~序幕・照臨の鐘~ 『無常』
夜煌と綾は庭園を後にし、神社へ到着する。
そして横に並んで歩いていた綾が、斜め前から笑顔を浮かばせながら夜煌の顔を覗き込む。
「じゃあ着替えてくるね」
「ん、うん」
綾がクスりと笑う。
「大丈夫?顔も赤いよ」
「平気だよ」
「さっきの話、お父さんには夜ご飯でも食べながら一緒に話そう?」
「うん、分かった」
「それじゃあ、またあとでね」
それから二人はその場から離れ、夜煌は正面奥の本殿の中へと入って行く。
本殿は天井や壁など床以外が細かい装飾が施されたガラスで構成され、周囲が木造建築物ばかりの中その場では異質な建物だった。
靴を脱いで上がると、中では白と紫の装束を着た一人の男性が正座をして紙に文字を書いていた。
「戻りました」
夜煌が挨拶をすると、男性が気づいて振り返る。
「ああ、おかえり夜煌君。今片づけるからちょっと待ってて」
「はい」
夜煌は返事をすると、その場で正座をする。
「結構かかったね」
綾の父親が机の上を片付けながら聞いて来た。
「えっ!!!???」
何気なく聞いたつもりだが、夜煌の反応に驚いて振り向く。
夜煌は自然と背筋がピンと伸びていた。
「いやっ、魚を取って来たんですけど、途中で一緒に焼いて食べたりしてきてたんでちょっと時間かかりました」
「あぁ、そうだったんだね」
そう言うと再び机に向き直り、片付けを再開する。
夜煌はその様子を見てなんだか胸を撫で下ろす。
「今日もここ掃除するんでしたっけ?」
「うん、ここは常に綺麗に保っておきたい」
「分かりました。・・・ところでずっと思ってたんですけど、何でここだけガラス張りなんですか?滅茶苦茶浮いてる気がするんですけど」
綾の父親は思わず吹き出して笑いだす。
「まぁ異質だね、他にこんな建物はあんまりないんじゃないかな。でもここでの場合、逆なんだ」
「逆?」
「元々ここは、草木の中にポツンとこの建物が立っていたらしい。僕の何代前なのかもう分からないくらい大昔の話だけど、先祖の方がそれを見つけた。こんな絶壁の上の地に、一体誰がどうやって何の為にと疑問に思いながらも何かを感じ取ったそうだ。それから周りに家を建て橋を架けたりし、祈りを捧げる場所としていったらしい」
「なるほど。確かにここってかなり神秘的だしな」
「そう、貴重な物なのは確かさ。それ故に大切にしないとね」
「そうですね、気合入れて掃除します」
「頼むよ」
ほどなくして綾の父親が片付けを終え立ち上がる。
「お待たせ。まずは境内を見回りがてら道具を取りに行こう」
「分かりました」
それから本殿を出ると境内を並んで歩き出す。
「二人とも大きくなった。君はまだ大人の手前といったところだが、綾はもう大人と言える。ここ一年はくらいちょくちょく見合いの話も来るようになった。もうそんな歳かと、時間の流れは早いものだね」
「俺はそうでもないですけど、いや、最近はそう感じるようになってきたかも」
「良い悪いは置いておくとして、変化が少なくなってきたからだろうね。同じような毎日の繰り返しだと時間の流れは早く感じて来る。まー平穏で何よりさ・・・と言いたいとこだけど、綾がその見合いの相手に会わないんだよね」
「みたいですね」
「そのことについて何か聞いてる?」
「んー・・・、今日夜話をするみたいなこと言ってたので、もしかしたらそれについてもするかもしれませんね(他人事みたいに言ってしまったが、今はいっか)」
「夜煌君はどう思ってる?」
「え?」
「綾のことさ」
「な、何で急にそんなことを俺に?」
「ちょっとね。少しそこで座ろう」
綾の父親に続いて傍に設置されている長椅子に二人が並んで座る。
「君がロヴァル殿と一緒にこの村にやってきて、もう十年近い。あの頃の君はまだ赤ん坊で綾も幼かった。そしてロヴァル殿から君を引き受けたはいいが、不安に思うところもあったんだ。私はともかく、綾は母親を亡くしてとても落ち込んでいた時期だったから。でも私の不安をよそに、綾は弟のように君の面倒を見だした。それまで我が儘ばかり言っていたあの子が、急速に大人に成長していくのを私は感じていた。今となっては君は本当の家族に等しい」
「・・・懐かしいですね。あの当時はよく料理の試食に付き合わされました。俺はおいしいって言ってたんですけど、綾姉が食べると’うーん、でもお母さんの味じゃない’って言って」
「綾の母親は、京香は料理がとても上手だった。私はそこまで料理が上手じゃないからどうしようかと思ってたんだけど、綾にその才能が受け継がれてるようで助かったよ」
綾の父親は空を眺め、少しして夜煌に向き直る。
「君が綾と結ばれてくれるなら私は安心できる。だから君にその気があるのか聞いておきたかったんだ」
真剣な眼差しを受け、夜煌は誤魔化すという選択肢を捨てる。
「でも、俺はまだ十二ですよ?もうすぐ十三になりますけど」
「確かに。君の年齢ならまだ早いかもしれない。でも綾は十八。結婚を考える年頃だよ。見合いの申し込みの中には私から見ても容姿・家柄・財力共に申し分ない人が多い。だから君にその気がないのであれば見合いをさせたいと思ってる。もちろん最後にどうするかは綾に任せるけどね」
「・・・近い内に、答えを出します」
「あまり急かすつもりはないんだけどね。まあ早い方がいいにはいいが、よく考えて」
「はい」
夜煌が考え込んでいると、綾の父親は掌を叩き合わせ立ち上がる。
「行こうか」
夜煌は綾の父親に続き宝物殿へと向かった。
それから数時間が経ち、午後二時ごろ。
「夜煌ー!」
白と紫の装束を着た綾が宝物殿の戸を開いて入って来た。
「もう手入れなら終わって、山に向かったよ」
物陰から出て来た綾の父親がそう告げた。
「遅かったか」
「さっき昼食を摂りながらずっと一緒にいただろ。あれからまだ一時間も経ってないよ?」
「うるさいなぁ、いいでしょ別に。午前中顔出さなかったから、その分今来てるのっ!」
綾が顔を赤くしながら答えた。
「午前中って言っても、始めたの十一時くらいだが・・・」
父親は苦笑いしていたが、すぐ真剣な顔つきになる。
「綾」
「何?」
「伝えなければ、ずっと変わらないんじゃないかな」
「何のこと?」
「夜煌君のこと」
「・・・伝えた」
「え?」
「今日好きだって伝えた。まだハッキリうんって言ってくれたわけじゃないけど・・・」
綾は壁に背を預けながら目を閉じ胸に手を当てる。
「・・・なるほど、そうだったか」
綾が戸にもたれかかる。
「ちょっと前までは可愛い弟にしか見えなかったんだけどね。最近どんどん格好良くなってきちゃって。しかも優しいし。もう他の人なんて眼中に入らないのよ。いつも夜煌のことばっか考えちゃう。でも夜煌にとって私はやっぱりそういう対象にはならないのかなって考えたりもしてたけど、そうでもなかったりして・・・」
「?・・・まぁ彼にとって、綾は姉のようでもあり幼馴染のようでもあり、微妙な立ち位置なのかもしれない。彼の心の整理がつくまで待つといいさ」
「そのつもり」
空が夕焼け色に染まった頃、夜煌はひたすら山の中で木を蹴っては落ちて来た木の葉を手足で粉微塵にしていた。
木の葉がなくなった何本かの木の根元には抉られたような跡があるが、折れるに至らないよう調整されているようだった。
「・・・そろそろ戻るか」
夜煌は山を下り始める。
しばらく山の斜面を歩いていると、木々の隙間から巨大な水しぶきが空に上がるのが見える。
「は?なんだあれ?」
夜煌は気になったため、走って山を下り始める。
下り切ると、遠目に村の傍の海岸に黒い金属製の船が浮いているのが見えた。
「・・・なんでこんなとこに船が?それになんだか騒がしいような」
遠くから砂浜を三人の子供を抱えて走ってくるロヴァルの姿が見え、声をかける。
「じじい」
ロヴァルが気付くと、夜煌の元へ駆け寄って来る。
「夜煌っ!村が襲われてる!」
「はあ?・・・冗談やめろよ。このギオンに攻めてくる馬鹿がいるかよ。しかもたった一隻じゃねーか」
夜煌はそう言って笑い飛ばしたが、ロヴァルの表情は険しい。
「俺は子供たちを隠してくる。お前は早く綾を捜せ。俺もすぐに戻る」
そう言ってロヴァルは走り去って行き、夜煌はその後姿を呆然と眺めていた。
「(何言ってんだじじい)」
夜煌はそう思いつつも、段々と足早に村の入口を目指す。
海岸の砂浜から村の入り口に繋がる道を走っていると、血だらけの男性が道の脇に仰向けで転がっていた。
「猛さん?」
夜煌はそこへ駆け寄り、しゃがみこむと顔に近づき呼吸があるか確認する。
「・・・夜煌か」
「おい、どうしたんだよこれ!?何があったんだっ!?」
先程のロヴァルの言葉が偽りではなかったことを知る。
「綾ちゃんはどうした?」
「今捜してる。それより」
猛が震える右手で夜煌の肩を強く掴む。
「俺のことはいい!残す家族もいないんだ。それより早く綾ちゃんを捜せっ!まだ間に合うかもしれない!それと・・・胡桃がいたら、助けてやってくれ。頼む」
夜煌が両手で猛の右手を握る。
「分かってる。待ってろよ、二人のこと助けたらすぐ戻るから」
猛は安堵したように口元を緩ませる。
「ああ。頼んだぞ」
その返答を聞き、夜煌はすぐ村の中へ走って行く。
その後姿を猛は見送っていた。
「それでいい・・・・・・お前は喪うな(香奈、歩、本当にすまない。俺はまた無力だった。遺された胡桃を守るのは俺の役目だったはずなのに・・・・・・どうか生き延びてくれ)」
ほどなくして猛の体から淡い白い光が舞い上がった。
夜煌は村の中に辿り着くと、そこでは武器を携え戦ったと見られる住人の死体が散乱していた。
しばし夜煌は呆然と立ち尽くす。
「あ、綾姉、綾姉は!?」
夜煌はロヴァルの家へ走る。
そして家のドアを勢いよく開け綾を呼ぶが、返事はなく誰もいない様子。
「ここじゃない(神社か?いや、村のどこかにいる可能性もある。この時間、夕食の買い出しか支度をしてるはずだ)」
夜煌は家の扉を閉めるとすぐに走り出す。
神社へ向かうため走るが、村の広場が見えてくるとそこではより凄惨な状況が広がっていた。
様々な所属不明の兵達が家々の中を荒らし回り、男性たちは剣や槍を複数突き刺されて死んでおり圧倒的な人数差があったことが見て取れた。
女性たちもまた殺されているか、抵抗せず凌辱されている。
夜煌は咄嗟に見つかる前に身を潜め綾の姿を捜し続ける。
「(ここにはいない・・・。ごめん。俺にとっては、綾姉が一番大切なんだ。胡桃も頼まれてる。ここで時間を費やす訳にはいかない)」
その場の全員を助けられる力を持ちつつも、綾の捜索を優先することへの罪悪感から心の中で吐露した。
実際にその場の全員を助けたところで夜煌にとって一番大事な人と胡桃が無事でなかったら必ず後悔するからだ。
猛に頼まれた手前もあり夜煌は迷わなかった。
そして足早にその場を後にして他の場所へと走り出す。
それはより神社へと近づいて行くようで、今朝綾と共に歩いた道々の光景との落差を感じる。
自然と激しい焦燥感と不安が増していった。
それから走っていると道で数十人の兵が気を失っているのが見えてくる。
その中央付近では老人と少女が血を流しながら地面に横たわっていた。
夜煌は駆け寄って少女を上へ向けると、今にも息絶えておかしくない呼吸ながら生きていた。
「胡桃!しっかりしろ!」
その声により胡桃の焦点が空から横の夜煌へ移る。
その表情にはゆっくりと笑みが浮かぶ。
「・・・夜煌ちゃん。よかった、無事だったんだね」
助けられるなら助けたいが、切傷と出血の量からもう長くは持たないことが素人目ながら分かる。
それ故にどうしようもなく涙が溢れてくる。
「何やってんだよ!?お前なら逃げるくらいできただろっ!」
胡桃が血を吐きながら咳きこむ。
「綾さんが、たくさんの知らない人達に捕まってたの。鐘の音も聞こえてたし、普通じゃないことは分かってたよ。だからって見て見ぬふりなんてできないよ。私だったら助けられるって思ったから。でも数がどんどん増えてきて、途中で胸が苦しくなってきちゃって・・・。一緒に残ってくれたおじいちゃんも死んじゃった」
「・・・・・・・・・ごめん、胡桃。でも何でお前がそこまでして綾姉を?」
「だって、夜煌ちゃんの大切な人でしょ?」
夜煌は言葉を発せずに口を開いたまま涙が溢れ出る。
胡桃の行動が自身の為のものだと分かり、見ていられず横を向いて顔を歪ませる。
「そうだけど、お前だって大事な友達だよ」
「友達・・・か」
夜煌は胡桃の望む答えを理解していたが、同情や感謝でそれに応えることはどうしても出来なかった。
優しい嘘をつくこともできたが、それは綾に対しては残酷な嘘ともなりうるからだ。
「ねえ、こっち向いて」
夜煌は左腕で涙を拭い、胡桃へ顔を向ける。
「役に立てなくてごめんね。夜煌ちゃんに会えたら、なんだか元気になってきた。だから早く綾さんを捜しに行って」
口元から血が流れ出てまた咳きこんでしまい大分弱弱しい。
「そんなことない。少なくても時間稼ぎはできたはずだ」
夜煌はそう言ったあと胡桃の上半身を優しく抱きしめる。
胡桃の目が少し見開かれる。
「胡桃、これが今の俺にできる精一杯だ。本当にありがとう」
「早く行ってあげて」
夜煌は胡桃から離れすぐに走り出し、その後ろ姿を目で追おうとするも体が思うように動かない。
腕を震わせながら地面を這うが、ほどなくしてその動きは止まった。
夜煌はやがて森の中の道へ入り、神社へと近づいていく。
「(やっぱり神社なのか?それよりどうして綾姉だけが攫われる?)」
そして神社へ繋がる橋へ差し迫ろうとしていた時、夜煌はそこで絶句する。
「っ!・・・・・・・橋が・・・・・・・・・」
神社がある対岸まで渡る長い橋が落とされていた。
夜煌はその場で呆然と立ち尽くす。