、本来の力を取り戻したことで、この聖域から、生命力の塊とでも言うべき、清浄で強力な魔力が、瘴気の森全体へと、まるで狼煙のように放出され始めていたのだ。
アオォォォーーーーーーーン……!
遠く、しかし、確実に。森の静寂を切り裂く、長く、骨まで凍てつくような遠吠えが響き渡った。
一つではない。その声に呼応するように、あちこちから、次々と遠吠えが上がる。群れだ。
遠吠えが響き渡ると同時、洞窟内の気温が、急激に下がり始めた。吐く息が白く凍り、泉の水面に、薄い氷がパキパキと音を立てて張り詰めていく。
ローランは、血の気の引いた顔で、洞窟の入り口を見つめた。
「フロストウルフだ……! この生命力に引き寄せられてやがる! 来るぞ、アーク坊主!」
母を救う希望を手に入れた、その直後。
絶望を告げる白き悪魔の足音が、すぐそこまで迫っていた。
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