第92話 ココ・ライラネックの憂鬱
舞踏会の会場、その端っこの壁際に、私は一人で立っていた。
ちらっとトモキさんを見る。
メールエさんと、なにか楽しそうに話していた。
なんだかよくわからない感情が胸の奥の方でグニグニとうごめいている。
ココ・ライラネック。
私は、正式にライラネックの名を与えられた。
奴隷生活の中で、自分を守るために信じ込んだ嘘。
それが、ほんとうになったのだ。
だけど、不思議なことに、嬉しさはあまりない。
親に捨てられ、養父にいたずらされ、奴隷の刻印を彫られて、奴隷として生きてきた。
そしてトモキさんと出会っていろんなことがあった、らしいのだけど。
そのトモキさんの記憶が、ない。
シュリアさん、ダークドラゴン、ガルアド、メールエさん、女王陛下……ほかのことはちゃんと覚えているのに、トモキさんの記憶だけがすっぽりと抜け落ちているのだ。
だから、ダークドラゴンが村を襲ったときの光景ははっきり覚えているし、私が投げた石ころでダークドラゴンを倒したことは覚えているのに、どうやってそんなことができたのかがさっぱりわからない。
断片的に消え去っている記憶のかけらが、まるでそれらのことは全部夢だったんじゃないかという錯覚に私を陥れる。
この数か月間、私は確かに世界とつながっていた。
すくなくとも、その感覚は覚えている。
軽んじられるのが当然の、奴隷という立場ながら、私はきちんと世界というものの一部になり、孤独を感じることもなかった、というのだけ、覚えている。
でもそれはトモキさんとの記憶に強く関連していた感覚らしく、それを失った今、私は孤独だった。
今の私は世界とつながってない、と思う。
ひとりぼっちだ。
見たこともないような豪華な広間、目の前を通り過ぎるのはドレスで着飾った貴族たち、今まで想像したこともなかったようなおいしいお料理、楽団が美しい音楽を奏でている。
そのすべてが私のすぐ目の前にあるのに、遠く感じた。
なんでだろう?
もう一度、トモキさんを見る。
知らない顔。
知らない人種。
でも……。
嘘と思い込みで塗り固めた偽物の人生を生きてきた私。
ライラネックという名前ですら、私が思い付きでつけた偽物の名前。
今はほんとうになったけど、結局は女王陛下が権力を使って私にくれただけのことだ。
私という存在は全部が嘘だから、現実の世界とはかかわりがない。
世界は、私と断絶している。
そう思って、恐ろしさに身震いした。
「ご一緒に踊ってくれませんか?」
突然、名前も知らない若い男性の貴族が声をかけてきた。
向こうの方で、メールエさんが私たちを指さしてトモキさんの背中をバンバン叩いている。
「お誘いくださってありがとうございますわ。でも……」
私はうつむいて言う。
「そうですか、残念です。……お目当ての男性は……あの方ですか?」
「え?」
「ふふふ。さっきから救世主様の方をちらちらとみているじゃないですか。あなたから誘われてみては?」
「いえあのそんな……」
「奥ゆかしい女性ですね。私は二番目でかまいませんから、あとでまたお誘いに伺いますよ」
その貴族は、優しい笑顔とともに、スマートに去って行く。
すぐに、別の貴族の令嬢に声をかけられていた。
ハンサムだったし、きっとモテる男性なのだろう。
でもああいうのは苦手。
私が好ましく思うのは、もっと不器用でまっすぐで、そして……。
しばらくうつむいたままでいたけど、我慢できなくてまた顔をあげた。
すると、トモキさんの姿が見えなくなっていた。
まさか、帰っちゃったのかな?
知らない人。
でも、私の魂の奥底で求めている人。
知らない人なのに。
私をダンスに誘ってくれるんじゃないかって、少しは期待していたのに。
がっかりして、がっかりしている自分に気がついて、さらにがっかりした。
「おお~~~~!」
どこかで歓声が沸き上がって、拍手が聞こえた。
見ると、男性が女性の前でひざまずいて花束を差し出している。
ピンク色の花、これはこの国では求婚を意味する。
女性の方は嬉しそうにほっぺたを真っ赤にして花束を受け取っている。
さらに大きな拍手が巻き起こり、楽団がはりきって明るい曲を大きな音で奏でだした。
いいなあ。
女の子として、ああいうのって、いいなあって思う。
なんだか悲しくなって、悲しくなってしまった自分が嫌で、私は……。
そのとき。
聞き覚えがないのになつかしい声が聞こえた。
「そこのお嬢さん」
見ると、知らない顔だった。
知らない人なのに、魂の奥で求めている人だった。
トモキさん。
「は、はい……」
声がうわずってしまう。
トモキさんも、なんだか緊張した表情をしていて――。
右手を背中にまわしている。
なにか持っているものを隠しているようだ。
「ココ」
名前を呼ばれて、全身がジンジンと熱く震えた。
頭に血がのぼってポーッとする。
「は、はい……」
「あなたに、これを捧げます。受け取ってください――」
花束?
もしかして、ピンク色の、花束?
そ、そんな。
私たち、まだよく知らない間柄なのに、いきなりプロポーズなんて。
「これを!」
トモキさんが差し出したものを見て。
一瞬、それがなにかわからなくて。
理解した瞬間、私は、笑いだしてしまった。
それは、ほかほかと湯気を上げている、一本まるごとの、茹でたてのトウモロコシだったからだ。




