総督
1104.11.20
神殿を後にしたリサとマークは、調査のため街の中心に位置する『とある施設』を訪れていた。その外観は一般的なレンガ造りの住宅と大差ないようにも見える。が、マークは独自の調査でこの建物に目を付けていた。彼はサーレス総督府の庁舎から出てきた役人らしき男が、このレンガ造の建物に入り込むところを、その目でしかと目撃していたのである。
「ここに、総督の秘密が隠されているんですね」
塀の影から建物を見据えて、リサは思わず息を呑んだ。するとマークは眉間に皺を寄せ、
「どうやら神の国と戦うための準備を、この建物で進めているらしい」
とため息交じりに頷いた。
神に戦いを挑むこと。その大それた野心の恐ろしさを、リサとマークの二人はよく理解していた。かつて魔王が世界の大半を支配した時代、闇の勢力は神の国への侵攻計画を立ち上げた。しかしその計画は、現在の南部都市同盟にあたる一帯で生じた、激しい抵抗運動により頓挫することとなったのだという。結局魔王は最後まで、神の国はおろか、その玄関口である南部の港さえも攻略できぬまま、一人の英雄の手によって滅ぼされたのである。
「あの魔王ですら実現できなかった。それを、たかが一地方の総督が……」
もし総督が本当に、神の国を手中に収めるなどという、大胆かつ無謀な計画を実行に移そうとするならば、まずは南部の港を制圧しなければならない。しかしそれは絶対に不可能である。古代魔法やエルドラ帝国の歴史に詳しいリサなどは、大陸南部の発展ぶりがどれほど驚異的なものであるかを良く知っていた。もはや総督の発想は気狂いのそれであると、リサは敵の正気を疑ってさえいるのであった。
「なぜ、総督は神の国に拘るのでしょう……」
「さあね。狂人の考えることは理解できないよ」
そう言ってマークはリサの横顔を見た。彼女は西方世界の歴史に通じている。神の国の伝説にも詳しいようであるし、何より彼女は古代魔法を使用することができるのだ。天使の護衛をロクス一人に任せ、リサを調査に連れ出したのも、実は彼女の広い知見を見込んでのことであった。
しかし肝要なのはその先である。なぜ彼女は古代魔法を習得しているのか。その答えはマークの中でほぼ結論付いていたが、騎士団員として諜報活動に従事している以上、本人の口から直接聞く必要もあった。リサを調査に同行させた真の目的は、彼女の素性を明らかにすること。そしてあわよくば、彼女を騎士団に勧誘しようとまで、マークは考えを巡らせていたのである。
「……リサちゃん。君さ、王立魔道院の出身だよね?」
彼女は驚いてマークの顔を見た。その表情は「なぜ私の過去を知っているのか」とでも言いたげな、衝撃に満ちたものであった。そして彼女の反応を見たマークは、自身の予測がほぼ的中していることを確信するのであった。
「安心してくれ。君の経歴について、あれこれ詮索するつもりはないよ。ただ君がどんな魔法を使えるのか、知っておきたいと思ってね」
昨年発生した王立魔道院の禁術騒動。二名の女生徒による禁術使用が発覚し、学内に大きな動揺をもたらしたこの騒動は、後に評議会が動くほどの大問題へと発展した。結果として二名の少女は魔道院を追放され、騒動は闇に葬られることとなったのだが。……その中心人物の一人こそ、今ここで調査活動に協力しているリサ・オズボーンなのであった。
「教官に隠れて、古代魔法の研究をしていました。世間で知られていない魔法も……色々覚えてます……」
「いやあ、心強いね。俺の前では遠慮せず使っていいから」
マークにとって、経歴の傷は彼女を構成する情報の一つに過ぎなかった。もちろん相手の弱みを握ることで、簡単に要求を飲ませることも可能になるわけだが……。そもそもリサは初めから、積極的に騎士団への協力姿勢を表明していた人物である。現状、わざわざ彼女の弱みを握ることに特別な意義はないだろう。
「錬金術も使えるんだよね? それも、かなーり高いレベルの」
「はい……」
リサはきまりの悪そうな表情で、終始うつむきざまにマークの話を聞いていた。しかしマークは満足げな様子で、彼女の素質を一目で見出した持ち前の観察眼を心の内で自賛しながら、小さく笑みを浮かべるのであった。
「やっぱり、君に協力を求めて良かったよ。王国製の金貨を模造することはできるかな? それも大量に造ってもらえると有難いんだけど」
「できますけど……本当にいいんですか……?」
「責任は全て俺が取る。総督の野望を打ち砕くために、どうか君の力を貸してくれ」
総督が実力行使に出た場合、彼を殺しても構わない。
ロクスは天使護衛を単独で任されると同時に、以上のような指示をマークから受けていた。どうやら国王および王宮関係者の一部は、既に総督の危険思想を『国家の重大問題』と見做しているらしい。神の使いたる天使様への過剰な接触や、武力を用いた威嚇行為の如きは、神に対する冒涜にも等しいとの判断が下されたのだという。
「これは国王と評議会議長の連名で下された『密令』なんだ」
マークは神妙な面持ちでそう語っていた。王国の歴史上、領内に駐在している天使様の身に危険が及んだことは一度も無かった。そのためか、度重なる総督の横暴をどう処理するべきかについては、王宮内でも議論が紛糾しているのだと、マークは以上のように語っていた。
また曰く。天使はあくまでも宗教的な存在であり、これまでは人々の信仰心によって守られてきた。しかし法的に見てみると、天使は特別守るべき存在と規定されているわけでもなく、また一般と異なり、彼女らはオーウェンの市民権を有してもいないのだ。もちろん奴隷として、誰かの所有権のもとに存在しているわけでもない。実のところ、王国による天使の護衛は慣習的なものに過ぎず、彼女らは『特別な来賓』といった、実にぼんやりとした立場として扱われていたのである。
(殺害もやむなし、か……)
ロクスは葛藤した。彼女に対するおぞましい脅迫の数々は、決して見逃せるものではない。しかし明確に総督殺害を指示されると、流石のロクスも躊躇せざるを得なかった。それが国王や評議会議長といった、国のトップのの命令であっても、――そして、例え相手が卑劣な極悪人であろうとも――、そう簡単に実行できるものではないだろう。ましてや『密命』などという、正当性の保障も確信できない不安定な命令のもと、国家の重要人物を殺せと指示されているのである。
「悩みを抱えているようだな。相談にでも乗ってやろうか?」
天使はそう言って、甘いクリームのたっぷり乗った焼き菓子を口に放り込んだ。
「……お前、怖くないのかよ。あんな脅され方してさ」
ロクスは周囲を見回して、危機感の微塵も感じられない天使の様子に溜息をついた。
二人は街の外れに佇む食堂を訪れていたのであるが、正直ロクスの心中は、彼女のお勧めする焼き菓子や氷菓を楽しむだけの余裕を持ち合わせていなかった。一方の天使は呑気なもので、次々と店員を呼び付けては、お気に入りの菓子をロクスに食べさせようとするのであった。
「君が気にすることじゃない。ほら、こっちも食べなって」
「いや、気にするよ。一応あんたの護衛を任されてるんだから」
「そうか。……まあ、好きなようにしてくれ。それより早く食べないと。氷はすぐに溶けちゃうし、パンは焼きたてが一番おいしいんだ」
全く要領を得ない会話に、またしても溜息を漏らすロクス。すると天使はその姿を見つめながら、次のように呟くのであった。
「本当は、こんなことを言っちゃいけないんだけど。君の気持ちは嬉しく思ってるよ」
「な、何だよ急に」
「私も恐怖の感情が無いわけではない。……正直ね。君がそばにいてくれるだけで、とても安心するんだ」
彼女は震えていた。今まで強がっていたのか、それとも神の国の決まりでもあるのだろうか。その理由は分からないが、とにかく自分の身に危険が及ぼうとしている状況であるにも関わらず、彼女は弱みの一つも見せてこなかった。そんな彼女が、初めて自身の本音らしき言葉を口にしたのである。
「ああ。俺が絶対に守るから」
ロクスはそう言って、彼女の勧める氷菓子を口に運んだ。それは雪の中に果汁や蜂蜜を混ぜたような食べ物であり、ロクスが今まで食べてきたどんな料理とも異なる、甘く冷たい不思議な感触を伴うものであった。先ほどまで食事も喉を通らない状態だったのが嘘みたいに、突如として強烈な空腹に襲われたロクスは、その氷菓子を一瞬で平らげてしまうのであった。
「旨いな、これ……」
「うんうん、そうだろう。この街に来てから色々巡ったが、結局ここが一番おいしいんだ。それに氷を使った食べ物は、雪の降る地域か、魔法の使える店でしか食べれないからな」
嬉しそうに語る彼女の笑顔を見て、ロクスはキールの街で固めた決意を思い出していた。やはり、難しいことは考えないことにしよう。とにかく目の前の大事な人を全力で守るのだ。彼女がずっと笑顔でいられるように。もう二度と、怖い思いをしなくても済むように……。
ぺリュー総督がここサーレスに着任したのは、今から実に三年前のことである。彼はもともと軍人上がりの王宮魔導士で、東方遠征や魔王軍の残党狩りなど、数々の戦闘に参加した経歴を持つ、まさに歴戦の猛者であった。とりわけ第三次東方遠征では、あの英雄レオン・ロックハートにも匹敵するほどの功績を上げており、『七番目の英雄にはぺリューが選ばれるのではないか』と噂する声さえも、当時としては珍しくなかったのだという。
しかしぺリューは英雄に選ばれなかった。その原因は彼自身の残忍かつ衝動的な性格にあったと考えられている。東方遠征で敵の大部隊を撃破し続けたぺリューは、都市部に入ると急に進撃を停止させ、その後一年に渡り東方の大都市を占領し続けた。彼は総司令官の命令を無視して都市に居座り続けたことを、『占領地の治安維持活動を行うため』と弁明したが、後に直属の部下の証言により、それが真っ赤な嘘であったことが明るみになっている。
東方の都市に居座り続けたぺリューは、一体そこで何をしていたのか。部下の言によると、彼は占領地の東方人を片っ端から拷問にかけ、目耳鼻をそぎ落とし、終いには全身の皮を剥いで市中に晒したのだという。また接収した宮殿の内部には、見た目の良い女たちが街中から駆り集められ、彼の倒錯的な楽しみの相手として、屈辱的な奉仕を強要されていた。中には十代にも満たぬ少女の姿もあり、彼女らは夫や父など、近しい男の首が天井から吊り下げられた悪趣味な部屋の中で、ぺリューと共に食事を取ることもあったというのだ。
これらの耳を塞ぎたくなるような悪行は、部下の告発で全て明るみに出ることとなった。しかし評議会は彼を罰せず、王宮魔導士の地位を与えて王都に置き続けたのである。
上層部が最も恐れたのは、彼の強大な魔力と類まれなる戦闘能力であった。オーウェン王国のもう一人の英雄であり、実際に魔王の力を目の当たりにした経験を持つ大魔導士アストラガノスは、ぺリューの潜在能力を『魔王以上』と評していた。彼を敵に回すぐらいなら、適当な地位を与えて飼いならす方が得策である。王国の上層部はそう判断し、彼の望む物をできる限り提供し続けることに決めたのだ。
しかし、ぺリューの横暴は次第に王都市民の反発を生むようになっていった。暴行や殺人は日常茶飯事。気に入った女が目に入ると、そこが市街地であろうが宮殿内であろうが、所構わず手籠めにする。在野の魔導士に因縁をつけ、決闘と称して相手を殺すことも少なくなかった。市民や宮殿の使用人はみな彼を恐れ、多数の陳情が騎士団や評議会に送られた。しかしそれでも上層部は動かなかった。誰も、ぺリューの横暴を止めることができなかったのである。
しかし東方遠征の終結から六年後、とうとう評議会も動かざるを得ない程の、決定的な事件が発生した。あろうことかぺリューは、国王の一人娘に手を出そうと企み、ふざけ半分で卑猥な手紙を送りつけるという暴挙に及んだのである。国王はこれに激怒し、ぺリューの国外追放を評議会に命令した。だが結局、評議会は度重なる審議の結果、彼から王宮魔導士の資格を剥奪し、サーレス総督に転ずるといった中途半端な処置を講ずるのみに留まったのである。
「天使に新しい護衛が付いたようです。閣下」
金の玉座に腰掛けたぺリュー総督は、側近の報告に笑みを浮かべると、隣に控える可憐な令嬢にこう語り掛けた。
「だってよ。どうするか?」
「何人たりとも、閣下の敵ではないでしょう。それとも不安にお思いで?」
その黒髪の令嬢は眉一つ動かさず、無機質な表情を全く崩さぬまま、事務的な口調でぺリュー総督の問いかけに返答した。側近の男は目の前の不気味なやり取りに悪寒を感じながらも、そのまま報告を続けるのであった。
「王宮騎士団も動き出しているようです。マーク・フォスターとその部下が一名、兵器庫の周辺を嗅ぎまわっていました」
「そいつらは殺せ。あそこには、南部都市同盟をぶっ飛ばす為の秘密兵器を隠してるんだ。持ってかれたら面倒なことになる」
「承知致しました。腕の立つ傭兵を二名雇いましたので、彼らを兵器庫の護衛に回します」
「それと、王都に追加の使節を派遣しとけ。軍艦建造を急ピッチで進めるよう、評議会の協力者にハッパかけんだよ」
「……いよいよ神の国へ侵攻なさるのですね」
「ああ。魔王でさえ叶わなかった野望を、この俺様が実現してみせる」
総督は拳を握りしめ、興奮を抑えきれない様子で全身を震わせた。側近は一度深呼吸すると、続けて報告を読み上げた。
「闇の勢力の件は、如何いたしましょう? ……隣町のキールにて、ゴズグルの黒龍が目撃されたとの噂が立っていますが」
「へえ。魔王でも復活したか? もし軍艦が間に合わなかったら、神の国じゃなくてゴズグルに侵攻するのもアリだな。それなら国王陛下もお喜びになんだろ?」
「かの地は闇の瘴気に毒されています。閣下は平気でも、兵士は皆耐えられないでしょう。予定通り神の国へ攻め込むのが賢明かと」
「はっ。神も拷問すりゃ泣き叫ぶのかね? 試してみてえなあ」
「閣下……」
「やっぱさ、一旦あの天使で試してみるか? どうせ神の国への航路を聞き出さなきゃなんねえし」
「お言葉ですが閣下。恐らく彼女は口を割らないでしょう。それより南部の港を押さえた後……」
その瞬間、ぺリューの右手から魔力の塊が噴射され、側近の半身は跡形もなくかき消されてしまった。彼の両足と、広がる血だまりのみが残された床を見て、ぺリューは隣の女にこう命令した。
「あーあ、イライラしてやっちまったわ。おいリディア。汚えから掃除しとけ」
すると彼女はぺリューを一瞥して、無表情のまま、
「ご自身でなさって下さい」
と彼の命令を一蹴した。ぺリューは一瞬だけ怒りを露わにしたが、すぐに平静を取り戻すと、黙って玉座から立ち上がるのであった。
「二度と余計な人殺しはしないと、約束しましたよね?」
「……悪かった。ついカッとなって」
「これが最後です。天使への拷問もお辞め下さい。貴方の敵は神の国。いえ、神そのものなのですから」
「俺にやれるのか……。本当に、神を相手にしてよ……」
「貴方の力は絶大です。誰にも負けません。それに、私の教えた秘密兵器もありますから」
女はぺリューを優しく抱きしめた。紅潮した頬。潤んだ瞳。徐々に熱っぽくなる肌の温もり。しっとりと滲む甘美なにおい。恥じらいの中に見え隠れする劣情的な表情が、彼のどす黒い欲望を駆り立てる。
「ねえ、殺したいんでしょ」
「リディア……お前は……」
彼女の首に手をかける。後は力を込めれば、彼女は死ぬ。これで何人も殺してきた。どいつもこいつも、恐怖に顔を歪ませるんだ。……その表情が、本当に堪らないんだよ。
『南部自由都市同盟の発展について』
1104年3月17日
オーウェン貿易商会 リー・マクドネルの手記
一般に「連合」とも呼ばれる都市同盟。西方世界で最も進んだ社会体制を構築し、日夜巨額の商取引が交わされるこの広域政治体は、もともとエルドラ帝国最大の工業地帯であった。しかし帝国は魔王の出現によって滅び、大陸南部の諸都市はそれぞれ独立した形で従来の体制を維持することになった。その後、魔王の支配が拡大するにつれ、諸都市は自らを守るために連合し、現在の自由都市同盟の原型が形成されたのである。
西方世界における闇の統治は921年に始まり、やがて1002年に魔王が滅びるまで凡そ80年続いたが、その間独立を保った勢力は南部都市同盟のみだった。同盟の民が最後まで魔王に抵抗した理由はただ一つ、闇の勢力から『神の国』を守るためであったという。経済都市としての側面しか知らぬ他国民には想像もつかぬことだろうが、今でも南部都市同盟の市民らは極めて厳格な宗教観を保持しているのだ。それが今日の発展にどれほど影響を及ぼしているかは定かでないが、少なくとも彼らの異様なまでに勤勉な性質は、恐らく『神』に対する信仰心から生じているものと思われる。




