第37話 ノブレスオブリージュ
「ココ!」
俺は叫んでココの手を握りなおす。
キュイン!
音が鳴って俺たちの前方に魔法障壁が創出される。
魔力 SA⇒S
それは幅十メートル。
「デール卿! みんなこの中に退避しろぉ!」
俺がそう叫ぶと、騎兵や村人たち、そして連れてこられた奴隷たちは一斉に魔法障壁の陰に隠れた。
ココの魔力を使って俺が作り出したその障壁は、セレスティアの攻撃を防ぐに十分な防御力を持っていた。
よく実っていた小麦畑が広範囲に凍り付く。
ひとり、退避しそこねた村人がいて、極低温の吹雪に晒されてあっという間に氷像となった。
「ふははははっ! 自称救世主よ、いいぞ! そこで無力な者どもを守っていればよい! あいつは俺が倒す! 名の知れた夜の女帝だ、また俺の勲章が増えるぞ!」
空を飛ぶブレイブドラゴンの背に乗り、ガルアドが大剣を振りかぶる。
セレスティアはギロリとガルアドを睨む。
黒と白のフリルとレースが、風もないのにひらめいている。
沈んだ太陽の余韻の明かりに照らされて、幻想的な美しさではあった。
だが、同時に恐怖を感じさせる光景でもあった。
真っ赤な唇から大きな牙を覗かせ、セレスティアは大きく口を開く。
そしてガルアドに向かって、
「コァァァァァッ!」
と息を吐いた。
それは凍てつくコールドブレス。
ガルアドはそのブレスを剣で防ぐ。
「ぬおおおおおおっ! この人食いモンスターめ! 人間の、いや勇者の力を見せてやろうぞ!」
ガルアドが剣を振り抜く。
そこから発出された衝撃波をまともにくらってセレスティアは吹っ飛ばされた――と思ったのだが、2メートルほど後ろに下がっただけで、まるで空中に足場でもあるかのようにピタリと宙に浮いている。
デールが叫ぶ。
「おい、勇者殿のために奴隷をこちらへ連れて来い! 奴隷だ! 奴隷を前に出せ! 私の奴隷を一番前に! その次はシュリアの奴隷だ!」
ノブレスオブリージュ、ってやつだ。
貴族は危機に際してはまず自分の命と財産を差し出すのだ。
デールはもちろん、その令嬢であるシュリアの奴隷が前に出されるのは当然なのかもしれない。
だけど。
無理やり戦列の前に引き出されてくるのは……。
十五歳くらいの少年二人、そしてもっと年下の少女が一人……。
そう、シュリアの奴隷と言ったら。
俺が命を助け、シュリアに買ってもらった奴隷だ。
タルミ、ナニーニ、ミーシャ。
大人の男たちに無理やり押し出される三人。
「やめろ! ミーシャは、ミーシャだけは助けてやってくれ!」
「なにを言っている! 奴隷のくせに! 奴隷はわれら王国民のために命を捧げよ! 勇者様の糧となるのだ!」
「だめだ、ミーシャは駄目だ! 俺たちはいい、ミーシャだけは……」
タルミとナニーニが懇願している。ミーシャは泣き叫んでいる。
俺がシュリアにあの三人を買わせたばかりに……。
いや、それを言ったら殺されたアルドルだって……。
確かに、勇者ガルアドの力はものすごいものだった。
奴隷を何百、何千人と犠牲にすれば、この世界に平和をもたらせる可能性はあるのかもしれない。
だがそれは……。
それって……。
死を覚悟して戦いに赴く誇り高き戦士ならまだいい。
だが殺されるのはしいたげられ、いいように扱われてきた奴隷なのだ。
しかもまだ年端もいかない少年少女……。
馬上のシュリアはどうしたらいいかわからないのだろう、タルミたちを不安そうに見つめている。
奴隷制度を肯定的にとらえているお姫様とはいえ、根は善人の女性だ。
まだ少年少女の年齢の奴隷――しかも自分の所有物――を死に追いやるなど、受け入れられるはずがない。
しかし、ノブレスオブリージュ《高貴なるものの義務》という思想を盾に、この地の領主たる父親の命令が下されたのだ。
わずか十八歳の彼女が、それに抗えるわけもなかった。
シュリアは馬上で視線を巡らせ、一番前方で障壁を維持している俺を見た。
俺もタルミたちが気になって後ろを見ていたので目があった。
シュリアは焦った顔で俺を見て、なにかを言おうとして、でもなにも言葉が出てこないようで、ただただ俺を焦燥しきった顔で見ていた。
俺は。
決心した。
一度は救世主という座を避けた。
だから、俺は一度も自分を救世主だと認めたことはなかったし、ココにも救世主様とは呼ばせず、名前を呼ばせていた。
『救世主』という役割の人間じゃないし、そんな器でもないと思う。
しかし、そうしなければ人の命を救えない、というのなら。
ノブレスオブリージュじゃないけれど、力がある人間には責任がある。
だから、俺は叫んだ。
「村人たちよ! 俺の名はコバヤシ・トモキ! 女神テネス様から命を授かり、この世界を救えと遣わされた救世主である! 皆、俺の言うことを聞いてくれ!」




