決意
1104.11.17
(私……ここで終わりなんだ……)
自ら発動させた強力な魔法に身を焼かれながら、リサはいよいよ死を覚悟した。……だがその時、彼女は遠のく意識の中で、かすかな足音を感じるのであった。
「リサ! 大丈夫か!?」
その声を聞いた瞬間、彼女は自身の内にあった揺るぎない覚悟が、音を立てて崩壊するのを実感した。まだ死にたくない。もしかしたら、彼が助けにきてくれるかもしれない。一度捨て去ったはずの期待が、心の底から湧き上がってきたのである。
「ロクス……助けて……」
するとロクスは黄金剣を振り下ろし、三人を取り囲む強力な結解を、いとも簡単に打ち砕いてしまった。
これを好機と捉えたのは、結界の中で成す術なく死を待っていた敵二名である。思わぬ形で窮地を脱した彼らは、すぐさま杖を構えて戦闘態勢に入った。召喚士のタウルスはほくそ笑み、魔導士のホルタルスは用心深くロクスの動きを注視した。
しかし次の瞬間、彼らは自らの身体に発生した異変に気が付き、恐怖に顔を歪ませるのであった。それは先ほどの、リサの結界魔法より遥かに恐ろしい、闇を滅ぼす光の暴力であった。
「身体が! 俺の身体がああっ!」
タウルスの絶叫が部屋中に響き渡る。その苦悶の叫びを聞き、ロクスはギョッとして彼の姿を凝視した。それは実におぞましい光景であった。黄金剣の光を浴びた彼の身体から、不気味な黒い瘴気がとめどなく漏れ出していたのである。
「どうなってんだ……」
ロクスは黄金剣を握りしめ、試しに二人の男へ向かって突き出してみた。すると敵はますます苦痛に叫び出し、そのままロクスに背を向けて、窓の方向へと一目散に駆け出すのであった。
「退くぞタウルス! 黒龍を出せ!」
闇の魔道士がそう叫ぶと、召喚士の男は絶叫しながら杖を振り上げ、窓の外へ身を投げ出した。続いて魔導士のホルタルスも窓から飛び降り、直後に耳を劈くような轟音が鳴り響いた。
「大丈夫かリサ! おい、しっかりしろ!」
ロクスはリサの下へ駆け寄った。状況は予断を許さないが、まずは彼女の身の安全を確保しなければならない。幸い致命的な外傷は見当たらなかった。が、自力で立ち上がることは出来ないようである。実際、彼女の身体は大したダメージを負っていなかったのだが、ロクスの助けに緊張の糸が切れたのであろう。この時彼女はどれだけ意識しようとも、全身に力を入れることができず、今にも気を失ってしまいそうな状態に陥っていたのである。
「レオン様が……危ない……」
「あいつなら一人で大丈夫だ。今は無理に喋らなくていい」
ロクスは急いでリサの身体を背負い込み、部屋を出て階段を駆け下りた。
敵は逃げたのだろうか。地上三階の部屋から飛び降りて無事とは思えないが、先程の轟音が気にかかる。本当はレオンの身も心配ではあるのだが、そこは英雄の実力を信じるしかない。王宮騎士団員の男もいるのだから何とかなるだろう。何よりも、今リサを一人にするわけにはいかないのだ。ロクスは背中で彼女の鼓動を確認しながら、全速力で街の中心へと駆け戻るのであった。
「おい、何だあれ……」
陽が沈みかけ、薄明がぼんやりと路地を照らすなか、ある一人の通行人が空を見上げ、何かを指差しながらそう呟いた。周囲の人々もつられて空を見た。その何かは巨大な翼を羽ばたかせ、轟音を上げながら宙を旋回していた。始めは殆どの市民が自身の目を疑った。そして誰かが、次のように叫び声を上げた。
「ドラゴンだ! ドラゴンがいるぞ!」
恐怖は瞬く間に伝染し、街中は一種の恐慌状態に陥った。取り乱した市民たちが我先にと駆け出し、街の至る所で悲鳴や怒声が響き渡る。全ての通りが混乱と騒擾に包まれ、街の秩序は一気に崩れ去るのであった。
「あれ、ただの翼龍じゃあないね」
中心街から距離を置き、人気のない公園に身を隠していたレオンは、いつの間にか隣に立っていたマークの言葉に頷いて、次のように返答した。
「漆黒の鱗。恐らくゴズグルの谷を住処とする闇の魔獣だろう。……で、君は剣を交えたのか?」
「俺は戦ってないよ。けど、一部始終を見てきた」
「敵の正体は?」
「闇の勢力で間違いないね。それも二人。いや、もっといるかもしれない……」
しばらく上空を旋回していた黒龍は、そのまま南方へと飛び去った。レオンとマークはその姿が見えなくなるまで目を離さずにいたが、やがて視界から完全に消えて無くなると、ほっと息をついてその場に座り込むのであった。
「ロクスとリサは? 無事なのか?」
「ああ。彼らが敵を追い払ってくれたんだ」
「なら良かった。……それで、二人の実力はどうだった?」
「ああ、めちゃくちゃ強い。特にリサとかいう女の子。あれ、たぶん王立魔道院の元生徒だよ」
「……何だって?」
レオンは耳を疑った。王立魔道院と言えば、王国の中でもトップクラスのエリート候補生が集まる魔導士養成学校である。卒業生の殆どは軍幹部か王宮騎士団、あるいは王宮魔導士として国家の中枢に関わることになるのだが。そんなエリート養成所に、まさかあの少女が在籍していたなんて……。
「去年さ、禁術を使用して退学処分になった生徒がいたんだけど。多分その子じゃないかなあ。王宮の一部でも噂になってたんだ」
「相変わらず恐ろしいな、君の情報網は……」
流石は諜報のスペシャリストと謳われるだけのことはある。殊に王都では、マークから隠し事をするのは不可能とまで言われるほど、彼の調査能力は騎士団の中でも群を抜いていたらしい。それだけに王宮関係者の中には、彼を嫌う者も少なくなかったという。何なら今現在、彼が北の果ての地方都市に来ているのも、その類まれなる調査能力を危険視された末の左遷ではないかと、レオンは密かにそう疑っていた。
「人聞きが悪いな。それより、レオンは今後どうするのさ? 敵は英雄を狙ってるみたいだぜ? 君はもちろん、王都のアストラガノスも暗殺対象に入ってるようだった」
「……僕は別に。目の前に現れたら戦うけど、わざわざ自分から何とかする気は無い。どうせ人間はいつか死ぬんだから」
「相変わらずだねえ。……ま、俺は何でもいいけどさ」
世界は依然として東と西の二つに分かれている。それは古代エルドラ帝国が誕生してから、約二千年経った今でも変わらない。西方世界は歴史上、常に東からの脅威に脅かされてきたのである。そのため古代エルドラ帝国は、遥か昔に東西を分断する長大な壁を築き上げたのだという。
さて、その東西の境界を一直線に南下すると、百年前まで魔王の拠点が存在したと伝わる『ゴズグルの谷』が姿を現わす。そこは闇の瘴気が充満した巨大な渓谷であり、もし常人が誤って足を踏み入れようものなら、たちまち瘴気に体を蝕まれ、あっという間に命を落としてしまうのだという。英雄アーフェルに魔王が打ち倒され、百年が経過した今も尚、ゴズグルに近寄る人間は滅多に存在しないのだ。
「レオン・ロックハートの暗殺に失敗したようだな。詳しく説明してもらおうか、タウルスよ」
「……それが魔王様。妙なガキ二人に邪魔をされまして。一時退却した次第にございます」
召喚士のタウルスは跪き、全身を震わせながら事の経緯を説明した。彼の先には翡翠の玉座が据えられており、そこには精悍な顔つきをした青年が一人、気怠そうに頬杖をつきながら腰掛けていた。魔王と呼ばれたその青年は、タウルスの言い訳を聞いてしばらく黙した後、次のように口を開くのであった。
「ホルタルスの話と違うな。そなたが相手を侮った結果、無様にも返り討ちにされたと聞いているが」
「そ、それは……」
魔王に睨まれて、タウルスは恐怖のあまり言葉を紡ぐことが出来なかった。すると魔王は玉座の背もたれに寄りかかり、遠くを見るような目で物思いにふけり始めた。
「まあよい。王国の戦力を見誤ったのは余も同じだ。まさか、アーフェルの後継者が現れるとはな……」
およそ百年前、自身を打ち倒した英雄アーフェルの姿を思い浮かべながら、魔王は感慨深げにそう語った。一方、失態を許されたタウルスは安堵して、深々と頭を垂れながら挽回の機会を求めるのであった。
「もう一度だけ、私にお任せを。次は必ずロックハートを殺してみせます」
「当然だ。そなたには英雄殺しの役割だけでなく、領地奪還の重大任務も与えておる。それは他の『執行人』には決して務まらない仕事だ。……よいかタウルス、そなたは特別な存在だ。他の誰にも替えがきかぬのだ」
タウルスは頭を垂れたまま、涙を流して主の言葉を飲み込んだ。己が如何に愚かな行動を重ねてきたか。また、そんな愚かな自分に許しを与え、もう一度再起の機会を設けてくれた、主の慈悲深さに心を打たれたのである。
「必ず……必ず成し遂げます……。次に失敗した際は、自ら命を絶つ覚悟です!」
「その意気で臨めば問題なかろう。奥の手は惜しみなく使え。そなたの実力は決して、英雄もどきに敗北を喫する程度では無いはずだ」
「はっ! 全力で叩き潰します!」
その後、玉座の間を退出したタウルスは、次の襲撃を成功させるべく計画を練り始めた。渓谷の奥地に聳える魔城の広間で、彼は石卓に刻まれた世界地図をじっと睨み付けた。
(ホルタルスの計画に合わせるか……。ただ英雄を殺せばいいってもんじゃねえ。オーウェン王国を崩壊させることが、俺に与えられた最大の任務だからな)
闇との対決を乗り越えたロクス、そしてリサは翌日、荷物をまとめて中心街の広場に集まっていた。戦いを終えた晩に部屋で休んでいた二人は、何故か居場所を突き止めてきたマークの訪問を受け、本日レオンの立ち合いの下、とある重大任務の説明を聞くことになったのである。
「……と、いうわけでね。君たちには、是非とも俺の任務に協力してもらいたいんだ」
騎士団員のマークから任務の説明を受けて、ロクスとリサは思わず顔を見合わせた。その内容は、闇の勢力とは全く無関係のように思われたが、世界の危機に関わる重大な任務であることに違いは無かった。
オーウェン王国の最北端に位置するここキールより、しばらく南西に進むと『サーレス』という街に辿り着く。そこは王国の領地の中でも、とりわけ様々な問題を抱える土地であるらしく、近頃は王国に対する反乱の動きさえ出てきているのだという。任務の内容は更に込み入ったものであったが、大筋は以上の反乱分子から『ある人物』を守ることが、二人に提示された仕事であった。
「俺は協力するよ」
真っ先に口を開いたのはロクスであった。きっと彼は断るだろう。そう考えていたリサは、驚いて彼を見た。
「え……でも……」
「爺ちゃんが、どうして俺を送り出したのか。その理由が分かったような気がするんだ。たぶん俺にしかできないことがある。……リサはどうするの?」
「も、もちろん行きますよ! 私の体はロクスさんの物ですから!」
「お前……急に何言ってんだよ……」
「貴方の弟子ですからね! 一番弟子!」
「ああ、そういうことね……。元気になったみたいで良かったよ……」
マークは二人の了承を確認すると、手を叩いて満足げに頷いた。
「じゃ、決まりだね。すぐに出発するから、用があるなら済ませておいて。……あとさ。レオンは本当に一人で残るのかい? 護衛が必要なら、王都から騎士団を呼んでもいいんだけど」
「大丈夫だ。それより二人とも、色々とすまなかったな。本当は英雄である僕が……」
彼も彼なりに思うところがあるのだろう。闇の脅威が現実のものとなり、事態は静観を許さないところまで進んでいる可能性がある。しかし、レオンは依然として戦いに消極的であった。出来ることなら二度と戦闘に従事したくない。英雄の称号など捨て去ってしまえれば、どれほど幸せなことだろう。そう願いながらも、自分の代わりに戦いへと身を投じようとする、目の前の純粋な少年少女に対して、彼は少なからず罪悪感を抱いていたのだ。
「事情があるんだろ? それに英雄だからって、なにも戦わなきゃいけない道理はない。俺の爺ちゃんを考えてみなよ? 子供に大事な聖剣を押し付けて、自分は里でのんびり過ごしてんだぜ?」
理解など得られなくて当然と考えていたレオンは、思いがけず掛けられたロクスの優しい言葉に、少しだけ心が救われた思いを感じていた。
「……すまない、気を遣わせてしまったようだね。二人とも気を付けて。君たちに、会えて良かった」
「色々ご迷惑をおかけしました。また、何処かでお会いしましょう」
リサは深々と頭を下げ、心からの謝意を口にした。一方のロクスはそれ以上何も言わず、彼に背を向けながら右手を振った。その背中は、昨日見た時より遥かに頼もしく、レオンの目に映るのであった。
そのまま三人は荷馬車に乗り込んだ。やがて御者が鞭を振り下ろし、荷馬車はサーレスの街に向かって前進を始める。陽は高く昇り、雲一つない澄んだ青空に燦燦と輝いていた。昨日の騒動がまるで嘘であったかのように、街は日常を取り戻している。慌ただしく往来する市民の雑踏。劇場に足を運ぶ貴族たちの華やかな衣装。やせ細った腕を伸ばし、物乞いをする路上生活者。全て、元の平和な日常である。
レオンはふと、傍らに佇む一人の少女に気が付いた。まだ十歳にも満たない年齢だろうか。じっとこちらを見つめるその瞳は、まるで宝石のように澄んだ青色をしている。そういえば、ロクスの瞳も同じような色だったな……。
「きみ、おうちは?」
無言で首を横に振る少女。レオンは優しく微笑むと、続けて彼女に問いかけた。
「お父さんとお母さんは?」
「いないよ」
「……孤児院の子かな?」
少女は小さく頷いた。おそらく勝手に抜け出してしまったのだろう。周囲を見回しても、保護者らしき大人の姿は見当たらない。
「一人で外に出たら危ないよ。僕が一緒に連れて行ってあげるから、どこから来たのか教えてくれる?」
すると少女はレオンの手を握って、広場の外に見える教会の屋根を指差した。神の意思を体現すべく建てられた民間の教会は、貧窮者や孤児らを養う施設の役割を果たしていたりもする。本当に賞賛されるべきは、そうした活動に従事する人間なのだろうと、レオンは少女の手を引きながら考え込んでいた。
果たして英雄とは何なのか。神は僕を英雄に選んだというが、もしそれが本当なら、神というやつは実に下らない存在であるだろう。他のなにものでもなく、僕自身がその証明になるんだ。
今日も僕は酒を飲む。全てを忘れ、ただ快楽の中で漂うために。一体僕は、いつまでそんな生活を続けるつもりなのだろうか……。
『神の導きは光の勝利をもたらす』
オーウェン王国神官長 デヴィッド・ディクス
1093年11月1日
第三次東方遠征の開始から凡そ一年が経過した。戦局は一進一退の攻防を繰り返すのみで、一向に前進へと向かわぬ模様である。巷では敗戦必至の如き悲観論を囁く者が後を絶たず、国全体に重苦しい厭戦気分が蔓延している。何と嘆かわしき現状であろうか。だが現実に絶望し、王国の未来を悲観する必要は決してない。かつての第二次東方遠征が失敗した原因は、それが神の意思に背く戦であり、全く無益な遠征であったからに他ならないのだ。しかし今次の遠征は、魔王亡き後の世界を浄化するための聖戦であり、然るに必ずや、我が軍には光の神の御導きが訪れるであろう。




