第124話:枢機卿の問答と、創造主の答え
#### 魂の牢獄
最後の扉の先に広がっていたのは、神殿ではなかった。
そこは、巨大な黒水晶でできた壁と天井に囲まれた、広大な、広大な、円形の空洞。床には、人の魂が凍てついたかのような、どこまでも滑らかな黒曜石が敷き詰められている。光はない。音もない。ただ、空間そのものが、数千年の『哀しみ』で飽和し、存在するだけで魂が削り取られていくかのような、絶対的な圧力が、三人の英雄にのしかかる。
その、魂の牢獄の中心。
一つの、巨大な黒水晶の玉座に、一人の老人が、静かに座っていた。
枢機卿ベネディクトゥス。
その古木の如き顔に、表情はない。ただ、その膝の上で、世界を泣かせ続ける、黒水晶でできた小さな**『嘆きの人形』**を、まるで愛しい我が子をあやすかのように、その皺だらけの指で、優しく撫でていた。
「――よくぞ、参られた。『創造主』よ」
その声は、玉座から発せられたものではなかった。この空間そのものが、震えているかのようだった。
アルフォンスとミカエラが、咄嗟に武器を構え、突撃しようとする。だが、彼らの体は、まるで琥珀の中に閉じ込められた虫のように、一歩も動くことができなかった。見えざる、しかし絶対的な『哀しみ』の壁が、彼らの存在そのものを、縫い付けていた。
#### 枢機卿の問答
「無駄だ、人の子らよ」ベネディクトゥスは、ゆっくりと顔を上げた。「ここは、我が祈りの聖域。我が理が、全てを支配する場所。汝らの、矮小なる希望など、ここでは意味をなさない」
彼は、アーク、ただ一人を、その昏い瞳で見据えた。
「汝の力、実に見事だ。生命を創り、人を癒やし、世界に豊かさをもたらした。だが、その結果、何が生まれた? 富の偏り、新たな争いの火種、そして、目的を失った、空虚な魂だ。希望とは、混沌。幸福とは、堕落。人の子が、自らの足で歩む先に待つのは、常に、醜い争いと、果てなき欲望の地獄だけなのだ」
彼の声には、一片の狂気も、悪意もなかった。ただ、数千年の人類の歴史を見つめ続けた果てにたどり着いた、歪んだ、しかし、絶対的な確信だけがあった。
「故に、我は、この世界を救う。争いの源泉たる『希望』を、この世界から、永遠に消し去ることでな。人々は、等しく哀しみ、等しく涙し、そして、その静寂の中で、永遠の『秩序』と『平穏』を得るのだ。それこそが、神が望み給う、真なる救済」
彼は、アークに向かって、その手を、静かに差し伸べた。
「創造主よ。汝の、生命を創る力と。我が、魂を律する力。その二つが合わされば、我らは、神をも超える、完璧な世界を創ることができる。さあ、我と共に、この、醜い世界を、終わらせようではないか」
#### 創造主の答え
その、あまりにも甘美で、あまりにも冒涜的な誘惑。
だが、アークは、静かに首を横に振った。彼の瞳には、憐れみと、そして、絶対的な創造主としての、静かなる怒りが宿っていた。
「……あんたは、何もわかっていない」
「それは救済などではない! 魂の牢獄です!」ミカエラが叫んだ。「真の信仰とは、哀しみの中にこそ、光を見出す力のこと! それを奪うなど、神への、最大の冒涜!」
「黙れ!」アルフォンスが、咆哮した。「苦しみがあるから、人は優しくなれる! 絶望があるから、人は希望を求める! その、醜くも気高い営みの全てを、あんたに否定する権利など、万に一つもねぇんだよ!」
アークは、一歩、前へと進み出た。彼の視線は、枢機卿ではなく、その膝の上で、か細くすすり泣く、小さな人形へと注がれていた。
「そして、枢機卿。あんたは、最大の過ちを犯した。それは、道具じゃない。数千年間、誰にも弔われることなく、ただ、助けを求めて泣き続けている、一人の、**か弱い子供の魂**だ。あんたは、救済を語りながら、その足元で泣き叫ぶ、たった一つの魂の声すら、聞いてやれなかったんだ」
その一言が、枢機卿の、完璧な理性の仮面を、完全に打ち砕いた。
「……黙れ、小僧があああぁぁっ!」
#### 陽だまりの鎮魂歌
枢機卿の絶叫に呼応し、嘆きの人形から、絶望の嵐が、吹き荒れた。
だが、その嵐の中心で。三つの光は、決して屈しなかった。
「――おおおおおっ!」
アルフォンスが、その場に膝をつき、『陽だまりの心臓』を、大地に突き立てる。彼の『守護』の誓いが、黄金色の光のドームとなり、仲間たちを守る、最後の、そして、絶対的な陽だまりを創り出した。
「――我が祈りを、光の道に!」
ミカエラが、そのドームの中で、白銀の聖剣を掲げる。彼女の『解放』の祈りが、絶望の嵐を切り裂き、玉座へと続く、一本の、清浄なる光の道を、こじ開けた。
アークは、その道を、歩いた。
彼は、玉座の前に立つと、武器を構えるでもなく、ただ、その両手を、泣き続ける人形へと、そっと、差し伸べた。
「**『陽だまりの鎮魂歌』**」
アークは、その、あまりにも永い間、孤独だった魂に、自らの魂が持つ、全ての温もりを、分け与えた。
母が歌ってくれた、不器用な子守唄の温もりを。
兄と、初めて本気で喧嘩して、そして仲直りした日の、夕陽の温もりを。
仲間たちと、焚き火を囲み、腹の底から笑い合った、あの夜の、炎の温もりを。
そして、名もなき人々が、「美味しいね」と笑い合う、ささやかな食卓の、どこまでも、どこまでも、優しい温もりを。
(もう、いいんだよ。もう、一人で泣かなくて、いいんだ)
『嘆きの人形』の、か細いすすり泣きが、止んだ。
人形に宿っていた数千の魂が、苦悶の表情から解き放たれ、安らかな光の粒子となって溢れ出す。
人形は、自らの意志で、枢機卿の膝の上から、ふわりと浮かび上がると、まるで、数千年ぶりに帰る我が家を見つけた子供のように、アークの、差し伸べられた両手の中へと、吸い寄せられるように、還っていった。
黒水晶の人形が、アークの手に触れた瞬間、パリン、と心地よい音を立てて砕け散る。
そして、その中から、一輪の、雪のように、どこまでも白い花が、静かに、花開いた。
「ああ……あああああああああああっ!」
枢機卿が、絶叫した。
彼の、力の源泉が、彼の、理性の盾が、消滅したのだ。数千の魂が、数千年にわたって蓄積した、純粋な『哀しみ』の奔流が、行き場を失い、彼の魂へと、逆流していく。
彼は、玉座から転げ落ち、ただ、赤子のように、床を転げ回り、自らが最も忌み嫌っていたはずの、醜い感情の嵐に、その魂を喰らい尽くされていた。
静寂。
そして、ゴゴゴゴゴ……と、主を失った偽りの神殿が、その存在意義を失ったとばかりに、崩壊を始めた。
天井が砕け散り、そこから、灰色の雨雲を突き破って、一本の、力強い、**朝日**の光が、差し込んできた。
アークは、その手に、白い花を、大切そうに抱きしめながら、仲間たちと共に、その、新しい世界の、最初の光の中へと、ゆっくりと、歩み出すのだった。
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