第102話:創造主の休息と、新たなる時代の種子
#### 陽だまりの朝
あれから、数年。
世界が新生し、アークが永い眠りから目覚めて、数年の歳月が流れた。
ライナス男爵領、改め、自由都市『陽だまりの街』。
その領主の館の一室で、雪のように真っ白な髪に、朝日を思わせる金色のメッシュが混じる一人の青年が、机に広げられた巨大な羊皮紙に、静かにペンを走らせていた。
青年――アーク・ライナス。
だが、彼が描いているのは、もはや世界の理を書き換えるような、神の設計図ではない。
『アカデミーの子供たちのための、新しい遊具施設の構造案』。
『聖域騎士団の訓練場に設置する、灌漑用水路の最適化について』。
『最近、街で流行り始めた“ぱん”というお菓子のための、新型の石窯の設計』。
世界の理と繋がったその瞳は、今、ただ、愛する者たちの、ささやかな日常の幸福を、より確かなものにするために使われていた。
「……ふぅ」
ペンを置き、アークは大きく伸びをした。
窓の外からは、街の、活気に満ちた、しかし、どこまでも穏やかな喧騒が聞こえてくる。
あの日、兄が守り抜いてくれたこの陽だまりを、こうして、ただ、享受していられる。その、あまりにも尊い幸福を、彼は、一日として忘れたことはなかった。
#### 陽だまりの散歩道
アークは、少し気晴らしをしようと、街へと散歩に出た。
最初に訪れたのは、街で最も高い丘の上に建てられた、『ライナス・アカデミー』。
その庭の一角で、逞しい青年へと成長した学長フィンが、生徒たちと共に、泥だらけになって畑を耕していた。
「違う、違う! エルフの月の満ち欠け農法と、父さんたちから教わった連作の知識を合わせれば、もっと、この土地に合った、新しい育て方ができるはずなんだ! アーク兄ちゃんのノートに頼ってばかりじゃ、ダメなんだよ!」
フィンは、失敗を繰り返しながらも、その瞳を、かつてのアークと同じ、探求者の光で輝かせている。アークは、その姿を、物陰から、満足げな、そして、どこまでも誇らしげな笑みを浮かべて見守った。
(……それで、いいんだよ、フィン)
次に、彼は、街の中心に建てられた、一風変わった教会へと足を向けた。
それは、石ではなく、アークが育てた聖浄樹が、自ら絡み合い、美しいドームを形成した、**『陽だまりの教会』**だった。
中で、簡素な修道服に身を包んだミカエラが、人間とエルフの子供たちに、優しく語りかけている。
「……神様は、天の上から、私たちを裁く方ではありません。皆さんの足元、この土の中に、温かい風の中に、そして、お隣の人の、優しい笑顔の中にこそ、いらっしゃるのですよ」
彼女が見出した、新たなる信仰。その、あまりにも温かい光景に、アークは、静かに一礼すると、その場を後にした。
街の城壁では、兄アルフォンスが、若き騎士たちに、檄を飛ばしていた。
「気合が足りん! お前たちが守っているのは、ただの壁ではない! この壁の内側にある、数多の家族の、笑い声そのものだと思え!」
大陸最強と謳われる『聖域騎士団』の若き団長。その背中は、もはや、弟の影など微塵も感じさせない、絶対的な守護者の風格をまとっていた。
全てが、順調だった。
全てが、幸福に満ちていた。
アークが夢見た、理想の世界。そのものが、ここにあった。
#### 豊かさという名の、新たなる壁
その日の午後。
領主の館の応接室には、アークと、今や名実ともにこの地の領主となったアルフォンス、そして、遥々ザターラから訪れた、美しき共犯者ディアナの姿があった。
ディアナは、優雅に紅茶を一口含むと、その銀色の瞳に、僅かな、しかし、確かな憂いの色を浮かべた。
「……アーク様。あなたが世界を癒やしたことによる、素晴らしい『奇跡』は、今、一つの、誰も予想しなかった『問題』を生み出し始めておりますわ」
彼女が差し出した報告書。
そこに記されていたのは、信じがたい事実だった。
アークが世界を新生させたことで、大陸中の大地が、その活力を取り戻した。それは、素晴らしいことだった。だが、その結果。
あらゆる場所で、作物が、これまでの数倍、数十倍という規模で、収穫され始めたのだ。
「……豊作貧乏、ですわね」
ディアナは、静かに言った。
「食糧の価値が、歴史上、あり得ないレベルで暴落しています。これまで、穀物の輸出で成り立っていた王国は、国家破産の危機に瀕し、逆に、食糧を輸入に頼っていた商業国家は、空前の好景気に沸いている。……富のバランスが、崩壊し始めているのです。人々は、もはや飢えでは死なない。ですが、遠くない未来、富の、あまりにも急激な偏りが、これまでにない、大規模な『戦争』の火種となるやもしれません」
飢餓を克服した世界が、次に直面する、**『豊かさ』という名の、新たなる戦争の危機**。
アルフォンスが、難しい顔で唸る。
それは、剣でも、盾でも、解決できない、あまりにも複雑で、あまりにも巨大な、世界の構造そのものの問題だった。
だが、アークは。
その、あまりにも厄介で、誰も答えを知らない、新たなる『設計図』を前にして。
まるで、最高の遊び道具を与えられた子供のように、その二色の瞳を、キラキラと輝かせた。
彼は、窓の外に広がる、愛しい、陽だまりの街並みを見つめた。
そして、最高の仲間たちに向き直ると、こう言った。
「面白いじゃないか」
その声は、もはや、ただの青年ではない。
新たなる時代の、その最初のページの設計を任された、世界で唯一の、創造主の声だった。
「飢えを忘れた世界が、次に何をすべきか、わからなくなっているんだね。……だったら、僕が、教えてあげなくちゃ」
「さあ、始めようか。みんなで、一緒に」
「――この、豊かすぎる世界のための、**新しい『幸福』の設計図**を、描く時間だ」
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