71:西へ出発します
出来ればこのまま1人でミキュシバ森林に向かいたかったのですが、グレースさんとの約束もあったので連絡を入れ、時間を決めて合流する事になりました。はぐれの里のポータルは使用しづらい状態になっていたので、待ち合わせ場所は私の希望でアルバボッシュの北門です。
急ごうと思えばかなりの時間短縮が出来るようになっていたのですが、そんな事をすれば少しの間動けなくなってしまいますからね、刺激を与えないようにゆっくりと歩いて行く事にしました。
人の視線もなく、久しぶりに歩くはぐれの里とアルバボッシュの間の草原は解放感がありますね。土の匂いを含んだ風が全身を撫でると奇妙な高揚感すらありました。ここならちょっとくらい蔦を動かしてもバレないような気がしたのですが、それでも人が全くいないという訳ではありませんからね、ときおり初心者と思われる人達が必死に角兎を追いかけている姿が見えました。
単純にゲームに慣れていなくて周囲に気を配っていないだけかもしれませんが、どうやら私の存在に気づいていないようで、ちゃんと【隠陰】スキルの効果が出ているようですね。レベル1だと見つかってからは殆ど意味がないようですが、見つかる前だとかなり効果があるようです。勿論ある程度近づけば【隠陰】スキルを使っていても気づかれるのですが、気づかれる前にその場を離れれば問題はありません。
そんな風に通り過ぎるプレイヤー達でスキルの効果を検証をしていると、アルバボッシュが見えてきました。軽い運動で火照った体を鎮めてから近づくと、杖を手に持つグレースさんが北門の所で立っているのが見えました。盾は紐を通して背に担いでいるようですね。不自然なほどキョロキョロとしているのは、きっと私を探しているのでしょう。まだ距離があったので【隠陰】を解除しようとしたのですが、グレースさんがこちら側を向いて訝し気な表情を浮かべていたかと思うと……。
「…ユリエルさん!?大丈夫ですか!!変な事されませんでした!?」
解除する前に見つかりました。えっと、これはどういう事でしょう?意識していたら見つかるという事か、グレースさんの見つける能力が高いのか、もしかしたら両方かもしれませんね。その辺りは後でグレースさんに協力してもらって検証してみましょう。
「変な事ってなんですか?」
「いえ、いえ……っ!?」
パタパタと駆け寄るグレースさんに私は軽く首を傾げながら肩をすくめたのですが、グレースさんは急に青い顔をして私の両腕を掴みました。
グレースさんの視線が上から下へ、スキルの影響なのかどうもハッキリと視線の流れを意識してしまい、体が震えます。濡れた場所は人気のない場所で燃やしてから【修復】しておいたのでバレない筈ですが……そんな事を考えていると、その時の吸われた感覚が蘇ってきます。グレースさんの息が、というより揺らさないでください、振動が……。
「やっぱり何かされました!!!?」
今まさに掴みかかられていて、揺すられています。
「え、え…?」
最初は気づかれたのかと焦ったのですが、どうやらグレースさんの視線は私の肩、それから所々解れたドレスを見ているようですね。まあ別れる前はショートマントを着ていた訳ですし、ドレスの強度を知らなければ何かあったと思われる恰好ではありましたね。
「だ、大丈夫です、普通に清算して、そのままアイテムの製作依頼を出していただけですから」
グレースさんが騒いでいるからでしょう、アルバボッシュから出てきていたプレイヤーの何人かがグレースさんを訝し気に見て、それから私の事に気づき「人が居たのか!?」と驚いています。何か別の意味で恥ずかしくなってくるのですが、意識してしまうと余計に蔦にグリグリと押し付けられて汗ばみます。知り合いの前でそんな事になっている事に頭が沸騰しそうになり、恐る恐るグレースさんの顔色を窺ったのですが……グレースさんはゴクリと喉を鳴らしながら、私の顔を見つめ返していました。
(えっと…?)
何故か物凄く身の危険を感じたのですが、そんな事より、今の私は腕を掴まれただけで上気している挙動不審者ですよね。何て誤魔化そうと考えたのですが、こういう時に丁度いい言葉なんて思いつきません。
「このドレス、呪いの装備でちょっとボロボロで体調が悪くなったりするのですが、心配するような事はありません」
とりあえずグレースさんが私の服装がボロボロになっている事を心配していたので、そんな言葉が出てきました。いえ、それにしても「呪われた装備」ってなんですか、ショートマントを着ていない理由にもなっていませんし、確かにゲームならそういう装備も無くはないのですが、何の説明になっているのかは自分でもよくわかりません。
「…大丈夫なのですか?」
こんなよくわからない説明をグレースさんは信じてくれました。というよりグレースさんはグレースさんでいっぱいいっぱいのようですね。何か気持ちを抑え込もうとしているように視線を外して、抑えたような声でそう訊ねてきました。
「はい、性能はちゃんとしているので」
安心させるように私がそう言うと、グレースさんは「そうですか」と小さく呟くと、ふらつくようにもたれ掛かって来ました。安心して力が抜けたのでしょうか?身長はグレースさんの方が頭半分以上上なので、私が下から支えるような形ですね。この距離だと汗の匂い以外もバレそうで恥ずかしいのですが……そういえば、こういう時に軽口をたたきそうな人が居ませんね。
「スコルさんは別行動なのですか?」
「…ユリエルさんにべたべたしていた人なんて知りません」
ちょっと怒りを含んだ声に首を傾げながら少し待ってみると、ゆっくりと事情を説明してくれました。どうやらスコルさんは私と別れた後、目を離した隙に「おっさんの癖に生意気だ!」「くそーこんな美女と美少女に囲まれやがってー」と、他のプレイヤーに連れていかれてしまったようですね。まあスコルさんの事ですし、きっと無事だとは思うのですが、グレースさんが言うにはそれっきり見ていないとの事です。
「なるほど」
とりあえず何があったのかは理解したというように呟いたのですが、グレースさんは体重を預けたまま、モゴモゴと呟いています。あまり首元で荒い息を吐かれると擽ったいのですが……グレースさんは結構テンションの上がり下がりの激しい人ですからね、もたれ掛かってきたのも血圧とか色々なものが乱高下して気分が悪くなったのかもしれません。
「それでこれからの事なのですが…」
「はい…」
「…とりあえず、一度離れませんか?」
何時までも抱き合っている訳にもいきませんし、周囲の視線が気になります。それにグレースさんもなかなかの物をおもちなので、あまり密着するとグリグリされてちょっとその、変な気持ちになってしまうのですよね。
「………?はうっぁあああっっ!!?」
一度本格的に休憩をとった方がいいのではないですか?と思ったのですが、今までの事がまるで無意識の行動だったというように、グレースさんは叫び声をあげました。それからパッと飛びのくと、ワタワタと足を躓かせ、後ろにひっくり返りかけます。
「っと、大丈夫ですか?」
倒れそうなグレースさんの手を掴んで何とか引っ張り上げるのですが、グレースさんの顔は耳まで真っ赤で、口の中でモニャモニャ言うだけで言葉になっていません。
「しゅしゅみま、ません!なんで!?なんでそんな……私……」
へたり込むままに一度座ってもらうと、私は呼吸を整えます。
「休憩します?私はこれから…ミキュシバ森林を越えてウェスト港を目指してみようと思っていますが」
「休憩!?」
あ、ミキュシバ森林より反応するのはそっちなのですね。顔を真っ赤にして視線を左右に揺らすグレースさんを見下ろしながら、私は何故かそんな事を思いました。
「いえ、そんなユリエルさんと……はや……え、ミキュシバ……?」
やっとその言葉が頭の中に沁み込んだのか、赤かった顔が青ざめて、本当に体調が心配になる乱高下っぷりですね。
「…正確にはその先のウェスト港です」
私はミキュシバ森林が目的地ではない事を強調しますが、素材としては『ローパーの樹皮』でも良いのですよね。グレースさんが来ないのならそちらに行ってみようとは思っているのですが、どうでしょう?ちょっと悶々しながらグレースさんの反応を待っていると、少しして、グレースさんは顔を上げました。
「わたしゅも行きます!ユリエルさんを1人であんな危険な場所に行かせる訳にはいきません!!」
少し噛んでいたのですが、両手を固く握りしめ、私の顔をしっかりと見据えながら、グレースさんはそう言いました。
※誤字報告ありがとうございます(1/29)訂正しました。




