第60話 デール・カヌグ・キャルル
キャルル家の当主であり、銀等級の貴族である、デール・カヌグ・キャルルは就寝しようとしていた。
広々としたベッドに横になる。
隣の妻はすでに寝息を立てていた。
燭台のかすかな炎に照らされているその顔を眺めながら、デールは考え事をしていた。
デールは中央政界において難しい立場にいた。
もともと彼は、筆頭宮廷魔術師であり、白金等級の貴族でもあるシャイアに近い位置にいた。
今までに何度か、公言できないような便宜を図ってもらったこともあり、シャイアに逆らうことはできない。
シャイアはテネスの叔父にあたる戦神、リューンを信仰する家柄であり、テネスの子孫を名乗る王家とは敵対こそしないものの、若干の距離があった。
しかし、シャイアの孫娘が王家出身の若者と婚姻を結んで王位継承権を持つ子供を産んだのである。
もちろん、継承権など十番目ほどで、王位を継ぐなどおよそ現実的ではなかった。
だが、身分の低い母親から産まれた王女が王位を継いだころから、シャイアの野望に火が付き始めていたのだった。
王とその嫡子が偶然にも病気で次々と亡くなったことで、たまたま王位を継いだ現在の女王には大した後ろ盾がついていない。
まだ即位して一年ほどの、14歳の女王が持つ権力基盤など、初冬の湖に張った氷よりも薄いものであった。
無力な今の女王を廃して、シャイアのひ孫に王位を継がせることができれば、国家の実権をシャイアが握ることになる。
デールはそんなシャイアに従う立場であったのだが、そのデールの領地に女神テネスが遣わしたという救世主が現れてしまったのである。
しかもあろうことか、シャイアが庇護している勇者ガルアドと戦闘をして退けてしまった。
傍目にみれば、救世主はデールが庇護しているとみなされているだろう。
その救世主が、国家が勇者と認め、シャイアが後ろ盾となっている勇者と戦闘したのだ。
デールは女王に対するよりも多くの書簡を、シャイアに対して送っていた。
もちろん、弁明のためである。
かわいい愛娘のことを思う。
シュリアは女王のもとへと人質に出したが、次はもう一人の娘、ミラリスを人質に出さなければならないかもしれない。
もちろん、シャイアの領地へとだ。
デールとて人の親である。
胸が痛むが、しかし、キャルル家の存続と繁栄のためならば、仕方のないことであった。
「……眠れぬな……」
酒でも飲もうと、デールはベッドから抜け出した。
デール程度の貴族では、使用人に徹夜で番をするようなことはさせていない。
人気のない屋敷の中、特上の酒を隠してある執務室へと向かう。
皮肉なことに、その酒自体、救世主を名乗るあの男が屋敷ごと復活させたものである。
燭台を持ったまま、執務室へと入る。
そして、棚から酒の瓶を取り出し、ソファに座る。
救世主が復活させた絵画が、ロウソクの火に照らされている。
その時だった。
絵画の隣の白い壁に、とつぜん、何かが映し出された。
「うお!?」
驚いて声をあげる。
モンスターか、幽霊か。
そう思う間もなく、壁に映し出された人物が喋り始めた。
「あ! 映った映った! お父様? 私です。シュリアです」
「シュリア? ……なんだこれは?」
「トモキ……救世主の魔法よ。すごい。ほんとに話せてる! すごいわ、トモキ!」
救世主の魔法か。
偽物の救世主ではないかと疑ったこともあったが、こんな超上級魔法を使えるとは、本当に聖典に言う救世主であることは間違いないのだろう、とデールは思った。
「うひゃひゃ! マジで? おおー! ほんとに映ってる!」
画面の端からヒョイ、と顔を出したのは、デールの見覚えのある顔――天才魔術師、メールエだった。
シャイア閣下と仲たがいして女王派に寝がえり、女王の直臣の貴族となったとは聞いていたが……。
なぜ一緒にいる?
「えーとね、お父様、説明させて! なんか、いろいろ大変なの……」
「うひひひ! シュリアちゃん、頑張って説明したまえよー!」
「メールエさんからも説明して!」
画面の中ではデールの娘、シュリアとメールエがわちゃわちゃと会話をしているが……。
デールの抱いていた天才魔術師メールエの印象では、かなり堅物の真面目ぶった女性だったが、画面の中のメールエは、それとはずいぶん違った印象を与えた。
デールはなるほど、と思った。
実際のメールエの性格がこうだったならば、シャイア閣下とは相性が悪いはずだ。
シャイア閣下は几帳面で抜け目のない人物で、メールエのようなタイプとは正反対なのである。
「でね、お父様。メールエさんが言うには、女王陛下は……」
壁に映し出された画面の中で、シュリアが説明を始めた。
要所要所でメールエが補足する。
たどたどしいシュリアの説明と違い、メールエの要点を突いた補足説明はわかりやすかった。
デールは違和感とともにそれを聞く。
違和感。
それは、メールエに対してだった。
個人的に会話したことはほとんどないので、もともとはこういう喋り方だということは理解したが。
だが。
しかし。
この話し方、笑い方。
これではまるで……。
デールはその違和感を拭うことができなかったが、会話の内容があまりにもキャルル家の未来に直結するものだったので、そちらに神経を集中せざるを得なかった。
最終的に、デールはこう答えた。
「ある意味、好都合だ。シュリア、お前は女王陛下に忠誠を誓いなさい。トモキ殿とともにな」




