312:シャドウダイブ
影の中に潜る……というより土の中に潜るという感じでしょうか?どちらにしてもかなり奇妙な体験ではあるのですが、ザラリとした底なし沼に飲み込まれていくような落下感に肌が泡立ちますし、微粒子が敷き詰められているような抵抗の強い空間は私の弱い所を擦り押し潰して息が漏れるのですが、2メートルくらい沈んだ所で沈下は止まり何とか一息つく事が出来ました。
(ここまで本格的に潜るのなら事前に説明しておいてほしかったですね)
私はドキドキしてしまったのを誤魔化すように息を吐こうとしたのですが、口を開こうとするとザラリとした無味無臭の何とも言えない感触の物が口の中に入ってきて溺れそうになり、舌で押し出そうにも絡めとられるような舌触りに背筋がゾクゾクとしてしまい、えずくように前屈みになろうとすると尻尾の付け根から腰の辺りに押し付けられているスコルさんのナニかが擦れて下腹部がキュンと震えてしまいます。
(本当に…)
こうなる事がわかっていたのならもう少しちゃんと空気を吸って身構えていたのですが、沈み込んだ時に慌ててしまい少し空気が漏れてしまいましたし、あまり長い時間潜っている事は出来ませんね。
(呼吸については制限の一つだと思いますが)
そうでもしないと無敵のスキルになる可能性を秘めていますからね、運営からすると効果時間を延ばすために頑張ってくださいという事なのでしょう。
(なのでそれはいいのですが…)
口の中に入っている物と押し付けられている物は一旦無視する事にしてスキルについて考えるのですが、呼吸を止めていられる時間は平均して1分から2分程度、本来の使い方としては一時的に避難したり攻撃を回避したりするスキルなのだと思いますが……こんな状態で移動が出来るのでしょうか?
そんな事を考えながら辺りを見回すのですが、地上の様子はまるでガラス張りの下から覗いているような感じで、見える範囲は私達を頂点とした直径10メートル前後の逆円柱形、角度的な問題でかろうじて地上の様子はそこそこ見えますが、それ以外は暗い闇の中なので探索には向いていない感じですね。
そして私達はそんな空間の中にプカプカと浮いているような感じで、どこまでも広がる深淵のような闇の中にあるのは首筋に当たっているスコルさんの硬い毛の感触と背中側に密着しているゴワゴワした温かい毛皮、そして尻尾の付け根辺りに押し付けられている硬くて熱いナニかという……意識はしても動かしていないところにスコルさんの紳士さを感じればいいのかもしれませんが、あまりその事を考えているとドキドキして落ち着かなくなるのでその事は一旦横に置いておきましょう。
(しかもこのスキルって、下から覗き放題なんですよね)
このスキルは地下から地上を見上げているような形になるので自然と範囲内に入って来た人のスカートの中身が見放題なのですが……スコルさんはいつもこうして覗きをしている訳ではないですよね?
『ユリちー酸素は大丈夫?何かモジモジしているけどそろそろ上がる?』
そんな何とも言えない気持ちでモヤモヤしているとフレンド経由でスコルさんが話しかけてきたのですが、私も会話を切り替えて口の中でモゴモゴと喋るように返事を返します。
『いえ、もう少しなら大丈夫です……が、もう少し事前の説明があってもよかったのではないですか?』
色々と言いたい事はあったのですが、不意打ちのように影の中に潜らなくてもと問い詰めるも右肩に顎を乗せているスコルさんは驚き慌てる姿が見たかったからというようなにやけ顔で、その確信犯的な笑みが小憎らしい事この上ないですね。
『いやーごめんごめん、おっさんうっかりしてたわー…ほらあれよあれ、ユリちーの魅力に見惚れていて色々と手順をすっ飛ばしちゃったって事で』
よくわからない弁明をするスコルさんなのですが、ここまで息を止める必要があるとわかっていたらもう少ししっかりと深呼吸をしていましたし、慌てて空気が漏れる事もありませんでした。
『もういいです、それより…』
私は呆れているという事を示すように肩を竦めてみせてから、そういえば牡丹と淫さんはどうなったのでしょうと視線を動かしてみたのですが……。
(ぷー?)
『我もいるぞ』
頭の上にイビルストラ形態の牡丹が乗ったままですし、淫さんも着用したままですね。
たぶん2人は装備品扱いになっているので問題なくついて来たのだと思いますが、この状態で牡丹がスライム形態になったらどうなるのでしょう?
(ぷ?ぷぅー…う!?)
そんな疑問が浮かんできたので試しにスライム形態に戻ってもらうと、牡丹はポンと地上に放り出されてしまい……どうやらテイムモンスターは一緒に潜れないようですね。というより人数制限でしょうか?その辺りの仕様がよくわからないのでスコルさんに視線を向けてみたのですが、スコルさんはスコルさんで頭上を見上げて間の抜けた顔をしていました。
『ありゃー…途中で増えるとこうなるのね』
そしてその辺りの仕様を把握していなかったというようにスコルさんは呟くのですが、もしかしてよくわからないまま私達を巻き込んだのでしょうか?
『知らなかったのですか?』
『そりゃーおっさんだって人と一緒に潜ったのは初めてだし、細々とした事はよくわからないのよねー』
『初めてって…』
何かトラブルがあったらどうするつもりだったのでしょう?そんな思いを込めて半眼で睨んでみるのですが、スコルさんは意に介した様子なく可笑しそうに笑います。
『それじゃあ牡丹ちゃんも回収しないといけないし、ユリちーもこのスキルがどんなのかわかったところで一旦テントに戻りましょうや』
言いながらスコルさんはスキルを解除したのか、私達の身体はポンと地上に飛び出したのですが……着地した瞬間、スコルさんは先に放り出されていた牡丹から体当たりを受けていました。
「ぷーっ!!」
「ちょ、ちょっと、おっさんだって牡丹ちゃんが飛び出るなんて知らなかったんだからノーカン、ノーカンよぉっ!?」
そして体当たりをくらいながらもへらへら笑うスコルさんはいつも通りの胡散臭い笑顔を浮かべているのですが、本気で言っているのか冗談で言っているのかよくわかりませんね。
「2人ともそれくらいにして、話を進めますよ」
まあその辺りはいつもの事なのですが、一瞬だけスコルさんが何か大切なモノを無くしたような寂しそうな表情を浮かべて……すぐに胡散臭い笑みを浮かべなおしていました。
「…?」
その事が少し気になったのですが、何か踏み込んでいい内容でもない気がしましたし、ツッコミにも疲れたので放っておく事にしましょう。
(これで私も【シャドウダイブ】を覚えられるようになっていたら楽なのですが……まだ無理のようですね)
そして念のためスキル欄をチェックするのですがスキルは増えていませんし、流石に一回二回一緒に使った程度では覚える事が出来ないようですね。なので仕方なくこのままスコルさんと一緒に第一エリアまで移動する事になったのですが……まずはよくわかっていない仕様の確認から始める事にしました。
「といっても別に難しいスキルって訳じゃないのよ?」
そう前置きを入れてからスキルの説明をするスコルさんの話を纏めると、消費するのはMPで効果時間は息の続く限り、影に潜った後は水中を泳ぐようにして移動は可能なもののアクティブスキルやパッシブスキルは使用不可なのだそうです。
勿論脚力強化などのスキルも使えなくなるので速度が出ないとの事なのですが、検証した結果この制限は【シャドウダイブ】を使用しているプレイヤーが受けるデメリットのようで、同行者は普通にスキルが使える事がわかりました。
「そういう訳で、移動はユリちーにお願いするわね」
正直に言うと人より抵抗があるのであまり泳ぐのは得意ではないのですが、スコルさんの犬かきより早く移動できるので私が移動を担当するしかありません。
「それは構いませんが…」
他の注意すべき点としては、ある程度の日陰や影から出入りしないとダメージを受けるという事と、特殊な魔法がかかっている場所や強い日差しに照らされている場所はそもそも移動不可である事、そして地面から飛び出してくる都合上地表に何かあると出る事が出来ないというのも考慮すべき点らしいですね。
「といってもよほど開けた場所じゃなかったら大丈夫だし、自分の影やちょっとした日陰もカウントされるし、ユリちーの場合は人に見つからない事の方が重要なんじゃない?」
との事なんですが、スコルさんが言うにはテントの中くらいの薄い影が落ちていればその上に出られるとの事ですし、一般的なポータルは地下にまで判定があるのでその場所までいけば移動可能、エリア間移動用のポータルは建物の中にあるので問題なく使えるとの事でした。
そしてある程度の気配を断つ事が出来るので魅了を振りまいたりせずに移動が可能になるのですが、いくら影に隠れていると言っても気配察知に優れている人には気づかれているっぽいですね。
あと気になった点としては、同行者を影の中に取り込む要領でモンスターを引きずり込んだらどうなるのかなのですが、スコルさんが言うには潜っている最中はスキルが使用不可になる上、同行者が暴れたり離れたりすると影から出てしまうので攻撃に転用するのは難しいそうです。
「ま、そういう便利なようで不便なスキルなのよねー…そしてそういうスキルだとわかったところでそろそろ移動しましょうや、おやっさんも首を長くしすぎてキリンになっているわよ、きっと」
「そうですね」
スコルさんは検証している最中にテントからエリア間のポータルの間にある安全な息継ぎポイントを幾つかピックアップしていたとの事で、私達はさっそく移動を開始する事になったのですが……。
「ぷっは…はー…はー…」
一つ目の移動地点、木陰の傍に置かれている木箱の影に囲まれている空間に出たところで、意外とこのスキルで移動する事が大変な事を知りました。
「ぜーはーぜーはー…いやー何これ苦しい、大変…おっさん死ぬかも」
因みにスキルを使用している最中はスコルさんの体に触れていれば良いので私がスコルさんを抱きかかえたり上に乗ったりする事も出来たのですが、バランスを取る都合上両手をフリーにしておきたかったので相変わらずスコルさんがベッタリと背中に張り付いていて、張り付いているだけのスコルさんの方がバテていたりと……同行者がいる場合はMP消費が増えたりするのでしょうか?
「え、ええ…大変なのは同意しますが、ここでのんびりしている訳にもいきませんからね、他のプレイヤーに気づかれる前に先に進みましょう」
そしてリアルだとまともに泳げない私も【魔翼】やスカート翼を使えばそれなりの速度で地中を移動できているのですが、私の場合は抵抗を減らそうと横になるとドレスの胸の部分がズレてしまい、先っぽと粒子が擦れてなかなか上手く進む事が出来ません。
「そ、そうね…じゃあ次はポータルの方に向かいつつ2件目の建物を…って言いたいけど、この速度なら一つ二つポイントを飛ばした方が楽かもしれないわね」
「じゃあどこまで行きますか?」
そんな風にワチャワチャと移動する先をスコルさんと相談しながら、私達は人目を避けるようにエリア間移動用のポータルを目指して影の中を突き進む事になりました。
※傍から見ていると影から影に移動する格好いいスキルなのですが、内実は力業で移動しているという結構大変なスキルではあります。
※少し修正しました(12/30)。




