第103話:涙する穀倉と、錬金術師の設計図
#### 陽だまりの評議会
アークが目覚めた翌朝。
領主の館の書斎は、新たなる時代の幕開けを告げる、静かな、しかし確かな熱気に満ちていた。
机の上には、大陸全土の広大な地図。その周りを、アーク、アルフォンス、ローラン、ミカエラ、そして『契約の木』を通じて意識だけを参加させているディアナという、もはやこの地方の未来を左右する頭脳たちが囲んでいる。
「――問題の根は、我々が想像するよりも、遥かに深いようですわ」
ディアナの、冷静な分析が響く。
「豊かさによる、富の偏り。それは、やがて、国家間の軋轢を生みます。ですが、それよりも先に、もっと直接的な形で、人々の暮らしを脅かすことになる。特に、これまで、この世界の食を支えてきた、実直な人々を……」
その言葉を証明するかのように、老執事のギデオンが、一人の来客を伴って、書斎へと入ってきた。
その青年は、かつては上質であったであろう衣服を纏っていたが、今はその見る影もなく、その顔には、長旅の疲労と、深い絶望の色が刻まれていた。
青年は、アークたちの前に進み出ると、まるで最後の祈りを捧げるかのように、その場に深く膝をついた。
「……お初にお目にかかります。私は、南方地方、王国の穀倉地帯を治める、子爵家の嫡男、カエランと申します」
その声は、か細く、震えていた。
「皆様の、この『陽だまりの街』の噂を……いえ、奇跡を耳にし、藁にもすがる思いで、参上いたしました。どうか……どうか、我らが民を、お救いください!」
#### 豊穣の呪い
カエランが語った故郷の惨状は、一行の想像を絶するものだった。
「……父の領地は、大陸でも有数の、小麦の産地です。今年の収穫も、これまでにないほど、素晴らしいものでした。誰もが、神々の祝福だと、涙を流して喜びました。……ですが、それは、祝福などではなかった。呪いだったのです」
豊作は、大陸全土で起きていた。結果、小麦の価格は十分の一以下にまで暴落。収穫すればするほど、赤字になる。だが、収穫しなければ、来年の種籾すら残らない。
「黄金色に輝く小麦畑は、今や、我々を嘲笑うかのように、ただ、そこに広がっています。収穫を諦めた農夫たちのすすり泣きが、夜な夜な、領地のあちこちから聞こえてくるのです。神の祝福が、我々から、働くことの誇りすらも、奪い去っていきました……!」
その、あまりにも痛切な叫びに、書斎は、重い沈黙に包まれた。
ローランが、静かに呟く。
「……歴史は、繰り返す。かつて、大豊作の折には、王は戦争を起こして兵糧として消費させ、あるいは、商人たちが価格を維持するために、有り余る穀物を、民の目の前で焼き払ったという記録が……」
「どちらも、ただ、新たな憎しみを生むだけの、愚者の道ですな」
アルフォンスの言葉に、誰もが頷くしかなかった。
#### 錬金術師の設計図
絶望的な沈黙。その中心で、アークは、そっと自らの肩に触れた。いつもならそこにいるはずの、温かい毛玉の感触がない。(……元気にしてるかな、ウル。君が母様の元で力を蓄えている間、僕も、僕にできることをしなくちゃね)。彼は、相棒の不在という一抹の寂しさを、仲間たちを救うという決意で振り払うと、その二色の瞳を、未来を見通すかのように、キラキラと輝かせた。
彼は、立ち上がると、カエランの前にしゃがみ込み、その肩に、優しく手を置いた。
「……顔を上げてください、カエランさん。あなたの故郷は、呪われてなんかいません。それは、呪いじゃない。新しい時代に対応するための、最高の『宝の山』なんですよ」
アークは、書斎の机の上に、真っ白な『ライナス和紙』を広げると、驚くべき速度で、そこに、全く新しい「未来」の設計図を描き始めた。
「問題は、シンプルです。皆が、『小麦』という、一つの価値観に縛られすぎている。だったら、その価値観そのものを、僕らが、新しく創ってあげればいい」
彼が、最初に描いたのは、複雑な配管が絡み合った、美しいガラスの塔だった。
「一つ。その小麦を、**『命の水』**に変える、魔法の蒸留装置です。発酵させ、蒸留することで、数十年も保存が効き、そして、一樽で畑一枚分以上の価値を持つ、極上の蒸留酒を創り出す。僕が創った『聖浄樹』のチップを数枚加えるだけで、その熟成は、十年単位で加速するでしょう」
次に、彼が描いたのは、巨大な石臼と、乾燥棚だった。
「二つ。その小麦を、**『黄金の糸』**へと変える、製麺・製粉機です。特殊な石臼で、これまでにないほど細かく、均一な粉へと変え、それを、保存の効く乾燥麺や、貴族たちが競って買い求めるであろう、極上の菓子へと加工するんです」
「そして、三つ」
アークは、カエランの目を、真っ直ぐに見つめ返した。
「余った全ての麦は、家畜のための、栄養価の高い**『保存飼料』**へと加工する。痩せた土地で麦しか作れなかったあなた方の領地は、やがて、大陸で最も豊かな、酪農地帯へと生まれ変わる。――どうです? あなたの故郷は、まだ、呪われているように見えますか?」
それは、もはや、ただの農業指導ではなかった。
一つの産業を、その根底から再設計し、全く新しい価値を創造する、**『産業の錬金術』**。
カエランは、その、あまりにも眩しく、あまりにも希望に満ちた設計図を前に、ただ、子供のように、声を上げて泣いていた。
#### 新たなる陽だまりの創造
「ですが……これほどのものを、我々だけで……」
「もちろん、一人でなんて言いませんよ」
アークは、最高の共犯者であるディアナに、そして、最強の英雄である兄に、悪戯っぽく笑いかけた。
「僕らが、手伝います。いいえ、僕らと、一緒に創るんです。この、新しい時代を」
アークは、立ち上がると、その場にいる全員に、高らかに宣言した。
「――これより、『陽だまりの街』に、新たなる研究機関を設立します! その名は、**『陽だまり農工錬金術院(ヒダマリ・アグリカルチャー・アルケミー・インスティチュート)』**!」
「飢えを忘れたこの世界が、次に向かうべき道を、僕らが、この場所から、世界中に示していくんです。カエランさん、あなたが、その、記念すべき、最初の生徒です!」
その日の午後。
アカデミーの隣に用意された、広大な土地。
ダグが、アークの描いた、あまりにも複雑で、美しい蒸留装置の設計図を前に、「……へっ、また、とんでもねぇもんを考えやがったな、あいつは!」と、心の底から楽しそうに、その腕をまくっていた。
フィンとアカデミーの生徒たちが、輝く瞳で、その最初の槌が振り下ろされるのを、今か今かと待ち構えている。
アークは、希望の光を取り戻したカエラン、そして、かけがえのない仲間たちを見回した。
(僕一人が創る『陽だまり』の時代は、終わったんだ)
彼は、心の中で、静かに呟いた。
(ここからは、みんなで、一緒に創っていく。世界中に、数え切れないほどの、新しい『陽だまり』を――)
彼の、新たなる、そして、どこまでも温かい創世の物語が、今、再び、その最初の槌音を、高らかに響かせようとしていた。
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最後までお読みいただき、本当に、本当にありがとうございました。
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