~序幕・照臨の鐘~ 『先』
時を遡ること数日。
ベレヌス大陸北西に位置する大国カムロス帝国の首都オルトウィーンの議会にて。
白い石造りの大きな建物がある。
中央の床からは赤い絨毯がそれぞれの椅子まで伸びており、皇帝が座する椅子は幾分か大きい。
また赤い絨毯にも金の刺繍が散りばめられており、身分の違いを示しているようだ。
議会が開会して間もなく、中年の男性が声を上げる。
「皇帝陛下、人は等しく神の子であり平等に扱われるべきであります。自分を愛するように隣人を愛せと、聖典にもメシア様のお言葉が記されております。敗戦国の奴隷は速やかに解放すべきです。また実利の面でも他国が、特にアルブネア聖王国がいつまでも黙ってはいないでしょう。これ以上帝国が他国を支配下にしていけば、我が国に匹敵する同盟を結び対抗してくる可能性もあります。そうすればどんな火種で戦争が勃発することになるか分かりません。今一度ご再考ください」
そう発言したのは議員の一人であるモーリス・フォッセンである。
その眼差しは真摯であり優しさが垣間見える。
彼はアルブネア聖王国に本部を置く根源教会の帝国支部代表であると同時に、その立場から議員に任命された人物である。
根源教会とは遥か遠い昔にアルブネア聖王国の建国と同時に設立され、十四の神器ないしは感情にちなんで名づけられた組織である。
創世初期にメシアと呼ばれていた人物の活動を書に記し、それに倣い人の在り方を説くことを主とした団体である。
また、全国の治癒院を経営しているのもこの根源教会がほとんどである。
一人の男性が声を張り上げる。
「控えよフォッセン卿!聖典は人の在り方の一つを示しているに過ぎん。それを他人にまで強要するのはいかがなものか?ましてやお相手は皇帝陛下!我々は臣下として忠実に陛下をお支えするのみ!陛下に異があるのであれば他国へ移るがよかろう!弱肉強食が世の理だ。同盟の話も今に限った話ではない。虎視眈々と他国を狙っている国は常にある。目には目を、歯には歯を、同盟を結ぶことは我が国にも出来る。ゆえに我が国が領土を広げ国力をより増大することを懸念する必要はない!」
モーリスの意見に異を唱えたのはリムロイである。
その体躯はそのうち自力で歩けなくなるのではないかと思うほど太っており、服装も宝石をふんだんに使った成金の様相だ。
彼は農民の出でありながらその弁舌と貪欲な金への執着でのし上がった人物である。
表向きは食材の薄利多売を掲げているが、その実は奴隷による大幅な人件費の削減で財を成した経緯がある。
「左様。弱肉強食こそがこの世の理だ。聖典など現実を生きるのに何の役にも立たぬ。神だ天国だなどと知ったことか。我はそのようなものを見たことも感じたこともない。仮にそのような存在があったとしてもだ、今までの歴史の中でどれだけの非道や残虐な行為が行われようと神は決して干渉してこなかった。よいかフォッセン卿、弱者はただ蹂躙されるのみ。それに奴隷どもは裕福でないとはいえ、衣食住には困っておるまい。奴隷を従えるのは戦勝国としての特権に過ぎぬ。殺すよりかはマシであろう」
野性と知性を同時に感じさせる面持ちをした皇帝が答えた。
「最も」
「さすが陛下、現実を見ていらっしゃる。幻想に自惚れている輩とは違いますな」
「敗戦国の民でありながら殺さずに衣食住にも不自由させないなど、陛下は実に慈悲深い」
皇帝の言葉に他の議員たちも何人か賛同の声を上げた。
ほとんどが色んな形で奴隷によって利益を得ている者達だ。
しかしモーリスは再び声を上げる。
「実際に過去、アルブネア聖王国は非人道的な国に対し武力をもって戦争をした経緯があります。現在の法王とその側近たちがどのような判断を下すかは予測できません。このまま他国も静観し続けることはないでしょう。我が国がこれ以上動かなければ、不必要に血が流れることはないはずです」
「もちろんその歴史も知っている。であれば過去のアルブネア聖王国が戦争で何をしたか、貴殿も知っておろう。虐殺、強姦、金品財宝や土地の略奪。利が絡めば聖戦だなんだと都合のいいように理由をでっち上げ信徒を扇動する。愛だ人助けだと叫んでいるくせに聞いて呆れる連中だ。過去に一体どれだけの国が飲み込まれていったことか・・・。まぁ、昨今は落ち着いて久しいがな」
「これを私の口から言うのは御法度かもしれませんが、陛下が仰る通りみだりに神の名を使い戦争を起こした歴史はあるでしょう。目の前の欲に耐え切れず罪を犯した者も多いと聞く。ですが、いずれそれは自らの破滅に結びついていくものです。我が国は奴隷など使わずとも十分に豊かな国です。それは陛下が一番ご存じのはず。何か特別な理由がおありなのですか?」
「・・・・・・聖典の教えを守ろうが守るまいが、攻められるときは攻められる。それに我が軍は富も兵士も強大であるからして、全面戦争という事態になれば互いに被害が大きすぎる。可能性は極めて低い。エラトス連邦への侵攻はかの国が大量に麻薬を製造し流し始めたからに過ぎん。現段階ではこれ以上侵攻する予定はない。イーノ帝国の事もあるゆえな」
「これ以上侵攻の御意思がないこと、お教えいただき安心しました。しかし奴隷の解放に関しましてもご再考いただきたいのです。私は根源教会に所属している身ではありますが、この国は生まれ育った場所です。私はこの国の先を憂いているのです。子供たちがいずれ戦火に巻き込まれるような要因を残しておくことは、決して見過ごせません。それに本国からの催促が強くなってきているのです。私だけでは限界があります。今後何かしらの行動を起こす可能性もあるのです」
周囲がざわつくが、皇帝が手を上げ静めさせる。
「・・・フォッセン卿、貴殿が五年前より都度奴隷について意見を述べ続けてきたことはよく分かっている。また侵攻の意思がないとは行ったが、奴次第で状況は変わる。まあ、あれから全く姿を見せないことから察するに既に死んでいるのかもしれないが・・・・・・。とにかく、今はこれで納得されよ」
「・・・分かりました」
皇帝が頷く。
「さて、他に議題がなければこれにて閉会とする」
皇帝の宣言により閉会となり、モーリスは馬車で自身の屋敷に帰宅する。
長い黒髪に赤い瞳をしたメイドの恰好の女性が玄関先で出迎える。
「おかえりなさいませ、モーリス様」
「ああ」
モーリスはそう言いながら頷く。
アイネはモーリスから鞄を受け取ろうとするがモーリスは手で静止する。
いつもの光景なのかメイドは何も言わずにモーリスと共にそのまま屋敷へ入ると、階段の中段あたりで一人の少年が立っていた。
銀色の短髪に金色の瞳をした利発そうな容姿の一人息子、ウォルフハルトである。
「おかえり、議会はどうだった?」
モーリスは顔を少し伏せる。
「当面他国への侵攻はないとのことだが、奴隷のほうはあまり進展しなかった。本国からの催促が強くなっていることも伝えたのだが・・・。何とか世界会議の前に考えを改めていただきたかったが、この件に関してはなかなか解決しない。回りの者も半数近くが聞く耳を持たんのだ。皆、欲に目がくらんでいるのかもしれん。だがなぜ陛下まで・・・」
ウォルフハルトが階段を降りながら口を開く。
「確かに、陛下が奴隷を許してるのはすごく不思議だよね。陛下の行動を見れば、利に汚いどころかよく民に尽くし分け与えてる。その陛下が奴隷なんて存在を許し続けてるのはとても不自然だ」
やがて階段を降り切ると、その階段の柱に背を預けた。
「やはり旧クローディアス王国の一件が絡んでるのだろう。エラトス連邦も同様に制圧したというのに、奴隷を増やすことはされなかった」
「未だに奴隷にされ続けてるのは、旧クローディアス王国の一部の人間だけ。だけど公式発表以外のことは説明されないんでしょ?」
「ああ」
「どこの情報屋もその件に関しては何も語らない。大概は聞いただけで怯えて逃げる。陛下が説明する気も解放する気もない以上、どうしようもないんじゃない?」
「ウォルフ、情報屋に接触するのはやめるよう言ったはずだぞ。足跡がついてろくでもないことに巻き込まれる可能性だってあるんだ。あの手の連中に関わると危険が付きまとう」
ウォルフハルトは苦笑いを浮かべる。
「あ~、いや、一人だけね?どうしても気になったからさ」
モーリスは一人ではないだろうことを先程の口ぶりから察しつつも、それ以上追及することはやめた。
「見て見ぬふりをし続けているのも正直辛い。本国からの催促もあるが、私自身としても出来れば解決したい。・・・ところで、お前の方はどうなんだ?」
「試験のこと?・・・まあ余裕じゃないかな」
ウォルフハルトの視線が瞬きをはさみながら徐々に外へ逸れてゆく。
「ウォルフ様、それは実技のみの話ですよね?」
目を細めながらアイネがウォルフハルトをじーっと見つめる。
「いやいや、今日これから丁度勉強する予定だったからね?ちゃんとやれば問題ないからさ」
ウォウルフハルトは笑いながらそう述べたが、二人は嘆息する。
見た目とは裏腹にウォルフハルトは興味がないことにはとことんやる気が出にくい性格であった。
そんなウォルフハルトを心配そうな顔でモーリスは見つめる。
「ウォルフ、お前はその気になれば何でもできる能力を持ってる。その素質を無為にしては勿体ないぞ。それに卒業試験程度で落っこちては、母さんも天国で悲しむだろう」
「ご安心くださいモーリス様。わたくしがつきっきりでウォルフ様の頭に詰め込んで見せます」
笑顔を浮かべそうモーリスに話すアイネだったが、横目でウォルフハルトを見た時ニヤリとした表情に変わったように見えたウォルフハルトは何故か分からないがゾクりとした。
「頼まれてくれるかアイネ。悪いが任せる。私は明日も早朝から出かける用事があってな」
安心したようにモーリスは答えた。
モーリスはアイネのことをよく信頼している。
「・・・アイネ怖いんだよなぁ。間違えるとビンタしてくるし」
「ですから間違えないよう真剣に覚えて下さいませ。人間死ぬ気でやれば大抵のことは何とかなります。やる気をもっと出してください」
「いや~心に嘘はつけないじゃん?実技のみでも」
アイネの目つきが鋭く変わりウォルフハルトの言葉を遮る。
「な!に!か!言いましたか?」
「い、いいえ、死ぬ気で勉強させていただきます、はい」
「よろしいでしょう」
アイネは満足げに頷くが、ウォルフハルトは後ろに倒れつつ両手を階段の手すりに絡ませ崩れ落ちながら項垂れてしまう。
「とりあえず食事にするか」
そうモーリスは笑みを浮かべながら言う。
「そうですね、本日は希少なお魚がありましたので」
モーリスとアイネは話しながら歩いていく。
やがてウォルフハルトは閉じていた目を開く。
「父さん・・・あんなに教えるのが好きだったのに。時期的に無理もないのか」
それからウォルフハルトは立ち上がり二人の待つ場所へと向かった。
翌朝、フォッセン邸。
ウォルフハルトは目元にクマを浮かべながら、白と金を基調とした部屋でアイネと共に朝食を摂っていた。
テーブルの上には皿に盛られたパンやサラダ、牛乳やジャムなどが並べ置かれている。
メイドの服装をしていながら共に朝食を摂る様は、傍から見れば珍しく映りそうだ。
「なぁアイネ」
「?どうされました?」
「夜中まで勉強するのはやめないか?朝が辛い・・・」
ウォルフハルトは寝ぼけ眼で見つめながら話した。
「それはウォルフ様次第です。モーリス様に任された以上中途半端なことは出来ません」
不意にウォルフハルトは失笑する。
「途中で俺の肩にもたれかかって寝てたのは誰だったかな?」
食事を進めていたアイネの手が一瞬だけ止まった。
「・・・もっと早い時間に終わるよう、工夫を凝らす必要がありそうですね」
そう言いながらアイネはウォルフハルトを見つめながら思案しつつ食事を進める。
その目つきはまるで獲物をどう料理しようかと考えている様に見えた。
「・・・・・・アイネさん、なんか目が怖い気がするんですけど、気のせいでしょうか?」
「いいえ?そんなことはありませんよ。ただやはりアレを解禁する必要がありそうですね」
アイネは動じず食事を続ける。
「いやいや、アレって昨日持ってきた鞭のことじゃないよね?本当に叩かないよね???」
アイネは返答せず、ただ逃げ場がなくなった獲物に対して笑っているような表情をしていた。
ウォルフハルトは自然と顔を背け手を若干震わせながらも食事を再開した。
「(だだ、大丈夫だ。覚えれば、出来れば何の問題もない・・・・・・。待てよ?あの鞭を試したいから昨日父さんにあんなに張り切って言ってたのか?昨日はたまたまアイネが寝たから無事だった・・・?)」
ウォルフハルトは首を左右に振り、ひとまず考えるのはやめて食事に集中した。
そして、アイネが先に食事を終え手を止める。
アイネは席を立って近づいて来るとテーブルに両手をつき、横からウォルフハルトに顔を寄せる。
「ウォルフ様?あまりみっともない様は見せないで下さい。あなたは私にとって英雄なのですから」
「ん・・・善処する」
その返答にアイネは小さく笑みを浮かべると自身の席へ戻り食べ終えた皿を片付け始める。
「(ま、元お嬢様なのにメイドとして頑張ってるアイネにここまで言われたらやるしかない。実際卒業出来なかったらダサすぎるしな)」
「でもさ~」
「でも?」
「(つい言葉に出してしまった・・・)勉強はもちろん頑張るけど、俺だってご主人様だぜ?もうちょっと優しくしてほしいなーなんて」
「お言葉ではございますが、ウォルフ様は正確にはご主人様ではございません。私はモーリス様にお仕えしているのであって、ウォルフ様はついでみたいなものです。モーリス様からも甘やかさぬよう言われておりますのでご容赦を」
淡々と答えた。
「・・・でも、ご主人様ではありませんが、それでもあなたは私にとってとても大切な人です。あなたがあの時私を見つけて助けてくれなかったら、今このように暮らせてはいなかったでしょう。侯爵の息子が相手だったというのに、あなたは躊躇わなかった。それからもずっと私を傍で守って支えてくれました。あなたは恩人です。だから私はあなたの為になることをしたい。こうして厳しく接することも今のあなたには必要なことだと思ったからです。ですが・・・・・・卒業はいい節目かもしれません。無事に卒業出来た暁には」
不意に扉が開かれ二人の意識がそちらへ持ってかれる。
「ウォルフ、やっぱり残してたな。ちゃんとトマトも食べるんだぞ?」
すかさずメイドに相応しい表情に整えたアイネがモーリスの座る椅子を引き、座る直前に押した。
「え?あぁうん」
ウォルフハルトは食べて見せたが、おいしくなさそうなのが表情から見て取れた。
「ウォルフ、人間苦手な食べ物くらいはある。だが心の内面を安易に相手に悟らせないようにするためにも、表情に出さず毅然と食べられるようになりなさい。それが出来るようになるまではこのトマト試験は続くからな?」
ウォルフハルトが苦笑いする。
「はぁ~~~もう、未だに教師みたいなことばっか言うよなぁ父さんは」
だがその苦笑いには、嬉しさも混じっているように見えた。
「性分かな。だが未練があるわけじゃない。お前が無事にこうして生まれてこれたのは、根源教会の方達が助けてくれたおかげだ。私も誰かを助け、私と母さんが受けた恩を返したい。後悔はしてないさ」
モーリスは穏やかに笑うと、ウォルフハルトもまた同様に笑みを浮かべた。
「そっか」
「モーリス様、そろそろ」
「ああ、そうだな」
モーリスがアイネに椅子を引かれながら立ち上がると、ウォルフハルトが口を開く。
「あれ、ご飯は?」
「ああ、私はもう随分前に食べたよ。何しろ今日お会いする方は、皇帝陛下の側近中の側近だ。色々と考えることが多くてな。ちょっとお前の様子でも見ながら休憩するために来ただけだ」
「そうだったんだ。あっ!じゃあ迎えの馬車が来るんでしょ?俺も途中まで乗っけてってよ!」
「ふぅむ・・・まあ、たまにはいいだろう。忘れ物はないか?」
「ん、ちょっと先行ってて。すぐ行く」
そう言うとウォルフハルトは皿の上に残っていたパンを食べだす。
「ちゃんと噛んでな」
モーリスはその様子に笑いつつ、部屋を後にする。
そのあとをアイネが付いて行こうとするが、手で制止される。
「ウォルフを見ててくれ、外で待ってるよ」
「かしこまりました」
アイネは恭しくお辞儀をすると、部屋の中へ戻る。
その頃になるとパンは食べ終わり、ウォルフハルトは残っていた牛乳を飲み干していた。
そして壁に掛けてあった鞄を掴み、立ち上がって部屋の外へ向かって歩く。
「おまたせ」
そう言って歩き出すウォルフハルトだが、部屋を出る前にアイネに手を引っ張られ止まる。
「?どうした?」
ウォルフハルトがきょとんとした表情で振り返る。
するとアイネは突然顔を近づけ、ウォルフハルトの頬を舐めた。
「!?」
アイネは口を離すと妖しい笑みを浮かべる。
「パンが少し。モーリス様がお待ちですから、急ぎましょう」
「え?あ、あぁ、そうだな」
アイネは自身の腕をウォルフハルトの腕に絡ませ歩き出す。
その様子はさながら恋人同士のようである。
「(アイネ、君は・・・・・・)」
屋敷の外へ出ると、モーリスは敷地内に広がる花々を眺めていた。
二人に気付くと笑みを浮かべながら手招きする。
二人は歩き出すが、ウォルフハルトがふと立ち止まり横にいるアイネのほうを向く。
「あ、そういえば鏡見るの忘れた。大丈夫かな?」
そう聞かれたアイネは絡ませていた腕を離すと、軽くウォルフハルトの髪を整える。
「大丈夫です」
「ありがとう」
ウォルフハルトは笑顔でそう言うと、またアイネは腕を絡ませて歩き出す。
「(・・・もうここまで大きくなったか。私に付いて離れなかったことが、つい最近のように思えるのに。あの頃は忙しくて中々遊んでやることも出来なかった。母を知らず不安定な時期もあったが、よく曲がらずに育ってくれた。アイネと共に過ごすようになってからは特にそう感じる。そう遠くない未来、アイネか、はたまたあの方かは分からないが・・・。その時までに私がこの国をより平和にしてみせる)」
歩いて来る二人の様子を見ながらモーリスは決意を新たにしていると、後方から馬車の走る音が聞こえてくる。
馬車はモーリスの前で止まり、御者が下りてくる。
「お迎えに上がりました」
御者はそう言いお辞儀をした。
「ああ、よろしく頼むよ」
モーリスが御者へ挨拶し、後ろを振り返るとアイネとウォルフハルトも追いついてきていた。
「モーリス様、お待たせいたしました。お気をつけて」
「お待たせ!」
ウォルフハルトはそう言いながら馬車の中へ勢いよく乗り込んだ。
「やれやれ(元気なのはいいが、まだ子供かな)」
その光景に苦笑いを浮かべながらモーリスはアイネの方へ向き直る。
「それじゃあ行ってくるよ」
「はい。いってらっしゃいませ」
アイネは笑顔を浮かべて見送り、二人は馬車でその場を後にした。
ウォルフハルトはオルトウィーン軍大学へ到着した。
一限目の講義を受けている最中、教室の扉が開かれる。
そこには長い金髪に透き通った濃い牡丹色の瞳をした少女が立っていた。
「ミュレーネ様?いかがなされましたか?」
「ウォルフ、来て。先生こちらへ」
「え?」
教室中の視線を集めたままミュレーネは教壇に立っていた教師を自身の元へ呼び寄せると何かを耳打ちした。
ウォルフハルトは戸惑いつつもミュレーネの元へ向かう。
「すぐに行きなさい」
そう言われぽかんとした表情を浮かべるウォルフハルトの腕をミュレーネは引っ張り教室の外へ連れていく。
それからミュレーネは何も言わず廊下を歩ていく。
「お、おいミュレーネどうしたんだよ?まだ講義中だぞ?」
「ここでは話せない。馬車を呼んであるからとにかく来て」
「いや、来てって」
ミュレーネは尚も強引に腕を絡ませながら引っ張って行き二人で馬車に乗る。
「すぐに行って!」
ミュレーネの声に従い御者が馬車を走らせる。
「説明しろ、訳が分からない。一体どうした?」
若干苛立ちを交えながら問を掛ける。
「あなたが今朝ここへ到着してからそう時間が経たない頃、フォッセン卿の馬車が教会へ向かう途中橋から落ちたの」
「・・・落ちた?」
「中からは御者と男の子が発見されてる。男の子は教会に普段から通ってる子だと分かった。落ちた原因は恐らくその子が持っていた笛。周囲にいた人間が馬車が転落する前に笛の音を聞いてるの。それが鳴った瞬間馬が暴れて橋から落ちていったらしいわ」
ウォルフハルトは茫然とした表情で固まる。
「父さんは助かったのか?」
ミュレーネは目を瞑り顔を伏せる。
「憑かれたそうよ。黒い靄がその場で目撃されてる」
ウォルフハルトの口がわななく。
「じゃ、じゃあ父さんは今どこにいるんだ?」
「この世に漂う混沌は絶望した者、強い心残りを残したまま死んだ者を主に好む。フォッセン卿の場合間違いなく後者、あなたでしょう」
「何で・・・・・・よりによって父さんが?滅多に起こりえない事だろ?」
「妻の命と引き換えに生んだ息子、その息子の為に国の在り方すら変えようとした方よ。非凡さという点では十分すぎる理由を持ってる。混沌が興味を持つ理由は十分よ」
馬車が止まる。
「降りて」
ミュレーネが腕を引っ張るもウォルフハルトは立ち上がろうとしないが、ミュレーネはまた強引にウォルフハルトを抱き抱えて馬車の外に出る。
ウォルフハルトが顔を上げると、そこにはつい今朝方までいた自らの屋敷があった。
ウォルフハルトが姿を現して間もなく前方に黒い靄が集まりだし、モーリスの姿が出現する。
その姿はモーリスと何ら変わりがないように見えるが、全身からは黒い靄が漂っていた。
「この庭園はあなたの父君と母君が作ったもの。あなたにも思い入れが深い。ここに来れば必ず現れると思ってた」
モーリスは空虚な表情でただウォルフハルトを見つめる。
「止めなさい!」
ミュレーネの掛け声と同時に物影に隠れていた十名近い兵士たちが槍を構えモーリスへ突進していく。
「止めろ、やめてくれ!!!!!!」
ウォルフハルトは絶叫するが兵士たちは止まらずそのままモーリスを八方から串刺しにする。
モーリスは複数の槍に串刺しにされたままウォルフハルトへ向かって歩き出そうとするが、槍が引っかかり前へ進めない。
ウォルフハルトは自らモーリスに近づいてゆく。
「馬鹿っ!!!死にたいの!?」
「父さんだよ。どう見たって父さんだろ」
ウォルフハルトとモーリスが接触しようとしたとき、不意にウォルフハルトは何者かに飛び掛かられ後ろへよろめく。
見てみるとそれはアイネだった。
「しっかりしてくださいウォルフ様!もうモーリス様は・・・」
アイネの目の端からは涙が流れていた。
「いや、そんなわけない。父さんは生きてたんだよ。大体なんで父さんが殺されなきゃいけないんだ」
モーリスがウォルフハルトの前に立ち膝を折る。
「ウォルフ!!!!!!」
ミュレーネが引き寄せようとするもそれより早くモーリスがウォルフハルトの首を両手で掴んでいた。
傍にいた兵士の一人が槍を手から離して腰から剣を抜きモーリスの両腕を横から斬り抜くが、斬り抜かれた部分はすぐに黒い靄によって修復されたように元通りになり兵士は唖然としながら立ち尽くす。
「やっぱり無理だ俺達じゃ・・・」
アイネがモーリスの腕を引き離そうとするがびくともしない。
「止めて下さいモーリス様!!!」
モーリスは変わらず空虚な表情でただウォルフハルトの首を締め上げ続ける。
ウォルフハルトの顔色が変わり全身の力が抜けて意識が遠のきだすと、地面に何かが落ちる。
アイネが見下ろすとそこには赤い水滴があり、見上げるとモーリスの両目から血の涙が流れ出していた。
その時締め上げる力が緩んだのか、ウォルフハルトは息を大きく吸う。
それを見たアイネはウォルフハルトを後ろへ突き飛ばすように押し出すとモーリスの両手から解放出来た。
ミュレーネはウォルフハルトを後ろから抱き締め水の魔法による治癒をかける。
「(早く来て!!!ウォルフが死んじゃう!!!!!!!!!)」
「アムドゥキアス」
付近から声がするとヴァイオリンの音色が響き始め、モーリスの体が前に倒れる。
アイネが付近を見渡すと赤いローブを着た老人の姿と、その横で半透明の少女がヴァイオリンを奏でていた。
徐々にモーリスの全身から漂っていた黒い靄が霧散していき消え失せ、最後に白い光が体から抜け上へ舞い上がっていく。
「ウォルフ様!?」
「大丈夫ウォルフ!?」
アイネとミュレーネがウォルフハルトの顔を覗き込むと、顔を震わせながら涙を流していた。
その様子を見て二人は肩を撫で下ろし、ミュレーネは後ろを振り返る。
「助かりました、ダグザ」
「遅れて申し訳ありませんミュレーネ様。報せを聞きすぐに飛んで参ったのですが・・・無事で何よりです」
「来てくれたのがあなたで良かった。ゲイルノートが混沌を祓っていたら、彼の心痛はより大きかったでしょうから」
「取り込んだ魂の想いを弄ぶこの様、今まで何度となく同じような光景を目にしてきましたが、本当に見るに堪えない」
ウォルフハルトは槍に串刺しにされたまま不安定な恰好でいたモーリスの肩を抱き寄せる。
「父さん・・・・・・・・・」
「(一体どいつの差し金やら・・・)」
ダグザはアムドゥキアスの召喚を解くとその場から去っていく。
日が暮れ完全に落ちかけた頃、ミュレーネを送り出したアイネはウォルフハルトの自室へと足を運ぶ。
ノックをするが返事はなく、中へ入るとウォルフハルトはベッドに仰向けになっていた。
普段なら着替えずにベッドへ入ったことに物申すところだが、今は口を噤むことにした。
アイネもまたベッドに腰掛け、横にいるウォルフハルトを見下ろす。
「五、六年ぶりでしょうか、随分見ない間に大きくなられましたね」
「久しく来てなかったからな。俺はいつも会ってたけど。・・・・・・そうか」
ぽつりとウォルフハルトが呟く。
「?」
「アイネ、もう他に居場所を探した方がいい。もちろん見つかるまではここにいてくれて構わない」
「・・・どうして、そのようなことを?」
「単純な話だよ。君を雇い続けたくても、もうその対価を支払ってあげられない」
「・・・お金ですか?」
「あぁ」
「私はそのようなもののために今までいたわけではありません。ここへ着て間もない頃、モーリス様に生活させていただくだけで十分だと言い断ったこともあります。結局モーリス様に色々と言われ、断り切れずいただくことになりましたが」
「そう・・・だったんだ」
アイネはウォルフハルトの上に覆いかぶさり、その顔を両手で自身へ向ける。
「ウォルフ様、今朝も申しました。この命はあなたに救っていただいたもの。あなたは逆らってはならない人に対しても自分の正義を貫いた。あの後ミュレーネ様が仲介に入って下さらなければ、あなたは今も牢の中にいたかもしれない。あの時、私はあなたの為に生きたいと強く思いました。だからメイドとして働かせてほしいとモーリス様にお願いしたのです。お金のためなどでは決してありません」
ウォルフハルトはアイネの眼差しからその想いの強さを感じ取る。
「でも俺は、アイネには自由に生きてほしい。あの時はただムカついたからあの下種を殴っただけだ。結果的にアイネが救われたのは事実かもしれないけど。俺は恩を必要以上に感じて自分を束縛してほしくない。今でも初めて会った時の印象をまだ覚えてるよ。騙されて強引に連れていかれそうになっていた時も泣き叫ばず気丈に抵抗していた君の姿を。メイドはできるってだけで性に合ってないはずだ。それに君は俺より六つ上、あの頃とは違ってもう大人だ。その美しさがあればどこでだってやっていけるはず」
「・・・・・・言葉では伝わりませんね。こんな時にすることではないかもしれませんが、お許し下さい」
アイネはその唇をウォルフハルトと重ねた。
ウォルフハルトは呻き声を漏らすが、アイネは両手でその顔を掴んだまま離さない。
ウォルフハルトの顔が赤く染まり出したころ、アイネはやっと顔を離した。
「分かっていただけましたか?私がどれだけあなたのことを想っているのか」
呼吸が乱れていたウォルフハルトだが、やがて落ち着きを取り戻す。
「突然このようなことをして申し訳ありません。でもこうすることが一番手っ取り早く伝えられると思いまして」
「・・・・・・アイネ、その気持ちは嬉しい」
「迷って、ますね。ミュレーネ様ですか?」
ウォルフハルトは困りただ笑みを零す。
「・・・これだけは覚えておいてください。ウォルフ様がどんな選択をしたとしても、私はただあなたの傍に居られれば幸せです」
アイネは暖かい笑顔でそう言った。
「アイネ、ありがとう。嬉しいよ。ただ、今日はもう眠りたい・・・・・・」
「えぇ、お休みになって下さい」
アイネはそう言うと部屋を後にする。
「(色々なことが起き過ぎた・・・・・・・・・)」
ウォルフハルトの瞼は閉じ眠りにつく。
暗い部屋の中で、机の上の蝋燭だけがか細く燃えている。
机の上には他に布の上に置かれた真珠があり光を発していた。
双真珠と呼ばれる連絡用に使われる通信手段である。
その名の通り本来二対の真珠であるが、分けるとどれだけ離れていても片方に及ぼした影響を即座にもう片方にも及ぼす。
手から魔力を流すことで声のやり取りが可能となっている。
「本当にやられたのですね」
真珠からそんな声が響いた。
机の前に座る男性がその真珠に手を添えるが姿はよく見えない。
目の前の蝋燭の光すら飲み込むようにその者の周りは真っ暗闇である。
「えぇ、そういうご依頼でしたので」
「・・・未だに驚いています。陛下や皆も、殺したのがあなただとは想像もしておりますまい」
「私は国ではなく、我が主に忠誠を誓ったのです。それ以外の者に特別な感情などありません」
「なるほど。して、これからどうするべきでしょうか?彼は教会の者です。ただでさえ奴隷の件で睨まれていたのに、このようなことになればアルブネア全体が動くことになるかもしれない」
「当然分かっていたはずです。それでもあなたは目の前の富を守る為に行動を起こした。アルブネアと敵対することになるかどうかはあなた達次第ですよ」
「つまりご助力は願えないと?」
「当然でしょう。連絡手段を用意してもらったことには感謝しています。が、それに対する見返りとしては十分すぎる働きを私はした。お釣りが欲しいくらいです」
「・・・・・・」
「他にご用件がないようなら、これで失礼させていただきますが?」
「・・・では、あなたと話をする機会はこれで最後かもしれませんので聞かせて下さい。何故レムロスとコンタクトを取ろうとお思いに?追われているあなたがそんな危険を冒してまでする行為ではない、普通に考えれば」
暗い部屋に押し殺した笑い声が響く。
「後から気付いて自分でも驚きましたが、あれから私は一年ほど辺境の地で気を失っていたんです。とある友人のおかげで目を覚ませたのですが、体に異変を覚えました。詳しいことは話しませんが、簡単に言えば疲れない体になったんです。それから細心の注意を払いながら眠っていた間の情報を集めれば、もはや事は全て移り変わり終わっていた。それからというもの色々な遊びをしてきましたが、それも飽きてきた。その友人なんですが、ある約束を交わしてましてね。それに絡んで内密な交渉をする必要があったんです。そんなところでしょうか」
「・・・なるほど」
「邪魔にならない限りは、好きに嗅ぎまわらせて構いませんよ」
「いやはや、では注視させてもらうとしましょう」
「えぇ、それでは」
その声を最後に手を離すと、真珠から光が失われた。
「そんな暇はないでしょうにね。あのジジイの能力を知ってるのは数人のみ、知る由もないか」
男性が席を立ってその場から立ち去ると蝋燭の灯が部屋の隅々を照らしていき、天井から釣り下がる首輪をつけられた全裸の女性達が家畜の様に並ぶ姿が浮かび上がっていく。
中には相当高価であろう装飾品を身に着けたままの者も見受けられたが、皆一様に焦点の合わない眼差しで僅かな声も上げずだらしなく口を開けたまま立たされていた。
その次の日、講義を終えたウォルフハルトは衛兵に案内され王城の中を歩いていた。
絢爛な調度品や装飾が施された通路の数ある一室の前で衛兵は止まると、挨拶をして立ち去ってゆく。
ウォルフハルトがその一室の扉をノックすると、中からダグザが顔を出した。
「来たか、入りなさい」
「失礼します」
「ひとまず座ろう」
二人は椅子に腰を掛ける。
「すっかり大人びたな。昨日ミュレーネ様と一緒にいるところを見て察しがついた。相変わらずのようだな」
ダグザはテーブルの上にある水瓶からコップへ水を注ぎ、ウォルフハルトと自身の前へ並べる。
「えぇ、まあ・・・。本当にありがとうございました。あなたがいてくれたおかげで父も救われたと思います。もちろん俺も」
「・・・埋葬は?」
「母の隣に」
「そうか・・・」
「昨日だけじゃない。アイネの時も、本当に感謝してもしきれません」
ダグザは困ったように笑みを浮かべながら首を横に振る。
「混沌を祓うは神器を持つ者の責務。また若い頃に感情の歯止めが利かないことは往々としてあるもの。わしは大人として当然のことをしただけに過ぎん。そんなことより昨日あの場にいたメイドの子があの時の?」
「はい、アイネです。今も屋敷でメイドとして支えてくれて、一緒に生活しています」
「そうか、あの子もすっかり大人になった。この歳になると時の流れが早い早い」
ダグザは口元を緩ませる。
「そういえばシェイクス様がミュレーネ様を気にかけられていたが、安心するよう伝えておこう」
「仲良くさせてもらってるとだけお伝えください。相変わらず付き人みたいな扱いですから。一応先王シェイクス様の娘ですし、あまり変な伝え方は・・・」
「ただの付き人にミュレーネ様があれほど尽くすまいて、お主がそれはよく分かっておろう?・・・まぁ、わしから余計なことは言わんから安心しなさい」
「ありがとうございます」
少しの静寂が流れる。
「父君のこと、本当に残念だった」
「ダグザ様と会われる予定だったと、アイネから聞きました。父はたぶん、ダグザ様に議会でのことを相談したかったんだと思います。かつてこの国で三傑と呼ばれた一人であり、今尚十四根源の一角である知恵の神器・ソロモンの指輪を所有し続けるあなたのお言葉を」
「わしは人より幾ばくか腕っぷしが強いだけの一介の人間に過ぎん。大層なのはこの指輪よ」
「歴代の継承者の中でもあなたほどこの指輪の真価を引き出した人間はいないと聞いています。それにその魔力、いえ精神力と言った方が適切でしょうか。俺自身あまり腕の立つ方と会ったことはないのですが、それでも常人と比べ比類できないというのは今感じ取っています」
ダグザは右手を宙へ掲げ制止を促す。
「出来る限りの助言は行おう。しかしわしの言ったことをそのまま鵜呑みにしてはいかんぞ?信頼されるのはありがたいが、自分で何も考えないというのは思考の放棄だ。わしは全知全能の神ではない、間違える時もある。あくまで参考として聞くようにし、最後は様々な角度から自分で考えて決めるのだ」
「・・・心得ました」
ウォルフハルトがコップに入った水を飲んだ後、ぽつりと話し出す。
「ダグザ様、父はどうすればよかったのでしょうか?間違ってたんでしょうか?父は誠実な人だった。人のために尽くし、悪事を働くようなこともしなかった。なのに殺された。国を憂いた末の結末が、神を信じ人々に尽くした人間の結末がこれじゃあ悲しすぎます」
ダグザは顔を若干下げ、目を閉じしばし考えこむ。
それからほどなくして目を開ける。
「神はいないと思うか?」
ウォルフハルトは首を横に何度か振る。
「今となってはもう、正直信じる気にはなりません」
「それは神が奇跡のような御業で守ってくれなかったから?」
ウォルフハルトが椅子の背へ上半身を預ける。
「はい。父は人助けのために奔走してた。それなのに祈っても、人のために行動し続けても守ってくれないなんて、いないと思っても仕方なくありませんか?死後に恩恵があるとか教会の人達は言いますけど、あんなの聖典に書いてあることを話してるだけじゃないですか。自分たちが確認したわけでもないのに。現実としてこう生きてきて、神の存在を全く感じないんですよ」
ダグザは窓の外に広がる夜空の景色を見る。
暗く黒い、また青と紫の混じった夜空の中で無数の星々が輝いている。
ダグザの視線がウォルフハルトへ戻る。
「わしはな、神はいると思う」
「・・・なぜです?」
「まず、皆が考えているような白髪の老人だとか、頭の上に輪っかがあるとか、翼が生えてるとか、そういうものではない。神は現象の、自然の中に溶け込むように存在していると考えている。お主は神の存在を感じないと言ったが、わしは人間や動物の体を見て間接的に感じる」
「人間や動物の体?」
「ああ。一つ一つの臓器や細胞、それらがどれほど緻密に計算され連携しているのか知っているか?他にも理由を挙げるとすれば、この世界では全ての事においてそれぞれ法則が存在する。それら全てが偶然的に出来上がったものだとはとても思えん。それは深く広く知るほどそう思うだろう。そして仮にいたとして、神が何かしてくれるなどとは思わないほうがいい。必ずしも人間と同じような意思があるとは限らん」
「・・・稀有なことを聞けた気がします」
「モーリス殿は自分の行いを後悔していないと思う。神の存在がどうであれ多くを救った。その事実がある限り」
ウォルフハルトは僅かに笑みを浮かべた。
「神の真偽はどうであれ、人助けをしたい人間にとってはいい活動の場になっている。また何かを信じ心の支えとすることで精神が安定する者もいる。近年は戦争することもなくなったしな、昔は酷かったが・・・。まぁ、後になって他の人間が教会の存続に都合のいいことばかりを書き、聖典などと言う物を作ったのはいただけないが。例えば聖典には人を殺してはならぬと書いてある。しかし後に聖戦だと戦争を煽り、それを正当化していたりなど矛盾も散見される。書かれている内容全てを否定するわけではないが、結局はただの人間が作った物に過ぎぬ。自らの判断を放棄することの危険性、それは重々気を付けることだ・・・・・・。さて、この話はこれくらいでいいだろう。本題を話してくれ。わざわざわしの住む王城まで来たのにはそれなりの用があるのだろう?」
「・・・・・・はい」
「言ってみよ」
「ソロモンの指輪を、継承させてくれませんか?」
ダグザを目を丸くし見開く。
「なぜ?」
ウォルフハルトは椅子から立ち上がりその横で土下座をしようとしたが、途中で膝が折れなくなり中途半端な態勢で硬直する。
ウォルフハルトはダグザを見上げると、ダグザが右手の人差し指と中指をウォルフハルトの下半身へ向けていた。
「そんなことはしなくていい」
「いや、ですが」
「わしがいらぬと言っているのだ。しなくてもよかろう。わしは人様に土下座をされるような人間ではない。神器に偶然見初められ、魔法がいくらか優れただけの人殺しに過ぎん。だからそんなことはやめてくれ。さぁ座り給え」
ウォルフハルトは渋々椅子に座りなおす。
「ウォルフハルトよ、この指輪を継承してどうする?」
「父の仇を討ちます。また、なぜ陛下は奴隷の存在を許し、未だ解放しないのか真意を問います。それが納得いかないものだったら・・・同様です」
「なるほど、復讐か。それを否定はせんよ」
「てっきり止められるものだとばかり思ってましたが・・・」
「その復讐したいと思う心、間違ってるとは思わん。怒り、憎しみ、ともに人間の本質だ。正当性があるのであれば止めることもあるまい。ま、法は置いておいてな」
「・・・父を殺したのは、奴隷を使って莫大な利益を得ている議員たちのはずです。そちらは情報を掴み次第実行します。それと近々陛下と議員たちは宴を催す予定があります。そこで話をするつもりです」
ダグザが見定めるようにウォルフハルト見つめる。
「その目、本気のようだな。才知溢れるその身ながら、瞳だけは獰猛な肉食獣のようだ。侯爵の子息を半殺しにした時もそんな目をしていた。だがわしが断ったらどうするつもりだ?」
「止まる気などありません。命がある限りは諦めません」
「微塵も迷わないか、若いな。お前を見ていると胸の底から、遥か昔に忘れた感情が高ぶって来るのを感じる。しかしだ、大本の尻尾なぞよほどの間抜けじゃない限り分からんぞ?」
「情報屋をあたるつもりです」
「止める気はないが使っても無理だろう。モーリス殿はこの国の根源教会の支部代表であり議員でもあったのだ。そんな大物を的にするのにそこらの素人を雇うとは思えん。つまり細心の注意を払って実行したはずだ」
ダグザは髭を擦りながらウォルフハルトの様子を眺めるが、諦めているようには見えなかった。
「・・・奴隷のことは、どこまで知ってる?」
「一般に公開されてる情報のみです。父は使いたがらなかったので俺が情報屋を何人か当たってみましたが、聞いた途端逃げ出され何も情報は得られませんでした」
ダグザは部屋の天井を見上げ、大きくため息を吐く。
「だろうな。堅く口止めさせた」
「その口ぶりですと、やはりダグザ様はご存知なんですね?」
「ああ、わしは当時その中心にいた。また口止めさせた一人でもある」
「!教えてください!!!」
机に両手をついて勢いよく立ち上がるウォルフハルト。
「落ち着きなさい」
促されて再び椅子に座るウォルフハルト。
「悪いがウォルフハルト、わしの口からは言えんのだ。ただ・・・・・・ジェイドと話し合いの場を設けよう。そこで本人に直接聞いてみるといい。父君の一件もある。恐らく話してくれるだろう」
「陛下と?・・・分かりました」
「それとだな、指輪の件、継承させても構わない。お主ならいい」
ウォルフハルトが目を見開く。
「本当ですか?」
「わしもそろそろ歳だ。次に託す者を見定める気でいた。それにお主はどこか若い頃のわしに似ている気がする。早速ではあるが、今からお主を試す。やれるな?」
「もちろん、準備は出来ています!」
「結構だ、ついてきなさい」
王城を後にすると、さほど遠くない川辺まで二人は歩いた。
「ここでいいだろう。わしの攻撃を打ち消し、ここまで辿り着けたのなら継承を認める」
「わかりました」
ダグザが大きく距離を取る。
「ただし、四大属性全てを使うこと。それが必須条件だ。力なき正義は無意味。知なきは神器に能わず。どれだけお主が理想を叫んだとしても障害を退け、押し通す力がなければ何も実現できはせん。さて、準備はいいか?」
「いつでも」
「いいだろう、始めるぞ」
ウォルハルトは走り出すが、すぐに立ち止まってしまう。
体を地面へ叩きつけようとする重力と同時に辺りの小石が飛んでくる。
ウォルフハルトはすぐさま手を振り払い同じ土の魔法で小石の引き寄せと地面への重力を相殺して走り出す。
「残り三つ」
直後に風の魔法の刃が四つ襲い掛かり、ウォルフハルトは右手を右に大きく振り払う。
大きな突風により風の刃は横に反れて着弾する。
「残り二つ」
四つの氷の矢がウォルフハルトへ放たれる。
ウォルフハルトは白い炎の壁を目の前に展開するが、全ては溶かし切れずに四つとも矢を胴体に受ける。
自身の体を土の魔力で硬化していたが、それでも矢が食い込む。
鋭い痛みを味わい顔が歪むが、その足は止まらなかった。
「(ふむ、火が得意と見ていたがまだ白か)最後だ」
ダグザはそう言うと左手を上に掲げ炎の奔流を作り、その手をウォルフハルトへ向けて振り下ろすと炎が激流となって向かってゆく。
ウォルフハルトはまた右手を横に大きく払って風の魔法を放つが、炎の激流はほとんど逸れず向かってくる。
続いて左手を正面に出し大量の水を発生させ盾のように前方へ集めさせ徐々に凍らせてゆく。
炎の激流がそこに接触し蒸発していくが、その半分以上がウォルフハルトの全身に襲い掛かる。
ウォルフハルトは全力で土の魔力で皮膚を硬化するが、炎は体のあちこちを燃え焦がし全身に酷い火傷を負わせる。
それでもすぐに走り出し、ダグザの元へ膝まづくように地面に手を伸ばし辿り着く。
ダグザは左手をウォルフハルトの頭上へ掲げると、大量の水が宙に生成されウォルフハルトの全身へ降り注ぐ。
「未熟。だが十分な素質がある。四大属性全ての魔法を使って見せたのがその証拠。ウォルフハルト、今は未だ雛に過ぎぬと分かった上で、それでも上を目指しこの神器を継承したいか?」
「・・・はい。まだダグザ様とは比べるのもおこがましい実力なことは自覚しています。ですが俺は強くなります。大事な人を、この国を守り自分の信念を貫けるようもっともっと強くなりたいんです!!!」
「・・・いいだろう。ゆめゆめ今の言葉と気持ちを忘れずにな」
「はい」
ダグザは膝をつくウォルフハルトの頭に手を添えると、更に水の魔法で治癒を施し出血と火傷の傷痕を消してゆく。
少し待ち、息を整えたウォルフハルトがダグザを見上げる。
「ダグザ様、治癒までとは」
そう言いやっとウォルフハルトは立ち上がる。
「昔は、治癒に関してはろくに出来なかった」
「そうなんですか?確かにダグザ様に関して聞く話は大抵戦場での圧倒的な話ばかりですが。一人で数万の敵兵を焼き尽くしたとか、海を風で割って陸にしたとか」
ダグザが困ったように笑みを浮かべる。
「また大それた噂を・・・少々誇張されているな。海の一部を陸にしたのは数秒のことよ。だがそういった中でも一人で戦っていたわけではない。共に仲間として戦った者達もいたが、戦場ゆえ当然死んでゆく者もいた。わしの治癒に関する能力は、守れず、助けることも出来なかったことへの後悔から徐々についてきたものだ。助けたい、死なせたくない、そういったものが積み重なった結果だろう、おそらくな・・・。これは応急処置に過ぎん、後でちゃんと診てもらえ。ところで、なぜ四大属性を向けたか分かるか?」
「ソロモンの指輪を継承するための条件だからですか?」
「当たらずも遠からずと言ったところか。本来魔力、及び魔法は自分と適正のあるものを極める。長所を伸ばすと言った具合にな。お主のように四大属性全てを魔法の顕現に至るまで扱える者はそうそうおらん。あえて全てを使えるよう鍛えたところで器用貧乏だしな。そもそも使えるかどうかが精神との適正もある。四大属性全てを扱える者より、いずれかの属性を極めた者の方が勝る。ではなぜ、お主にぶつけそれを試したか?ソロモンの力を引き出すのに必要だからだ。四大属性全てに精通しているということは、人間の感情にそれだけ精通していることを意味する。魔法まで顕現できれば理解も大いにある。それは知恵だ。知恵の神器の継承者として相応しいと言える」
「なるほど」
「それでだ、明日からジェイドの不在中、城の護衛をしなくてはならん。それが終わったら稽古を始める。継承はさせてもいいと言ったが、それはお主の今後の出来にもよるからな」
「分かりました」
「わしも話し合いの場には立ち会おう。ジェイドとは明日の出立前に顔を合わす。その時に帰り次第すぐ場を設けられるよう話してみるつもりだ」
「お願いします」
「さぁ、夜も深くなってきた。そろそろ帰るぞ」
二人は帰路に就く。
先の議会から二日後。
カムロス帝国皇帝ジェイドは毎年一度開催される世界会議に出席するため、首都オルトウィーンの王城から出立しようと準備していた。
トントントン、部屋のドアがノックされる。
「入ってくれ」
赤いローブを身に纏った老齢の男性と、甲冑を身に纏った髭を生やしている筋肉質な男性が入室する。
「二人ともよく来てくれた。手間をかけるが、今年もよろしく頼む」
ジェイドは椅子から立ち上がって出迎えると、笑顔で歓迎する。
「わしが来るのは当然よ」
「それは俺も同じとして、育ち盛りの子供たちも見にな」
「ゲイル、お前もそろそろ結婚したらどうだ?」
「俺は戦場で生きる身だ。いつ死ぬか分からないとなるとする気にはならん。そもそも周りが男ばっかで機会すらないからな」
「そういえばそうだったか・・・新たに何らかの補助部隊でも新設するか」
「本気か?」
「もちろん冗談だ」
「よかった、逆に心労が増えかねないからな」
「まぁこいつは自分からいくタチじゃないだろう」
「・・・なるほど、さすがダグザ殿」
「おいおい、余計なことは考えないでくれよ?」
その時奥の部屋から人影が近づいて来るのが見える。
「アルデフィア!とシャルフィー、ティリアか。他の二人は?」
奥の部屋から長い金色の髪に翡翠の瞳をした女性と幼い女の子が二人歩いてきた。
「久しぶりゲイルノート。二人はまだ寝てるの。ダグザ様も御足労いただきありがとうございます」
そう柔らかい微笑を浮かべながら軽くお辞儀をするアルデフィア。
一同が和やかな笑みを浮かべているとシャルフィーがダグザの目の前に歩いて来た。
「ダグザさまぁ~。今年は魔法教えてくれますか?」
ダグザが膝をつきしゃがむ。
「魔法はな、誰でも使えるわけではない。まずは心の力、即ち魔力とそれに耐えうる体が必要だ。その上で魔法として体外にその力を行使するか、もしくは体内に魔力を循環させ体を強化するかはその者の適正によると言っていい。だがしかしそろそろ体内の魔力運用くらいは身に付けても問題なかろう。あとで庭に行って見てみよう」
「やったぁー!」
シャルフィーは満面の笑みになり、ダグザもまた笑みを浮かべる。
「ダグザ様私も~~~!」
ティリアもすかさずダグザの元に駆け寄ってくる。
「よしよし、ティリアもあとで試そう」
ダグザが二人の頭をそれぞれ撫でる。
「ダグザ、シャルフィーはともかく、ティリアはまだ早いんじゃないか?」
「そうか?傍で見守ってれば大丈夫だと思うが」
ティリアがそれまでの笑顔とは一転、表情を険しくしてゲイルノートの前に駆け寄る。
「うるさい童貞っ!」
ティリアはゲイルノートの股に下からアッパーを打ち上げた。
「はぁうっ!!!」
ゲイルノートは股を抑えながらその場に蹲る。
「あんたはさっさといい女見つけなさいよっ!べーっ!」
ゲイルノートは心身ともにダメージを受けた。
「ダメでしょティリア!ゲイルノートは私たちを守るためにわざわざ来てくれたのよ?ごめんなさいしなさい。大体どこでそんな言葉覚えたのよ?」
歩いてきたアルデフィアに叱られるティリア。
「え~でもゲイルノートよわぁいよ?ママとダグザ様がいれば大丈夫!」
「ほう・・・アルデフィア殿、先に至ったのですか?」
「いいえ?魔法なんてもうここ何年と使っていません。どうしてそう思ったの?」
困惑するアルデフィアだが、腰を下ろしてティリアに問いかける。
「だってゲイルノートってパパと同じくらいの強さなんでしょ?でもパパはいつもママに負けまくってるから、ママの方がいっぱい強いじゃん!」
「はっはっは!これはこれは」
ダグザが盛大に笑うと、ジェイドは誤魔化すように咳払いをした。
「・・・あの足音は、あなただったのね」
アルデフィアは目を閉じ顔を赤くする。
「ゴホンッ、そろそろ行くとするかな。二人とも、あとは頼んだぞ」
ジェイドはやや早口でそう言った。
「あぁ・・・・・・任せてくれ」
ゲイルノートは未だに体は蹲ったままであったが、窓の外を呆然と眺めつつも力なく返事をした。
見かねたジェイドが近寄ろうとしたが、シャルフィーが足早に駆けてゆく。
「隙ありぃっ!」
そうして背後に回り込んだシャルフィーは、巧妙な角度で甲冑の隙間からゲイルノートの股を蹴り上げた。
「アア"ッ!?」
シャルフィーとティリアは手を叩き合う。
ジェイドは片手で顔を覆い顔を伏せる。
「おい・・・大丈夫かゲイル?」
ジェイドは片目だけ開け尋ねた。
「ジェイド!ここに筋肉をつける方法を教えてくれ!!!」
ゲイルノートは歯を食いしばりながら今にも泣きだしそうな顔でいた。
アルデフィアがティリアとシャルフィーの下に歩いてゆく。
「こらっ!一度も使わないまま潰れちゃったらどうするのっ!?謝りなさい!」
アルデフィアに叱られたシャルフィーとティリアは顔を見合わせる。
「・・・ごめんなさぃ」
二人は同時に謝った。
「(教えたのお前だよ絶対・・・・・・)」
ゲイルノートは心身ともに激痛に耐えながらも顔だけは上げていたが、アルデフィアの言葉により大の字になって仰向けに倒れた。
アルデフィアがジェイドの前へ歩み寄る。
「いってらっしゃい、気を付けてね」
「そっちもな」
アルデフィアとジェイドはキスをし、離れる。
そこへシャルフィーとティリアも歩いて来る。
「パパ、行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃい!」
「あぁ、行ってくる。二人ともママの言うことをちゃんと守るようにな」
「うん!!!」
二人が同時に返事をした。
ジェイドは膝をつき、シャルフィーとティリアの頬にもキスをする。
「そこまで見送ろう。すぐ戻る」
それからジェイドとダグザは部屋を退出し、馬車の待つ場所へ向かいだした。
「ジェイド、少し話したいことがある」
「?どうしました?」
「先日、フォッセン卿が殺害されたのは知っているな?」
「それはもちろん。差し向けた者は調べさせていますが、今のところ何も掴めていません。彼は・・・誠実な男でした」
「それはわしが直接探そう。やった人物など、見当はついている」
「確かにそうですが・・・」
「それと、フォッセン卿の息子と話をしてやって欲しい」
「フォッセン卿の?名前は覚えてませんが、一人息子がいたことは知っています」
「ああ。今回の件、奴隷解放をフォッセン卿が提起し続けていたことが発端のはず。しかし奴隷は解放されず、その上それが原因で父親が殺された。奴隷という存在がいなかったらあのようなことは起こらなかっただろう。我等も無関係ではない」
ジェイドの視線が自然と下がってゆく。
「名前はウォルフハルトという。少し縁があってな」
「ダグザ殿と?」
「ああ。若いが正義感が強く信頼に足る男だ。むやみやたらに口外することはないとわしは信じている」
ジェイドは足を止め顔を伏せるが、しばらくして顔を上げる。
「ダグザ殿がそこまでおっしゃるなら、場を設けましょう」
「すまんな。このままではいたたまれん」
「いえ、確かに誰にもこれ以上知らせたくない事でしたが、事情が事情、説明すべきという点は俺も同意です」
「うむ・・・とりあえず、世界会議を終わらせて帰ってきてからだな。あちらもあちらでエラトスの件でイーノ以外にも動くかもしれん」
「確かに」
「こちらは任せてくれ。全身全霊を賭す覚悟は今も出来ている」
ダグザがジェイドの肩を叩く。
「お願いします」
ジェイドはダグザへ頭を下げる。
そしてジェイドはダグザに見送られ、世界会議へと向かった。
港湾都市アトラス、毎年世界会議はこの都市で行われる。
アトラスは白いレンガの建物と青い海が特徴の都市だ。
世界中のほぼすべての国家と交流があり、ここアトラスで調達できないものはないとまで言われ活気に満ちている。
その中でも世界会議が行われる場所は海上の上に建設された建物の中で食事と歓談がなされた後に進行される。
ただし酒類に関しては閉会するまで禁止となっている。
この建物は世界会議の時のみに使用され、料理人も毎年世界各国より選りすぐりの者たちが招集される。
「全く面倒なものだ。唯一の救いは美味い食事、か」
ジェイドはそう馬車の中で一人ぼやいていた。
やがて全ての代表が出揃い、多数のテーブルに並べられた料理を各々取りながら談笑を始める。
ジェイドもまた他国の代表と挨拶などを一通り済ませると一足先に会談が行われる別室へと移動する。
円卓のテーブルを中心とした広い部屋に、それぞれの国の代表が続々と座りだす。
「ん~♪相変わらず最高の料理だったわ♪」
「さっさと終わらせ、酒も味わいたいものだ」
豊穣なその国を現すかのような出で立ちのフェロニア王国女王ルーティアと、薄い白い布に様々な宝石や金属の装飾を纏う褐色の男性・アストライアー王国国王アイアスは部屋の扉の近くの席に座って言葉を零していた。
「(こちらとしてもさっさと終わらせたいところだ)」
ジェイドは部屋の出入り口から一番奥の席へ座っていた。
「さて・・・各国代表の諸君、今年もよく集まってくれた。これより世界会議を始めよう」
議長のジェイドが宣言する。
なぜ議長がジェイドなのかというと、世界会議の発端は過去のカムロス帝国皇帝が立案したものだからである。
当時アトラスという都市はまだ存在せず、周辺にはほとんど人が生活していなかった。
それは海の向こう、イーノ帝国より度々大規模な侵攻があったためだ。
その際にこのベレヌス大陸の各国に呼びかけ抵抗を主導したのが過去のカムロス帝国皇帝であった。
何度も同じように攻防が繰り返され、そのうち交渉の機会が出来た。
そこで交渉の場に選ばれたのが、現在の港湾都市アトラスがある場所である。
相次ぐ戦は中断され、当初は前述の二国が毎年互いに食事と貿易の話をしていただけであったが次第に他国もそこに参加しだしイーノ帝国がカムロス帝国以外とも交流し貿易するようになった。
そして、やがて世界各国の代表が集まり食事をし色々な話し合いをする場となっていた。
その過程で当時のある一団が築き上げたのが、ここアトラスである。
このような経緯がありしばらく国同士の戦争はなくなっていたが、悲しくも平和が崩れるのは世の常である。
「ジェイド殿、ヘラティナ殿、よろしいですか?」
着物と呼ばれる珍しい服装を身に纏い、白と黒が織り交ざった髪をした男性が声を上げた。
「・・・永刹殿、どうされましたか?」
その声音には驚きが多少混じっていた。
ジェイドがこの時警戒していたのはフォッセン卿殺害の件からアルブネア聖王国であったが、あろうはずもないと頭の片隅にずっと追いやられていたもう一つの最も憂慮すべき国、ギオン国の代表・永刹をハッキリと認識しだす。
「カムロス帝国が半年ほど前、エラトス連邦を征服したことについてです」
周囲の者の目が永刹とジェイドに集まる。
「(ここで、よりによってギオンが追及してくるとは・・・)」
ジェイドは自身の体温が冷めていくのを感じていた。
「それと競うようにイーノ帝国も、ギンナル商業連合の沿岸部に侵攻した。エラトス連邦の制圧後に貴国から通達があった、旧クローディアス王国同様麻薬の大量製造を辞めさせるためという理由については、異論はありません。しかし、まずは話し合いで解決することはできなかったのかという疑問を私は強く抱いています」
「まぁそれは国を率いる者として、この場の誰しもが尋ねたかったことでしょうな」
王というよりかは現役の騎士、歴戦の強者を思わせるような風貌をした赤い髪のルー王国国王・ライゼスが同調した。
「即刻攻め入った理由はポロゲオという男を逃がさず始末するためでした。その際その男を匿っていたのがあろうことか、エラトス国王その人でした。そういう状態でしたので、周りの者とも関係があったようでした。そのため当初はポロゲオの処刑のみが目的でしたが、やむなく制圧したという次第です。ですが今では混乱も落ち着き、民達は以前よりも暮らしが楽になっていると報告を受けています。それも当然、エラトスの民達はずっと悪政により苦しめられていたこと、この場の誰もがご存知のことかと思います」
「なるほど。そのポロゲオという者、どういう人物だったのですか?」
「御存じないのも無理はない。その男は旧クローディアス王国の高利貸であると同時に麻薬の製造法を知っていました。我が国がかの国を制圧した際には捕まえることができず捜索も難航していましたが、遂に奴を処刑できました」
「その人物が原因であることは理解しました。しかし、やはりなぜ話し合いをしなかったのかという疑問は拭えません。あの国は腐敗していたとはいえ、貴国が侵攻したことにより相応の死者が出ています。仮に話し合いにより情報が洩れ、そのポロゲオという人物がまた逃げてしまうことになったとしても即時問答無用で戦争を仕掛けるように押し掛ける必要があったのでしょうか?その男の情報を掴んだ際、周りとの繋がりもおおよそは把握していたはず。つまりエラトス連邦という国全体と衝突することすら厭わぬほどの理由がそこにはあったのでは?」
「・・・結果的に被害が大きくなったのは事実ですが、理解してもらいたい」
しばし真意を確かめるよう見つめ合う二人。
周りは各々水を飲んだり、静観している。
「我が国としましても、なぜ一部の者が奴隷になっているのか、そろそろご説明いただきたいですな」
白い衣を纏ったアルブネア聖王国教皇・スレイムスが声を上げた。
大層老齢の男性である。
「それに関しては再三お伝えしましたように詳細はお話しできませんが訳あってのこと。先のエラトス制圧に際しては奴隷を増やさなかった。それがその証と言えましょう。それにこれは我が国の内政に関すること故、干渉はご遠慮願いたい。それとつい先日フォッセン卿が何者かに殺害されたことに関して哀悼の意を示します。いずれ企てた者には罰を下します」
「彼の働きについては私の耳にもよく入っていました。本当に今回のことは悲しい。彼が神の御国で安らげるよう、心から願っています。ですが全ての子に等しく愛を、それが我が国の理念でありますれば、他国のこととは言え傍観し続けているのは同じこの世界の兄妹として心苦しいのです」
スレイムスは目を細めジェイドを見つめるが、それ以上口を開くことはなかった。
その様子を見ていた永刹が再び口を開く。
「その件については貴国の事情であり、我が国の民が関係していることではないので私は追及しません。しかしジェイド殿、今後は話し合いをせず、いきなり戦争を仕掛けるような行為はしないとここで約束してもらえませんか?」
ジェイドは両手をテーブルの上で合わせ、目を閉じる。
ほどなくして、思い立ったように目を開ける。
「まだあと一人、全身が火傷だらけであろう男を探しています」
「・・・それで?」
「その者が見つかった場合、即時軍を派遣するつもりです」
永刹が俯いて片手で頭を抱える。
「それはつまり、その国に連絡も了解も取らず、ということですか?」
「どこから情報が洩れるか分からないためそうなります。それと虫のいい話だとは自覚してますが、その男の所在を知らせ、無事に捕縛もしくは殺すことに成功した場合、金貨一千億を即時お支払いします」
「いっ!一千億ですって!?」
「・・・金貨で一千億とは、国によっては国家予算数年分に匹敵するぞ」
「なんと莫大な」
「情報屋の話は本当だったのか・・・」
周囲から多数の驚愕の声が上がる中、一人だけ目を輝かせている者がいた。
元々細い目の上さらに鋭い目つきをした二十代後半と見られる首元に黒いファーがついた光沢のある紫色のローブを着た男性だ。
「ん~♪!所在を掴んで知らせるだけで金貨一千億とはいやはや、これは中々に旨い話だ。しかし全身に火傷とは、その者が追われている自覚があれば当然ローブなりで身を隠しているでしょう。他に何か特徴はないのですか?」
「ロサルト殿のご指摘通り、その可能性は大いにあります。ギンナルの情報網も活用してくれるのであれば、とても心強い。そうですね、強いて他に特徴を挙げるとすれば、黒い鎧」
「黒い鎧、ですか。それは普通の鎧なのですか?もしや全て絶魔鉱で構成された鎧なんてことは?」
ざわついていた周囲が静まり返り、皆が周囲の者を窺う。
「(さすがギンナル。莫大な金が飛び交う最先端の国である故か。一体どこから情報を得たのやら・・・・・・)見た目はそれに非常に近しいものでしょう」
「絶魔鉱はかつて光の神と闇の神の力の衝突によって生じたとされる黒い鉱物。それは大変貴重な品でありいかなる魔法、そして物理的な衝撃を遮ると言われている。それは金属に近い性質を持ちながら何故か一切光を反射しない。この特徴に近いものだと?」
「・・・・・・えぇ」
再び周囲がざわつき始める。
'あんな貴重な物で鎧を作るなど・・・手の平に乗る量でさえ並大抵の額では手に入らないと言うのに。'
'そもそもそうそう出回る物ではない。既にほとんど出尽くした物なのだから'
'やはりそうなると、カムロスから消えたかの者が・・・?'
様子を見守っていた永刹が再び口を開く。
「ジェイド殿、貴国がそれだけ拘るのにはそれなりの理由があるのでしょう。しかしそんな話を聞かされては私達は安心して生活することが出来ません。一国を統治する者として看過することはできない」
永刹の瞳には強い意志が見えた。
「申し訳ないが、絶対に引けぬ理由があるのです」
しかしそれはジェイドも同様だった。
「・・・我がイーノ帝国の軍は、カムロス帝国がこれ以上戦線を拡大しないのであれば撤退しても構いませんよ」
長い銀髪に青い瞳をした女性、ヘラティナは淡々とそう宣言した。
「とのことですが、ジェイド殿?」
「申し訳ないが、私の意向は変わりません」
「・・・分かりました。それでは、決を取りましょう。カムロス帝国は今後話し合いの場を設けず、即時軍を派遣することは控えてもらいたい。これに賛成の方は挙手を」
永刹は説得を諦めた。
十ヵ国中九ヵ国が挙手をした。
しかし、
「満場一致ではないため、否決とします」
ジェイドがそう言い放ち、皆が神妙な面持ちとなる。
「過半数以上の賛成があれば、通例通り可決されるはずです。その決定には最大限配慮しなければならないはず。いくら議長国とはいえ、許される行為ではありません。自らの手で世界に不和を招くおつもりか?」
永刹が異を唱えた。
「世界会議は我がカムロス帝国が作り出したもの。異議があるのであれば参加されずともよろしい。元より拘束力などありません」
ジェイドは淡々と答えた。
永刹はジェイドの瞳を見つめるが、その意志が変わる気配は伺えなかった。
「・・・致し方ない。あなたの軍は拘束させてもらいます」
ジェイドは予期していたのか驚いた様子はないが、鼻で嘆息する。
「それはつまり、我が国と争うと?」
「私は民を守らなくてはならない。万が一我が国でそのような状況になり、貴国が犠牲を顧みず突然破壊行動を起こすことを厭わないのであれば、もはや力ずくで拘束する他ありません」
「私も貴国と戦争をするなど不本意ではありますが、攻められるとなれば守らねばなりません。本当に、致し方ない」
「えぇ、本当に」
ジェイドと永刹は鋭く見つめ合う。
「・・・他に議題がある方は?・・・・・・・・・いないようなので、今年の世界会議はこれにて閉会とします」
ジェイドは皆の視線を一身に受けながらその場を後にし、馬車に乗り帰路につく。
「(よりによって眠れる獅子を起こすことになろうとは・・・。だが絶対に奴を逃がすことなどできんっ!!!)」
ジェイドは拳を握り震わせながら考えを巡らせていた。
夜になり街灯が灯りだした頃、ジェイドは王城に到着しある一室の前にいた。
「ダグザ殿、ただいま戻りました」
「どうだった?その顔色を見るに、芳しくなさそうだが・・・」
ジェイドは大きくため息を吐く。
「ギオンと、一戦交えることになります」
「ほう・・・あの国が遂にな。一体どんな者達を向かわせてくるのか。死ぬまでに出向いて手合わせ願おうかと考えていた時期もあったが、それも難しくなっていた。それがこのような形で相まみえることになろうとはな」
ジェイドが疲れた顔で笑みを浮かべる。
「この国にあなたがいてくれて、本当に良かった。しかし」
ジェイドが考えこむ。
「分かっている。漁夫の利を得ようと奴が動く可能性もある。後ほどそれはゲイルノートも交え話そう。とりあえず今はこっちだ」
ダグザが扉に視線を向ける。
「既に中に?」
ダグザが頷く。
「ああ、待っている」
「分かりました。入りましょう」
ジェイドは意を決したようにドアノブに手を掛け、二人は室内へ入る。
窓の外を眺めていたウォルフハルトが気付き、お辞儀をする。
「初めて御目通りいたします、ジェイド皇帝陛下。ウォルフハルト・フォッセンと申します」
「よく来てくれた。父君のことはお悔やみ申し上げる。とりあえず、座って話そう。二人とも掛けてくれ」
「はい」
ダグザも頷き、その場の全員が椅子に座る。
しばらく経った頃。
「・・・当時私も、あの場所へよく足を運んでいました。もしも母が生きていたらこんな風に、そんなことを思いながら貴重な時間を過ごしていました。・・・言えるはずがない。得心が行きました」
ウォルフハルトは目を閉じながら耐え忍ぶように顔に苦しさを滲ませながら答えた。
「理解してもらえて助かる。奴隷の存在が悪影響を及ぼしていることは承知している。奴隷に関しては、あと五年の後に国外退去と同時に解放しよう。それで納得してもらえるかな?」
「はい。父もそれで納得してくれるはずです。正直、私があなたの立場だったら死ぬまで拷問し続けていたでしょう」
傍に座っていたダグザが左手をウォルフハルトの右手に添える。
「この件を知っているのは他に数名の兵とゲイルノートだけだ。言うまでもなく決して口外してはならん」
「もちろん心得ております」
ダグザとウォルフハルトの視線がしばし交錯した後、ダグザは左手をウォルフハルトから離す。
「あと、わしはソロモンの指輪をこの者に継承させるが、死ぬまでは軍にいよう」
ジェイドの表情に驚きが見て取れる。
「!それは心強いですが、よろしいのですか?」
「うむ、元々あいつを仕留めきれなかった以上軍から離れるつもりはなかった。それとウォルフハルトよ、父君を殺害した犯人についてはすぐにわしが捕まえよう」
「一体どうやって?」
「大っぴらにしてこなかったので知らないだろうが、わしは触れればその者が嘘をついているかどうか見定めることができる。今回は事が大きい、早急かつ確実に処理する必要がある。子供を唆した実行犯は既に国外に逃げているだろうが、大元はこの国に残っておろう。自分の関与が暴かれることはないだろうと高を括ってな。目星はついておる、そう時間はかかるまい」
父親の仇を捜し出せると言われ不安が払拭されただろうにも関わらず、ウォルフハルトは考えこむ。
その様子にジェイドとダグザは顔を見合わせるが、二人は様子を見守る。
そして考えがまとまったのか、ウォルフハルトは顔を二人に向ける。
「ありがとうございます。それと、私も軍に所属させてもらえませんか?」
「え!?」
ジェイドが驚きの声を上げ、ダグザも同様に表情に現れていた。
「・・・本当にいいのか?父君の一件は、私にも責任の一端がないとは言えないが」
「それは先程も申しました通り、十分に得心が行きました。私もあなたたちを、この国を守りたい。以前より私はずっとそのつもりでいました」
「そうか・・・分かった。力になってくれるのなら願ってもない。君を歓迎する」
「話もひと段落したことだし、あとは明日ゲイルノートも交えもう一度話をしよう。そろそろ食事の時間だ。まだお前を待ってるかもしれん。ウォルフハルトもそれでいいな?」
「はい」
ジェイドは困ったように笑みを浮かべる。
「ではお言葉に甘えて。これからよろしく頼むよ」
ジェイドがウォルフハルトに手を差し出す。
「こちらこそ。この身の全力を以ってお守り致します」
ウォルフハルトはその手を両手で取り、握手をした。
翌日、日が沈んで間もない頃、ウォルフハルトとダグザは広大な屋敷の中をメイドに案内され歩いていた。
屋敷の中は値が張りそうな絵画や彫像など様々なものが立ち並んで飾られている。
「こちらです、主は中にいらっしゃるかと」
大きな扉の前に二人は案内された。
「ありがとう、君は離れていなさい。それと、誰かが来ても中に入れないように。仮に入った場合は死ぬと思いなさい」
「はい」
メイドはお辞儀をすると、怯えた表情で扉から静かに離れた。
メイドが遠ざかったことを確認したダグザはウォルフハルトへ向き直る。
「ここが最後だ。いいか?」
「はい」
「(様は冷静だが・・・まぁいくしかあるまい)」
そしてダグザが扉を開く。
「誰だ?」
こちらに椅子の背が向いていて分からないが声がした。
「リムロイ殿、直接お話するのはこれが初めてかな」
「ん?」
椅子から顔だけ後ろへ覗かせ、入口の方をリムロイが見る。
「・・・ダグザ殿?」
「左様、お話があって参りました」
「おい、他の部屋で待ってろ」
リムロイが椅子の向こうでそう声を発すると、衣服が乱れた女性が足早に部屋から出て行く。
十数秒後、リムロイが椅子から立ち上がり入口の方へ歩きだす。
「あなたのお噂は子供の頃から聞き及んでいました。この国の英雄と直接お話できる機会が来ようとは感慨深いものがあります。しかし、何故突然訪ねられたので?」
その声音には突然訪ねられたことへの不満も内包されているように聞こえた。
「フォッセン卿が亡くなられたことはご存知ですな?」
「えぇ、それはもちろん。彼とは度々意見が違えども、同じ陛下にお仕えする臣下の一人として尊敬していましたから。いやぁ、実に惜しい人物を亡くしました・・・」
片手で目頭を押さえるリムロイ。
ふとリムロイが気付いたように尋ねる。
「ところで、お隣の少年は?」
「わしの弟子でしてな。今は気にされずともよろしい」
ウォルフハルトは終始俯いたまま、リムロイを見ようとしなかった。
「ふむ、そうですか」
リムロイは興味が失せたように視線をダグザへ戻す。
「リムロイ殿、お手を触れさせていただいてもよろしいですか?」
「は?・・・握手ですか?構いませんが」
リムロイが疑問の表情を浮かべたまま右手を差し出すと、ダグザはそれを両手で握る。
「あなたにお尋ねしたいことがある」
「・・・ほう?何なりと」
ダグザの目の色が変わったことに気付いたのか、本題を察する。
リムロイは笑顔で応じたが、その笑顔には様々な感情が現れているように見えた。
「フォッセン卿を殺害するよう企てたのはあなたか?」
リムロイは少々大袈裟に驚いた表情を見せる。
「おや?ダグザ殿は私を犯人と疑ってらっしゃるのですか?」
「・・・答えていただきたい」
そのダグザの言葉の語気を受け、芝居じみていたリムロイも真顔になる。
「私はそんなことはしていませんよ。つい先日も奴隷の件で意見が衝突することはありましたが、神に誓って私は彼の殺害など指示していません」
数秒後、ダグザがリムロイの右手から両手を離し扉の前まで下がる。
「あとは外の者に任せ、わしらは帰ろう」
「・・・つまり?」
ウォルフハルトは俯いたまま目を閉じていたが、ダグザの言葉に呼応するように目を開く。
「単独かはともかく、リムロイ殿が企てたのは間違いない」
「ウォルフハルト・・・?どこかで聞いたような・・・。それよりダグザ殿、私が企てたなどと、冗談はやめていただきたい。私はただ真摯にこの国の為」
そうリムロイは苦笑いを浮かべながら述べていると、ウォルフハルトが目を開けその瞬間右足でリムロイを左方の壁まで蹴り飛ばした。
それをすぐに追いかけ壁から跳ね返ったリムロイの顔を右手で鷲掴みにし宙へ持ち上げる。
「やめろウォルフハルト!気持ちは分かる。しかし今回の件は事が大きい。何も聞かずに殺すわけにはいかん。罰は必ず下される。それが明らかになるまでは待て」
ウォルフハルトは振り向く。
その形相には抑えきれない怒りと同時に涙が流れていた。
「お前は一人じゃないだろう・・・。身近にいる者、そして先のことを考えよ。知恵の神器を継承するのなら尚更だ」
「ちがっ!わはひじゃっ!・・・しんひてくえー!」
リムロイは体をじたばたとさせるが、ウォルフハルトは視線を落としたまま微動だにしない。
「こんなクズに父さんは殺されたのか?色んな人を助けるために日々尽力していた父さんが、人の不幸を利用し、私腹を肥やすだけのこんな奴に!?
「・・・いくら問いかけてもその答えが返ってくることはない。お前にはその男を断罪する資格がある。しかし今ではない。堪えよ」
ウォルフハルトの脳裏にモーリスとの過去がよぎり、リムロイを締め上げる腕が震える。
「っ!!!」
ウォルフハルトは辺りにリムロイを放り投げる。
ウォルフハルトは歯を激しく噛み締めながら自分を抑えていた。
その様子をダグザは鋭い目つきで観察していた。
「・・・よく堪えた、それでこそだ。感情の高ぶりが力を高めようとも、しかして感情に流される者にこの神器の継承は務まらん。帰るぞ、あとは外の者に任せよ」
未だ呼吸が乱れ悶えるリムロイをその場に残し、二人はその場を後にした。
薄暗い部屋の中で、一人ミュレーネは窓を開けて空を眺めていた。
近くの机には食事が並べられているが、まだ手を付ける様子はない。
ぼーっと空を眺めていると、少しして部屋の扉が開かれる。
「待った?」
そこにはウォルフハルトの姿があり、手には大き目のティーポットとお弁当らしきものを持っており、ミュレーネの食事が置かれた机の隣へと歩いて座る。
「待ってない。あなたがいつも勝手に来るだけじゃない」
そう言いながらミュレーネは席へ戻り食事を並べ始める。
「こんなところで友人が一人食事してたらね。それに言ってることとやってることが・・・ね?全く素直じゃないな」
そう笑いながら言っていると、ウォルフハルトの太腿の上にミュレーネが左手を置きながら身を寄せる。
急に顔が近くなりウォルフハルトの心臓が高鳴る。
ミュレーネが微笑を浮かべると、得も言われぬ感覚を下半身から感じると同時に息が止まる。
ふと目線をそちらへ反らすとミュレーネの右手が股の間を掴んでいた。
訳が分からず下とミュレーネの顔を交互に行き来してしまう。
「随分元気になったみたいで何よりだわ。私がお見舞いに行っても”あぁ”とか”うん”とかしか言わなかったのにね」
「ご、ごめん。でもおかげさまで何とか今日は来れたよ」
ミュレーネはうんうんと言い頷く。
「それはいいのよ?でもね、普段の言葉遣いを忘れちゃってるみたいだから」
ミュレーネの右手の力が強まる。
ウォルフハルトから悲鳴が上がる。
「今あなたの命運は私が握ってる。地獄に行くかどうかね」
「スッ!スミマセンデシタッ!!!きょ、今日もご同席させていただいてよろしいでしょうか!?」
「そうよね?立場を間違えてはダメよ。貢物は持ってきた?」
ミュレーネは頷いてそう言うと、ウォルフハルトから離れ元の姿勢に戻る。
「それはもうバッチリと」
「よろしい」
ウォルフハルトは安心感から椅子の背にもたれる。
「あんなに優しかったミュレーネはどこにいっちゃったんだよ・・・」
「私はいつでも優しいでしょう?」
「ソ、ソウッスネ」
ウォルフハルトは息を整えると、天井をぼーっと見上げる。
「・・・ねぇ、食べないの?」
「あぁ・・・やっぱりなんか、ぼーっとしちゃうな。ここ数日ずっとそうだったせいか。食欲もまだあんまりないんだ」
「私が食べさせてあげましょうか?」
「・・・あぁ」
ウォルフハルトが気のない返事を適当にすると、ミュレーネは身を寄せウォルフハルトの食事を並べていく。
「嘘、冗談だよ」
「もう」
「(なんだかんだ優しいんだよな)」
突然クスリと笑みを浮かべるウォルフハルトを不思議に思い眺めつつもミュレーネは寄せていた身を戻す。
ウォルフハルトは体を起こし食事の準備を始め、二人分のティーカップにティーポットから淹れたばかりであろうお茶を注ぐ。
「ありがとう」
二人は食事を始める。
「なぁ、またこんな部屋でいいのか?結構そこら辺で花見日和だぞ?」
「そうね」
「たまには外で食べたくならないか?」
「私は窓から眺めるだけでも満足よ。それにここの方が静かだし。あなたが行きたいって言うなら行ってあげてもいいけど」
「相変わらずな引きこもりっぷりで」
ミュレーネから鋭い視線を送られる。
「悪い?」
「いえいえ滅相もない」
「私と二人きりでいられることをもっと光栄に思いなさい」
「それはまあそうなんだけど、正直もう慣れたよ。ていうかずっと俺と一緒でいいのか?」
「私はあなただけで十分よ。毎日興味のない話に付き合って愛想笑いしたり、思ってもないのに頷いて見せたり疲れることしなくていいから楽。女同士の友人関係って大体そんなもの、男の友人関係とは違うのよ」
「ほぅ・・・」
「そう言えば知ってる?陛下とアルデフィア様も在学中ここで食事してたことあるんですって」
「ぇ・・・?そうなのか、知らなかった(この国の王族は変わり者ばかりなのか?)」
ウォルフハルトはぼんやりとミュレーネを見つめる。
「今回、あなたの怒りが収まったのは正直意外だった」
「リムロイの屋敷でのことか。別に収まったわけじゃない。今でも腸が煮えたぎってるけどな・・・。まあ成長したってことにしておいて。アイネの時みたいにまた迷惑かけらんないしな」
ミュレーネは立ち上がるとウォルフハルトの上に跨って座り抱き締める。
「私の前では隠さなくていい。泣きたいなら泣いて、怒りたいなら怒っていい。そういう時はこんな風に慰めてあげる。心を騙し演じ続けてると、知らない内に壊れていくものよ」
ミュレーネはそう言いながらウォルフハルトの頭を撫でる。
「なんか、お母さんみたい」
「ねぇ、アイネさんとはどうなってるの?」
「(叩かれるものと思ってたんだが)別に変わって・・・どうしたんだよ急に?」
「はぐらかさないで」
「別に、家族っていうか姉みたいな感じっていうか、そんな感じだよ。今は・・・」
「今は・・・・・・ね」
ミュレーネは目を閉じて少し考えを巡らせた後目を開ける。
ミュレーネはそう言うと自身の上半身の服を脱ぎ始める。
「お、おいミュレーネ?」
「私ね、絶対に諦めないって決めてることがあるの。あなたが嫌なら別だけどね」
「何のことだよ?」
「・・・分かってるくせに」
ミュレーネは顔を近づけキスをする。
それから放課後、講義を終えたウォルフハルトが校舎を出るとミュレーネが馬車と共に立って待っていた。
「送るわ」
そう言われウォルフハルトは馬車に入りミュレーネも続きその場を後にする。
二人は向かい合って見つめ合ったまま無言でいたが、その静寂はミュレーネに破られる。
「怒られた?」
「いや、先生も気を使ってくれてたのかな。病み明けだからか特に何も。そっちは?」
「大事になる前に戻れたようでよかったわ」
「・・・だよな」
「どうだった?」
ウォルフハルトは頬が赤く染まる。
「そんなこっぱずかしいこと聞くなよ。お前こそ分かってるくせに」
ミュレーネは笑みを零す。
「あなたの言葉でも聞きたくって」
ウォルフハルトは首を交互に振る。
「何をやってんだかな俺は・・・ついこの間父さんを亡くしたばかりだってのに」
「だからよ」
「え?」
「アイネさんを見て焦ったのもある。さっきの言葉を聞いて尚更ね。でもそれだけじゃない。あなたのあんな姿をずっと見ていられなかった。どうにかして立ち直ってほしかったっていう気持ちもあるのよ」
「・・・」
「ずっと暗い顔で塞いでいる必要なんてない。忘れていなければそれでいい。あなたの父君もそう思ってると私は思う」
「・・・そういえばさ、伝えなきゃいけないことがあった。俺軍に入ることにしたんだ、あとダグザ様から神器を継承させてもらえることになった」
「聞いてる。説明してくれる?」
「さすが、耳が早いな。神器は父さんの仇を討つため、軍に入るのは前々からそのつもりだった」
「聞いてなかったわね」
「誰にも言ってこなかったからな。決断したのもつい先日だ。国の平和がなければ国民の平和は成り立たない。父さんの件も無関係じゃない」
「・・・その件はあくまで国内の問題でしょ?」
「(ミュレーネは聞かされてないのか。本当に極内々の話・・・)いずれ明らかになる。それよりリムロイはどうなってる?」
「もう五日になるかしら、何も話さないそうよ」
「・・・分からないな。刑は確定してるだろ。それなら隠す必要なんてないはずだ」
ミュレーネは頷く。
「居室を調べたら相手の名が分からない双真珠が一つあったらしいの。陛下はダグザのことを心の底から信用してる。彼が嘘をつく必要はどこにもないしね。いずれ何かしらの刑が下るでしょうけど、軽くないことは間違いない。リムロイが否定も言い逃れもしないのはちょっと不気味だけど」
「恐れてるのか?やらせた奴のことを」
「どうかしら。城の地下で厳重に見張られてるのよ?近くにダグザやゲイルノートもいるのに。普通に考えて誰も手出しできないと思うけど」
「まあな・・・」
「一緒に亡くなった男の子については家族に確認したところ、そんな笛は持ってなかったって証言が出てる。家を出た後に誰かと一緒のところを見たっていう報告もまだないわ」
「そうか」
「ねぇ、分かってる?神器を継承することの意味。神器を継承すれば混沌と相対することになる。あなたに殺せるの?」
「・・・殺すんじゃない、助けるんだ。誰かがやらなきゃいけない。そのままにはしておけない。それに俺には守る力と正義を押し通す力が必要だ。俺には素質があるらしいしな」
「・・・そうね。ただ、私は一緒に居てほしい。あなたが死ぬなんて絶対に嫌よ」
「当然だ。俺も死ぬつもりなんてない。ダグザ様曰く、俺はまだ雛らしいがこれから指南してもらえる。ミュレーネ、この国を守ることはお前を守ることと同義なんだよ」
「・・・私が、戦争なんて起きないようにする」
「目標が出来たな」
ミュレーネは立ち上がってウォルフハルトの隣に座ると腕を絡ませ抱き着くのだった。
世界会議から五日後、ギオン国首都・香絢にある永刹の居室にて。
「永刹、四隊すべての準備が整ったわ」
紫の髪を後ろで結んだポニーテールに、青空のような目をした女性・蜜玲が報告した。
机の上には幾つかの双真珠が並べられている。
「分かった。全隊長を招集してくれ」
蜜玲が頷く。
そして夕焼け頃、辺りに紅葉が咲き乱れた広場に四人が立っていた。
一人目は桃色の長い髪に金色の瞳をした女性、桃餡。
上半身はビキニに近く下半身は丈の短いスリットドレスが合わさったような黒色の服装をしている。
二人目は薄い青みを帯びた紫色の瞳に、茶色い長い髪の女性、爛璃。
服は全体的に黒で上半身は胸元からお腹のあたりまで大きく開いており、下半身もまた両横とも半分以上スリットがあり動きやすさのためかほとんど露出している。
三人目は金色の瞳に黒の長髪を後ろで一つ結びした少年、凰至。
色鮮やかな紅葉の刺繍が入った長い法被を身に纏っている。
四人目は青い瞳に長い銀色の髪の女性、星凛。
黒のビスチェドレスのような衣装を着ている。
そして上から神樹が覗く奥の門から永刹が現れる。
同時に全員片膝をつき頭を下げる。
「皆よく集まってくれた、顔を上げてくれ」
四人が顔を上げたのを確認すると、永刹が話し出す。
「話は聞いていると思うが、改めて話そう。此度の戦はカムロス帝国を滅ぼすことが目的ではない。あくまでエラトス連邦に駐留しているカムロス帝国軍を退却させることが目標となる。イーノ帝国軍に関しては恐らく動かないので静観する。ジェイド皇帝は最後まで理由を明かさなかったため、なぜそこまでして全身に火傷を負ったとされる人物を探しているのかは不明だ。かの皇帝は国民からの信頼と評価がすこぶる高いと聞く。私も彼が即位してから約五年間の行動を把握しているが、ただの暴君とは思えない。旧クローディアス王国制圧後に一部の国民を奴隷にしたことにも彼なりの理由があるのだろう。しかし、このまま理由も分からず民に危険を強いることはできない。もしも彼の探し人がこの国にいることが判明し攻めてきた場合、大量の死者が出るかもしれない。話し合いで解決できなかった以上、力づくで譲歩を引き出す他ない。桃餡」
「はい」
「君にその役目を任せたいのだが、行ってくれるかな?」
「承ります」
永刹は桃餡を見ながら頷く。
「永刹様、桃餡一人ではいささか心配です。戦では何が起きるか分かりません。かの軍は数が多く、神器の所有者も二人いることが判明しています。念のため俺も同行したほうが」
永刹は答えず桃餡を見つめる。
「凰至、私の能力を知ってるでしょ?一人のほうがやりやすいのよ」
「そうは言うがお前がちゃんと力を出せるのか気がかりなんだよ。お前は'至厳'を制さず朱雀隊の隊長になった。力を疑ってるわけじゃないが、正直不安な点はある」
桃餡と凰至が横で話し合い始めたが、少しして永刹に制止される。
「まあまあ。私も君ならそう言うかもしれないって思ってたんだ。しかし凰至の言うことも分かるし、単身で行かせるのは私としても心配だ。星凛なら君の邪魔にならず援護できる。爛璃は置いておきたいし、凰至があの規模の軍と戦ったら後始末が大変だよ」
「・・・終わった後のことまでは考えてませんでした」
「桃餡の御守、お任せ下さい」
凰至が納得したのを見た星凛が、了解の意を示した。
「それでは明朝より、朱雀隊と玄武隊に向かってもらうこととする。本土は青龍隊と白虎隊に任せる。全軍への通達後、今夜はゆっくりと休んでくれ。話は以上だ」
「御意」
最後は四人とも息を合わせ返事をすると、それぞれ解散した。