第120話:最後の旅路と、陽だまりの誓い
#### 希望の灯台
世界が、泣いていた。
枢機卿が解き放った『嘆きの人形』が奏でる絶望の旋律は、『嘆きの雨』となって大陸全土に降り注ぎ、人々の心から希望という名の光を、根こそぎ奪い去っていった。
だが、その、どこまでも広がる灰色の絶望の海の中に、ぽつり、ぽつりと、決して消えることのない、温かい光が灯り始めていた。
南方の穀倉地帯。若き獅子カエランは、絶望に膝を折る民衆の中心で、アークから託された最後の一粒、『聖浄樹の種子』を、震える手で大地に植えた。
「――思い出せ! 我らが故郷の、黄金の夜明けを!」
彼の魂の叫びに呼応し、種子が芽吹く。大地から、温かい光のドームが広がり、その聖域の中だけ、冷たい嘆きの雨は止み、代わりに、陽だまりのような温かい光が、人々を包み込んだ。それは、巨大な闇夜に灯った、たった一本の蝋燭の光。絶望に膝を折っていた農夫が、ふと顔を上げる。光に照らされた隣人の顔に、諦めではない、涙に濡れた決意の色が浮かんでいるのを見る。その光を見た人々は、涙を拭い、再び、鍬を、槌を、その手に握りしめた。
西方の職人公国でもまた、若き学長フィンが、同じように希望の灯台を灯していた。
そして、名もなき宿場町。焚書令の恐怖に凍りついた広場で、一人の旅の吟遊詩人が、震える唇で、再びあの歌を口ずさみ始めた。
『――黒鉄の騎士は、ただ一人、立ち向かった……』
その、か細い歌声は、嘆きの雨音にかき消されそうになる。だが、その歌に宿る『魂』が、人々の心の奥底に眠る、勇気の火種を、そっと揺り起こした。一人、また一人と、その歌声に、小さな声が重なっていく。
それは、教会への反逆ではない。ただ、自らの魂が、このまま灰色に染まって死んでいくことを、拒絶するための、人間としての、あまりにも気高い抵抗だった。
アークが仕掛けた二つの防衛線は、確かに、機能していた。
#### 最後の支度
その頃、陽だまりの街は、最終決戦を前にした、静かな、しかし、熱い炎に包まれていた。
ダグとグンナル、二人の巨匠が立つ鍛冶場からは、この数日間、一度も槌の音が途絶えることはなかった。
「――へっ、待たせたな」
目の下に濃い隈を作りながらも、その瞳を、人生で最高の満足感に輝かせ、ダグは、旅立つ三人の英雄の前に、神話の武具と見紛うばかりの、見事な装備一式を並べてみせた。
アルフォンスの『陽だまりの心臓』は、より軽量で、より強靭な合金で打ち直され、その表面には、エルフの加護のルーンが、淡い光を放って刻まれている。
ミカエラが携える白銀の聖剣には、聖なる力と反発しない聖浄樹の木で作られた、美しい柄が取り付けられ、彼女の魔力を、以前の数倍にも増幅させるだろう。
そして、アークのために用意されたのは、武器でも鎧でもない。ただの、簡素な、白地に金色の刺繍が施された、旅人のフード付きマントだった。だが、それは、アークの母と、遥かザターラのディアナが、互いの想いを込めて編み上げた『契約の木』の繊維で織られていた。それは、ただ身を守るだけではない。仲間たちとの『絆』そのものを力に変える、アークだけの、究極の礼装だった。
出発の朝。
アークは、父と母の前に、静かに立った。
父は、何も言わなかった。ただ、その無骨な手で、逞しく成長した長兄の肩を、そして、世界の運命を背負う次男の肩を、同じ力で、強く、強く叩いた。その、不器用な掌から、「必ず、生きて帰れ」という、魂の言葉が伝わってきた。
母は、涙をこらえながら、アークの首に、一つの、小さな木彫りの鳥をかけた。あの日、初めて森へ旅立った時と、全く同じ、不格好で、しかし、愛情に満ちたお守りだった。
「……行って、おいでなさい。あなたたちの、信じる『陽だまり』を、世界中に、届けてあげるために」
#### 王都への道
三人の旅立ちに、盛大な見送りはなかった。
ただ、全ての仲間たちが、その目に、揺るぎない信頼の光を宿して、彼らの背中を見守っていた。
アーク、アルフォンス、ミカエラ。
創造主、英雄、そして聖女。新たなる時代を象徴する三つの光は、一路、世界の闇の中心、王都を目指した。
彼らは、もはや隠れない。
王都へと続く、最も広く、最も往来の激しい街道を、堂々と、馬を進めた。
道中、彼らの、あまりにも異質で、神々しいまでの気配に、道行く人々は、まるで古の王族の行幸にでも出くわしたかのように、無意識のうちに道を譲り、敬虔な祈りと共に、その背中を見送った。
数日後。
一行は、ついに、王都を見下ろす丘の上へとたどり着いた。
眼下に広がる、かつて白亜の輝きを誇った都は、今や、生気のない灰色の『嘆きの雨』に包まれ、まるで巨大な墓標のように、沈黙していた。
その、絶望の灰色の中心で、ただ一つ。
巨大な大聖堂だけが、自らが放つ呪詛の雨に濡れることなく、まるで死の世界に君臨する冥王の城のように、冷たく、傲慢な光を放っていた。
「……ひどい景色だ」
アルフォンスが、その手に握る斧の柄を、ギリッと強く握りしめた。「だが、この景色も、今日で見納めだ。俺たちが、ここに、太陽を連れてきてやったんだからな」
「……あれが、私が生涯を捧げた、偽りの神殿」
ミカエラは、その聖剣の柄に手をかけ、自らの過去と決別するかのように、静かに、しかし、力強く言った。「我が手で、その過ちに、終止符を」
アークは、静かに馬から降りると、大聖堂へと続く、冷たい石畳の道を見据えた。
彼は、その道に向かって、静かに、その手を差し伸べた。
「――僕らのための、道を創ろう」
次の瞬間、アークの足元から、陽光そのものを凝縮したかのような、黄金色の光を放つ**『生命の道』**が、芽吹いた。
それは、まるで天へと続く光の絨毯のように、灰色の石畳を覆い尽くし、絶望に沈む王都を、一直線に貫き、大聖堂の、その巨大な正面扉へと、まっすぐに、繋がった。
アークは、自らが創り出した光の道を、仲間たちと共に、ゆっくりと歩み始める。(……聞こえるよ。君の、数千年の哀しみが)。そして、偽りの神殿の、その心臓部を見据え、静かに、しかし、その場にいる全ての魂に聞こえるほどの、絶対的な創造主の意志を込めて、告げた。
「――『嘆きの人形』。君を、弔いに来たよ」
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