花火大会・天気予報・蝉の声
僕は久しぶりに実家に帰って家族と夏を過ごすことを決めた。仕事はやめた。人生に疲れてしまったのだ。あーあ、しょーもねー人生。
その日は、県の中でも大きい方の花火大会がある日だった。毎年誰かと行っていたけれど今年は気が乗らなくて行かないことにした。天気予報では一日晴れだといっていたけれど、そういえば毎年昼過ぎから夕方まで土砂降りになったり雷雨になったりして、花火大会が中止になりそうになることが多々あった。今年も例外ではなかった。どうせテレビやYouTubeで中継があるからと私は本を読んでから昼寝していたのだ。
ミンミン―――ミンミン―――……。田舎特有、外でセミが鳴いていたのがおさまったと思うと雨の匂いが部屋の中にまで充満した。それは母が雲の色が黒いと洗濯物を縁側から取り込むために窓を開けたからだった。雨の匂いなんて長らく嗅いでいないので鼻腔を雨の湿っぽさが占領してきた。
「去年は月末だったのに、今年は祭りの翌日なんだね。もうすっかりコロナ以前に戻ったみたいだ」
そう、去年は8月の25日だか26日だかにあった花火大会は、コロナ禍になる前のように8月頭の開催になっていた。すっかり友人や後輩のストーリーは浴衣姿と屋台の写真で、私がその場にいたら全員と鉢合わせるだろうな、といった写真や動画が上がってくる。
「あんた、今年はいかなかったの」
「行く相手がいね~の」
煙草をふかしていると母に「けむたいからやめて、あんた喘息でしょう」と言われる。僕の小規模な自殺だ。一日一日を生きることも死へと繋がる生活だが、それをスキップするために、人生をスキップするために煙草や酒が辞められない。吐くまで飲むし、むせてノドがやけるまで吸ってしまう。他の自傷はもうやめることが出来たけど、合法のこのふたつはやめられないのだ。
母が部屋に戻ってくるのとほぼ同時に雨の音が外からした。ぽつぽつではなく、バタバタと雨がそこらじゅうを走り回っているような雨だった。僕が実家に帰ってくるのは4年ぶりだから、きっと僕の帰りを待ち望んでいたのだろう。
実家の畳は相変わらず少し黄ばんでいて、障子は所々破けていて、それを確か昨日母が僕に張り替えさせようとしてきて……。母なりに僕と関わろうとしているのだろうけれど、こんな家さっさと引き払ってしまって僕の家の近所に引っ越してくればいいのに、と思う。
弟は高校生になったらしい、最後に会ったのは小学校の頃だったから、ずいぶん大きくなったなと思う。煙草を吸う僕の横で手をパタパタと仰ぎながらラーメンを啜っている。横目でジッと珍しそうに煙草をにらんでいた。
恋人とばかり行っていたあの花火大会はある意味、毎年記憶の塗り替えに行っていたようなものだ。それを辞めたと言う事は記憶を消化して昇華しているんだと思う。だんだんと僕の中で嫌だったこと、過去の事をそれはそれでいい、と思えることができたということだ。
だいいち、何万人も来る花火大会に、帰宅に本来15分の距離を一時間かけることに、毎年違う人といくことに気は乗らない。同じ演出、同じ屋台を見て懐かしさと過去の恋人のことを思う感傷と同時に来て複雑な気分になる。
今年は結局中継でも見なかった。家から音が聞こえる約一時間半はずっと去年のことと一昨年、その前、幼少期のことを結局思い出してしまった。それじゃあ、今日行かなかった意味がないのだけれど。