73:ストーカー
茂みを抜け、枝を避け、追ってきていた男の人達を完全に振り切った辺りで、私はふらつく足を止めました。気が付けば周囲の景色は変わり、薄暗く、空気がぬるりとしていると言うか、薄いゼリーの中に入ったように感覚が肌を撫でてきて、鳥肌が立ちます。
ミキュシバ森林は湿地帯で所々沼のようになっていたのですが、途中から粘度が増したかのようにネチョネチョと滑り、足を上げると糸を引くように絡まり走りづらい事この上ないですね。生えている植物も蔦の絡まった水草のような物に変わっており、獲物を狙うようにウネウネと触手を伸ばしてきて気持ちが悪いです。
「はぁ…っ、はぁ…っ、は…っ…」
私は一変した風景を見回しながら、弾む息を整えながら涎を拭い、唾を飲み込みました。ドレスの責めは甘く切なくて、蔦にコリコリされる感触も、ピクピクと跳ねる体も、一段高い甘い声も、何とか抑え込もうとするのですがなかなか難しくて、いけない気持ちに流されそうになります。それでも何とか理性を保っていられたのは後ろからついて来ているグレースさんの存在のお陰で、もどかしいと思う反面、居なかったら私はどうなっていたのかわかりません。そしてそのグレースさんは先ほどから妙に無言で、痛いほど私の事を見つめてきていたのですが……どうしたのだろうと私が振り返った所で、丁度粘度の高い地面に足を取られたようで、タックル気味に倒れてきたので慌てて受け止めました。
「だいっーーふッーー」
「丈夫ですか?」そう言おうとしたのですが、無理でした。【ルドラの火】がオート発動していたので左手が使えず、右手と体で受け止めたのですが、肌と肌がぶつかった瞬間、甘い刺激が全身を走り抜け、腰が抜けました。
足場も粘液まみれで張り切れず、私達はそのまま一緒に倒れ込み、グレースさんの手から杖が離れます。
地面が柔らかいので転倒の痛みはそれ程でもないのですが、粘液まみれになったのは最悪ですね。背中のねちゃねちゃした感触と、上から覆いかぶさるグレースさんの匂いと体温にくらくらしながら何か言葉を紡ごうとしたのですが、首筋に当たるグレースさんの唇の感触と、背中に回された手が尻尾の付け根を撫でて、ゾワゾワと力が抜けました。
胸が押しつぶされ、蔦のせいで緩急織り交ざった刺激に甘い声が漏れます。流石にこの距離なので色々と隠しようもなく、物凄く恥ずかしいのですが、グレースさんも私と似たような顔をして見つめ返してきていました。
「あ、あの……っ」
お互い粘液まみれ。少し上擦ったグレースさんの声に頭の奥がキュっと狭まります。倒れた拍子に私の膝がグレースさんの股の間に入り込み、湿り気を帯びた場所に当たっていて、このまま流れに身を任せれば2人とも気持ちよくなれる事に気づいたのですが、流石に色々と不味いような気がして、理性がブレーキを踏みました。
グレースさんは、ご褒美を前にして待てを言われた犬のような目をしながらモジモジと切なげな息を吐いていたのですが、その息が頬に触れくすぐったいですね。
少しの間2人して無言で見つめ合っていたのですが、何かだんだん恥ずかしくなってきたというか、冷静になってきたと言いますか、何をやっているのでしょう、物凄く顔が熱いですね。
「しゅしゅしゅ、しゅみ、しゅみまっ……」
グレースさんもだんだんと冷静になってきたのか、焦ったように視線をさ迷わせました。上に覆いかぶさっている状態で揺れられると振動がのしかかってくるのでやめて欲しいのですが、とにかく私達が何とか冷静になったところで……音が聞こえたような気がしました。
「…ど、どうし、ました?」
足腰に力が入らなかったのでグレースさんの手を借りながら立ち上がり、私はなんとなくその音がした方に顔を向けます。
「いえ、何か聞こえたような…?」
とはいえ、近くに人やモンスターが潜んでいるという様子はありません。というより改めて考えると、もしあのままいやらしい雰囲気に流されてしまっていたら、いつ誰が通るかわからない所で始まってしまっていた可能性があるのですよね。そう考えると顔から火が噴き出そうになるのですが、代わりに【ルドラの火】の火力が増しました。そういえば本国では宿屋がそういう場所に使われているらしいと聞いた事があるのですが……いえ、今はそういう知識はどうでもいいですね。とにかく色々な事を誤魔化して、何とか気持ちを切り替えます。
視線を合わせてくれないグレースさんはモニャモニャと何か口の中で呟いているのですが、離すタイミングを失い繋いだままだった手の指を絡めてきました。お互いしっとりとした指先はそれだけで気持ちいいのですが、何か恥ずかしくなりますね。微かに握り返すとグレースさんは肩を振るわせた後、やっと私の顔を見てくれました。
「見に行きますか?」
「…っ!?」
気配を放置して立ち去るというのも後々気になってしかたがないので私はそう提案してみたのですが、グレースさんは一瞬体をこわばらせた後、視線を揺らしました。すぐに力を抜いてくれはしたのですが、何か言いたげな様子で口をモゴモゴさせています。そういえば前回グレースさんはここで酷い目にあっていますし、もしかしたらその時の事を思い出したのかもしれません。
「すみません、ここで待っていますか?」
「…い、いえ!一緒に行きます!!」
一応確認してみたのですが、力強くそう言われたので、一緒に行く事にしましょう。
「わかりました。グレースさんは何があっても守りますので、安心してください」
「わ、わたしもっ、ユリエルさん、守ります、ので!」
お互いに同じような事を言うと、無性に可笑しさがこみ上げてきますね。少し笑い合って、落とした杖を拾ったり、ちょっと身支度を整えたりしてから、音の原因を探ろうと歩き始めたのですが……すぐにそれが誰かの笑い声だと気づきました。続いて響くヌチョネチョといった水音にキュっと下腹部が締まり、ついついグレースさんの手を握り締めてしまいました。
いきなり手を握り締められたグレースさんは驚いたように体を震わせたのですが、その音はグレースさんにも聞こえているようですね、何か気まずそうな、不安そうな顔でモジモジと握り返してきました。
お楽しみの所だとちょっと気まずいのですが、助けを必要としているのなら助けてあげたいですね。まずは確認するだけ、別にやましい気持ちは無いと自分に言い聞かせ、私達はどちらからともなくソロリソロリと静かに近づいて行くと……その声にちょっと違和感を憶えました。声は女性のようなのですが、何か変声期前の男の子の声のようにも聞こえます。グレースさんも訝し気な顔をしていたのですが、とにかく確かめようと茂みから顔をのぞかせるとそこにいたのは大量のローパーと……。
「アハハハハ、駄目だって、そこ、あんっ、あっあっ、これ、は、ちょっと!!?まって、呼吸が、呼吸が…死ぬッ!?」
お楽しみ中の人がいました。いえ、楽しんでいるのでしょうか?地面から、木から、茂みから、あちこちから伸びたローパー達の触手にからめとられ、擽られ、今にも笑い死にしそうという様子なのですが、その人はとても気持ちよさそうに身をよじっていますね。
ちょっといけないものを見てしまったような気持ちになりドキドキしたのですが、同じような表情を浮かべているグレースさんと顔を見合わせた後、ちゃんとその人を確認する事にしました。
捕まっている人は金髪碧眼、小柄で猫目の……って、どこかで見た事がある人ですね。確か私をよくつけまわしていたストーカーのうちの1人だったような気がします。そんなポニーテールを途中で上げた、俗に言うハルキゲニアサイドアップリバースというマニアックな髪型をした女性……男の人?ちょっと自信は無いのですが、所謂男の娘という感じの人で、一見すると判断が付きづらく、声だけ聞けば女性なのですが、その顔立ちは中性的な美少年で、骨格その他もろもろは男性という不思議な容姿ですね。そんな人が上半身裸に剥かれ、ピンッと立った乳首や腋を触手に擦られて笑いよじれていました。
下は何とか短パンを履いているのですが、隙間から容赦なく触手が入り込み、上下に擦りあげる度にビクンビクンと体を震わせているので、ズボンの中は大変な事になっているようですね。本当ならすぐにでも助けに入らなければいけないのかもしれませんが、猫目の人はそんな自分の姿をカメラで撮影しているという高度なプレイをしているので、助けに入っていいのか悩むのですよね。
私達は少しの間無言で見続けていてしまったのですが、グレースさんが赤面しながらモジモジと「離れましょう」と手を引いてきたので、私は頷きます。絡めた指は赤くしっとりしており、グレースさんは襲われた時の事を思い出したのか無意識に股の間に手が伸びていたのですが、私は見てみないフリをしました。
そのまま静かにその場を離れるつもりだったのですが、色々な事に気を取られていたせいかちょっと油断してしまい、【ルドラの火】が暴発しました。考えなしに手をついたところでボンッと小爆発がおき、ローパーにも、その人にも、おもいっきり私達が潜んでいるのがバレました。
「……」
視線が交わされたのですが、覗き見していた気まずさに、私達は無言でそのまま引き返そうとしたのですが……。
「ちょちょ、ね、ねえ、ちょっとぉっおッ!?可愛い僕を助け、な…助けて……助けてー!!!」
結構本気の涙目で懇願されて、私とグレースさんは困惑したように顔を見合わせると、足を止めました。
※ユリエルの鋼鉄の精神により事なきを得ました。
※誤字報告ありがとうございます(2/3)訂正しました。




