第139話:使節の旅立ちと、創造主の最初の夢
##### 陽だまりの工房
『陽だまりの聖歌』が灰嶺使節団の心の氷を溶かした、あの奇跡の夜から数週間。
陽だまりの街の工房は、大陸の歴史上、誰も見たことのない、創造の熱気に満ち溢れていた。西方の職人たちが鋼鉄を打つ甲高い槌音と、灰嶺の職人たちが木を彫るリズミカルな音。かつては決して交わることのなかった二つの文化が、今や一つの完璧な交響曲を奏でている。
その中心で、若きリーダーであるエリアスとヴォルカンが、互いの弟子たちに、それぞれの技を教え合っていた。
「違う!灰嶺の木彫りは、木目に逆らうな!木の魂の声を聞くんだ!」
「馬鹿を言え!西方の鍛造は、魂で鉄が曲がるか!千分の一の精度こそが、俺たちの魂だ!」
言葉は荒いが、その瞳には、互いの技への絶対的な敬意と、共に一つのものを創り上げる、最高の喜悦が輝いていた。
彼らが創り上げていたのは、あの日、産声を上げた『陽だまりのオルゴール』。その、最初の量産品だった。
##### 新たなる価値の天秤
その日の午後、『盟約の館』の円卓には、再び連合の仲間たちが集結していた。
テーブルの中央には、完成したばかりの、十数個の美しいオルゴールが並べられている。
『……素晴らしい。実に素晴らしいですわ』
光の姿で参加するディアナが、感嘆のため息をついた。だが、彼女はすぐに、怜悧な商人の顔に戻る。
『ですが、アルフォンス様。この、あまりにも美しすぎる完成度が、我らに、新たなる難問を突きつけております。すでに噂を聞きつけた王都の貴族たちから、このオルゴール一つに、小さな村が一つ買えるほどの値が提示されておりますわ。我らは、この奇跡を、富に変えるべきか。それとも……』
その言葉に、工房を代表して参加していたヴォルカンが、即座に反論した。
「断じて否!これは、金儲けのための玩具ではない!我ら職人の魂の結晶だ!その価値が分からぬ、肥え太った豚どもの慰みものにされて、たまるか!」
エリアスもまた、静かに、しかし力強く頷いた。「この音色は、万人に開かれてこそ、真の価値を持つはずだ」
富か、理想か。連合は、豊かさ故の、あまりにも贅沢で、あまりにも難しい選択を迫られていた。
##### 王女の願い
その、張り詰めた空気を破ったのは、一人の伝令兵の、慌ただしい足音だった。
「申し上げます!レナトゥス王国の、王家直属の使者様が、盟主殿への親書を!」
ローランが、恭しくその親書を受け取り、その場で封を切る。だが、その顔は、驚きに目を見開かれていた。
「……なんと。これは、陛下からではありませぬ。国王陛下の御息女……アンネリーゼ王女殿下、ご本人からの、個人的なお手紙にございます」
ローランが、震える声で、その手紙を読み上げ始めた。
それは、病弱で、城の外に出ることすら叶わぬ、まだ十歳にも満たない少女の、たどたどしい、しかし、どこまでも純粋な言葉で綴られていた。
『……北の英雄、アルフォンス様へ。わたくしは、あなた様の物語を読みました。あなた様が、その身を盾とし、多くの笑顔を守られた物語に、わたくしは、生まれて初めて、お城の外の世界へ出てみたいと、そう、願うことができました』
『そして、旅の商人から、噂を耳にいたしました。あなた様の国には、その物語の歌を奏でる、魔法の小箱がある、と。もし、もしも、叶うのであれば。病に伏せる、このわたくしに、その、陽だまりの歌を、一度だけでも、お聞かせ願えないでしょうか。その音色を聴くことができたなら、わたくしにも、いつか、自分の足で、陽の光の下を歩ける勇気が、湧いてくるような気がするのです……』
金貨の話など、どこにも書かれていなかった。ただ、一人の少女の、ささやかで、しかし、切実な『願い』だけが、そこにあった。
書斎は、水を打ったように静まり返っていた。
アルフォンスは、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、もはや一片の迷いもなかった。
「……答えは、出たな」
彼は、集った仲間たちを見回し、その、若き王としての、最初の決断を、高らかに宣言した。
「このオルゴールは、売り物ではない!我らが陽だまり連合からの、新たなる時代の、最初の『贈り物』だ!我らが創り出すものの価値は、金貨では計らない。それが、どれだけ人の心を温め、どれだけ多くの笑顔を咲かせることができたか。それこそが、俺たちの、唯一の価値基準だ!」
「フィン!エリアス殿!お前たちに、最初の使節としての役目を命じる!このオルゴールと共に、我らが陽だまりの物語を、病に伏せる、たった一人の少女の元へ、届けに行ってくれ!」
##### 旅立ちの朝
数日後の朝。陽だまりの街の門前は、新たな時代の、最初の旅立ちを見送る、温かい喧騒に満ちていた。
『陽だまり文化交流協定』の、記念すべき最初の使節として、若き学長フィンと、灰嶺男爵領の若きリーダー、エリアスが、王都レナトゥスへと旅立つのだ。
街の全ての仲間たちの想いが、小さな旅の一行に、託されていく。
「「行ってまいります!」」
子供たちの、割れんばかりの歓声に見送られ、二人の若き使節を乗せた馬車は、希望の光が差す、東の空へと、ゆっくりと走り出した。
##### 創造主の最初の夢
その、同じ頃。
遥か北、陽だまりの街。眠れる創造主の間で、一つの、静かな奇跡が起きていた。
アークの意識は、永い、永い、光のない夢の中にいた。
だが、その、無限の静寂の中に、不意に、一つの、か細く、しかし、どこまでも優しい音色が響き始めたのだ。
それは、兄が、最後に聞かせてくれた、あのオルゴールの旋律だった。
その音色に導かれるように、彼の、夢の宇宙に、ぽつり、ぽつりと、温かい光が灯り始める。
兄の、不屈の魂の輝き。仲間たちの、揺るぎない信頼の輝き。そして今、遥か遠い東の地へ向かう、フィンとエリアスの、新しい『友情』の輝きが、彼の宇宙に、新たな星として、キラリと瞬いた。
(……ああ、温かい……)
アークは、夢の中で、その、新しく生まれた光へと、無意識に、その手を、そっと伸ばした。
現実世界。
アルフォンスが、弟の様子を見に、部屋を訪れていた。
その、瞬間だった。
三つの黄金の花が咲き誇る、その中心で、これまで固く閉ざされていた**四つ目となる黄金色の蕾が、まるで兄の来訪と、使節の旅立ちを祝福するかのように、急速に、その輝きを増した。**
そして、ポン、と。まるで花の精が、悪戯っぽく息を吹きかけたかのような、愛らしい音と共に、その蕾が、完璧な形で、その花弁を開いたのだ。
四つの、完璧な黄金色の花。そこから放たれる生命の光は、眠るアークの胸へと、優しく、吸い込まれていった。
そして、アークの、枕元に置かれていた左手が、ぴくり、と動いた。
指が、ゆっくりと、何かを掴むかように、僅かに、しかし、確かに、握り締められたのだ。
アルフォンスは、その、あまりにも確かな生命の兆候に、息をすることも忘れ、ただ、立ち尽くしていた。
弟の魂が、帰ってきている。この、温かい陽だまりの家へと、確かに。
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