第136話:物語の対価と、盟主の新しい服
#### 盟主の朝
『陽だまり連合評議会』が終わり、街が新たなる目標に向かって力強く脈打ち始めてから、数週間が過ぎた。
盟主としてのアルフォンス・ライナスの朝は、今や山と積まれた羊皮紙の束との格闘から始まる。南方のカエランからは灌漑用水路の技術支援要請、西方のヴォルカンからは新しい合金開発のための予算折衝、そしてザターラのディアナからは、大陸全土を巻き込む壮大な経済圏構想の次なる一手。
その一つ一つに目を通し、ローランの助言を請い、ミカエラと法整備について議論を交わす。それは、弟アークのような天才的な閃きで一瞬にして答えを導き出すやり方とは、あまりにも違う、地道で、泥臭い作業だった。
「……くそっ、本当に王様ってのは、剣を振るうよりペンを振るう時間の方が長いんだな」
アルフォンスは、ガシガシと頭を掻きながら悪態をつく。だが、その口元には、充実感に満ちた笑みが浮かんでいた。これが、俺の戦場だ。弟が創ってくれたこの陽だまりを、より強く、より温かい場所へと育て上げるための。
執務の合間、彼は決まって、弟が眠る部屋を訪れた。
雪のように真っ白な髪の少年は、今日も穏やかな寝息を立てている。その傍らでは、聖なる番人ウルが、主の毛づくろいをしたり、窓から差し込む陽の光を浴びたりして、静かな時間を過ごしていた。枕元に飾られた花瓶の黄金の芽は、今や六枚の若葉を誇らしげに広げている。
「見てろよ、アーク。お前が安心して眠っていられるように、最高の国を創ってやる。お前が目を覚ました時、度肝を抜くような、面白くて、温かい世界をな」
その静かな誓いに、ウルが「きゅい」と一つ、信頼を込めて鳴いた。
#### 物語の対価
その日の午後、評議会の広間に、ディアナ・シルバーが、光の姿となって現れた。その美しい顔には、最高の商談を成立させた時のような、会心の笑みが浮かんでいた。
『アルフォンス様、皆様。素晴らしい報せと、そして、新たなる嬉しい悩みが、同時に舞い込んでまいりましたわ』
彼女がもたらした報せは、評議会の仲間たちの想像を、遥かに超えるものだった。
『陽だまりの騎士の譚詩曲』。その物語は、ディアナが張り巡らせた情報網と、ローランたちが送り出した『生きた物語』の使徒たちの活躍によって、燎原の火のように大陸全土へと広まっていた。
だが、それは、ただの流行り歌では終わらなかった。
『物語は、今や、一種の政治的な力となりつつあります。圧政に苦む小国の領主や、旧態依然とした体制に不満を抱く改革派の貴族たちが、我が銀月商会を通じて、次々と接触してきているのです。彼らが求めるのは、食糧でも、武具でもありません。彼らが欲しているのは、我らが陽だまりの街が持つ**『物語』そのもの**。そして、その物語を生み出すための、アカデミーの教師と、印刷の技術なのです』
ディアナは、円卓を見回すと、新たなる時代の、最初の問いを投げかけた。
『さて、盟主様。そして、皆様。我らが手にした、この文化という名の、金貨よりも価値ある新たな力。これを、我々は、どう使うべきでしょう? 高値で売りつけ、連合のさらなる富としますか? それとも……』
その問いに、カエランは腕を組み、ヴォルカンは眉をひそめる。富は必要だ。だが、自分たちを救ってくれたこの陽だまりの精神を、金で切り売りするような真似はしたくない。そのジレンマに、誰もが答えを見つけ出せずにいた。
#### 盟主の答え
アルフォンスは、その難問を前に、弟ならばどうしただろうか、と一瞬だけ考えた。きっと、誰も思いつかないような、奇跡の設計図を描いてみせたに違いない。
だが、俺はアークじゃない。
彼は、書斎の窓から見える、街の光景を思い出した。アカデミーの庭で、南の国の子供と、西の国の子供が、一緒になって『譚詩曲』の一節を真似て、木の枝を振り回している姿。工房で、ダグとグンナルが、互いの国の言葉で罵り合いながらも、最高の笑顔で酒を酌み交わしている姿。
答えは、もう、この街の中にあった。
「……物語は、売らない」
アルフォンスの、静かだが、揺るぎない声に、全ての視線が彼へと集まる。
「俺たちが創り出す物語は、金で価値を計るものじゃない。だが、タダでもない。俺たちが求める対価は、金貨じゃない。**『友情』**だ」
彼は、立ち上がった。その姿は、もはやただの兄ではない。新たなる時代の、理想を掲げる若き王そのものだった。
「ここに、**『陽だまり文化交流協定』**の設立を提案する! 我らの物語を求める者には、その全てを、惜しみなく与えよう。教師を派遣し、印刷技術も教える。その代わり、彼らにもまた、彼らの国が持つ、最高の物語を、我らに教えてもらう。歴史を、歌を、誇りを。そうやって、互いの魂を交換し、理解し合う。それこそが、俺たちの陽だまりの輪を、世界に広げる、唯一の方法だ!」
その、あまりにも理想に満ちた、しかし、どこまでもアルフォンスらしい、温かい外交方針。
ディアナは、その光の姿で、一瞬だけ目を丸くした後、心の底から楽しそうに、くすりと笑った。
『……参りましたわ、盟主様。金貨の一枚も生まない、壮大な慈善事業。普通の商人なら卒倒ものですわね。ですが……ええ、最高ですわ。最高の『投資』先です。友情という名の、決して裏切られることのない、無限の資産。このディアナ・シルバー、あなたのその、あまりにも青臭く、あまりにも美しい商談、謹んでお受けいたします』
#### 王の新しい服
アルフォンスの決断に、評議会が万雷の拍手で応えた、その時だった。
西方の職人代表、ヴォルカンが、数名の仲間と共に、静かに立ち上がった。彼らは、恭しく、一つの、美しい桐の箱を、アルフォンスの前へと差し出した。
「盟主殿」ヴォルカンの、実直な声が響く。「我ら西方の職人一同より、新たなる時代の王に、献上したき品が」
箱が開けられる。中に納められていたのは、王侯貴族が着るような、金糸銀糸で飾り立てられた豪華な礼服ではなかった。
それは、一見すると、質実剛健な、旅人のための上質なコートのようだった。だが、その生地は、南方のカエランが献上した、最も柔らかい羊毛で織られ、陽だまりの街で開発された、聖浄樹の繊維によって、驚くほどの軽さと強靭さを与えられている。襟元や袖口には、ザターラの銀月商会が提供した、月光のように輝く銀の糸で、連合の紋章が、控えめに、しかし、誇らしげに刺繍されていた。そして、その全てを繋ぐボタンや留め金は、西方の職人たちが、その魂を込めて打ち上げた、芸術品のような黒鉄の細工。
それは、連合の、全ての国の、最高の技と、誇りが結集した、一着の衣服だった。
「……これは、俺に……?」
「はい」ヴォルカンは、誇らしげに胸を張った。「我ら職人が語る、これが、我らの『物語』です。あなた様が率いる、この陽だまり連合の、理想の姿そのものです。どうぞ、お受け取りください。我らが、新たなる王に捧げる、最初の忠誠の証です」
アルフォンスは、その、あまりにも温かく、あまりにも重い贈り物を、震える手で受け取った。
彼が、その『盟主の服』に袖を通した瞬間、まるで、連合に生きる全ての人々の、温かい魂に、その身を包まれたかのような、不思議な感覚がした。
その夜、アルフォンスは、真新しい服をまとったまま、弟が眠る部屋を訪れた。
窓から差し込む月光が、服に織り込まれた銀の刺繍を、キラキラと輝かせている。
「……どうだ、アーク。似合うか? お前が着るような、洒落た服じゃねぇけどよ。……重いんだ。鎧よりも、ずっと。だがな……すごく、温かいんだ。お前が創ってくれた、この陽だまりみたいによ」
彼は、眠る弟に、今日あった全ての出来事を、誇らしげに語り聞かせた。
そして、彼が、枕元の花瓶に、そっと手を触れた、その瞬間。
六枚の黄金の若葉をつけた芽が、兄の、誇りに満ちた魂の響きに応えるかのように、ひときわ強く輝いた。
そして、その先端で、これまで固く閉ざされていた、**七枚目となる、小さな、小さな黄金色の蕾**が、まるで兄の新しい門出を祝福するかように、ほんの僅かだけ、その先端を綻ばせたのだ。
眠るアークの、雪のように真っ白な髪の上に、その、温かい生命の光が、まるで涙の雫のように、一滴、優しく降り注いだ。
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