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リサ・オズボーン

1104.11.23

 両親に叱責された記憶は殆どない。私は幼い頃から、常に周囲の大人たちの期待に応え続ける人生を送ってきた。父は腕の立つ職工、母は豪商の娘。二人に足りているものは金で、二人に足りていないものは教養だった。人は誰も、自らの意思で生まれを選択することなどできないのだ。


 「学校に行きなさい。何でもいいから、国のためになる仕事をするのよ」


 なぜ父と母は、自身の生まれに劣等感を抱くのだろう。一般的な市民や、それこそ奴隷などに比べれば、遥かに恵まれた環境で生活を送っているというのに。


 「商人の男なんぞに惚れてくれるなよ? 金持ちでも、所詮卑しい生まれの人間だ」


 なぜ二人は、こうも浅はかな思考を巡らせることしかできないのだろう。自分も同じ商人じゃないか。出自というものに、そこまで歪んだ執着心を抱くなら、地位や身分などという下らない概念そのものを打ち崩してしまえばいい……。



 エルドラ帝国はその最盛期を迎え始めた頃、皇帝自ら帝政を廃し、また貴族制をはじめとする全ての身分制度を撤廃したという。その結果、固定されていた富の動きは流動化し、帝国は更なる発展を遂げたと伝わっている。

 しかし。帝国滅亡からおよそ百八十年経った今、かつて人類が築き上げた偉大なる叡智は失われかけている。魔王の支配は世界に多くの災厄をもたらし、後世の我々に様々な遺恨を残した。帝国時代に培われた知識も、技術も、魔法も、思想も、全てが魔王治世下の時代に散逸し、現在でも収集困難な状態が続いているのだ。


 「と、学者たちは口を揃えてそう言うけれど。果たして本当かしらね」


 彼女はそう言ってほほ笑んだ。思えば私が禁術に手を出したのも、彼女のこうした発言がきっかけだったのかもしれない。


 実のところ、魔道院内における禁術使用はさほど珍しいことでもなく、教官にバレても見過ごされることの方が多かった。……私が王立魔道院を退学になった本当の理由は、書庫の禁書保管室に無断で立ち入り、膨大な量の極秘文書を、記録魔法で複写した為であったのだ。


 「あなたには才能がある。この学校を変えるだけの……。いえ、世界を変えるだけの力を持っている」


 あの時、彼女の誘いを断っていれば、また違った未来が待っていたのだろうか。生徒も教官もみな私を賞賛した。天才と呼ばれた。神童と呼ばれた。どうやら私には、魔法の才能があったらしい。実際に、基礎魔法などは入学から一か月も経たないうちに全て習得してしまった。一年の後半には上級魔法の習得を終え、座学も常に成績トップを維持し続けていた。そしていつしか、私は王宮魔導士として国家の中枢に携わることを、将来の必然として受け入れていた。必然である。人生の目標など、これっぽっちも持ち合わせていなかった。全てが必然だったのだ。


 「ね、つまらないでしょ? 周りはバカばっかり」


 彼女からそう声を掛けられた時、私はただ、その青い瞳をじっと見つめていた。星のようだ。それはきっと、恋慕にも似た感情であったと思う。彼女はさらに演説した。機知と嘲罵、真摯と激情。彼女の語りは大政治家さながらの雄弁さを以って、私の心をどこまでも魅了した。私は夢中になって議論にのめり込んだ。或いは熱っぽく自身の思想を訴えた。所詮大した話などしていない。十代前半のちっぽけな子供が、国家の何を語れるものか。……それでも彼女は、私にとって唯一の、対等に語り合える理解者だったのである。





 「あの事件の顛末を、どこまでご存じなのですか?」


 リサは総督の秘密の館を見張りながら、マークに対してそう尋ねた。この人は昨年の出来事を知っている。事件の概要も、私がその実行犯であることも。きっとフロレンス……私の大切な親友がどうなったかについても、恐らく知っているのだろう。


 「まあ、それなりに……」


 マークは返答を濁した。もちろん諜報のスペシャリストである彼が、魔道院を揺るがした一大事件の顛末を知らぬはずも無い。リサの予測は正しかった。が、彼はその内容を詳らかに語ろうとはしなかった。


 「君は、俺と一緒にいた方がいいのかもしれない」


 「どういうことですか……?」


 「王宮騎士団に入ってほしいんだ。きっと、君のためにもなる」


 「えっ?」


 リサは、マークの言葉の意味を理解できていないようだった。恐らく彼女はロクスに惚れてるか、それとも『英雄』に風変わりな幻想を抱いているか、若しくはその両方かもしれない。何にせよ、彼女が今更王宮の為に尽くすとは考えにくいだろう。だが……。


 「俺が推薦する。この任務を終えたら、一緒に王都へ行こう」


 「私が……王宮騎士団の一員に……」


 俺には分かる。彼女の原動力は、決して王国に対する忠誠心などではない。恐らく更に高い次元の、いわば世界に対する使命感のようなものに基づいて、彼女は行動しているのだろう。王国の敵が世界の敵ならば、彼女は喜んで我々に協力する。しかし王国の敵が、もし世界そのものであったなら……。そんな状況は生じ得ないだろうが、万が一そうなれば、彼女は我々の敵となる。


 リサ・オズボーン。魔道院始まって以来の天才と称された問題児。ここで彼女を抱き込まなければ、いずれ厄介なことになるだろう……。




 一方、神殿内で天使の護衛を務めていたロクスは、彼女の下へ訪れるサーレス市民の陳情に耳を傾けながら、総督の悪辣な所行に沸々と怒りが湧き上がるのを感じていた。


 「夫が連行されました。職場で総督の批判を口にした罪で、先程役人に連れていかれたのです。おそらく死刑は免れないと……」


 妙齢の夫人は涙ながらに訴えた。ここ数日で、ロクスは同様の嘆きを幾度となく聞いて来たのであるが、その度に心が締め付けられる思いを感じていたのである。もう沢山だと、彼は静かに拳を握りしめた。


 「あの人は、他人の悪口を一切言わない人なんです。きっと彼に嫉妬した何者かが、でっち上げの罪をかぶせたんです」


 天使は一通り夫人の話を聞き終えると、優しい声色で彼女に語り掛けた。……この瞬間が最も緊張する。天使はあらゆる悩みや苦しみを聞いてくれるが、別段何かをしてくれる訳でも無い。彼女の役目は『神の使い』であり、この世界の出来事を神の国へと伝えることしか出来ないのだ。


 「勇気を出して、話しに来てくれてありがとう。必ず神に伝える。約束するよ」


 「天使様……どうか夫をお救い下さい……」


 夫人は何度も頭を垂れ、号泣しながら神殿を後にした。中には現実的な解決策を提示してくれない天使に対して、怒りの感情を露わにする市民もいるのだが、今回は違ったらしい。やがて夫人の後ろ姿が見えなくなると、ロクスは溜息を吐きながらこう言った。


 「これでひと段落か。……総督の野郎、本物のクズだな」


 天使は俯いたまま、思い詰めた様子で黙り込んだ。まるで自身の無力を責めるかのように、眉間に皺を寄せ、下唇を噛む彼女の姿を見て、ロクスは怒りの感情を益々膨らませるのであった。


 ここ数日の護衛任務で彼は、神聖な存在として扱われている天使の正体が、単なる心優しい少女であることを十分に理解していた。「神の使い」などという立派な肩書を有していても、彼の目に写る天使の姿は、他の人間の少女と何ら変わらなかったのだ。人並みに笑い、人並みに悲しみ、人並みに苦悩する。唯一人間と異なる点を見出そうとするならば、彼女からは怒りや憎悪の感情が、一切感じられないところであろうか。彼女は誰かを憎んだり、苛立ちを露わにすることもない。……だから俺が、何とかしなければならないのだ。


 「俺が総督をぶっ潰してやる。お前も、この街の市民も、全部助けてやるからな」

『退学処分通告』

 1103年5月17日

 王立魔道院長 イーモン・オスターフィールド

 同名誉会長 アストラガノス

 

 下記の者を退学処分とする。また今後如何なる理由があろうとも、魔道院及び王宮管理区域への立ち入りを禁ずる。


 フロレンス・ベレスフォード

 リサ・オズボーン

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