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夫の浮気相手がどうやら私

「すまない! ルルシア!」

「え? なに? なんですの?」


 結婚して初めての夜、私は苦悶の表情を浮かべる夫に迎えられた。

 ベッドの上で両膝をつき、布団に顔を突っ伏している。謝っているのに何故ちょっと面白い感じにしてしまっているのか。


 ルルシア・モードレット伯爵夫人。今日から、それが私の名前だ。本当ならば、これから伯爵夫人としての人生を歩むはずだったが、もしかしたらそうはならないのかもしれない。


「私は、君を裏切ってしまった!」

「? それは一体どういう……」

「まさかこの私が、こ、この私が……不貞を働いてしまったのだ!」

「んんん?????」


 不貞。平たく言うのなら浮気、あるいは不倫。つまり、私以外の相手を想ってしまったという事か。

 なるほどそれならば、謝る意味もよく分かる。王国法において複数人との関係は基本的に認められていないし、一般的な倫理観に照らしても誉められた事ではない。


 しかし、イマイチ私は信じられなかった。確かに主人と私は今日結婚したばかりだが、二人の間に愛がなかったなどとは思えない。初めは家同士の繋がりであろうとも、七年にもなる婚約関係で想いを育めなかったようには思えないのだ。


「えっと……一体お相手はどなたですの? (わたくし)も知っている方ですか?」

「いや、君は知るはずがない。彼女は、市井の生まれなのだ」

「はぁ……?」

「実は、私は時折り家臣の目を盗んで市井に降りている。お忍びというやつだな。真面目な君は知らないかもしれないが、貴族の中ではそう珍しい行為ではないんだ。そして……そこで私は天使に会ってしまった! 彼女の事を思うと、どうしても高鳴って仕方がないんだ!」

「んん……???」


 話が噛み合っていないように思えて仕方がない。何を言っているのかよく分からない。何か決定的な、あるいは明確な、ともすればあまりにも大きな勘違いがある。


「君に対する不誠実である事は分かっている! しかし、私は自分の心に嘘をつく事ができないのだ!」

「えっと……それはつまり、この結婚を白いものとしてほしいと?」

「まさか! いくら私でもそこまで愚かではない! この心が君のものではないというのに、あたかもそうであるかのように振る舞う事が耐え難いというだけの話だ!」

「? 結婚自体に不満はないと?」

「当然だ! 悪いのは君ではないのだから!」

「夫婦として暮らしてもよろしいのですか?」

「当たり前だ! 何よりも大切にすると今日誓ったばかりじゃないか!」

「……()()()はどうするのですか?」

「もう会わない! しかし、別れの言葉だけ伝えさせてほしい」


 これはまさかと思い当たる。

 私は、もしかして大きな勘違いをしていたのだろうか?


 ◆


 貴族の中で、市井に赴く事は密やかな楽しみとして人気である。流行と言ってもいい。誰も口にはしないながら、誰でも一つは言えない趣味を持つものだ。

 事実私も、誰にも言わずに市井に降りている。


 一見して薄汚れた外套で身を隠し、できるだけ姿を晒さない。稀に、肌や髪の色艶で高貴の生まれであると見抜かれてしまうからだ。少し怪しすぎかとも思うが、そもそも市井には怪しい人間が溢れているので問題はない。


 この散歩は、私にとって大切な時間だ。特に何をするでもなく、ただ気の向くままに歩いて屋敷に戻る。露天で小腹を満たし、遊んでいる子供たちを眺め、街の喧騒に耳を傾けるだけの時間だが、これは私にとってかけがえのないものだ。

 いずれ伯爵夫人となる私にとっては、今しかできない楽しみ。そう思うと、少し寂しいと思ってしまう


「もし、そこのご婦人」

「……っ」


 不意に、呼び止められた。それも、よく知る声で。


「えっと……」


 生唾を飲み込み、振り返る。やはり、思った通りの人物だった。

 彼は、モードレット伯爵のご子息。近く結婚予定の、私の婚約者である。


 見つかってしまった。背筋が凍る。

 お忍びは、誰にも知られていないからこその流行だ。本来ならば誉められた事ではない以上、知られれば不真面目が国中に知れ渡る。きっと、家名にも傷がつくだろう。


 しかし、状況は相手も同じはずだ。私が知られたように、彼もまた私に知られたのだから。幸い婚約者という立場なので、秘密の共有はしやすいだろう。


「こちら、落としましたよ」

「あぁ、はい」


 にこやかに、和やかに、あくまでただの親切として、落としたハンカチを手渡してきた。

 なるほど、()()()()()なのだ。理解した私は、同じく何食わぬ顔で笑顔を向ける。


「親切にありがとうございます。助かりました」

「い、いえ。お役に立てたのなら、幸いです」


 少し、反応が不自然だったろうか。彼はほんの僅かにたじろぎ、その後いつもの調子に戻った。


 それからだ。私たちの中で、無意味な密会が行われるようになったのは。


 決して待ち合わせず、偶然出会った際にのみ言葉を交わす。時にパンを食べ、時に下らない話に笑い、ほんの少しだけ同じ時間を過ごした。屋敷でのお茶を飲む際には、決してその事に触れない。貴族として会う時と、庶民として会う時を明確に分けていたのだ。

 そんな二重の付き合いは、私の中でかけがえのないものだった。今まで無味無臭だった彼との関係が、にわかに色づいたのだ。彼とならば幸福な人生を歩めると確信し、高鳴る胸を押さえながら婚姻を結ぶ。


 きっと、彼も同じ気持ちだ。そう、思っていた。


 なのに……


 ◆


 気が付いていなかったの!?


 私は恋にも似た幸福を感じていたというのに、これでは滑稽にも肩を透かされたようだ。私の一生を預ける上で、彼以上の男性などいないとすら思っていたのに。


「あ、あの、顔を上げてください」

「しかし……」


 不安そうな顔を見て、私まで不安になる。やはり私は、今もって彼を愛しているのだ。


 だが、それを認めるのはすごく恥ずかしい!!

 私だけ舞い上がっていたなんて! 私だけときめいていたなんて! ちょっと間抜けで頭が悪いじゃない!?

 結婚式の最中、ずっと顔が赤くなっていないか気にしていた。心臓の音がうるさくて、彼に聞こえてしまわないか不安だった。

 幸せすぎてバチが当たるんじゃないかとか訳のわからない事を本気で考えていた! 当たるか、バチなんて!


「やはり許せるはずがないよな……。せめて、婚姻を結ぶ前に言うべきだった。私が臆病だったせいで、君ばかり不都合をかけてしまう……」

「いや、えっと……大丈夫です」


 なんか、微妙な返事をしてしまった。

 何が大丈夫なんだろう。


「あー……全然気にしてないので。はい、平気です」

「……君は優しすぎる。私など何をされても文句は言えないというのに」


 そんなに……? 別に、何かあったわけではないのに。


 しかし、それは言えない。断じて言えない。伝える事はつまり、私が気づいていてからと交流していた事の証明なのだから。先ほどまでの一人相撲も、肩透かしも、全部知られてしまうのだから。


 というか、彼は私の事をどう思っているのだろうか?

 もしかして、家の都合で結婚しただけの女とでも思っているのだろうか?

 私たちの間に愛などなく、楽しげな結婚生活を夢見ていたのは私だけなのだろうか?


 やべ、ちょっと泣けてきた。


「る、ルルシア!? すまない、やはり痩せ我慢だよな!」

「違うんです……ちが、ほ、ほんとに違うから! 涙拭こうとしなくていい! 自分でできる!」

「しかし……!」


 ああもう、優しい! これが惚れた弱みか!


「あ、あの! 本当に大丈夫です! 私と夫婦でいてくれるなら問題ありません! その女の人とも会って構いません!」

「そうはいくものか! そんな不義理は誰が許そうとも私の心が許せない!」


 まじめか!


 ……いや、混乱しておかしな事を言っているのは私の方だ。嫌われたろうか。怪しまれたろうか。もしもそうだとしたならば、これ以上悲しい事はない。


 やはり、確認しなくてはならない。

 知らないままでは、きっと今まで通りにいられない。


 私の不審な態度に疑問符を浮かべる彼に、私は意を決して蚊の鳴くような声で問い掛けた。


「あなたは、(わたくし)を愛してくれていますか……?」

「…………っ」


 ……聞こえなかったのだろうか。

 それとも、愛してなどいないのだろうか……?


「わぁ!? な、泣かないでくれ! 当然愛している! この世で君だけを愛すと誓う! 改めて誓わせてくれ!」

「で、でも……それは御家のために口にする言葉で、実際には……。だから、言葉に詰まって……っ」

「ち、違うっ! そんなに不安にさせていたのかと愕然としたのだ! 私はこれからの人生を、君のためだけに使う!」


 あぁあああ!! うぅぅうう〜……! う、嬉しい……


 誤魔化して、誤魔化して、誤魔化して、なんとか取り繕って話を流した。恥ずかしいので彼の想い人が私である事は伏せたままに、彼はもうその人には合わないと約束してくれた。もう思い出す事もなく、一生を終えるらしい。


 私は果報者だ。少し食い違いがあり、なんかちょっと面白い勘違いがあったものの、愛する人とこうして結ばれた。

 多分、苦労もありながら幸福な人生を歩むのだろう。


 たった一つ、街中で身分を隠したデートが二度とできない事のみを心残りとして。

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