346:交渉開始
葵色を散りばめた白くてフカフカしていそうな短毛に覆われた蜘蛛の下半身と病的な肌の白さを持つ少女の上半身、熊派と戦ってきた帰りなのか所々に焼け焦げたような痕が見えますし、身に纏うボロボロの振袖からは妙に大きな胸が今にも零れ落ちそうになっていたのですが……とにかくそんなアラクネの淡く輝く紫の瞳は魔眼が防がれた事に対する驚きで見開かれ、重そうにも見える白く長い姫カットの下から覗く瘤のような六つの瞳が私達に向けてキョロリと動きました。
そして警戒するように攻撃を止めたレナギリーなのですが……彼女の周りには魔眼の発生源となっている9個の大きな水晶玉と無数の小さな水晶球が浮いていますし、私との手数の差は圧倒的です。
あえて勝機があるとすれば左第二脚を中心に不自然な動きを見せている事と、周囲に浮いている紫色の水晶玉が十二個から九個に減っている事なのですが……これはキリアちゃん達と戦った結果の負傷なのでしょうか?
「私達に戦う意思はありません!今日は話し合いに…っ!?」
彼我の距離は300メートル、私は声を張り上げて交渉を開始するのですが……その返事として返って来たのは魔眼のひと睨みでした。
(しくじりましたね)
プレイヤーファーストで進むブレイクヒーローズの交渉難易度はそれほど高くなく、検証班によるとその人の抱えているクエストやら情報やらを参照しつつ、ある程度のキーワードに反応するように出来ているのではないかと言われていました。
あえてブレイクヒーローズらしい特色を上げるとすれば情報の蓄積範囲が広く膨大な事で、これは検証を重ねようと同じNPCに同じ質問を繰り返していると胡散臭がられたり「前にその話を聞いた事がある」みたいな反応をされるという事なのですが、数万人のプレイヤーが発している言動をNPC単位で分けて処理しているゲームはなかなかありません。
とはいえ今どき「ここは**村だよ!」なんて繰り返すNPCなんて居ませんし、リアル寄りの反応が返って来る方がメジャーになって来ているのですが……プレイヤーが発する情報なんて無駄なものが多いですし、蓄積しすぎた情報のせいでラグが発生する可能性もありますし、最悪の場合は情報が処理しきれずにNPCの挙動が可笑しくなったりと悪い面ばかりが出て来るので大抵は「そういえばそんな事もあったな」みたいに“忘れていた”みたいな処理がされている事が多いような気がします。
そしてこの“忘れる”という機能はブレイクヒーローズでも搭載されているのですが、妙なところにこだわりを見せているのがブレイクヒーロズでありHCP社ですからね、出来るだけ情報を覚えておく事によって自然な会話が出来るようになっていて……そんなHCP社でも変えられなかったゲームとしての不自然さとしては、NPCはゲーム外の情報が処理できないという事がありました。
これは……今こうして考えている内容が牡丹と淫さんに伝わっているのですが、一種のセーフティーみたいなのが働いているのか「ブレイカーは時々変な事を考えているな」みたいな思考停止に陥るのではないかと言われています。
逆に言うとその辺りの仕様や注意点に気を付ければ比較的スムーズに会話が続き、今回の説得も『精霊の幼樹』の力を秘めているのなら何かしらのリアクションを返してくれる筈でした。
(特定に条件さえ満たせば説得は可能だと思ったのですが)
普通に攻撃を受けていて……一応手加減してくれているようですし、他の蜘蛛達が襲い掛かってこようとするのを止めてくれているので1対1に持ち込めているのですが、レナギリーとの根本的な戦力差はどうしようもありません。
『来るぞ!』
そんな私の戸惑いを見透かしたようにレナギリーが距離を詰めて来るのですが、まるでこちらの事を試しているような単発発射の魔眼の力によって二つ目の【魔水晶】が割られてしまいます。
このまま接近戦に持ち込まれたら魔力球に嬲られてしまいますし、遠距離を維持していたらしていたらで魔眼で嬲られる未来しかありません。
唯一の救いはレナギリーが誤射を恐れているからなのか、射線上に蜘蛛が居る場合は発射を躊躇うそぶりを見せている事なのですが、退路を塞ごうとするように小さな魔力球が私の周囲に展開されて……この状態で逃げ回るのはなかなか難しそうですね。
「くっ…はっ!?」
離脱しようとすれば魔力球からエッチなレーザーが放たれてしまいますし、急速に迫って来るレナギリーから距離を取ろうにも拘束を目的とした魔眼が放たれ続けていて、その度に防御に回している【魔水晶】が割られて作り直さなければいけません。
平和的な解決のために攻撃は出来ませんし、近づくほど強まるレナギリーのプレッシャーに対して冷汗が流れるのですが、こういうスリルもゾクゾクしてなかなかいいものですね。
高難易度のゲームに挑んでいるという高揚感に感覚が研ぎ澄まされて思考が加速するのですが、こうなると私達に向けられているレナギリーの視線の動きや水晶玉の向きさえわかってくるような気がするのですが……向けられている視線の大半は私の横に浮いている【魔水晶】に向けられているのはどういう事なのでしょう?
(とに、かく!)
木々を利用しながら全力で回避行動をとるのですが、時間にすれば10秒ちょっと、急速に近づくレナギリーが両腕と第一脚を広げるように飛びかかって来て……ある意味ノーガードともいえるような不用意な構えなのですが、もしかしてキックボクシング的な頭部を守るための構えなのでしょうか?それとも上背を利用した打ち下ろしでも狙っているのかもしれませんが、そんな相手の動きを冷静に見極めながら私は逃げるのを止めて、逆に懐に飛び込むように踏みこみます。
虚を突かれたレナギリーは私を抱きしめようとするような中途半端なタックルを放ってくるのですが、私はその腕の下を掻い潜るように背後に回り込み、そのまま背後を取ってチョークスリーパーを決めました。
『遠距離じゃ埒があかん!振り落とされるなよ!!』
(ぷー!!)
すかさず淫さんがスカート翼を使いレナギリーの下半身を固定し、牡丹も触手を広げて私の身体とレナギリーの上半身を固定します。
これなら周囲の蜘蛛達も攻撃しづらいですし、魔眼を放とうとすれば自分の身体にも命中しますし……まあ水晶球による接近戦は防ぐ事ができないですし、頭の上についている瞳が私の事を見てきているのであまり意味が無いのですが、ここまで近づけば拘束されたとしてもレナギリーとの会話が可能です。
「もう一度言います!話し合いに来ました!」
レナギリーはカタコトながら話す事が出来ますし、言葉は通じている筈です。なので私は再度レナギリーの耳元……少女の身体が本体で良いのですよね?とにかく少女の身体についている耳の近くで叫ぶのですが、私の言葉を無視するようにレナギリーの周囲に浮いている水晶球が纏わりついてきて……。
「………?」
手酷い反撃を受けると覚悟していたのですが、異様に曲がる第一脚がレナギリーの背中にへばりついている私の事をグシグシと撫でてきていますし、浮いている水晶球が私のほっぺたとか背中とかをペタペタと触れながら微かに震えてくるのですが……これは友好の証的な行動なのでしょうか?
『どういう事だ?』
(ぷぅ?)
淫さんや牡丹もレナギリーの行動に対して困惑したように呟くのですが……私もよくわからないので2人の疑問に答えてあげる事ができません。
「ヤット、カエッテキタ……ダケド、マダマダ…ミジュク」
そしてレナギリーから思いのほか優し気な音色の言葉が返ってきたのですが……どういう事なのでしょう?
「それは…どういう?」
拘束を振りほどこうとされたり攻撃されたりするのならわかるのですが、まるで孫でも可愛がるようにワシャワシャされ続けられて逆に戸惑ってしまいます。
「ココハ、キケン…イドウスル」
それから私の言葉を無視したレナギリーはまるで手のかかる子供をあやすように私を抱えなおすと、ゆっくりと移動を開始したのですが……まあいつ熊派の襲撃があるかわからない場所ですからね、落ち着いて話しをするためには移動する必要があったのでしょう。
ただ他の蜘蛛達もレナギリーの乱心ともいえる行動に戸惑っていますし、わからない事だらけなのでもう少しちゃんとした説明が欲しいのですが……とにかく同じように事情が呑み込めない蜘蛛達と共にレナギリー達の拠点である『臨時キャンプ地』に向かう……レナギリー達からすると帰る事になりました。
その間ずっとレナギリーに抱きかかえられたままだったのですが、とにかく『臨時キャンプ地』は森の中の広場に広がっている糸塗れのテント村という感じで、周囲の木々には蜘蛛達の糸が張り巡らされていますし、近づこうとした雑多なモンスターが引っかかっていますし、逃げ遅れた騎士達の繭があったりします。
正攻法で来ようとするとなかなか苦労しそうな場所には無数の子蜘蛛達がワサワサしていますし、いつレナギリーに手のひらを返されるかわからない状況というのもなかなかの恐怖体験ではあったのですが……脱出イベントが始まる可能性も考えて、私は一旦色々な事から目を逸らして周囲の観察を続けました。
そうしてそのまま中央の天幕までやって来たのですが、改めてオウム返しのように質問を繰り返しながら情報を引き出してみた結果、まず私の扱いが番の力を宿したレナギリーの家族的な扱いのようで、家出娘がやっと帰って来たという扱いのようですね。
因みに『レナギリーの卵嚢』と『精霊の幼樹』の力で生まれた【魔水晶】は孫扱いになっているようで……まあ人間とは違うコミュニティを形成している訳ですし、血筋より性質的な繋がりが強いのかもしれませんが……そうなると『精霊の幼樹』の葉っぱを食べた時に覚えた【媚毒粘液】の方はどういう扱いになっているのでしょう?
『さあな、出がらしみたいなものじゃないか?』
その事については何か嫌な予感がしたので聞く事ができませんでしたし、淫さんがどうでもよさそうに呟いたのですが、確かに深く考えるだけ無駄なのかもしれませんね。
とにかくレナギリーは娘?家族?である私に対して「マダマダ」と言いたいようで、「ミュジュク」と言っていたのは【魔水晶】のスキルレベルの事で、後は貴女も人やアスモダイオス対抗するために力を貸しなさいという事でした。
「そこは…人と協力する事は出来ませんか?」
私達はレナギリーを説得するために来た訳ですから、魔王退治のために人類と協力できないかと聞いてみる事にしたのですが……。
「ダメ…ヤツラハユウコウヲウタイ、セイレイジュヲホロボシタ」
「それは…そうですが、人間にも悪い人間と良い人間が居……」
「ダメ」
頑なに協力はしないと言うレナギリーなのですが、そもそも『精霊の幼樹』が無いと子孫を増やして対抗するしかなくて、生み出す母体や栄養価の高い食料として人類が必要なので衝突する事は避けられないそうです。
「ダカラ、アナタモ、テツダウ」
むしろ私にも子孫繁栄のために手を貸して欲しいとの事なのですが、流石に子蜘蛛を生んであげる訳にもいかないので別の案が必要ですね。
「その…幼樹をもう一度育てる事は出来ないのですか?」
レナギリーが言うには『精霊の幼樹』が有れば対抗できるという事ですし、育てる方法さえわかれば何とかなるのかもしれません。
「ムリ…ウエルバショガ、ナイ」
意外な事に『精霊の幼樹』は差木で増やす事が出来るようなのですが、育てるためには特殊な土壌……大量の『音晶石』が必要なようで、『蜘蛛糸の森』にあった鉱石は『歪黒樹の棘』が育つ時にすべて破壊されてしまったそうです。
逆に言うとアルバボッシュの枝と『蜘蛛糸の森』の最奥にあった壁一面の『音晶石』と同じレベルの鉱石があれば『精霊の幼樹』が作り出せるという事なのですが……そんな量の『音晶石』なんて何処にあるのでしょう?
(スコルさんが『音晶石』の鉱床が見つかったみたいな事を言っていましたし、もしかしたらその場所に枝を持っていけば?)
第一エリアの調べ物が進んでいないのでこの考えが正しいのかはわからないのですが、とにもかくにもキリアちゃん達に対抗するための手段が見えてきたところで何やらテントの外が騒がしくなってきました。
※ちょこちょこと修正しました(3/12)。




