420:プランT
辺りに響いているのはミューカストレントの呻き声とビークリストゥの不快な羽音、巨大な結晶蜂の背中に生えている二対の羽からはキラキラとした結晶が霧の中に消えていき……そんな存在が目の前に浮いているのですが、ビークリストゥは私達を奇妙なモノを見るように髑髏のような頭をカキコキと動かし、酷く膨れ上がったお腹に蓄えられた魔力が怪しげに明滅していました。
「カイトの旦那の言ったとおりだな~…天使の姉御と蜘蛛の野郎がウジャウジャと……あのブタ野郎もちったーぁ役に立つって事かもしんねーけど」
そんなビークリストゥの背中に乗っているレイブンさんは平常通りだったのですが、どうやら少し見ない内に色々と様変わりしてしまったようですね。
(進化した…というより、ビークリストゥの結晶で作られた鎧…でしょうか?)
もとはヌメヌメした緑色の皮膚をしていたのですが、今は水晶のような硬質な結晶に覆われており……こうなると多少なりとも動きが制限されるのですが、そういうそぶりが一切見当たらないというのがなかなか厄介なところなのかもしれません。
後は半透明な水晶と水晶の隙間が視認しづらくて……それより気になるのが装備らしい装備がその水晶の鎧と右手に持っている赤い液体が滴る氷の魔剣だけというのが気になりますね。
(股間が丸見えというのは恥ずかしくないのでしょうか?)
そんな事を気にしている場合ではないのかもしれませんが、レイブンさんが身に着けているのが半透明の鎧だけなので総排出腔から顔を出している二股の男性器が窮屈そうにピクピクと動いているのが見えてしまっているのですが……そんな格好とキヒヒと笑いながらチロチロとした長い舌で舌なめずりしている姿が少々アレだったせいなのか、ナタリアさんとヨーコさんが「うわ~…」と若干引いていたのですが……本人はいたって平然としており、気にした様子がありませんでした。
『いや~…我が言うのもなんだが、お前も似たような恰好だぞ?』
そんな事を考えていたら淫さんが何かとんでも無い事を言い始めたのですが……。
(私の場合はちゃんと隠すべき所は隠していますよ?)
確かにチューブトップのドレスからは胸が零れ落ちそうですし、スカート翼を広げたら紐のようなショーツが丸見えではあるのですが、見えそうで見えないと丸出しである事の差は大きいと思います。
(ぷー…)
「スコルさんといい熊派といい、ユリエルちゃんって変なのに懐かれるよね」
そんな言い合いをしていると何故か頭の上に乗っていた牡丹が「やれやれ」というように息を吐き、何故かナタリアさんが気の毒そうな目でそんな事を言ってくるのですが……それはどういう意味なのでしょう?
「別に好んで懐かれている訳では…」
「OOOOoooxxttTTTT!!」
そんな会話をしながら私達は規定通りに陣形を整えていたのですが、先に動いたのはミューカストレントで……今まで蓄えに蓄えていたドロドロの根っこを纏めて叩きつけて来たかと思うと、毀棄都市の最奥から数百匹のミューカスカタピラーやゴースト達が押し寄せ滅茶苦茶な猛攻を開始しました。
(まさに一斉攻撃…ですね)
その攻撃を丹精込めた陣地に籠りながら受け止め、その間に対応を考えるのですが……相手が強攻して来るのならプランTで待ち受ける事にしましょう。
(そういう訳で…牡丹は予定通りに、淫さんはフォローをお願いします)
頭に乗っている牡丹と身に着けている淫さんには【意思疎通】が通じるのですが、ビークリストゥの出現によって魔力が乱れていて……少し距離のあるニュルさんとノワールには念のためハンドサインでの指示を出しながら防御用の【魔水晶】を展開しておきます。
(後は…)
当初の予定通りに動いているのでこちらの被害は少なくて、今の内に投げナイフを持たせたニュルさんが所定の位置に移動し、ノワールがナタリアさんのフォローに回ったところでレナギリーと目が合って……軽いアイコンタクトだけだったのですが、私が言いたい事は伝わっているようですね。
そして機転の利くナタリアさんは何も言われずとも屋根の上から少し下がった場所で牽制を始め、ヨーコさんはよくわかっていないような動きをしていたのですが……出番自体がもう少し後なのでたぶん大丈夫でしょう。
『やれやれ、後は上手くいくかだが…っと、あれは?』
そして同じように周囲の様子を窺っていた淫さんが訝し気に首を捻るのですが……どうやらミューカストレントに狙われている対象の中にはレイブンさんも含まれていているようですね。
(仲間割れ…でしょうか?)
ミューカストレントと熊派が共闘関係にあると言ってもビークリストゥとミューカストレントの仲が良いのかはわかりませんからね、この2体に何かしらの確執があるかと思ったのですが……よくよく見てみるとレイブンさんも攻撃範囲に入っているようで……いったいどうしたのでしょう?
(レイブンさんが何かやらかしたのでしょうか?)
熊派の中でも独立独歩みたいな動きをしていましたし、勝手に動きすぎてキリアちゃんの逆鱗に触れたのか、それともレイブンさんの意志で離反したのかまではわかりませんが……とにかくこれはチャンスなのかもしれません。
「チッ…折角天使の姉御との逢瀬だっつーのによーいちいちザコが鬱陶しいんだよ!ったく…折角楽しみにしていたんだからよぉ…あと姉御も逃げ回るだけっていうのは萎えるんだよなー…もう少し絶望に染まった顔とかしながら俺様を昂らせてくれよ!!」
そうして2階建ての屋根の上……地上から15メートル程度の高さでホバリングしているビークリストゥに乗っているレイブンさんが矢鱈目ったらと氷の刃をお見舞いして来るのですが……その程度の氷の刃が陣地構成を終えた蜘蛛の巣に通じる訳もなく、表面が少しだけ凍って内側に居る私達にダメージを与える事はありませんでした。
「別にレイブンさんを楽しませるために戦っている訳では…」
そしてミューカスカタピラーや湧き出て来るゴースト達の相手は蜘蛛達に任せ、私達とレナギリーはビークリストゥとミューカストレントの根っこの迎撃に集中していると何故かレイブンさんが口を大きく開けながら身もだえするようにニタニタと笑い始め……。
「キヒヒッ…天使の姉御に名前を呼ばれるだけでこんなに滾るとはなぁ…ああ、ぁああ…やべぇ…それだけでいっちまいそうだ…」
鎧の下でギチギチと押し潰されている男性器が痛むのか蹲るレイブンさんは少しだけ気味が悪くてつい目を細めてしまい……まるで恋焦がれる相手に名前を呼ばれた小中学生のような浮かれっぷりなのですが、ニュルさんに滅茶苦茶にされた時の快感と屈辱感が駄目な方に昇華してしまったのでしょうか?
何か尋常ではない程の執着っぷりなのですが……というより、レイブンさんが色々と丸出しなのも嗾けたジェリーローパー達がズボンを破ってしまったからなのかもしれなくて……もしそれが理由だとしたらレイブンさんが実質全裸であるのは私のせいであると言っても過言ではないのかもしれませんね。
「今度はどんな作戦を考えているのかな…と!」
そんな何とも言えない状況になっている事を表に出さないレイブンさんが元気よく放つ氷の刃を『魔嘯剣』で弾きながら、私はその衝撃を利用して家屋と家屋の間に張っている糸の隙間に潜り込み……流石に閉鎖空間に誘い込まれた後ですからね、不自然な後退を警戒しながら踏みとどまったレイブンさんの顔が歪み……まあいいかというようなニヤニヤとした笑みを浮かべました。
「この程度で俺様が止まると思ったのはちーっとばかし浅はかじゃねぇかぁ…なあ、天使の姉御よぉッ!!」
罠がある事を察したレイブンさんなのですが、どうやらビークリストゥがいれば問題ないと判断したようですね。むしろ私の考えた小賢しい罠を踏み潰してやろうと意気揚々と乗り込んで来る勢いで……。
「くっ…!?」
大きさの問題で巣の中に入って来る事は出来ないのですが、ビークリストゥがバチバチとした魔力糸に繋がれた楔形の結晶を隙間に捻じ込むように飛ばしてくるのを回避するのが精一杯で……勿論レイブンさんも定期的に叩きつけられるミューカストレントの根っこを防いでいますし、レナギリーの魔眼をビークリストゥが弾いているので攻撃が散発的になっているのですが、私へのヘイトが酷いですね。
(巣の防御が上手く機能しているようですし、蜘蛛達も指示通り動けていますが…手数が足りないというのが本音ですね)
そんなビークリストゥの攻撃に耐えられるように構築した陣地は一気に結晶化されないように糸と糸の間隔を広げて中空装甲のようにしていますし、逃げ込みやすい隙間を意図的に作っており……後は結晶化し始めた所を切り離す事によって全体に効果が及ぼす事が無いようにする作戦が上手く機能していますし、レナギリー達やナタリアさんがミューカストレントを抑え込んでくれているのですが……投げナイフ程度の攻撃ではビークリストゥに触れる事すら出来なくて……私はそんな皆の頑張りを確認しながら棘ミサイルの射程距離外まで後退して行きました。
「どうしたどうした?キヒヒッ…逃げてばかりじゃどうしようもねーぞぉ?ただただ乳と尻を振って俺を欲情させるだけか~?」
そうして蜘蛛の巣の中を逃げ回る私達を見失わない為なのでしょう、家屋スレスレを低空飛行しているレイブンさん達は襲い来るゴースト達やミューカストレントやレナギリーの散発的な魔眼をいなしながらいたぶるように糸と糸の隙間に棘ミサイルを打ち込んで来て……私達は陣地中央、正門前の少しだけ開けた広場に追い詰められてしまいます。
「そうやって油断していると…痛い目を見ますよ?」
正直搦め手で攻めて来るようなら手こずったのですが、調子に乗っているレイブンさんが「罠があっても構わねぇよ!」と自信満々に追撃してくれたおかげで上手く罠に引っかかってくれました。
「あ゙あ?この状態で何が出来るって…っと!?はっ、ザコが頑張ったほうかもしれねーがよぉぉおッ!!」
レナギリーやミューカストレントですら単騎で渡り合えているという全能感、それに加えて元から調子に乗りやすい性格だったのかもしれませんし、ビークリストゥが居ればどんな罠があっても問題ないと思ったのかもしれませんが……意図的に空中から入る事が出来るように作られたお誂え向きの広場、射程距離に収めようと地上付近まで降りて来ていたレイブンさん達の上にレナギリー達が丹精込めて準備しておいた巨大な投網が投げられ……余裕のある蜘蛛達も四方八方から無数の糸を吹きかけ始めて、ヨーコさんから『ミックスポーション』を受け取った蜘蛛達が地面に敷き詰めていた糸に魔力を流し始めます。
(後は…!)
レイブンさん達の意識が投網に向いた瞬間、私は【魔水晶】を解除しMPを確保しながら【輪唱】を発動し……投げナイフに【ルドラの火】を込めました。
「しゃらくせぇええ!!」
レイブンさんが狙っているのは私だけ、そしてこの程度の罠など問題ではないというようにビークリストゥが全方位に棘ミサイルを放ち……投げかけた糸が次から次に結晶化していきますし、ビークリストゥの前に居る私達の方にも棘ミサイルが数十発と飛んで来ているのですが……。
「ぷーぅ!!」
今から後退しても棘ミサイルの射程距離から逃れる事が出来ないという距離で、このタイミングを狙っていた牡丹が『イースト港』で購入しておいた投網を投げました。
「はっ…?」
驚くレイブンさんの前で投網が広がり一瞬で結晶化していくのですが、棘ミサイルの欠点は一度着弾してしまうとそこで止まってしまう事で……【蜿々長蛇】の効果でうねる様に動く投網によって後続まで纏めて絡め捕られてしまうと攻撃が続かない事ですね。そして無理やり突き破ろうにも結晶化している途中の投網に突っ込むという事は自分まで固まってしまうという懸念がある訳で……。
(これ…でっ!!)
レイブンさんはこの一撃で私を葬り去るつもりだったのかもしれませんが……周囲はビークリストゥの攻撃を耐える事が出来る中空仕様の糸の森、下手に結晶化させてしまった事によって上空に逃げる事も私達の方に突っ込んでくる事も出来なくなってしまったビークリストゥ達に向けて無理やりドーピングした蜘蛛達の魔力を供給した『ゴブリンシャーマンの杖』での一斉砲撃を放ち、魔力持ちでない蜘蛛達に持たせていたヨーコさん印の『火炎弾』の連投と余剰魔力を吸い取ったニュルさんの【ルドラの火】と私の【輪唱】込みの一撃を叩きこみ、手元まで結晶化する前に投網を破棄していた牡丹が少し遅れて【ルドラの火】を放った瞬間、周囲一帯が吹き飛ぶような大爆発が起きました。
※やったか!?




