51:桜花
「もーー!!ま、た、出遅れた!!!」
戦果を誇るように砦内に運び込まれたグリフォンを見ながら、桜花ちゃんは憤懣やるかたないといった様子で頬を膨らませていました。
知り合いから連絡を受けたのか、攻略掲示板を見て知ったのかはわかりませんが、それから繋いだのであれば、まあ、間に合いませんよね。そうは思ったのですが、その事を指摘すると火に油を注ぐ事になりそうですし、この話題は何時地雷を踏むかわからないので、変えさせてもらいましょう。
「それより、用事はもういいのですか?」
十兵衛さんがそんな事を言っていたような気がするので訊ねてみると、やっと桜花ちゃんは視線をグリフォンから外します。
「…習い事、今日は午前中だけだったから」
「お疲れ様です」
なんでも桜花ちゃんは近くの剣術道場に通っているそうで、今日はその道場の朝練があったそうです。いつもならそのままお昼過ぎまで居るらしいのですが、道場の先生が用事で外出するとの事で、帰ってきていたそうです。
「熱心ですね」
午前中は道場に通い、昼からはグリフォンと戦う為にゲームに繋ぐ。まあ現実とゲームでは全然違うのですが、HCP社製のゲームはその辺りはリアル寄りですからね、良い訓練になるのでしょう。
「頑張っていますね」くらいの、特に何も考えていない一言だったのですが、桜花ちゃんは一瞬目を見開いた後、頬を染めて横を向きました。え、なんでしょうこの反応は?私が首を傾げていると、桜花ちゃんは顔を赤くしたままポツリと呟きます。
「強くないときょー…シグ兄のお嫁さんになれないから」
「………なるほど」
いきなりの告白で少し面食らってしまったのですが、どうやら通っている道場の師範代がシグルドさんで、付き合う条件が“強い事”というらしいです。とはいえシグルドさんがそんな事を言っていた訳ではなく、シグルドさんのお父さん、現在の師範が「せめてこいつから10本に1本はとれるくらいの強さの嫁がー」みたいな事を言っていたそうで、それを聞いた日から桜花ちゃんの特訓が始まったそうです。
それにしても、通っている桜花ちゃんはあまり意識していないのかもしれませんが、今時道場なんて殆どないのでネットで検索すれば個人情報が洩れ放題なのですが、前々から誰かに話したかったようで止まりませんね。
きっと同じ女性であり、ゲーム内での知り合いという距離感が話すには丁度よかったのでしょう。出会いから子供時代のエピソードなど、色々な事を話してくれました。
「でね、シグ兄って本当に強くて格好良くて包容力があって……」
まあ内容は殆ど惚気みたいなものですね。いかにシグルドさんが恰好良かったかとか、優しかったとか、そういう話です。思春期特有の年上への憧れなだけかもしれませんし、2人の年齢差がちょっと気にはなりますが、好きという気持ちは止められませんからね、話を聞いたからには私も応援させてもらいましょう。
「では力不足かもしれませんが、私も特訓に付き合いますね」
手合わせの約束をしていましたし、丁度いいです。私にグリフォンの代わりが務まるかわかりませんが、桜花ちゃんの特訓に付き合いましょう。
「うん!」
はにかむように笑う桜花ちゃんは、本当に恋する乙女という感じで可愛らしいですね。私も恋のキューピッドになれるように頑張らないといけません。
(っと、いけません)
つい桜花ちゃんの勢いに飲まれて勝負の約束をしてしまいましたが、待ち合わせがありました。ですが、時間はすでに30分を過ぎているのですが、グレースさんはまだ繋いでいないようですね。何かトラブルでしょうか?
「どうしたの?」
「いえ…大丈夫です」
ただのトイレかもしれませんし、急ぎではないのでのんびり待つ事にしましょう。
「じゃあこっち、丁度いい訓練場があるの!」
桜花ちゃんが言うにはウミル砦にはブレイカー達が使える訓練場があるようで、プレイヤー同士の模擬戦や、何かしらのゲームに使える場所があるようです。ギルドカードを提示し、係の人にお金を払ったら誰でも自由に使っていいそうです。
手を引かれるように案内された広場には、テニスコートのような線が引かれた囲いがいくつもあり、竹刀や木刀といった訓練用の道具も貸し出しされているようですね。
いつもはもう少し人がいて、見物人も沢山いるようなのですが、丁度大規模な戦闘の後で使用している人はおらず、変な野次馬も居ないようですね。私と桜花ちゃんは竹刀を一本ずつレンタルして、適当なコートを一つ借りました。
さて、相手をするからには私も本気にならないといけませんね。係の人にギルドカードを見せた後、ちゃんと帽子を外して、【腰翼】を【展開】しておきます。
ルールは何でもありで、相手を無力化するか、降参させれば終了といういたってシンプルなものです。一応立ち位置は試合形式で始まったのですが、始まりの礼や蹲踞もなく、桜花ちゃんはいきなり中段に構えます。均整の取れた構えは桜花ちゃんの努力が並々ならぬものだという事を如実に表していますね。そしてこれだけちゃんと基礎を叩き込まれておきながら、そういう動作をしないという事は、本当に実戦向きの道場なのですね。
「じゃあ行くね!」
「はい、よろしくお願いします」
勿論公式の試合か何かであればちゃんとした作法にのっとるのでしょうが、今の自然体からの流れの方が何か桜花ちゃんらしくて良いですね。
それに相対する私の構えは、左手に竹刀を持ち、右半身を引いた我流です。桜花ちゃんは距離感を測りかねているのか、いきなり仕掛けてくる事はなかったのですが、ジリジリと距離を詰めてきていますね。少なからず、待ちの戦術ではないようです。
さて、私が知っている桜花ちゃんの実力は、ロックゴーレム戦での走りながら戦っていた時のものなのですが、あまり参考になりませんね。構えを見る限りでは、桜花ちゃんは動き回るよりちゃんと構えて戦う方が得意なようです。
「フッ!!」
鋭く息を吐き、桜花ちゃんはその勢いのまま踏み込み距離を詰めてきます。打つ場所を宣言する剣道式ではなく、完全に私の腕を取りにきていますね。とはいえ距離は遠く、桜花ちゃんの手足だと攻撃範囲ギリギリですね。本命はそこから踏み込んだ2撃目でしょう。
その牽制の一撃を素直に剣で受けると、グッと、思いのほか重い感触が伝わってきます。桜花ちゃんはパッシブ系のスキルを積むタイプのようですね。ただこちらのスキルで相殺できる範囲ですし、懐に潜り込まれる前に軸足を払って仕切り直しましょう。
そう思い、軽く押し返すふりをしながら足払いを仕掛けたのですが……スコンと横回転した桜花ちゃんに、私は軽く唸りました。まさかこうも見事に引っかかるとは思いませんでした。素人が言うのもなんですが、桜花ちゃんの戦い方は剣に頼りすぎているような気がしますね。
これがもしシグルドさんとかであれば、横回転しながらも反撃が来るのかもしれませんが……というよりも、そもそもこんな手には引っかからないと思いますが、桜花ちゃんからの反撃はありません。
竹刀を手放さないのは褒めるべき点ですが、落下する時に持っていたら危ないですからね、桜花ちゃんの竹刀を弾いておきましょう。そのまま回転しすぎて頭から落下しても危ないですし、右手の振り落としで地面に叩きつけておきます。
ビターンッ!!と、受身も取らず顔面から地面に叩きつけられた桜花ちゃんは無言です。つい本気で相手をしなければと思い、やりすぎてしまいました。まあ手加減できるほど桜花ちゃんが弱い訳でもないので、仕方がないという事にして欲しいのですが……。
「……もう一回、いい?」
桜花ちゃんは鼻血をたらしながら立ち上がります。どこか負傷したのか動きもぎこちなかったのですが、私の返事を待たずに最初の位置に戻ります。
「はい、どうぞ」
また同じような距離を取り、桜花ちゃんは構えます。今度は足を気にしていますが、気にしすぎていますね。チラチラと視線を送ってきているのが丸わかりです。
「はぁぁああああ!!」
あまり余裕がなかったのでしょう、奮い立たせるように声をあげながら桜花ちゃんが切り込んできます。狙いはまあ……足ですね。すぐさま戦術に取り入れる所は流石ですが、見え見えです。
今度の一撃は先ほどより踏み込んだ位置から放たれ、私がその一撃を受けると、そのまま鍔迫り合いに持ち込まれます。その状態から桜花ちゃんは素直に足払いを仕掛けてきたのですが、私は逆にその伸びて来た足を踏み抜きます。勿論この動作はノールック。攻撃が予想できていれば、急に足が伸びない限り大体の位置はわかりますからね。
「っ!!!?」
痛みは食いしばったようなのですが、その一撃で桜花ちゃんのバランスが崩れました。本当なら足を踏んだまま一撃を入れるべきなのですが、それだと威力が高すぎますからね、ちゃんと足をどけながら、右掌底を桜花ちゃんの首元に叩き込みます。かなり酷い手打ちになってしまったのですが、その一撃には種族特性や筋力増強スキルが乗り、体重の軽い桜花ちゃんを楽々と吹き飛ばしました。
生きて……いますよね?ちょっと心配になる飛び方をしたのですが、流石に鍛えているからか、大丈夫なようですね。
それにしても、本来なら小柄な桜花ちゃんこそ懐に踏み込む戦い方をマスターしていないといけないと思うのですが、重心や足さばきが完全に剣だけのものになっていますね。たぶんこれは、目標としている相手が悪いですね。ここでいう目標とは勿論シグルドさんの事で、もしかしたら十兵衛さんもいつか超えてやると思っているのかもしれません。
私はロックゴーレム戦でのお2人の実力しか知らないのですが、シグルドさんの懐に入る事は至難の業でしょうし、小柄な桜花ちゃんと190センチもある十兵衛さんでは打撃が効くようなウェイト差ではありませんからね、この2人を想定しているうちに自然と剣での打ち合いがメインになってしまったのでしょう。
まあこの辺りの考察は私の勝手な想像ですし「2人を目標にしたせい」と悪者にしている感がありますからね、桜花ちゃんには黙っておきます。
「う…くっ……」
のんびりと考察をしている内に、吹き飛ばされた桜花ちゃんも動けるようになったようですね。何とか起き上がろうともがいています。これは戦闘不能ととってもいいですよね?私は構えを解きました。
「大丈夫ですか?」
流石にちょっとやりすぎてしまった感がありますから、嫌われてしまったかもしれませんね。そう心配しながら桜花ちゃんを起こそうと手を差し伸べると、強く掴まれました。
「ユリ姉凄い!めちゃくちゃ強い!」
キラキラとした憧れの眼差しを向けられ「凄い凄い」と連呼されます。これはまあ、心配しなくても大丈夫そうですね。
※こうして桜花ちゃんを応援し隊が結成されました。はたして特訓を積んだ桜花ちゃんはシグルドさんから1本取れるのでしょうか?そしてシグルドさんから10本に1本とれる可能性のある美少女が桜花ちゃんの目の前に居るのですが、こちらは誰にも気づかれない事を祈るばかりです。
※誤字報告ありがとうございます(10/17)訂正しました。




