第132話:幕間:陽だまりの森の心音
陽だまりの街、領主の館の一室。眠れる創造主アークの胸の上は、世界で最も穏やかで、最も生命力に満ちた聖域だった。
だが、その主が永い眠りについてからしばらくして、ウルは一つの決意を固めていた。それは、自らの母である世界樹の元へと一時的に還り、失われた力を蓄え、そして、この世界の再生をその身で報告すること。眠り続ける主を、より力強い守護者として支えるための、聖なる旅立ちだった。
ウルは、主の、穏やかな心音を子守唄に、その魂を母なる世界樹と繋ぎ、失われた力を蓄えていた。
永い眠りから目覚めた母の魂は、まだ完全ではない。だが、その根を通じて、星の奥底から汲み上げられる清浄なマナは、まるで極上の蜜のように、ウルの小さな体を、内側から優しく満たしていく。
失われていた力が、戻ってくる。
いや、それ以上の、新しい力が、その魂に芽吹いていくのを感じた。毛並みは、ただの若葉色ではない。陽の世界樹の黄金と、陰の世界樹の白銀、その両方の輝きを内包した、神々しいまでの輝きを放っている。
ここは、彼の故郷。彼の、全て。
母の奏でる、悠久の生命の旋律に抱かれ、満ち足りていた。
満ち足りて、いるはずだった。
だが、その魂が満たされれば満たされるほど、心のどこかで、もう一つの、懐かしい鼓動が聞こえるのだ。森が奏でる生命の旋律とは違う、もっと不器用で、もっと温かい、街の心音。半分が欠けているような、不思議な寂寥感。
魂の繋がりを通じて、ウルには、全てが聞こえていた。
新しい館を築く、力強い槌の音。
若きリーダーとなったフィンが、子供たちに未来を語る、熱のこもった声。
そして何より、自らの命を懸けて、弟の世界を守り抜いた、気高き兄の、不屈の魂の響き。
(……アルフォンス……みんな……アークの陽だまりを、守ってくれてる……)
そして、その全ての音の中心に、今も静かに眠り続ける、もう一人の半身の、穏やかな寝息があった。
(……アーク……)
会いたい。
その温もりに、もう一度触れたい。あの、雪と金が混じり合った髪を、この鼻先でくすぐりたい。
だが、母もまた、自分を必要としている。
その、引き裂かれるような想いを感じ取ったのか。
母なる世界樹の魂が、ウルを、優しく包み込んだ。
言葉ではなかった。母の、数万年の記憶そのものが、温かい光の奔流となって、ウルの魂へと直接流れ込んでくる。(我が愛しき半身よ。あなたの陽だまりが、あなたを呼んでいます)という、絶対的な肯定の意志。(もう、行きなさい)という、優しい背中への一押し。(我が祝福と共に、あなたの、もう一つの半身の元へ)という、星々の一生分にも等しい、深遠なる愛情。
アルフォンスが創り上げた、新たなる時代の盟約。祝宴に響き渡る、仲間たちの歓喜の声。その、あまりにも温かい『陽だまりの心音』が、ついに、森の奥深くで力を蓄えていたウルの魂へと、最後の呼び声として届いた。
(……聞こえる。みんなの声が。兄ちゃんの、声が……アークの陽だまりが、世界になったんだ……!)
母からの祝福と、仲間たちの歓喜。二つの光を受け、ウルの最後の蕾が、完全に花開いた。彼は、眠る主の頬に一度だけ感謝を込めてすり寄ると、その覚醒の光を、天へと解き放った。
一本の、緑色の光の柱が、アークの部屋から、祝福の狼煙のように、まっすぐに天を衝いた。
その毛並みは、陽の世界樹の夜明けの黄金と、陰の世界樹の月光の白銀、その両方の輝きをその身に宿し、神々しいまでのオーラを放っている。そして、これまで固く蕾を閉ざしていた頭の上の小さな花が、まるで眠れる主の目覚めを予祝するかのように、常しえの春を告げる、完璧な形で咲き誇っていた。
一本の、緑色の光の流星が、陽だまりの森を、まっすぐに駆け抜けていく。
それは、母なる樹の祝福を携えた、森の御子の凱旋。
その光は、新たなる王の戴冠と、眠れる創造主が待つ、新たなる時代の盟約が結ばれる、約束の地へと、まっすぐに続いていた。
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