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青春は奇譚である  作者: テイク4
白鷺詩音
5/13

死にたがり

後遺症持ちの人間には、主に二つの選択肢がある。


ひとつは──それを隠して、息を潜めながら生き延びていくこと。

もうひとつは──見つかって、処分されること。すなわち「死」だ。


この“選択”は、本人の意志でなされることはほとんどない。

後者に落ちる人間の大半は、ただ“バレた”だけ。

祈端に触れ、後遺症を背負ったその瞬間から、地獄への分岐点に立たされる。


──かくいう俺も、後者になりかけた人間だった。


この世界に「希望」があるとしたら、それは、

自らの意志で“選び直す”余地が、ほんのわずかでも残されているということ。


だから、俺は思う。

彼女を救いたい──と。


その感情は、もはや理屈じゃなかった。

気がつけば、俺の足は夜の街を駆けていた。

向かう先は、白鷺詩音が暮らすタワーマンション。

冷えた空気を肺に流し込みながら、ただそれだけを胸に。




時刻は、夜の十時を少し過ぎた頃。

マンション前のロータリーに、一台の黒いセダンが滑り込む。

エンジン音は静かで、周囲の住宅街にはほとんど人影もない。


運転席の男──白鷺が“先生”と呼ぶ塾講師が、助手席の彼女に微笑みかける。


「今日はありがとうね。また誘うよ。……アフターピル、忘れないように飲んでね」


白鷺は何も言わなかった。

静かにドアを開けて車を降り、そのまま男の顔を見ずに背を向ける。

ドアが閉まる音すら、夜の空気に吸い込まれていった。


車は走り去り、ロータリーに残されたのは白鷺ひとり。

彼女は、足元を見つめたまま、ぽつりと呟いた。


「……本当に、最低ね」


自分に向けた言葉だった。

誰にも届かないような小さな声で、ひとつ。


そのときだった。

背後から、場違いな声が響いた。


「──傷心中、失礼するよ。お嬢ちゃん」


白鷺は反射的に振り向く。

そこに立っていたのは、見たことのない男だった。


背格好はごく普通。しかし、手足が異様に長い。

垂れ下がった前髪が顔を隠しており、目が見えない。

どこか人間離れした雰囲気が漂っていた。


「……どちら様ですか?」


白鷺の問いに、男は口角だけを釣り上げる。


「そうだな。“お初にお目にかかります”は──**鈴蟲すずむし**とでも名乗っておこうか。以後お見知り置きを」


「私に、何のご用ですか?」


白鷺の声は、わずかに揺れていた。

鈴蟲は小さく笑う。


「え、それは……言わなくても、わかるんじゃない?」


その瞬間だった。


白鷺の肩がぴくりと震えた。

次いで、足元から力が抜け、ガクンとその場に膝をつく。

背後の壁に手をついて、崩れ落ちるように座り込む。


呼吸が乱れ、喉が鳴る。

空気の温度が、数度下がったように思えた。


「……嘘でしょ……」


絞り出すような声が漏れる。


「嘘じゃないよ。本当だとも」


鈴蟲は笑みを浮かべたまま、ゆっくりと近づいていく。

足音は妙に静かだった。


「なぜ……私を、殺すの……?」


言葉にするたび、喉がかすれる。

それに対する鈴蟲の答えは、あまりにも簡潔だった。


「一言で言えば──金になるからだな」


その言葉が降りかかると同時に、白鷺の瞳から色が抜け落ちる。


「あら、もっと恐怖してもいいんだよ?」


にこやかに鈴蟲は笑った。


「はは……」


乾いた笑いを漏らしたのは、白鷺の方だった。


「本当に、私は最低な人生だったわね」


「……ん?」


怪訝そうに眉をひそめる鈴蟲。


「でも、やっと終われるなら、それでもいいのかも」


俯いていた顔を、白鷺はゆっくりと上げる。

その目に宿る光は、既に失われていた。

目尻から伝うひとすじの雫が、頬をつたう。


そして、白鷺は微笑んで言った。


「早く、私を楽にして」


鈴蟲は舌打ちをした。あからさまに不機嫌だった。


「つまらねぇヤツだな」


そう呟くと、ポケットから拳銃を取り出す。

冷たい銃口が、白鷺の額に押し当てられる。


「俺が一番嫌いなタイプだよ。お前は」


苦々しげに、鈴蟲はそう言い放った。その瞬間。


──間に合え、間に合え、間に合え!

脇道から飛び出した瞬間、俺はそれを視界で捉えた。


「うおらぁああああッ!!」


俺の体が、先に飛び出していた。

考えるよりも早く、脊髄反射みたいに。


ぶちかましたタックルがガツンと入って、あいつ、後に“鈴蟲”と分かった男──が綺麗に吹っ飛んだ。

銃が手を離れて、カランと地面を跳ねる。


「……っ、大丈夫か!?」


目の前で呆然とする白鷺さんを見て、俺はすぐに庇うようにその前に立つ。

顔は青ざめて、でもどこか……諦めにも似た色をしていた。


「……なぜ、ここに……?」


その声に、俺はちょっとだけ笑って答える。


「助けてって声が聞こえたから」


冗談めかしで言った。

でも、そうとしか言えなかった。


「……私はもう、生きることは望んでいない」


ぽつりと、白鷺さんが言う。


その言葉が、胸のどこかをズキンと抉った。


「だったら、今の白鷺さんの顔を鏡で見せてやりたいよ」


俺の言葉に、彼女の眉がわずかに動く。


「到底、死を望んでいる人の顔には見えないけど。

……ま、普段の白鷺さんよりは人間味あって、俺は好きだけどね」


ほんの少しだけ、その目に火が戻った気がした。


──けど、束の間だった。


「……ッたく……ガキが……!」


鈴蟲が呻きながら這い上がり、落ちた銃を拾った。

その姿を見て、背筋に冷たいものが走る。


「ッ!? おいおい、銃!? 聞いてねぇよ!!」


銃声が轟く。数発、立て続けに。


とっさに白鷺さんを抱き起こし、背中を向けて庇った。


「立てるか!? 無理だな──よし、失礼!」


そのまま強引にお姫様抱っこをする。

俺の夢が一つ叶った瞬間だった。


「離して!」


「こっちのセリフだ。……話してくれ。君に、何があったのか」


けれど、背中の白鷺さんは沈黙を貫いたまま。

重みと温度だけが、俺の背中にのしかかってくる。


「逃がすかよッ!!」


その声と同時に、もう一発──


ズンッ……!!


背中に衝撃が突き刺さった。


焼けた鉄の杭が、皮膚を裂き、肉を抉って、骨を突き破る。血飛沫が舞い、白鷺の顔にまで飛び散った。


「ぐ……ぅああっ!!」

「ちょっ、ちょっと。貴方まで死ぬわよ!!」

「だ、大丈夫……俺死なない……っから」


膝が崩れそうになる。

でも、倒れるわけにはいかない。白鷺さんがいる。


肺に空気が入らない。

呼吸をするたびに、傷口の中に氷と火を交互に流し込まれるような痛みが走る。


「……っ、くそっ……! 俺の背中、やわらかすぎんだろ……!」


冗談みたいな声が出たのは、きっと意地だ。

意識がふわっと遠のきそうになる。けど、まだ倒れない。


白鷺さんの腕の重みが、現実に引き戻してくる。


後ろでは、また銃の引き金が引かれようとしていた。

音が、確実に近づいてくる。


──このままじゃ、どっちも死ぬ。


そう判断するのに、時間は必要なかった。


「白鷺さん──俺の体に、しっかり捕まって」


「……え? どういう──」


「いいからッ! 絶対に振り払われないように、しがみついてろ!」


その声に圧されるようにして、白鷺は俺の服の裾を、ぎゅっと握りしめた。

細い指が、震えながらもしっかりと俺を掴んでいるのがわかる。


俺は、腹の底から息を吐いた。


(火事場の馬鹿力ってやつを、見せてやる。)


人間の体には、本来もっととんでもない力が眠ってる。

ただそれは、「壊れること」を前提にした力だ。


「っぐぅ……!!」


足に全力で力を込める。

地面が悲鳴をあげるように、バキバキとひび割れる音が響いた。


そして──踏み出す、一歩。


ドンッ!!


その一撃で、地面のコンクリートが抉れた。

同時に、俺の足の骨も粉々に砕ける。


けれど、それでも構わない。


視界が一瞬で流れ、世界が後方に吹き飛ぶ。

まるで空を飛ぶかのような勢いで、俺たちは跳躍していた。


数百メートルを、一息に──


白鷺が背中で小さく悲鳴をあげる。


「ッ、あああああっ……!!」


「大丈夫、大丈夫だから!……着地は未定だけど!!」


もはや勢い任せだ。

けれど、確かに俺たちは、あの場から“逃げ切って”いた。


着地の衝撃が、地面から背骨へ、全身へ突き抜ける。

骨が何本か、確実に折れた。


でも、白鷺さんの温もりだけは、まだ俺の腕の中にあった。

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