第74話「セレナおばあちゃんの秘密の買い物」
昼下がりの夜明け堂。
太陽は高く、蝉のような魔虫が遠くで鳴いている。
今日はやけに暑い。
店内もいつもより静かで、レンは扇風機の前で少しぼんやりしていた。
「……こんな日は、冷やし中華でも売れればいいんだけどなぁ」
などと考えていると――
「こんにちは〜」
控えめで優しい声が、ドアベルとともに届いた。
「セレナさん!」
そこに現れたのは、
スタンプカードを誰よりも早く貯め上げた“伝説のおばあちゃん”、セレナ・アルベリオだった。
彼女は今日は、麦わら帽子にシンプルな紺のワンピース姿。
どこかの村から来たとは思えないほど、涼しげで品がある。
「今日も元気にしてましたか?」
「はい、おかげさまで。あ、冷たいお水、用意してますよ」
「まあ、うれしいわ。ありがとうねぇ、レンくん」
小さな腰掛けに座って一息ついたあと、セレナはそっと声を落とした。
「……ところで、こっそりお願いしたいものがあってね」
「えっ、な、なんでしょう」
「家族にはナイショでお願いしたいの。ちょっと“強め”のやつ。あちらの世界の、お酒」
レンは一瞬ぽかんとしたが、次の瞬間、思い出した。
――あの黒ローブの客と同じく、“あちらのお酒”を買いにくる、限られた常連たちの存在を。
「あの……セレナさん、もしかしてお酒、お好きなんですか?」
セレナは、くすりと笑った。
「若い頃はね。夫と夜中にちょっとだけ飲むのが、楽しみだったのよ」
「へ、へぇ~……」
(それは……かわいい)
「今でもね、あの人の夢を見る夜は、少しだけ、懐かしい味が飲みたくなるの。思い出の中のあの晩酌の時間……私にとっては、宝物だから」
静かに、でもあたたかく微笑むセレナ。
レンは無言で、レジ奥の棚から、一本の瓶を取り出す。
それは**“柚子レモンサワー”**――あちらの世界では珍しい、日本の甘酸っぱいお酒だ。
「どうぞ、特別便で届いたやつです」
「まあ……これは珍しいわねぇ」
彼女はそれを手に取り、大事そうにバッグへ入れた。
「ありがとう、レンくん。……これでまた、あの人と語らえる夜になりそうよ」
帰り際、セレナはふと立ち止まった。
「そうそう、これ――」
彼女はポケットからスタンプカードを取り出した。
「もう新しいカードよ。前のはとっくに100個貯めたでしょ?」
「うわ、もう半分以上埋まってるじゃないですか……!」
「ふふっ、目指せ二枚目トートバッグ、ね」
そして夜、冷たい風が吹く縁側の家。
セレナは一人、グラスにレモンサワーを注いだ。
「あなたの好きだった、柑橘の香りよ。……今日は暑かったの。そっちはどう?」
虫の声が、静かに夜空に溶けていく。