第126話:陽だまりの評議会と、豊かさの天秤
#### 兄と弟の朝
あれから、三ヶ月。
創造主が永い眠りについてから、陽だまりの街には、三度の月が満ち欠けした。
その朝、アルフォンス・ライナスは、日の出と共に目を覚ますのが常となっていた。
かつての、偉大すぎる弟の背中をただ追いかけるだけの、焦燥に満ちた目覚めではない。この街の、数多の家族の笑い声を守るという、重く、しかし、どこまでも温かい責任が、彼の魂を穏やかに覚醒させるのだ。
窓を開ければ、ひんやりと、しかし清浄な朝の空気が流れ込んでくる。その空気には、セーラの厨房から漂う焼きたてのパンの香り、ダグの工房から聞こえてくる、弟子たちを指導するための準備を始めたであろう槌の音、そして、ミカエラの教会から微かに聞こえる、早朝の祈りのための澄んだ鐘の音が、心地よく混じり合っていた。
眼下に広がる街は、もはや彼が知る辺境の村ではない。人間とエルフが自然に肩を並べて歩き、アカデミーへ向かう子供たちの弾んだ声が響き渡る、活気に満ちた美しい都市へと、その姿を変えつつあった。
「……見てるか、アーク。お前が創った朝だぜ」
アルフォンスは、その穏やかな光景に目を細めると、自室を出て、静かに隣の部屋の扉を開けた。 そこは、眠れる創造主の間。 アークは、あの日と何も変わらず、雪のように真っ白な髪を枕に散らし、穏やかな寝息を立てていた。だが、いつもそこにあるはずの温かい毛玉の姿がないことに、アルフォンスは、改めて胸の空虚さを感じた。アークが眠りにつくと同時、相棒ウルもまた、まるで役目を終えたかのように、森の奥深くへと姿を消したままだったのだ。 (…ウル。お前も、今、どこかで戦っているのか…) **弟と、その相棒。二つの、あまりにも大きな存在の不在を埋めるかのように、**アルフォンスは、枕元に置かれた小さな水晶の花瓶に視線を移した。そこに挿された、あの『嘆きの人形』が遺した一輪の白い野花が、今朝もまた、清浄な光を放っていた。その花弁の中心から、ほんの僅かに顔を覗かせた黄金色の新しい芽が、昨日よりも、ほんの少しだけ、力強く輝きを増しているように見えた。 アルフォンスは、弟の額に落ちた白い髪を、そっと指で払ってやると、静かに部屋を後にした。
兄として、そして、この街の守護者としての、長い一日が、また始まる。
#### 豊かさという名の、新たなる壁
その日の午後。
領主の館の書斎は、新たなる時代の到来を告げる、静かな、しかし確かな熱気に満ちていた。
机の上の大陸地図を囲むのは、アルフォンス、ローラン、ミカエラ、そして『契約の木』を通じてその意識だけを参加させているディアナ。そこに、南から到着したばかりの、若き使徒カエランが、上座へと促されていた。
彼の顔には、かつての絶望の色など微塵もない。故郷を再誕させたという自信と、次なる課題へと挑む、若きリーダーの熱意が漲っていた。
「――アルフォンス卿、皆様。我が南方での『黄金の再誕計画』は、皆様のご支援のおげで、予想を遥かに超える成功を収めております」
カエランの報告は、喜びに満ちていた。だが、その声には、次第に、新たな憂いの色が混じり始める。
「ですが、それ故に、我々は、全く新しい壁に直面しております。麦の価値は安定いたしましたが、今度は、我が生み出した『黄金の雫』そのものが、市場に溢れかえろうとしているのです。需要と供給の天秤が、再び、崩れようとしております」
「……豊作貧乏、ならぬ、**“豊穣過多”**ですわね」
ディアナの、冷静で、しかし、どこか楽しげな声が響く。「わたくしの商会が全力で流通を支えておりますが、それも時間の問題。アーク様が灯した希望の炎は、我々の想像を超える速度で燃え広がり、今や、大陸そのものを暖める巨大な篝火となりました。ですが、そのあまりに強すぎる光は、同時に、豊かさという名の深い『影』をも生み出し始めているのです」
飢餓を克服した世界が、次に直面する、**『豊かさ』という名の、新たなる戦争の危機**。
アルフォンスは、その、剣では決して断ち切ることのできない、あまりにも複雑で、あまりにも巨大な問題の前に、ぐっと唇を噛み締めた。
(くそっ……!
こんな時、アークなら、きっと、あっさりと答えを見つけちまうんだろうな……)
脳裏に浮かぶ、偉大すぎる弟の顔。だが、彼はすぐに、その甘えを、力強く振り払った。
(違う。俺は、もう、あいつの背中を追うだけじゃない。あいつが帰ってくる場所を、この手で守り、育てると誓ったんだ!)
#### 兄の決断
アルフォンスは、集った仲間たち――この、新たなる時代を担う、最高の頭脳たちを、一人ひとり、見つめた。
そして、彼は、弟がしたであろうやり方とは全く違う、しかし、彼にしかできない、一つの答えを、その場にいる全ての魂へと、真っ直ぐに、叩きつけた。
「――ならば、我らは、もはやただの『点』であることをやめる」
その、静かだが、絶対的な覚悟を宿した声に、全ての視線が彼へと集まる。
「陽だまりの街も、南の連合も、西の職人公国も、ザターラも。これまでは、アークという太陽の光を分け与えられる、ただの惑星だった。だが、もう違う。我ら自身が、互いを照らし合う、新たな『星座』となるのだ」
「ここに、**『陽だまり連合盟約』**の締結を、提案する!」
それは、あまりにも大胆不敵な、国家創生にも等しい宣言だった。
「我らは、もはや、ただ産物を売り買いするだけの、脆弱な交易関係ではない。アークが遺した技術を、知識を、そして、何より、この『陽だまりの心』を、完全に共有する、一つの運命共同体となる。富は、一部の国が独占するものではない。連合全体で分かち合い、一つの巨大な家族として、共に豊かになる。そのための、全く新しい『理』を、我らの手で創り上げるんだ!」
その、あまりにも気高く、あまりにも新しい理想の国の形。
書斎は、しばし、絶対的な静寂に包まれた。
最初に、その沈黙を破ったのは、ディアナの、心の底からの歓喜に打ち震える、魂の交信だった。
『……素晴らしい!
素晴らしいですわ、アルフォンス様!
これこそ、わたくしが夢見た、金貨では決して買えぬ、最高の商売!
国家という古い枠組みを超えた、信頼だけで結ばれる、史上初の経済共同体!
ええ、ええ、このディアナ・シルバー、あなたのその、あまりにも心躍る船出に、銀月商会の全てを賭けましょう!』
「……我が剣もまた、あなたの盾となりましょう」ミカエラが、静かに、しかし、揺るぎない覚悟で頷き返した。「あなたの掲げる理想は、私がかつて夢見た、真なる神の国の姿そのものです」
書斎の外、工房の方角から、まるでその魂の叫びが聞こえたかのように、ダグの力強い槌の音が、カーン!と一度だけ、高らかに響き渡った。それは、言葉以上の、最高の盟約の音だった。ローランも、エルフの長老も、カエランも、誰もが、その目に同じ光を宿し、新たなるリーダーの誕生を、心から祝福していた。
#### 新たなる時代の設計図
「……力を貸してくれるか、みんな」
アルフォンスの、少しだけ照れくさそうな、しかし、どこまでも誠実な言葉に、仲間たちは、それぞれのやり方で、最高の信頼を返した。
彼は、決断した。
「――一月後。この陽だまりの街に、全ての同盟国の代表を招集する。そして、この場所で、新たなる時代の、最初の盟約を、世界に宣言する!」
その日の夕刻。
アルフォンスは、全ての喧騒から離れ、一人、弟が眠る部屋の扉の前に、静かに立っていた。
彼は、眠る弟に、今日の出来事を、一つ一つ、誇らしげに報告した。
「……どうだ、アーク。俺も、少しは、お前の代わりを務められそうか?」
その、魂からの問いかけに、応える声はない。
だが、アルフォンスは、確かに感じていた。扉の向こうから、弟の魂が、まるで「それでこそ、僕の兄さんだ」と、誇らしげに笑っているかのような、温かい気配を。
彼は、そっと、枕元に飾られた、白い野花に目をやった。
その、黄金色の新しい芽が、兄の、あまりにも気高い決意の音を聞き届けたとでも言うように、これまでで最も強く、そして、誇らしげな光を放った。まるで、眠れる創造主が、その最高の英雄に「それでこそ、僕の兄さんだ」と、魂で拍手を送っているかのようだった。
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