第110話:開戦前夜と、最後の設計図
#### 漆黒の津波
希望の槌音が響く『陽だまりの砦』。その、熱気に満ちた空気を切り裂いたのは、一羽の、力尽きた伝書鳩だった。
銀月商会の紋章が刻まれたその鳥は、ディアナの密偵セリナが放った最後の使者。その足に結ばれた羊皮紙を、エルフの弓兵長リオンが、厳しい表情で解き広げる。
そこに記されていたのは、血で書かれたかのような、たった一行の絶望的な伝言だった。
『――三日後。全軍、侵攻。鷲ノ爪ハ、全テヲ引キ裂ク』
砦の司令部に集った、アルフォンス、カエラン、ミカエラ、そして南方の将軍たちの顔から、サッと血の気が引いた。
三日。
それは、もはや戦略を練る時間ではなく、ただ、死を待つための時間でしかなかった。
「……馬鹿な。これほどの速度で、全軍を動かすだと……?」
南方の老将軍が、震える声で呟く。「奴らは、兵站を、補給を、完全に無視している。これは、戦ではない。ただの、蹂躙だ……!」
#### 陽だまりの緊急評議会
その報せは、瞬く間に、北の陽だまりの街にも届けられた。
アークの書斎で開かれた緊急の評議会。カエランたちの意識も、『契約の木』を通じて、そこに在った。
「……陽動や、小細工ではありませんわ。我が商会の全ての目が、鉄鷲公国の、全ての軍勢が、一つの巨大な槍となって、南の国境へと向かっていることを、確認しております。その数、およそ五千。対する、カエラン様の領地の兵力と、聖域騎士団を合わせても、わずか五百……」
ディアナの、冷徹な報告が、場の空気を、絶対零度まで凍てつかせた。
十倍。
あまりにも、絶望的な戦力差。
「……アーク」
アルフォンスの、魂からの声が響く。「策はあるのか。どんな、無茶な設計図でもいい。俺たちは、それに乗る」
全ての視線が、静かに盤面を見つめる、一人の青年へと集まった。
アークは、ゆっくりと顔を上げた。その二色の瞳には、絶望の色はない。ただ、自らが創り上げた仲間たちへの、絶対的な信頼と、これから始まる最高の舞台を前にした、創造主の、静かなる高揚だけがあった。
#### 最後の設計図
「――大丈夫だよ、兄さん。僕らは、この日のために、準備をしてきたんだから」
アークは、立ち上がると、南方の地図の上に、一つの、小さな、しかし、ひときわ強い生命力を放つ**『聖浄樹の種子』**を、そっと置いた。
「僕が提案するのは、**『陽だまりの揺り籠』作戦**」
「まず、リオン殿。今夜、闇に紛れて、この種子を、砦の前面に広がる平原の、その中心に植えてきてください。それが、この戦いの、全ての『心臓』になります」
「次に、ミカエラさん。あなたの聖なる力で、砦の城壁に、最大限の『守りの祝福』を。敵の最初の猛攻を、一刻でも長く、耐え凌いでください」
「そして、兄さん。あなたは、砦の、最後の守護者。敵が、僕の仕掛けを乗り越え、城壁にたどり着いた時。その、疲弊しきった敵の心臓に、渾身の一撃を叩き込む、『鋼鉄の槌』の役目だ」
アークは、仲間たちを、そして、地図の上の種子を、真っ直ぐに見据えた。
「開戦と同時に、僕は、この陽だまりの街から、僕の魂の全てを、かの地の種子へと送り込みます。そして、戦場そのものを、僕らのための、巨大な『生きた迷宮』へと、変貌させる」
「敵は、数で我らを蹂躙しようとするでしょう。ですが、その数こそが、彼らを飲み込む、巨大な墓穴となるのです」
#### 開戦前夜
その夜。
『陽だまりの砦』では、全ての兵士が、それぞれの持ち場で、静かに、しかし、熱く、最後の準備を進めていた。
カエランは、城壁の上に立ち、集まった全ての兵士たちの前に、その、若き獅子の如き声を、響き渡らせた。
「――聞け! 我らが故郷の、全ての同胞よ! 明日の朝、我らの畑を、鉄の軍靴が踏み躙るだろう! だが、我々は、もはや、ただ奪われるだけの民ではない! 我らの背には、北の英雄たちがいる! 我らの手には、誇り高き武器がある! そして、我らの足元には、創造主が仕掛けた、奇跡の揺り籠がある!」
「今宵流すは、恐怖の涙ではない! 明日の勝利を誓う、鋼鉄の汗だ! 我らが守るべきは、国境ではない! セーラの厨房から漂う匂い、子供たちの笑い声、その全てだ! 故郷の夜明けは、我らの手で、掴み取るぞ!」
「「「おおおおおおおおっ!!」」」
地鳴りのような雄叫びが、南の夜空を震わせた。
城壁の一角で。
アルフォンスとミカエラが、二人きりで、静かに、闇に包まれた平原を見つめていた。
「……怖いですか、アルフォンス殿」
「ああ、怖くて、震えが止まらんさ」アルフォンスは、不敵に笑った。「だがな、ミカエラ。俺の背後には、俺を信じて、この無茶な戦場に立ってくれている、最高の仲間たちがいる。そして、遥か北の地で、俺を信じて、全てを託してくれている、たった一人の弟がいる。……その全てを思えば、この恐怖すらも、悪くない」
その、あまりにも頼もしい背中に、ミカエラは、静かに、自らが仕えるべき『光』の温かさを、改めて感じていた。
#### 夜明けの鉄槌
三日目の、夜明け。
地平線の彼方が、朝日で白み始めた、その瞬間。
一本の、長く、物悲しい角笛の音が、静寂を切り裂いた。
それを合図に、地平線が、黒く、蠢き始めた。
それは、もはや軍隊ではなかった。大地を覆い尽くす、**漆黒の津波**。数千の兵士、巨大な破城槌、そして、おぞましい姿の合成獣。絶望そのものが、形を成して、押し寄せてくる。
その、軍勢の先頭。
巨大な戦斧を肩に担ぎ、黒鉄の玉座に座る、大公ギュンターの、残酷な笑みが、確かに見えた。
城壁の上で、アルフォンスが、ドワーフアックスを、天に掲げた。
「――総員、戦闘用意! 陽だまりの、本当の力を見せてやれ!」
その、同じ瞬間。
遥か北、陽だまりの街の、静かな書斎で。
地図の上の種子に手を置いていた、アークの、二色の瞳が、カッと、開かれた。その瞳には、戦場を支配する、絶対的な創造主の光が宿っていた。
「――さあ、始めようか。僕の、設計図通りに」
***
最後までお読みいただき、本当に、本当にありがとうございました。
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