神の使い
1104.11.20
「何をじろじろ見ている。そんなに私の顔が気になるか?」
サーレスの街に到着した後、ロクスら一行はとある神殿を訪れていた。そこは特別大きな建物でも、また豪華絢爛な内装を見せているわけでも無い、極めて素朴な、それでいて古代の風を感じさせる、実に独特な様式の建築であった。
しかし何より彼の視線を釘付けにしたのは、神殿の奥の椅子に腰掛ける、一人の少女の姿であった。透き通るような白い肌。淡くきらめく銀色の髪。大きな瞳、小さく結ばれた唇。この世の人間とは思えないほど美しいその姿に、ロクスは思わず心を奪われかけてしまったのである。
「貴様! 天使様に何と無礼な!」
少女の隣に立っていた護衛らしき男が、物凄い剣幕で怒声を響かせた。ロクスは驚いてその男を見ると、小さく頭を下げて謝罪した。
「い、いや。悪かったよ……」
天使様と呼ばれたその少女は、実際に『神の使い』として、彼女らの住まう『神の国』から派遣された特別な存在であった。サーレスの街に到着するまでの道中で、ロクスは天使に関する基本的な説明を、マークから一通り受けていたのであるが……。
西方世界で最も巨大な国家であるオーウェン王国は、実のところ様々な国や勢力に囲まれた内陸国でもある。北方を見ると、オーウェンに次いで広大な国土を有する『北の王国』が。東に進めば東方世界との境界線に属する『ラスタニア王国』がそれぞれ国を構えているのだ。西方に行くと国家は存在しないが、ロクスの故郷でもある『カラクの里』を含む広大な自然が広がっており、諸民族が点在しながらそれぞれの暮らしを営んでいるのであった。
そしてオーウェンの南方には、『南部自由都市連合』と呼ばれる都市同盟が勢力を固めていた。この都市同盟は、西方世界で最も先進的な社会を築いているらしいのだが、ロクスにはどうもその話がピンと来ない。西方の小さな里で暮らしていた彼にとっては、オーウェンの地方都市でさえ途轍もない発展を遂げているように見えるのだ。これより更に進んだ社会があるとは、ある程度書物の知識を有するロクスにも想像の及ばぬところであった。
さて、本題はここからである。南部都市同盟よりさらに南方、すなわち海を越えたその先に、『神の国』と呼ばれる巨大な島があるという。実は西方世界で信仰される宗教の多くが、この島の存在に言及しているらしい。そして実際に、神の国から派遣される『天使』という存在が、世界各地に散らばっているそうなのだが。
他でもない。ロクスの目の前に座る少女も、世界各地に派遣された『天使』の一人であった。
「まあ、大方美しすぎる私の顔に見とれていたのだろう? 大丈夫だ、その手の反応には慣れているからな」
発言の内容は別として、天使とはその声までも魅惑的で、どうやら人の心を揺さぶる魔力を有しているらしい。まるで美しいハープの調べを聞いているかのような心地良さに、ロクスは危うく彼女の虜になりかけていた。
「……ずいぶんと高慢な物言いだな。神の国の住人は、皆そうなのか?」
負けず嫌いのロクスはそう言い放ち、天使の顔を睨み付けた。そもそも神の使いとは何なのか、また本当に神の国などという場所が存在するのかも分からない。自分の容姿が優れていることを利用して、適当にホラを吹いてる可能性だってあるだろう。
「貴様! 天使様に何と無礼な!」
またしても隣に立つ護衛らしき男が、声を荒げてロクスを非難した。その様子にロクスは少し可笑しくなってしまい、小声で隣に立つマークに、
「誰だよあの護衛みたいな男。キレすぎじゃねえか?」
と問いかけた。するとマークは苦笑して、次のように返答するのであった。
「俺がキールに行ってる間、天使様を守るために雇った護衛だよ。ほら、彼女あの容姿だろ? 妙な気でも起こされたら困るから、まっすぐな心の持ち主を選んだんだ。……でも、ちょっとおかしくなっちゃったみたいだね」
「いや怖えな……」
「彼女は存在そのものが魅力的だからねえ。ロクスも女性に弱いところあるから、気を付けた方がいいかもよ?」
己がそうであるかは別として、彼女は本当に並外れた魅力を放っている。よく百聞は一見に如かずと言うが、実際に、彼女の容姿を表すのにどれだけ言葉を尽くしても、満足な表現を見つけることは適わないだろう。
「なに、怖がる必要などない。私はこちらの世界に一切干渉できないんだから」
「……じゃあ、何のためにここにいるんだよ?」
「それも教えることはできない。話せる事といったらまあ……、最近のマイブームは茶と焼き菓子だ。街の外れに良い店があってだな……」
突然趣味の話を語り始めた『天使様』の様子に、ロクスは肩透かしを食らったような感覚に陥っていた。いや……神の使いなどという大層な肩書に身構えていたが、案外普通の少女なのでは……?
「なんか、大丈夫そうだな」
「分かってないねえ。こういう所にハマっちゃうんだよ。ほら、護衛の顔見てごらん」
マークに耳打ちされて、ロクスは少女の隣に立つ護衛の顔を見た。男は満面の笑みを浮かべながら、彼女の話に何度も大きく頷いていた。
「めちゃくちゃ幸せそうだな……」
「可哀そうだけど、彼の仕事はここまでなんだよね。ちょっと言いにくいなあ」
そうぼやきながら、マークは壇上にあがり、護衛の男の肩をポンと叩いた。
「さて、君はもう帰っていいよ。後は俺らに任せてくれ」
「そ、そんな……」
これほど悲しそうな人間の顔を、未だかつて見たことがあるだろうか。まるで恋人を失ったかのような落胆ぶりを見せながら、男は俯いて神殿を後にした。……いや、あまりに切ない。いっそ彼もそのまま護衛に据えてやったらいいじゃないかと思ったが、しかし、どうやらマークにそのつもりはないようである。
「では天使様。私共は執務室で会議を行います」
「うむ。好きにしてくれ」
少女はそう頷いた。三人は祭壇を出て、神殿奥の執務室へと向かうのであった。
「……それで、天使様の護衛についてだけど。基本的には全部ロクスに任せようと思ってる」
マークの計画は、次の理由から提案されたものであった。
黄金剣を所持するロクスは、あらゆる魔法に対抗できる可能性を有している。キールでの戦闘を鑑みるに、万が一闇の勢力が現れたとしても、ロクスがひとり護衛についていれば十分に対応できるはずである。
一方でロクスは魔法を使えない。マークは街の調査を行う上で、ロクスかリサのどちらかを相方にしたかったのだが、その役割は、様々な魔法を操ることのできるリサが適役であろう。
マークはそう考えたのであるが、意外にもリサは不服そうな表情を見せていた。
「あの……私が天使様の護衛をしてもいいのですが……」
俯きざまに呟く彼女の様子を見て、マークは何か勘付いたように口角を上げた。
「へえ……。ロクスが天使様に惚れちゃわないか、心配なんでしょ?」
「そうなんです! ロクスさん、たぶん可愛い子に弱いんですよ……」
ロクスは反応に困ったので、以上のやり取りは聞こえなかったことにした。
「それで、俺が天使様を守るのはいいけどよ。一体敵は誰なんだ?」
するとマークは神妙な表情をして、壁の向こうの祭壇の方向に耳を傾けた。
「……もうすぐ来ると思うよ。ちょっと、静かにしててごらん?」
ほどなくして、祭壇から複数人の大きな足音が響いてきた。マークの台詞を言葉通りに受け取るなら、この足音の主が、今回の任務における「敵」にあたる人物なのだろう。
ロクスは思わずマークの顔を見たが、彼は人差し指を立てて、声を発さないようジェスチャーした。
「よお天使様。ご機嫌いかがかな?」
威勢の良い男の声が、開け放たれた執務室の入口から聞こえてくる。するとマークは腰のベルトから杖を抜き、その場で一振りしてみせた。
「第三の目。監視用の魔法だよ……」
マークは小声でそう囁いた。三人の前に映し出されたのは、祭壇の椅子に座る天使様と、横柄な態度で彼女に迫る数名の男の姿であった。
「また来たのか。何度も言っておるが、神の国への航路は教えられないぞ?」
天使様の対応は実に穏やかなものであった。ロクス達に見せた対応と何ら変わるところもなく、彼女は飄々とした態度で、そのガラの悪い男たちを迎え入れていた。
「あっそ。じゃあ今からさ、お前の体を縛り上げて、拷問でもすりゃ教えてくれんの?」
「それも好きにすればいい。私はこの世界に干渉できないのだから。……たとえ己の身に危害が及んだとしてもな」
ロクスは静かに聖剣を握りしめた。もし彼女に指一本でも触れようものなら、すぐさま飛び出して奴らを切り殺してもいい。
彼はキールの街で、すぐにリサを助けられなかったことを悔いていた。もっと早く彼女を見つけられていれば、あんなに苦しい思いをさせずに済んだのに……。
サーレスまでの道中で、彼女から先の戦闘の様子を聞いたとき、ロクスは自身の無力を心底恨んでいたのである。ずっと願っていた帰郷の選択肢を捨ててまで、マークの任務への協力を決意したのも、本当はリサの為だった。闇との対決も、自分の使命も関係ない。ただ身近な人間が、傷付くことを許せなかったのだ。
「手始めに生爪を一枚ずつ剥ぎ取る。その次は指だ。切れ味のいい刃物じゃつまらねえから、鋸でじっくり引き切ってやる。次は歯を抜く。喉を潰す。耳と鼻を削ぐ。眼球を抉る。……いや、その綺麗な顔が残ってるうちに、手足を切り落として性奴隷にしてやってもいいな」
「……想像力の豊かなことだ。何度も言うが、私はこの世界に干渉できない。もちろん君の行動を制限することもできないし、同時に私は何をされても、神の国に関する情報を口にすることはない。無駄骨を嫌うなら、その趣味の悪い拷問はやめておいた方が得策だろう」
「俺さあ、お前みたいな存在が許せねえんだわ。何が天使様だ? ああ? 弱ぇ女のくせして偉そうに、スカした態度取りやがってよお?」
「参ったものだな……」
二人の会話の様子を見ていたロクスは、今にも執務室を飛び出してしまいそうなほど、頭に血を上らせていた。それはリサも同様であった。彼女もまた、男の不遜な立ち振る舞いに、とてつもない嫌悪感を覚えているのであった。
「おいマーク。何で動かねえんだ?」
「……あの男は、サーレスを統治するために王都から派遣された『総督』なんだよ。言わばこの地域の最高権力者さ」
「なんだよそれ。俺たちの敵は、王国に敵対する反乱勢力だろ? そいつらから天使様を守るのが、俺たちの任務じゃないのかよ?」
「この問題はとても複雑なんだ。俺が王宮から課せられてる本当の任務は『総督』の監視。……王宮は、天使様を守るつもりなんてこれっぽっちも無いんだよ」
『天使の調』
作者不詳 416年~421年頃と推定される
神は嘆いた。かつての大いなる選択は誤りであったと。
帝国を去り、アルカディアを夢見た我の願いが、世界を光の氾濫に陥れたのだと。
王位簒奪者は東方への邪な野心をむきだしにした。
男の名は、ルキウス・ロミリウス・ロクス・ラクトゥカ。
神よ。どうか光の導きを与え給うな。さすれば帝国は、千年の輝きを後世に残すであろう。
その願いが、哀れな黒き民を生み出したのか。
天使は世界の全てをその目に焼き付け、神の御前で奏上した。
さるに神はまたしても、御心をお乱しになられた。
そして光の導きは、遂に訪れなかった。




