七番目の英雄
1104.11.16
数あるキール中心街の酒場でも、最大級の規模を誇る娼館『ローズ』。店の扉を潜り抜けると、国内外から集められた美女たちが客を出迎える。客層は実に多様であり、労働者から貴族まで、あらゆる階層の男が同じ空間で酒を酌み交わしていた。
「キャーッ! レオン様ー!」
「私、もう一杯飲みたいですう」
「ええ~私もいいですかあ~」
中でもひときわ目立つのが、広間の奥でバカ騒ぎに興じる、背丈の高い金髪の男であった。年齢は三十前後と言ったところだろうか。品の良い、柔和な感じのする顔付きで、リサから聞いていた外見的特徴とも一致している。
「好きなだけ頼んじゃって! 金なら腐るほどあるからね!」
男はソファの周囲に大勢の女性を侍らせて、満面の笑みで麦酒をあおっていた。そうだ。彼こそが、リサの探し求めていた英雄『レオン・ロックハート』なのであった。成程彼女の言っていた通り、容姿は確かに美しく、この国の王女をも虜にしたという噂も眉唾ではないらしい。しかし……。
「世界を救った英雄様が、こうも派手に女遊びとはね」
「き、きっと何か事情があるのでしょう……。そうだ! 情報収集に来てるんです! 酒場や娼館には、たくさんの情報が集まるそうですから!」
すると英雄はリサの姿に気が付いて、グラスを片手に持ちながら、彼女に向かって手招きをした。
「君、びっくりするぐらい可愛いね。もしかして新しい女の子?」
リサはその質問に赤面して、思わず声を詰まらせてしまった。一方のロクスは不機嫌そうな顔をしながらも、彼女に代わってぶっきらぼうにこう返答した。
「違えよ、あんたに会いに来たんだ。レオン・ロックハートで間違いねえな?」
「そうだけど。……僕に何の用?」
「俺はロクス、一応アーフェルの弟子をやってる。あんたと話したいことがあってな」
アーフェルの名を聞いて、レオンの表情は明らかに変化した。先ほどまでの陽気な笑顔は一瞬で曇り、猜疑と警戒に満ちた視線が二人に送られる。
「アーフェル? それってあの、英雄の?」
「そうだよ。……あんたも同じ英雄なんだろ? レオン」
「まあ……」
周囲の女性たちも、レオンの異変に気が付いていた。ある者は不安げに彼の手を握り、またある者は疑るような目で二人を睨み付ける。酒場にいる他の客たちも、チラチラとこちらの様子を窺っているようであった。
「それにしても驚いたね。アーフェルって、本当に実在したんだ……」
レオンはそうぽつりと呟くと、ロクスの目を見据えて次のように質問した。
「本当に君が英雄の弟子だと、証明できるものはあるかい?」
「……この剣が証明になる」
昨日の夜。あまり見せびらかさない方がいいとリサに忠告されて、ロクスは黄金剣を布に包んで持ち歩いていた。その包みを取り、美しい装飾の施された鞘を見せると、レオンは驚きに満ちた顔をロクスに向けるのであった。
「まさか、それはエルドラの聖剣か……?」
ロクスはわずかに口角を上げ、意味深な表情を意識しながら頷いた。正直、レオンの言っている意味は全く理解できていなかったが、自分が英雄の弟子であることを信じて貰えれば十分である。
「個室を用意してもらうよ。ここでは人が多すぎる……」
レオンは隣の女性に目で合図を送り、二人を個室へと案内するよう促した。すると女性はすぐさま立ち上がり、ロクスとリサを建物の二階へと誘うのであった。
「そんな……闇の勢力が……」
二階の客室にて、三人は向かい合わせになるよう椅子に腰掛けた。そこでロクスは黄金剣を抜いて見せたのであるが、どうやらレオンは、この剣の性質をロクス以上に知っていたようである。燦として輝く刃を確認した彼は、その光が意味するものをすぐさま理解するのであった。
「あんたも英雄の一人だ。これは見逃せない事態だろう?」
リサの話によれば、英雄はみな闇の勢力と戦った者たちであるという。レオンも同様だとすれば、彼もまた、闇の出現を黙って見過ごせるわけがない。ロクスはそう踏んだうえで、語気を強めてレオンに協力を求めたのであった。
ちなみにこの時ロクスは、剣の放つ光が、里を出る前より強くなっていることに気が付いていた。黄金剣は闇の力に反応して光を放つ。自分たちは知らぬ間に、闇の勢力へ近付いていたのかもしれないと、彼は僅かな不安も感じていた。
「……その剣、ちょっと貸してくれないか」
レオンの求めに応じ、ロクスは黄金剣を鞘に収めて差し出した。すると彼は、しばらく鞘の装飾を見つめてた後、不意に柄を握りしめ、刃を勢いよく引き抜こうとするのであった。
「なにやってんだよ……」
ロクスは一瞬、レオンが突然ふざけ始めたのではと疑った。彼は全身に力を込めて、鞘から刀身を引き抜こうとしているように見える。が、いくら抜こうとしても、刃は鞘から全く離れないのだ。
「やっぱり本物か」
レオンはそう呟いて、黄金剣をロクスのもとに返却した。そして、この不思議な剣に関する説明を始めるのであった。
「これはエルドラ帝国の聖剣。かつて世界を統治したと伝わる、古代帝国の遺産だよ。……選ばれし者にしか抜けないようになってるから、僕がいくら力を込めても、刃は鞘から離れない」
「なんだよそれ……」
「ちなみに君の師匠……アーフェルは百年前、その剣を使って魔王を滅ぼしたと伝わっている。僕は書物でしか読んだこと無いけど。君はこの話、直接聞いてるのかな?」
「聞いたことねえよ。つーかあの爺さん、少なくとも百歳は超えてるってことか? あり得ねえだろ……」
「巨大な魔力を有する者なら、そのぐらい生きていても不思議じゃない。この国に住むもう一人の英雄、大魔導士アストラガノスだって百歳超えだからね」
レオンの話は驚くべきものばかりであった。古代帝国だの、選ばれし者だのといった話は正直よく分からないが、謎めいていたアーフェル爺さんの素性については興味が湧いてくる。ロクスは自らの師であり、また育ての親でもある老人の、詳しい年齢すら知らなかったのだ。
「しかしまあ。闇の勢力は完全に消えてなかったのか……」
レオンは溜息交じりにそう呟いた。するとここで、しばらく沈黙を続けてきたリサが口を開き、いよいよ彼に協力を申し出るのであった。
「あの、レオン様! 闇の勢力に対抗するのであれば、私たちも一緒に戦います!」
いい流れだ。このまま彼女をレオンに引き渡して、少しばかり謝礼金を頂いたら、さっさと故郷に戻ってしまおう。何にせよレオンは世界の英雄なのだ。彼が付いていれば、リサの身を案ずる必要もあるまい。
「……いや、僕は戦わないよ」
「え?」
レオンの返答に、二人は揃って驚きの声を発していた。しかし彼は申し訳なさそうに、それでいてハッキリと協力の申し出を断るのであった。
「すまないけど、僕は既に一線を退いてるんだ。今の人生の目的は酒を楽しむことだけ。もう戦いは御免だよ」
「そんな……。レオン様が協力して下されば、とても心強いです! 東方遠征を成功に導いた、若き英雄の……」
「昔の話さ。あんまり僕に期待しないでくれ。……そうだ、この街に来てる王宮騎士団員を紹介してあげようか? 多分僕なんかより、よっぽど力になると思うよ?」
しかしリサの中には、英雄に対する並々ならぬ憧れがあったのだろう。彼女はレオンの話を受入れようとせず、彼にしつこく食い下がろうとした。
「そんな筈ありません。だって、貴方は世界のために……」
「もうやめてくれないか。僕はただ酒に酔って、夢見心地で女の子と遊んでいたいんだ。今は一生遊んで暮らせる財宝を手に入れたからね」
機嫌を損ねたレオンはそう吐き捨てると、二人を残して部屋を出てしまった。
そして彼は、一階のテーブルで乱痴気騒ぎを再開した。二人はその堕落した英雄の姿を尻目に、何の収穫も得られぬまま娼館を後にするのであった。
表はまだ明るかった。昼下がりからあんなに酒を飲んで、体を壊しやしないものかと、ロクスは妙なところで関心さえしていた。が、リサは憧れの英雄像を粉々に打ち砕かれて、相当に落ち込んでいる様子であった。
「ま、こんなもんだろ。英雄っても結局は人間だ」
「ええ、そうですね……」
不器用なりに出たロクスの励ましも、リサには届いていない様子である。そして彼女は不意に足を止め、ロクスに向かって深々と頭を下げた。
「ロクスさんにも、ご迷惑をおかけしました。また一人で旅に出ようと思います」
そう言ってリサは、硬貨の入った小袋を差し出した。彼女は薄々ながら、ロクスが乗り気でないことにも気づいていたのである。ここまで強引に彼を付き合わせてきたリサであったが、先程のレオンの対応を見て、自分がいかに独善的な英雄像を他人へ押し付けようとしていたのか、ようやく理解したのである。
「いいのかよ……」
「ほんの気持ちです。短い間でしたが、色々とお世話になりました。こんなことを言うのも迷惑かもしれませんが……楽しかったです……」
そう言って彼女は踵を返し、宿の方向へと歩き始めた。ロクスはその後ろ姿を呆然と見つめながら、胸を締め付けられるような息苦しさを感じていた。
このまま金だけ貰って故郷に帰るというのは、あまりにも虫が良すぎやしないか。自分は、まだ彼女のために何もできていないのだ。せめて頼りになる協力者を見つけるぐらいは……。
「そうだ。あの酒バカ、王宮騎士団員を紹介できるとか言ってたな」
レオンはまだ酒盛りを続けているはずだ。王宮騎士団か。果たしてどんな人物かは分からないが、肩書きは大層立派なものである。その人物を紹介して貰えれば、後ろめたい感情を抱かずに、故郷へ帰ることが出来るかもしれない。
『七番目の英雄について』
マイケル・ロビンソン 1104年5月23日
人は彼のことを「堕落した英雄」とも、あるいは「かつて英雄だった男」とも言う。九年前、第三次東方遠征を勝利に導いたレオン・ロックハートは、王都に戻ってから半年も経たぬうちに姿を眩ませた。その後彼の消息はしばらく不明であったが、二年前、突如として地方都市キールに姿を現わしたのである。
私は昨年、現在執筆中の歴史物語『オーウェン王国百年史』を完成させるため、自らの足でロックハート氏のもとへ赴いた。そこで見た彼の姿は確かに、かつて王女との結婚まで噂された若き英雄とは思えない程、俗にまみれ、堕落したものであったように思い出される。彼は毎日のように娼館へ向かい、酒を飲み、女と遊んで帰宅していた。しかし、彼は不思議と女を抱かなかった。ある日その理由を尋ねると、彼は「どうせ酔っぱらって、何も覚えちゃいないんだ」と笑いながら答えるのであった。
私は東方遠征における彼の活躍を、本人の口から直接聞きたかった。しかし戦地での話は、最後まで一切聞くことが出来なかった。
ただ一度だけ、私は彼の暮らす豪邸に招待されたことがある。その時偶然にも、彼が遠征の際に獲得した戦利品を見かける機会があったのだが……。
私は理解したのである。曲剣や弓、槍や棍棒といった数々の武器は、まるで当時の戦場をそのまま保存しているかのような、生々しい血の匂いを感じさせるものであった。それらの武器は全て、豪邸の一室に無造作に放置されていた。
「この剣で、クテュルクの皇帝を殺したんだ」
彼は一振りの曲剣を指差して、不意に私の背後から耳打ちをした。その冷たい声色に、私は全身から冷や汗がにじむのを感じるのであった。
およそ七百年に渡り、西方世界を脅かし続けたクテュルク帝国は、たった一人の青年の手によって滅ぼされたのである。……七百年だ。悪の象徴として語り継がれる魔王ですら、自らの国を百年も維持させることは出来なかった。ロックハート氏の両肩には、その七百年の歴史と、東方帝国の巨大な版図。そして戦場で葬ってきた無数の東方人の命が、全てのしかかっているのだろう。私は決して、彼のことを「堕落した英雄」などと呼ぶことは出来ない。




