58:東の裂け目
ナタリアさんの説明を要約すると、ここから更に東に進んだムドエスベル山脈の麓に、β時代にはなかった人の通れる大きな裂け目を発見したそうです。少し調べてみた結果、どうやらその裂け目は山脈の向こう側まで続いているようだったのですが、弓をメインに戦うナタリアさん1人では閉所の探索が難しく、準備もあるので一度引き返してきたそうです。そして一緒に攻略をと声をかけたのがヨーコさんと、私だったという訳ですね。
話を聞いただけでは何とも判断しづらい内容だったのですが、ナタリアさんは間違いなく山脈の向こうに続いていると確信しているような口調ですね。ヨーコさんはそんなナタリアさんの言動にも慣れているのか、困り顔で軽く頭を振っていました。
「また、ナタリーの勘違いって事じゃないわよねぇ~」
「またって失礼な。今度は本当ですー、もう、そんなに疑うのならヨーコは連れて行ってあげないんだから。ユリエルちゃんは信じてくれるわよね?」
「はい」
私が頷くとナタリアさんは表情を輝かせて、ヨーコさんは「お人よしねぇ」と呆れたように呟きました。
まあヨーコさんも口では呆れて見せているのですが、常識論を言ってみたという感じでちゃんとついて来てくれるようですね。早速私達は3人でPTを組み、セーブ位置を工房に変えてから、ナタリアさんの先導で出発する事になりました。
目的の洞窟までは1時間ほど歩くそうで、道中は見渡す限りの森の中ですね。歩きやすい道は途中から獣道へと変わり、勾配はそれほどきつくはないのですが、下草の生えた柔らかい地面は緩急に富んでおり、ちょっとした登山のような様相になってきています。
私は【腰翼】でバランスをとったり移動の補助に使ったりしてナタリアさんについていけているのですが、ヨーコさんはその胸や服装も相まって、かなり歩きづらそうにしていますね。
「ごめんなさい、ねぇ…はぁ~~若い子は元気ねー…」
ちょっと中の人が見え隠れしてしまっているような気がするのですが、疲労でRPしている余裕がないのでしょう。
まあ地面につくほどのスカートとドレスと言うのは森の中を移動するのには相性が悪いですし、胸の重みに負けて猫背になる姿勢を直すために背筋を伸ばしたり、捲れる胸元を直したりと余計な所にも気を配らないといけないようで、色々と無駄な体力を使っているようですね。スキルか何かで対策はしているのでしょうけど、何度かおもいっきり枝に引っ掛けて、顔を顰めて舌打ちをしているのは気づかないフリをしておきましょう。
「もうちょっとだから頑張って…っと、ストップ、こっち」
先頭を行くナタリアさんは流石にこういう道にも慣れているのか、まだまだ元気がありますね。舌打ちをうつヨーコさんに困ったように肩をすくめながら、適宜進路を変えて森の中をスイスイと進んで行きます。
ちなみにこの辺りに出現するモンスターはウルフとゴブリンとグレーアウルという梟型のモンスターが居るのですが、今回は裂け目の探検がメインですからね、敵との戦闘は極力避ける方針だそうです。とはいえいくらナタリアさんがモンスターから遠ざかるルートを選んでくれていると言っても、森林での活動に慣れているナタリアさんと【腰翼】のある私はともかく、ヨーコさんはガサガサと茂みに引っかかりながら移動していますからね、時折モンスターとの戦闘が発生しました。とはいえ、この辺りのモンスター程度でしたら疲れたヨーコさんを守りながらでも問題なく蹴散らす事ができました。こうしてヨーコさんのドレスがボロボロになった以外は特に特筆する事なく……いえ、途中、桜花ちゃんとグレースさんと一緒に居るはずの十兵衛さんから連絡がきました。
『あー…すまんな、急に。今からレベル上げに行こうかと思っているんだが、どうだろう、今一人か?』
聞き方下手ですか。あからさまに何か探ろうとしている口調に少し笑いかけてしまったのですが、何とか平静を保つ事に成功しました。
最初は何故十兵衛さんから?と思わなくもなかったのですが、きっと桜花ちゃん辺りが痺れをきらして連絡しようと言い出したのを止めて、代わりに連絡して来たという感じなのでしょう。
『すみません、今はちょっと知り合いとパーティーを組んでいまして』
『そ、そうか………いや~そうかーー……』
とりあえず正直に話してみたのですが、沈黙が重いですね。あまり突っ込んだ事を話すと盗み聞きをしていた事がバレてしまうのですが、埒が明かないので早々にネタばらしをしてしまいましょう。
『3人PTで、逢引きではありませんよ』
『おま、それ…聞いていたのか?それならそうと……はぁー…やっぱり騒ぎ損じゃないか』
『すみません、話しかけづらかったので。2人には適当に説明しておいてください』
『おう、わかった。何とか彼女を説得してみるわ』
私と十兵衛さんは少し笑った後、そう言って通話を切りました。それにしても、彼女?もしかして騒いでいたのは桜花ちゃんではなくグレースさんの方だったのでしょうか?とにかく少し謎は残ったのですが、そんな会話をできるくらいのんびりとした行程で、私達3人は無事ムドエスベル山脈の麓に到着しました。
そしてここまで近づくと、私にも何か引っかかるものがありますね。魔力が漏れているような、そんな感じです。
「…あらぁ?」
ヨーコさんは今までボロボロになったドレスに対して何か言っていたのですが、感知能力は高いのか、疲れた顔を上げて首を傾げました。その奇妙な気配に、思慮深げに目を細めます。
「何でしょう?」
私とヨーコさんは視線を交わし合い、お互いに何か異変を感じ取った事を確認すると、ヨーコさんは素早くスタミナ回復ポーションを飲みました。どうやら今まで我慢していた消耗品を使って無理やり体調を整えたようですね。
「こっちこっち、どう!」
そしてナタリアさんがどや顔で示す先にあるのは……ムドエスベル山脈の岸壁に入った、一筋の大きな裂け目のような物でした。
ムドエスベル山脈は魔王軍の侵攻を止める防壁の役目を果たしたという設定があるからか、不自然なほど急峻で、崖のように聳え立っているのですが、その一部に横幅2メートル、縦は……10メートル程でしょうか?断層とは違う、何かの裂け目としか言いようのない物が出来ていました。その裂け目の中に空気が流れ込んでいるようで、中からは冷えた魔力が漏れ出てきています。
「これはー……向こう側に流れている?本当にどこかに繋がっているのかしら…それに温度差?これはどういう事かしらね~」
ヨーコさんは裂け目の断面を指でこすっていたかと思うと、何かを確かめるように自分の指をまじまじと見ていました。
「ふふん、どう?本当だったでしょ?」
「すごいですね、これは……大発見かもしれません」
ナタリアさんに素直な称賛を伝えると「もっと褒めて褒めて」と鼻高々です。
「空気を吸い込む何かがあるだけかもしれないけどね~それで、早速入るのかしらぁ?」
「う、ヨーコも褒めてくれたらいいじゃない、折角教えてあげたんだから」
「お姉さんともなると疑り深いのよぉ…それじゃあユリエルちゃんお願いね~」
口ではそう言いながらも、ヨーコさんも目の前の裂け目に好奇心が刺激されたようで、目は爛々と輝き「さあ入ろう!」と語ってきています。その変化にナタリアさんは肩をすくめながら「ヨーコが燃え始めたかー」と呆れ気味に笑っています。どうやらヨーコさんの素の性格はこちらのようですね。2人が何かワチャワチャしているのを横目で見ながら、私は目の前の裂け目に意識を向けます。
「ユリエルちゃんこれ」
「中は暗そうだからね~」
ナタリアさんからランタンが、ヨーコさんからは赤いスティック状の物が差し出されます。ランタンの方はともかくヨーコさんの差し出した物は何だろうと一瞬首を捻ったのですが、どうやらケミカルライトの一種のようですね。暗いからこれを使えと言う事でしょう。
「ありがとうございます。【暗視】があるので大丈夫ですよ」
「それは心強いわ、それじゃあ先頭はお願い……次がヨーコ、お願いできる?」
「任せて任せて~後ろは任せたわよぉ」
裂け目の横幅的に隊列は一列にならざるおえず、戦法も何もありませんからね、簡単な打ち合わせだけでさっそく裂け目の中に突入します。
「では…行きます」
私は剣を片手に、2人に宣言してから裂け目の中に入りました。まず感じたは魔力に浸かったような奇妙な違和感なのですが、それにはすぐに慣れました。続くのは肌寒さで、まるで氷室の中に入ったような温度の低下ですね。この格好のままだと何かしらの状態異常を受けてしまいそうな冷え込みなのですが、ポンチョを被ればその分腕の可動域に制限がかかりますからね、ステータス異常が入るまでは我慢して進みましょう。
ちなみに2番手のヨーコさんが左手にランタンを持ち、右手には何か小瓶を持っていました。ヨーコさんは簡単な魔法も使えるとの事ですが、メイン火力はアイテムによる攻撃だそうです。最後尾を固めるナタリアさんは後ろを警戒しながら短剣を構えています。メイン武器は勿論弓なのですが、この狭さだと使うことが出来ませんからね、少し頼りなさそうな顔で短剣を構えていました。2人も入った瞬間何とも言えない声を漏らしていたので、何かしらの違和感を覚えているのかもしれません。
周囲はただの岩肌と言う見た目なのですが、妙にツルリとした断面で、触れると淡白色に輝きました。その光は雪解けのように数秒で消えていき、その瞬間に冷気を発するようですね。何故そうなっているのかまではわかりませんが、裂け目の中の異常な冷たさの原因はこの光なのかもしれません。
裂け目が地面の下まで届いているからか、かなりの高低差があり、直角に曲がったギザギザのような道で視線が遮られているのですが、分かれ道はないので道に迷う心配はなさそうですね。私は2人がついて来ている事を確認してから、更に奥に歩を進めました。
※ヨーコさんがケミカルライトでなくランタンを持っていたのは描写ミスではなく、ケミカルライトは消耗品で、ランタンは燃料を足せば何度でも使えるからそちらを使用していただけです。ナタリアさんから渡されて使用していました。
※誤字報告ありがとうございます(1/29)訂正しました。




