第106話:使徒の帰還と、鉄鷲の影
#### 陽だまりからの旅立ち
『陽だまりの街』の門前は、夜明け前の静かな、しかし、熱い希望に満ちていた。
そこには、南方へと旅立つ、新たなる時代の開拓者たちの姿があった。
先頭に立つのは、もはや絶望の影など微塵も感じさせない、若き使徒カエラン。彼の背後には、師であるダグの魂が宿る槌を誇らしげに背負った、筆頭弟子のボルク。アークの知識の全てが詰め込まれた教科書を、宝物のように抱きしめる、若き賢者フィン。そして、その一行を、千年の静寂を纏いながら守護する、エルフの弓兵長リオン。
彼らは、新たなる陽だまりを創るための、最初のキャラバンだった。
「……これを」
見送りに来たアークが、カエランに、一つの小さな麻袋を、そっと手渡した。
中に入っていたのは、一粒だけ、しかし、ひときわ強い生命力を放つ**『聖浄樹の種子』**だった。
「君の故郷で、最も民が苦しみ、大地が涙を流している場所に、これを植えてあげてほしい。それは、君たちの手で育てる、最初の『陽だまりの心臓』になるはずだ。僕が創ったのは、最初の“きっかけ”だけだ。君の故郷に、本当の陽だまりを創るのは、他の誰でもない、君自身だよ、カエランさん」
その、あまりにも重く、あまりにも温かい信頼の言葉。カエランは、震える手でその種子を受け取ると、深く、深く、頷いた。
#### 涙の再会
数週間後。
キャラバンは、ついに、カエランの故郷、南方の穀倉地帯へと帰り着いた。
だが、そこに広がっていたのは、彼の記憶にある、活気溢れる豊かな領地ではなかった。黄金色に輝くはずの小麦畑は、収穫を諦められ、まるで広大な墓標のように、虚しく垂れ下がっている。城下町は、希望を失った人々の、低い呻き声のような沈黙に支配されていた。
城門で、カエランは、父である老子爵と再会した。
父は、心労で、ほんの数ヶ月の間に、十年も歳を取ったかのようにやつれていた。
「……帰ってきたか。馬鹿息子めが。奇跡だの、救済だの、夢物語を追いかけて……。もはや、この地に、神の慈悲など……」
「父上!」
カエランは、父の、絶望に満ちた言葉を、力強く遮った。
彼は、何も言わず、ただ、アークから託された、二つの「答え」を、父の前に差し出した。
一つは、あまりにも緻密で、あまりにも美しい、魔法の蒸留装置の設計図。
そして、もう一つは、小瓶の中で、夕陽の全てを閉じ込めたかのように輝く、黄金色の液体。
老子爵は、半信半疑で、その液体を、ほんの一口だけ、口に含んだ。
その、瞬間。
彼の、乾ききっていた魂に、数十年ぶりに、温かい慈雨が降り注いだ。
太陽の熱、大地の力、そして、忘れかけていた、働くことの喜びと、収穫への感謝。その全てが、凝縮された、魂の味。
「……なん、だ……これは……。**わしが、子供の頃に嗅いだ……収穫祭の日の、黄金の麦の匂いが……。**失われたはずの、我が故郷の……味が、する……」
父の、皺だらけの目から、一筋、また一筋と、涙が流れ落ちた。
カエランは、涙する父を、力強く抱きしめた。「ええ、父上。これから、始まるのです。我らが故郷の、黄金の再誕が!」
#### 南方での槌音
その日から、絶望に沈んでいた子爵領は、一つの巨大な工房へと姿を変えた。
ボルクが、地元の鍛冶師たちと、時には怒鳴り合い、時には酒を酌み交わしながら、陽だまりの街の技術の粋を集めた、最初の『錬金術の鍛冶場』を築き上げていく。
フィンは、アカデミーの若き教授として、領地の子供たちや、学ぶ意欲のある大人たちを集め、目を輝かせながら、『穀物の錬金術』の、最初の授業を始めた。
そして、リオンは、ただ、そこにいるだけで、絶対的な守護者として、領地に静かな秩序をもたらしていた。
カエランは、その全てを束ねる、若きリーダーとして、眠る時間も惜しんで、領地を駆け回った。
#### 鉄鷲の影
希望の槌音が、日ごとに、力強さを増していく、ある月のない夜。
領地の、遥か東の国境を見下ろす、一本の枯れ木の上。
エルフであるリオンだけが、その闇の中に潜む、僅かな「不協和音」を、感じ取っていた。
彼は、音もなく、その気配の主へと近づいていく。
それは、岩陰で、焚き火も起こさず、乾いた肉をかじりながら、何かを熱心に紙に書きつけている、一人の男だった。
その、黒と灰色を基調とした、機能的なだけの装束。そして、その首筋に**焼き印された、一羽の、獰猛な鷲の紋章**。
リオンの瞳が、氷のように、冷たく細められた。
(……鉄鷲公国)
リオンは、音もなく弓を引き絞ると、眠りを誘う、特殊な薬草を塗った矢を、男の、すぐ足元の地面へと、寸分の狂いもなく射ち込んだ。
男は、何事かと立ち上がろうとしたが、その体は、すでにいうことを聞かなかった。
リオンは、眠りに落ちた男の懐から、彼が書きつけていた羊皮紙を、静かに抜き取った。
そこに描かれていたものを見て、リオンの、千年の時を生きる、その表情が、初めて、険しく歪んだ。
それは、国境の警備体制の地図ではなかった。
建設中の、『錬金術の鍛E場』の、驚くほど正確な、見取り図。
そして、その傍らには、ボルクやフィン、そして、カエラン自身の、驚くほど精緻な、似顔絵までが、添えられていた。
リオンは、冷たい夜空を見上げた。
(……早すぎる)
彼の、魂にだけ聞こえる声が、遥か北の、陽だまりの街で待つ、もう一人の共犯者へと、静かに届けられた。
(アーク様。ディアナ殿。飢えた鷲は、我らが巣を築くのを、待ってはくれないようです。彼らは、我らの国境を見ているのではない)
「――我らが育てる、**“希望”**そのものを、すでに、その嘴に捉えている」
***
最後までお読みいただき、本当に、本当にありがとうございました。
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