212:蜘蛛糸の森
私は本来あまり掲示板には書き込みをしない方なのですが、こうしている間にもワールドクエストは進んでいますし、何かあってもいいように外部ネット経由で他のプレイヤーと情報を共有する事にしました。
こうしておけば時間切れで攻略を中断したとしても他の人が情報収集を引き継いでくれると思いますので、第一発見者としての最低限の仕事は出来たと思います。
(出来れば援軍が来てくれたら良いのですが)
そうすれば混乱に乗じて脱出がしやすくなると思うのですが、攻略掲示板を見ているうちの何パーセントが実際に動いてくれるかはわかりません。
(それより…)
多少は動いてくれるでしょうとそちらに関しては楽観視する事にしたのですが、書き込みをしている間にも植え付けられた『レナギリーの卵嚢』の影響で定期的に子宮が疼き、その度に甘い刺激が身体中に広がり汗が滲みます。
得体の知れない状態異常に対して焦燥感が募るのですが、出鱈目に飛び出してどうにかなるようなゲームではありませんからね、まずは状況把握に努めようと改めて『苗床の間』を見回してみたのですが……ざっと見回した範囲に見える繭の数は30個程度と、そこそこの数ですね。
張り巡らされている糸には縦糸と横糸という区別はないのですが、魔力の通っている物と通っていない物があるようでした。
そしてその繭の中にはカナエさんの姿もあったのですが、PT表示を見る限りでは今はログアウト中で、繭の中のアバターも動きはなく意識を失っている状態のようです。
まあ捕まる前から強制ログアウトのカウントダウンが始まりかけていましたし、糸に飲み込まれた時にでも落ちたのでしょう。
「…ッ」
私はカナエさんが戻って来た時に少しでも脱出しやすいようにと繭に切れ込みを入れておこうかと思ったのですが、『レナギリーの卵嚢』の影響で体が火照り、その影響を受けて『翠皇竜のドレス』の呪いが発動してという悪循環が生まれていて、身体が敏感になりすぎています。
(ぷー…?)
少しの揺れで身体がビクリと跳ね、牡丹が心配そうに声をかけてきました。
(大、丈夫…んっ…ーーッ!?)
私は出来るだけ平常心を保とうとしたのですが『レナギリーの卵嚢』によるデバフは地味に厳しく、卵嚢が私の中で蠢く度に大きくて柔らかい塊にズチュズチュと挿入されているような感じがして、襞の一つ一つが捲れてピリピリして腰が砕けそうになり足元がふらつきます。
「ッ…!?あぅっ、はっ…はー…はー…」
たまらずカナエさんの繭にしがみついて転倒は免れたのですが、ヌチュヌチュと暴れる卵に幸福感が溢れてポタポタと液体が滴り、頭が馬鹿になりそうです。
そのままお腹の中の卵が落ち着くまで私は繭にしがみついていたのですが、繭に触ったからと言って蜘蛛達の警戒網に引っかかったりしませんよね?
そんな事すら考えている余裕はなかったのですが、もしそうだとしたら自分の繭から脱出した時点で蜘蛛達にバレていますからね、殺到してこないという事は大丈夫なのでしょう。
時間をかけながら呼吸を整え、私はカナエさんの繭に切れ込みを入れてから残りの繭についても調べてみるのですが……そちらはどうやら蜘蛛に捕らえられた騎士達や前から住んでいた住人達と言ったNPCのようで、皆さん意識を失っているようですね。
そういえば行方不明者を捜索するクエストが出ているらしいのですが、もしかしてこの人達がそうなのでしょうか?
助けてキャンプ地まで送る事が出来たらクエストクリアなのかもしれませんが、今はそれより状態異常の解除が先決ですし、助けるにしても脱出ルートを探してからでないとこの人数で団体行動するのは難しいでしょう。
中にはずっと閉じ込められていたせいでドロドロに溶けてしまったグロテスクな物もあって吐き気がこみ上げてきたのですが、嫌悪感を抱いた事を責めるように卵が蠢き始めてしまい、私は別の意味で悶える事になりました。
とにかく繭の中の人達は今すぐどうこうなるという様子もなさそうなので後回しにする事にして、まずは脱出ルートなのですが……この『苗床の間』には大きな出入り口が一つあり、ドーム状の屋根付近には換気用の穴なのか高窓の名残なのかわからない穴がチラホラ見えます。
高窓までの高さは4~5メートルといったところで、レッサーリリム化している今なら楽々と飛び乗れる高さにあったのですが、天井を支えるようにして魔力の通った糸が張り巡らされていますし、ここは無難に建物の出入り口に向かいましょう。
武器もない状態での脱出という事でもう完全にステルスゲームみたいな感覚になってきているのですが、クイックリーンで近くに脅威が無いかを確認した後、私は数秒待ってからゆっくりとカッティングパイをして外の状況を確認すると、『苗床の間』の外に広がっているのは木と蜘蛛の糸で出来た巨大な森で、何かしらの意味があるのか蜘蛛の糸で編んだ白い布が無数はためいており、全体的には高低差のある蜘蛛達の山城と言った異世界情緒ある風景が広がっていました。
現在地と一番高い場所との標高差はだいたい50メートル程度、そこから放射状に延びた蜘蛛の巣が森全体を覆っており、すそ野に広がるように森と一体化した和風建築の村が大量の糸の中に沈んでいるような状態で、木と木の間に張り巡らされた糸の上を色々な種類の蜘蛛達が忙しそうに行ったり来たりしているのが見えたのですが、今の所こちらの動きに気づいた蜘蛛は居ないようですね。
そんな襲って来ない蜘蛛達は仲間内で意思疎通をしているような素振りを見せていたり、糸まみれの建物の中に食料を運び込んでいたりと忙しなく働いていたりと妙に生活感があり、ここが敵地でなければ少し見て回りたい気もするのですが……勿論幾らのんびりした風景だからと言っても見つかったら袋叩きは免れないと思いますし、『レナギリーの卵嚢』が急かす様に蠢いており、私は宥めすかすようにお腹を撫でながら、とにかく逃走ルートを確認しようと辺りを見回します。
糸の森自体はかなり広い範囲に広がっているのですが、ある程度の所で蜘蛛達の生活圏を区切る為か瓦葺の灰色の塗り壁で囲われているようで、一応そこが境界線のようですね。
幾つかの糸の上を辿って向こう側に抜けたら脱出可能な気もしますが、塀には魔力が通った糸が張り巡らされていますし、何より塀の上を巡回する蜘蛛達の姿も見えるので見つからずに塀を越えるというのは難しそうです。
そしてそういう強行突破ルートを諦めるとなると地上ルートを通る事になるのですが、人間用の通路や設備でない物も多く、妙に立体的な場所があったり触れて良いのかわからない糸の道が張り巡らされていたりと障害物が多い感じですね。
それでも大雑把にルートを分けるとなると、『苗床の間』の前のちょっとした作業場のような広場から下の水場に向かって伸びる道と、蜘蛛糸の中央部分を迂回するようにして上へ昇る細い道の二種類のルートがあったのですが、下る道は貯蔵庫となっている小屋に続いているだけの行き止まりになっているようでした。
そういう訳で単純に脱出を考えるのなら中央に向かいつつ外に出るための門か通路を探すべきなのですが……ゲーマーとしては行き止まりの方も気になるのですよね。
(行き止まりには何か置いておくのがセオリーですし)
私の場合は市販の鋼の剣と鉄の投げナイフという無くしても良いような武器しか持っていなかったのですが、このイベントで捕らえられるプレイヤーの中にはレアな武器を持っている人が居たり愛着のある武器を持っている人もいる筈です。
そういう人達から強制的に武器を奪い取ったとなるとクレームものですからね、そういうのを回避するために大抵の場合は脱出した近場に置いている筈なのですが……そんな事を考えながら、私はアチコチに張り巡らされた糸に引っかからないようにしながら周囲を警戒しつつ、広場向こうの下り坂を下り小屋まで走ります。
それは板張りのいかにも小屋と言った感じの長屋みたいに横に長い建物で、小屋を利用しているのが蜘蛛だからか、それとも単純に開け閉めをするのが面倒だからか、ドアという物はなく開けっ放しでした。
ドアの開け閉めに手間取っている内に見つかる可能性まで考えていた私は迂闊にもその幸先の良さに内心はしゃいでいたのですが、とにかく蜘蛛達に見つかる前に小屋の中に滑り込むと、はたしてといいますか、予想通りといいますか、あちこちから集めた武器や道具が棚の中に収納されていて、その中には私の鋼の剣や投げナイフもありました。
(これで…)
(…ぷっ!)
その時の私は警戒しているつもりではあったのですが、『レナギリーの卵嚢』の事もあり焦りすぎていたのか、それとも疼く下腹部のせいで注意が散漫になっていたのか、牡丹の警告にハッと顔をあげると棚の上から飛び降りて来た黒い蜘蛛が触肢を振り下ろしてきていて、咄嗟に回避しようとするのですが……下腹部が震えて足が滑ります。
「っ!?」
「ぷ~うっ!!」
牡丹が振り下ろされた触肢を絡めとるようにして減速させてくれたので何とかギリギリ首を傾けて回避するのが間に合ったのですが、そのまま揉み合う様にして仰向けに転倒してしまい、黒い蜘蛛は覆いかぶさるようにして私を押さえつけてきました。
※次回更新は6月2日の偶数日になる予定です。




