第100話:星竜の問いと、創造主の答え
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世界の天井、『星見の頂』。
そこに満ちていたのは、絶対的な静寂と、悠久の時を生きる、神そのものの気配だった。
伝説の『星竜』が、その星雲を宿した瞳を開いた瞬間、一行は、魂の根源から湧き上がる、抗いがたい『畏怖』に、その身を縫い付けられた。
アルフォンスが構える『陽だまりの心臓』が、カタカタと、恐怖に震える主の腕を叱咤するかのように、微かに脈打つ。ミカエラの全身から放たれていた聖なるオーラが、まるで嵐の前の蝋燭のように、か細く揺らめいた。
それは、力や魔力の差ではない。瞬きにも満たぬ定命の者と、星の誕生から、その終焉までを見届けてきた、悠久の理そのものとの、絶対的な『格』の違いだった。
**その、宇宙の深淵そのもののような瞳が、確かに、一行を――いや、アーク、ただ一人を、真っ直ぐに、捉えていた。**
**それは、敵意でも、殺意でもなかった。ただ、悠久の時を待ち続けた者が、ついに現れた『運命』を、静かに、値踏みするかのような、あまりにも神々しく、あまりにも絶対的な、星々の視線だった。**
『……よくぞ、たどり着いた。時の理を超えし、小さき創造主よ』
声ではなかった。
星々が生まれ、そして死んでいく、宇宙の音楽そのものが、一行の魂に、直接響き渡った。
『我は、この星の記憶。この頂の守護者。汝が、何を成さんと、ここへ来たのかは知っている』
星竜の視線が、アークが持つ、三つの『陰の世界樹の破片』へと注がれる。
『だが、問わねばならぬ。汝に、その資格があるのかを』
次の瞬間、アーク以外の、全ての時間が、凍りついた。
アルフォンスも、ミカエラも、仲間たち全員が、驚愕の表情を浮かべたまま、灰色の彫像のように、その動きを止める。
アークの目の前の世界が、星屑のように霧散し、彼は、ただ一人、広大な、広大な、星々の海に浮かんでいた。目の前には、もはや竜の姿ではない、無数の星々が集まってできた、巨大な人の形をした、光の巨人が佇んでいる。
『人の子よ。汝が癒やさんと願う、この星の傷は、ただの病ではない。それは、遥か古に、この星が、自らを守るために刻んだ、忘れてはならぬ『記憶』そのものだ』
光の巨人が、静かに、しかし、絶対的な真理を、アークの魂へと突きつける。
『汝は、その記憶を上書きし、新たな未来を創ると言う。だが、なぜ、この星が、再び同じ過ちを繰り返さぬと、言い切れる? 儚き命を持つ汝らが創る未来に、悠久の時を生きる、この星の記憶を、塗り替えるほどの価値が、本当にあるとでも言うのか』
『――言葉ではない。汝の、魂そのもので、我に示せ。汝が創らんと願う**“世界”**の、その真実の姿を』
最後の試練。
それは、武力でも、知略でもない。
創造主としての、その魂の「理」そのものを問う、あまりにも壮大な、神々の問答だった。
アークは、静かに、目を閉じた。
そして、彼が答える代わりに、その小さな魂から、一つの、どこまでも温かい光景を、この星々の海へと、描き出し始めた。
最初に、星竜の魂に響いたのは、**『味』**だった。
太陽の光をいっぱいに浴びた、黄金色のリンゴ。それを、人間の少年と、エルフの少女が、一つの果実を、はにかみながら分け合い、その頬を綻ばせる、甘酸っぱい幸福の味。
次に、響いたのは、**『音』**だった。
湯煙の向こうで、日々の疲れを癒やす、人間の老人と、エルフの戦士が、身分も、種族も超えて、他愛もない昔話に、腹の底から笑い合う、温かい声。ダグが打つ槌の音、セーラの厨房の賑わい、そして、学び舎に響く、子供たちの、未来への希望に満ちた歌声。
そして、最後に、星竜が見たのは、**『光』**だった。
弟が創った世界を守るため、その身を盾とし、砕け散る寸前まで立ち続けた、兄の、気高い魂の輝き。
自らが信じた正義が砕け散った後、涙の中で、より温かく、より強い、新たな信仰を見出した、聖女の、再生の輝き。
そして、何より――
薄暗い食卓で、いつも何かに怯えるように、俯いて食事をしていた家族が。
アークが初めて創り出した『醤油』をかけた、ただの焼き肉を囲み、何年ぶりかに、何の憂いもなく、心の底から笑い合った、あの夜の、食卓の、あまりにもありふれた、しかし、何よりも尊い、陽だまりの光。
『……僕が創りたいのは、偉大な帝国でも、永遠の平和でもありません』
アークの、静かな、しかし、揺るぎない魂の声が、星々の海に響く。
『僕が創りたいのは、ただ、これだけです。誰もが、傷つき、疲れ果てた時に、「ただいま」と帰ってこられる、小さな、温かい場所。誰もが、腹いっぱいのご飯を食べて、「美味しいね」と笑い合える、ささやかな食卓。そんな、名もなき人々の、日々の営みの中にある、**小さな、小さな『陽だまり』**。――星の賢者よ。この、あまりにも矮小で、儚い未来に、この星の記憶を、託す価値は、ありませんか』
長い、長い、星々の一生にも等しい、沈黙が流れた。
やがて、光の巨人の、その表情のない顔から、一つの、巨大な光の雫が、ぽろり、とこぼれ落ちた。
『……ふっ』
それは、星々が、数万年ぶりに、心の底から笑ったかのような、どこまでも優しく、どこまでも温かい、魂の響きだった。
『……悠久の時の中、我は、王たちが築く帝国を見た。神々が語る救済を聞いた。だが……温かい飯を見せに来たのは、汝が、初めてだ』
『汝の理、あまりに小さく、あまりに儚い。……故に、あまりにも、美しい』
『――認めよう、人の子よ。汝こそが、この星の、新たなる夜明けを創るに、ふさわしい』
星々の海が、砕け散る。
アークの意識が、現実へと引き戻された。
目の前で、巨大な星竜が、その、山脈にも等しい巨体を、ゆっくりと起こす。
そして、アークに向かって、深く、深く、その神々しい頭を垂れた。それは、王が、新たなる神の誕生に、最大限の敬意を払う、古の礼だった。
星竜が身を引いた、その祭壇の中心。
全ての龍脈が収束する、巨大な水晶の揺り籠――**『星の揺り籠』**が、脈動するかのように、穏やかな光を放ち始めた。
『行け、創造主よ。その種を蒔き、この星に、新たなる夜明けを、もたらすがよい』
最後の試練は、終わった。
アークは、仲間たちが見守る中、三つの破片が一つとなった、光と闇の全てを内包する、完璧な『陰の世界樹の種子』を、その両手に、恭しく抱きかかえる。
そして、世界の、始まりの場所。
『星の揺り籠』へと、その、最後の一歩を、踏み出すのだった。
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