第130話:信頼の貨幣と、物語の翼
#### 新たなる時代の、最初の問い
『陽だまり連合盟約』の締結まで、あと二週間。
街は、大陸中から訪れるであろう賓客たちを迎えるため、最後の仕上げに追われていた。アルフォンスの指揮の下、人間、エルフ、そして西方の職人たちの技が融合した壮麗な『盟約の館』は、すでにその美しい威容を誇っている。
その日の書斎は、静かな、しかし重い難問に直面していた。
机の上に広げられたのは、ディアナが魂を込めて描き上げた、新たなる経済圏の設計図。その中心に据えられた『陽だまりマルカ』という革新的な貨幣の構想。
だが、その構想を前に、西方の職人公国が誇る、実直な青年ヴォルカンが、深く、しかし、敬意に満ちた声で、根本的な問いを投げかけた。
「……アルフォンス卿、ディアナ様。構想は、あまりにも素晴らしい。ですが、一つ、我ら職人には、どうしても解せぬ儀が」
彼は、一枚の銅貨をテーブルの上に置いた。
「貨幣の価値とは、その素材そのものに宿るはず。黄金は黄金故に、銀は銀故に、価値を持つ。ですが、この構想では、貨幣そのものに、いかなる価値を持たせるので?」
「そして、何より……いかにして、その信頼を、偽造という人の欲望から、守るのですか?」
その、あまりにも現実的で、あまりにも的を射た問い。ディアナですら、眉をひそめ、有効な答えを見出せずにいた。
#### 小さな賢者の、大きな答え
その、重い沈黙を破ったのは、一人の青年の声だった。
「――その答えなら、ここにあります」
若き学長フィンが、静かな、しかし、絶対的な確信に満ちた声で、その沈黙を破った。彼は、これまで議論を見守っていた末席からゆっくりと立ち上がると、その瞳に師であるアークと同じ、探求の光を宿して、告げた。
アルフォンスは、その、かつての泣き虫だった友の、あまりにも頼もしい成長した姿に、驚きと、そして、心からの誇りを込めて、穏やかに微笑みかけた。
「いいんだ、フィン。お前の知恵も、この陽だまりを創る、大切な力だ。聞かせてくれ」
その言葉に勇気づけられ、フィンは、アークが遺した研究ノートの一冊を、大切そうに開いた。
「……アーク兄ちゃんのノートの片隅に、こんな走り書きがあったんです。『価値とは、信頼の可視化である』、と」
「兄ちゃんが創った『ライナス和紙』。あれは、ただの紙じゃない。聖浄樹の繊維を漉き込むことで、決して破れず、水にも強い、特別な性質を持っています。そして、何より、僕らの陽だまりの魔力にしか反応しない、微かな光を放っている」
「もし……もしも、その特別な紙に、エルフの皆さんが守る、あの『世界樹』の若木からいただいた、小さな枝を、薄く削って、透かしのように漉き込むことができたなら……?」
その、あまりにも突飛な、しかし、あまりにも天才的な発想に、書斎にいた誰もが、息を呑んだ。
「……まさか!」ディアナが、その銀色の瞳を、驚愕に見開いた。「貨幣を、金属ではなく、紙で……?
聖浄樹の紙と、世界樹の木片。二つの、決して真似のできない聖域の素材を組み合わせることで、偽造そのものを不可能にする……!?」
フィンは、はにかみながら、しかし、誇らしげに頷いた。
「はい。黄金よりも強く、宝石よりも気高い、僕らの『信頼』そのものを、貨幣にするんです!」
#### 魂を刷る工房
その日から、ダグとグンナルの工房は、再び、創造の熱気に包まれた。
フィンが、エルフたちと共に、聖浄樹の繊維と、月光樹の若木の木片を漉き込んだ、奇跡の『聖樹紙』を創り出す。それは、月光にかざすと、美しい世界樹の紋様が、淡い緑色の光を放って浮かび上がる、芸術品そのものだった。
その紙に、物語を印刷するための『翼』を創った二人の巨匠が、今度は、信頼の『証』を刻むための、新たな印刷機を組み上げていく。
そして、ついに、最初の『陽だまりマルカ』紙幣が、刷り上がる日。
工房には、評議会の全ての仲間たちが、固唾を飲んで集まっていた。
アルフォンスが、その、若き王としての最初の仕事として、緊張した面持ちで、印刷機のハンドルを、ゆっくりと、しかし、力強く、押し下げた。
ギギギギ……と、新しい時代が産声を上げるかのような、心地よい軋み音が響く。
やがて、刷り上がった、記念すべき第一号紙幣。
それは、もはやただの紙幣ではなかった。
手にした瞬間、誰もが息を呑んだ。聖浄樹の紙から、陽だまりのような温かさが、そして、世界樹の紋様から、森の清浄な気配が、まるで呼吸をするかのように、確かに伝わってくるのだ。
表面に描かれているのは、建設中の『盟約の館』と、そこに集う、人間、エルフ、そして西方の職人たちの、楽しげな姿。
裏面には、寄り添うように立つ、陽と陰、二本の世界樹の若木が描かれていた。
それは、金銭的な価値を超えた、この街の『理想』そのものが凝縮された、一枚の、美しい**“誓い”**だった。
#### 物語の翼
その、同じ頃。
アカデミーの印刷工房では、もう一つの、未来への準備が進められていた。
「――よし!
『英雄の譚詩曲』、増刷完了だ!」
「次は、『カエラン様と学ぶ、新しい麦の育て方』、千部!」
「その次は、ミカエラ様が翻訳してくださった、『エルフの古の詩集』だ!
急げ!」
フィンと生徒たちは、インクと紙にまみれながら、目を輝かせて働いていた。
そこへ、ローランが、一枚の、真新しい版下を手に、静かに入ってきた。
「フィン殿。急で済まぬが、これも、追加でお願いできるかな」
フィンが、その版下に目を通し、息を呑んだ。
そこに記されていたタイトルは、『**陽だまり連合盟約・草案**』。
「……ローラン先生、これを……?」
「うむ」ローランは、悪戯っぽく笑った。「盟約とは、王侯貴族が密室で交わし、羊皮紙の上だけで朽ちていくものではない。そこに生きる、全ての民が、その内容を知り、理解し、そして、自らの心に刻んでこそ、初めて真の力を持つ。我らは、歴史上初めて、『魂』で結ばれる盟約を結ぶのだ。 delegates だけでなく、この街を訪れた全ての者に、我らの『覚悟』を、配ってやろうではないか」
#### 創造主の見る夢
その日の夜。
全ての喧騒から離れ、アルフォンスは、一人、弟が眠る部屋の扉の前に、静かに立っていた。
彼は、その手に、刷り上がったばかりの、一枚の『陽だまりマルカ』紙幣を、大切そうに握りしめていた。
「……見てるか、アーク。これが、俺たちが創る、新しい時代の、価値の形だ。金貨みてぇに冷たくねぇ。温かいだろ?」
彼は、その紙幣を、そっと、扉の下の隙間から、部屋の中へと滑り込ませた。
その、瞬間だった。
枕元に飾られた、白い野花。その中心で、黄金色の光を放つ若葉が、まるで、兄が届けた温かい信頼に応えるかのように、これまでで最も強く、そして、誇らしげな光を放った。
その光の中で、一枚目よりも、さらに大きく、力強い、**二枚目の黄金色の若葉**が、ゆっくりと、しかし、確かに、その姿を現したのだ。
部屋全体が、穏やかで、満ち足りた、黄金色の光に包まれる。眠るアークの、雪のように真っ白な髪の上に、その、温かい生命の光が、まるで祝福の雫のように、優しく降り注いだ。
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