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青春は奇譚である  作者: テイク4
白鷺詩音
9/13

癌の根源

タワーマンションのエントランスを出ると、細かい雨が静かに降っていた。

夕方と夜のちょうど間くらいの時間。

街灯に照らされたアスファルトが濡れて、足元に薄く光を返している。


「……良かったのか? あれで」


白鷺は傘を差し、まっすぐ歩き出す。怜もその隣に並ぶようにして歩を進めた。

二人の靴音だけが、濡れた歩道に控えめに響く。

そして、白鷺は口を開いた。


「私からしたら、だいぶの成長よ。……反抗期マニュアルに書いてある“親を睨みつける”とか“ドアをバンって閉める”とか、全部クリアした感じ」


俺は横目で彼女を見て、顔を緩ませた。いつもの白鷺に戻ってたからだ。


「そんなマニュアルあるかよ。てか、それやるのおまえ、いくつだよ……」


「遅れてきた反抗期って、反動も強いの。今なら親の目の前でスマホぶん投げる自信あるわ」


「それはただの厄介な大人だろ」


「……あら、“子ども返り”とも言うのよ?」


「言わねぇよ」


白鷺の口調はいつも通り冷淡だったが、その横顔は少し笑っている気がした。

白鷺は歩調を崩さず前を見据えている。


「まぁ、でも、そうだな。俺も言ってやりたいこと山ほどあったけど……後ろから睨んでるだけだったわ」


「そのわりには、ちゃんと付き添ってるじゃない」


「そりゃあな。こういうの、見届けないと気持ち悪いタイプなんだよ」


そう言って、怜は白鷺の横に並んだ。二人の影が、隣り合って歩道に伸びる。


「で、白鷺さん。行き先は?」


「さあ。風の向くまま、気の向くまま」


「……絶対風邪ひくやつだろそれ」


「じゃあ、あったかい場所、用意してくれる?」


「言うと思った。……って、ん?冗談だよな?」


白鷺はふっと俺に視線を向ける。


「冗談に聞こえたなら、それはそれで、ちょっと寂しいわね。……私、結構本気なんだけど」


「いや、マジで来る気か?」


「着替えと歯ブラシは、あなたの部屋に置いておいていいかしら?」


「住む気満々じゃねぇか!!」


白鷺は何食わぬ顔で歩き出す。


「道案内を頼むわ。荷物が重いもの」


「こいつ……」



白鷺の荷物を一旦、俺の部屋に置いてから外に出た。

雨は上がっていたが、アスファルトにはまだ薄く水が残っていて、街灯を歪めて映している。


たどり着いたのは、街道沿いの雑居ビル。

二階に、黒瀬が勤めている学習塾がある。


上を見上げる。

ガラス張りの教室の内部が、夜の街にまるでショーウィンドウのように浮かび上がっていた。


白い蛍光灯の光が、壁や机を均等に照らしている。

机は整然と並び、ホワイトボードにはまだ今日の課題が消されずに残っている。

開きっぱなしの参考書や、置き忘れた筆箱。

子どもたちはもう帰っているが、ついさっきまでの喧騒の名残だけが、教室の空気にうっすらと漂っていた。


——だが、その中心に、明らかに“場違いなもの”がいた。


奥の職員机に座る男。

スーツ姿で、姿勢だけは整っているのに、まるでそこだけ時間が止まったように見えた。


黒瀬 淳一。


外から見上げるこちらに気づいているかはわからない。

だが、その横顔には、どこか虚ろな影が差していた。

明るい教室の中で、彼だけがやけに黒く沈んで見える。

蛍光灯の下にいるはずなのに、顔の輪郭が曖昧だ。


白鷺が隣で小さく息を吐いた。

その顔は、さっきの“笑った横顔”とはもう違う。


俺は視線を上に向けたまま、そっと呟く。


「……行くか」


「少し待って……」


白鷺は足を止める。

その肩が、わずかに震えていた。


「心の準備をする時間を頂戴」


母親との対話よりも、何倍も辛いのだろう。

それも当然だ。黒瀬は、彼女の“祈端”の根にある存在なのだから。


「いくらでも待つよ」


「“待つ”ね……優しいと言うか、鬼畜というか。逃げるって選択肢は、最初から用意してくれないのね」


「用意しても、白鷺さん、絶対そのカード切らないじゃん」


「そうでもないのよ。……あなたとなら、逃げてもいいと思ってるわ」


その言葉に、一瞬心臓が跳ねた。

今は、そういう場面じゃないとわかっているのに。


「それは、ちょっとキュンとしちゃうから今はやめてくれ」


「童貞」


「なに急に刺してくんの……」


俺のキュンを返してほしい。心の中でそう思った。でも、これもきっと彼女には聞こえているのだろうと思うと、少し虚しくなってくる。

そんな中、白鷺は大きく一息をついた。そして告げる。


「行きましょう。」


ビルの脇にあった二階への階段を登り俺は塾の扉を開けた。

乾いた音が静かな空間に響く。妙に重く感じるのは、きっと気のせいじゃない。


中はがらんとしていた。白く明るい蛍光灯の光が、等間隔に並ぶ机の表面を均一に照らしている。その中央、奥の職員机に腰かけていた男が、ふと顔を上げた。


「こんばんは。詩音ちゃんがここに来るなんて、久しいね」


微笑みを湛えたまま、黒瀬 淳一は言った。昔と変わらぬ、穏やかな声音だった。


「こんばんは、先生」


白鷺もまた、静かに応じる。その声にはどこか、氷のような冷たさが混ざっていた。


「僕に会いに来てくれたのかな? それだったら嬉しいね。……ちなみに、そのお隣はどこかでお会いしたような気がするね」


黒瀬が俺に目を向けてきた。人当たりの良さをまとった笑顔は、まるで営業トークのようだった。


「つい先日ですよ」


俺は一歩前に出て、やや強めの口調で返す。黒瀬は軽く眉を上げたが、すぐにまた笑みを戻す。


「そうかい。そうかい。それで? 僕に会いに来た理由は何かな?」


その問いに、白鷺が答える。まっすぐ黒瀬を見据えたまま。


「全部を終わらせるために来ました」


「……何をだい?」


「全部です。過去も、これからのことも。貴方との関係も」


黒瀬はわずかに目を細める。そして、ゆっくりと椅子の背に体を預けた。


「ふぅん。そうか。恩を仇で返すのは、あまりお勧めはしないけどな」


穏やかに言うその言葉に、毒気はない。けれど、その“毒気のなさ”こそが、ひどく不気味だった。


「それが“仇”と言うなら、貴方の目は節穴です」


白鷺の返しは鋭く、静かだった。

その言葉に黒瀬は笑った。

口元だけが笑っていて、目はまるで笑っていない。


「相変わらず口が達者だ。……君のそういうところ、僕は好きだったけどなあ」


「私は、そういう“好き”に、ずっと傷つけられてきました」


詩音の声は静かだった。

だが、その一言で空気が少しだけ重くなる。


俺はわずかに一歩、詩音の前に出る。


「黒瀬さん。俺は、今日の話を最後まで見届けに来ました。

……言い逃れも、言い訳も、受け止めるつもりはありません」


「ふぅん、君……前も思ったけど、ずいぶん感情的だね。そんな調子じゃ、女の子に嫌われちゃうよ?」


「そうですね。嫌われてもいいんで」


俺が食い下がると、黒瀬はため息をついた。


「なんだか、怖い話をされるみたいだな。……ねえ、詩音ちゃん」


「ええ。怖くて当然ですよ。あなたがしたことは、“人間の尊厳”を奪ったことなんですから」


「……そんなに言うほど、悪いことだったのかな?」


彼はようやく笑顔をやめて、少しだけ真顔になった。

だが、その声には、微塵の罪悪感もない。


「君のためを思って、僕は——」


「あなたの“優しさ”は、全部あなたのためだった」


詩音が遮った。


「最初の目的は母だった。でも拒まれて、プライドが傷ついた。

だから今度は、私の学力をネタに脅した。そしたら――差し出されたのは、私。

……ほんとは、ただ“手頃な女”が欲しかっただけでしょ?」


黒瀬は少し眉をひそめた。


「君……随分と冷たいことを言うんだね。そんなことを言って、本当に幸せになれると思ってるのかい?」


「ええ。少なくとも、嘘をつき続けて生きるよりは、ずっと」


「……ふぅん」


黒瀬はまた、笑った。

その笑顔はもう、最初の柔らかさではなかった。


「じゃあ、そう言って僕を切り捨てた君が、今後の人生で満足できていなかったら……それって、誰のせいになるのかな?僕は断言できるよ。君を幸せにできるってね。」


「私のせいで結構です。少なくとも、“あなたのおかげで幸せになれた”なんて言葉は、墓の下でも言いませんよ」


「そうかい」


「そうかい」


黒瀬は静かに言って、しばらく詩音を見つめた。

その瞳にはもう笑みはなく、代わりに冷たい光が宿っている。


「……やっぱり、君は賢いな。いや、冷たいと言うべきかな」


言葉を選ぶように、黒瀬はゆっくりと立ち上がった。


「せっかくだから、少し話をしてもいいかな。君たちみたいな“良識ある若者”には、到底理解されない話かもしれないけどね」


俺と詩音は黙っていた。

黒瀬はそれを承認と捉えたのか、ふっと目を細める。


「——僕はね、得をする人生が好きなんだよ」


その言葉は酷く利己的で自己的だった。



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