179:世界の裏側へ
ドプンと粘度の高い水の中に落ちたような感覚。キリアちゃんに引きずり込まれた場所は蠢くタールのような物が詰まった不思議な空間で、まるで重油の中に少量の水を垂らしたような七色の色彩が揺らいでいました。
そんな液体に撫でられているような感覚はとても不快で、押しつぶされるような圧迫感があったのですが、それより問題なのはここでは呼吸がまともに出来ない事です。
状態異常には表示されていないのですが、息苦しさに耳鳴りや吐き気、酸欠状態のような症状が出てくるのですが、キリアちゃんに掴まえられている状態では逃げ出す事も出来ません。
ただ無抵抗のまま体をまさぐられ、私はキリアちゃんと唇を合わせます。
唇と唇が触れ合うだけのライトキス。同時に軽く息を吹き込まれるような感触があり、少し呼吸が楽になりました。
どうやらこのキスには何かしらのスキルを付与する効果があったようで、不思議と呼吸が楽になり、光が燈ったように少しだけ周囲が見渡せるようになりました。
「フフ、初めてだったけど、仲良しって感じがして良いわね」
キスをするために前に回って来ていたキリアちゃんは無邪気に笑っているのですが、こうして笑っているとただの可愛らしい女の子でしかないですね。
とはいえそんな事を悠長に考えている場合ではありませんし、私はキリアちゃんの動きに注意をしながら、改めて辺りを見回してみる事にしました。
入った瞬間から薄々わかっていた事なのですが、どうやらここは単純に壁の中という訳ではないようで、周囲に広がっているのはどこまでも続くような黒い世界と、千切れたオーロラのような色彩です。
そして振り返った先には何故最初に気づかなかったのかというくらい大きな穴が開いていて、その穴からは謁見の間の様子が見えていました。
音は聞こえず、まるでサイレント映画のように赤目になった小熊達と戦っているプレイヤー達の姿が見えているのですが、謁見の間から逃げだした人が助っ人を呼んだのか、式典の様子を中継していた人の動画配信を見て異変に気付いたのか、中庭に居た大量のプレイヤー達が応援に駆け付け、人数で押し切り始めているようですね。
その中にはまふかさんやグレースさんの姿もあり、雪崩をうって謁見の間に押し寄せるプレイヤー達に流石の赤目の小熊達も押され始め、徐々に数を減らしていっているところでした。
途中離脱してしまった身としては戦っている人達の事が心配だったのですが、この様子ならどうやら大丈夫そうですね。
そして心配といえば小熊に埋もれてしまったスコルさんや牡丹の事も心配なのですが、スコルさんの姿は見えないのですがまあ大丈夫でしょうし、穴から見える映像にはポヨンポヨンと跳ねる無傷の牡丹の姿も映っていました。
集中すれば牡丹との【意思疎通】は繋がるようで、意識すれば牡丹経由で謁見の間の情報が入ってくるのですが、どうやら向こうからこちらの様子は見えないようで、それが牡丹の焦りに直結しているようですね。
(ぷっ!ぷぃ!?)
牡丹からすると私がいきなり壁の中に吸い込まれていった状態のままですからね、かなり焦った様子で私達が引きずり込まれた壁に向かってポヨンポヨンと体当たりをしているのですが、どうやらこちら側に来る事は出来ないようです。
(こちらは大丈夫ですから、牡丹も絶対に無理しないでください)
あの赤目の小熊達は強敵のようですし、下手に絡んでロストになるのは避けて欲しいです。
(ぷ……)
牡丹から「了解」と返ってくる前に、プツンと何か途絶えるような感じがして【意思疎通】が切れました。
一瞬何かあったのかと心配したのですが、穴から見える牡丹の様子に変わりはありませんので、ただ【意思疎通】が切れただけのようですね。
「レディーを前に余所見をするのはマナー違反じゃないかしら?」
きっと通信途絶したのはキリアちゃんが何かしたからなのでしょう、こっちを見る様にと、水の中を漂うように浮いていた私の体を抑え込み、馬乗りのマウントを取りました。
「何でこんな事をするんですか?」
戦勝会に襲撃を仕掛けてきた事も、私をこんな空間に連れてきた事も、あと他色々と疑問は尽きないのですが、私がそう尋ねるとキリアちゃんは「何でそんな当たり前の事を聞くの?」みたいな不思議そうな顔で首を傾げてみせました。
「それがキリアの役割だから、それ以外の理由が必要なの?」
その役割がどれだけ特別かという事を表す様に、キリアちゃんは傲慢さを滲ませた笑みを浮かべるのですが、これは質問の内容が曖昧過ぎましたね、一つずつ聞いていく事にしましょう。
「魂喰いってなんですか?」
キリアちゃんは牡丹の事をそう呼んでいたのですが、何か重要なキーワードなのでしょうか?そう思って聞いてみたのですが、その質問をするとキリアちゃんは不機嫌そうな顔になりました。
「お姉ちゃんばかり質問するのはつまらないわ、だってキリアも聞きたい事があるのに我慢しているのよ?」
「すみま…っひゃッ!?」
確かに一方的に質問攻めをしてしまいましたと私が謝罪の言葉を口にしようとすると、キリアちゃんはいきなりドレスの中に手を入れたかと思うと、私の胸の先端をギュッと摘みました。
「キリ、ア、ちゃん、そこは…」
「まあいいわ、お姉ちゃんは特別よ?」
仕方がないなーというような様子なのですが、そんな事を言いながら私の敏感な部分をこねくり回し、絞り揉んで、引っ張ります。
「ふっ…ッ、キリ、ア、ちゃん…?」
キリアちゃんの小さな手はしっとりとしていて少し冷たくて、指捌きも拙いところはあったのですが、散々擦れて焦らされていた私の身体はその軽い刺激に反応してしまって、会話どころではなくなります。
「魂喰いは魂喰いよ、魔物の魂を食べる存在。お姉ちゃんが飼っているんだから、お姉ちゃんの方が詳しいんじゃない?もし知らないっていうのなら、それはお姉ちゃんの勉強不足ね」
これは多分人間サイドと魔王サイドの呼び方が違うだけで、牡丹が魔石や魔核を食べる事を言っているだけなのでしょう。
「ふぅっ、あっあぁッ!?」
つまり大した事は言っていなくて、【テイミング】の基本ともいえる事を知らないの?というようなキリアちゃんが少し小馬鹿にしたように笑いながらキューっと絞り上げると、それだけで私は軽くイキそうになり、腰が浮きあがります。
パチパチとした瞬間【高揚】のオートスペルが発動し、【ルドラの火】の前にまず【展開】が発動し、私は自動的に『レッサーリリム』状態になりました。
「フフフ…いいな、やっぱりお姉ちゃんは良い…ねえ、何故かしら、お姉ちゃんのその声を聞いていたら体がキューってなって、おかしくなってきそうなの」
「はっ…はー…はー…ッ…」
良いところで手を止めたキリアちゃんは、いきなり姿の変わった私に驚くでもなく、むしろ歓喜の表情まで浮かべながら楽しそうに笑っているのですが、キリアちゃんはキリアちゃんで気分が高揚してきているようで、恍惚とした表情を浮かべ、短く息を吐きました。
「キリアちゃん…」
幼いながらも無意識に腰を動かすキリアちゃんはゆっくりと呼吸を整えると、首元に擦り寄るようにもたれ掛かってきます。
そんな動きだけで胸が強く押しつぶされて、ギューッと切ない気持ちが広がり、首元にあるキリアちゃんの体温と感触がくすぐったくて変な気持ちになってきてしまいます。
「じゃあ今度はキリアが質問する番ね」
呼吸が整うのを少し待ってくれたキリアちゃんは囁くようにそう呟くと、匂いを確かめるように深呼吸をしてから、尋ねてきました。
「お姉ちゃんからゴルオダスの匂いがするのはどうして?」
たぶんキリアちゃんはゴルオダス側の人間で、第一エリアのボスであるゴルオダスが倒されると様子を見に来て、人間側に宣戦布告をするNPCか何かなのでしょう。
ゴルオダスは私達からすると倒さないといけない敵ではありましたが、キリアちゃんからすると仲間であったのかもしれません。
なので伝えるべきか少し悩んだのですが、いつまでも隠しておく事も出来ませんよね。
「それは…私達がゴルオダスを倒してしまったからだと思います、その時に怨念をもらい受けましたので、もしかしたらその臭いが私から漂っているのかもしれません」
討伐した事を伝えた事でキリアちゃんとは敵対関係になってしまうのかもしれませんが、私は事実を伝える事にしました。
「そっか…」
その言葉を聞いたキリアちゃんはどこか安堵した様に呟くと、軽く息を吐きました。
「…いいんですか?」
あまりにもあっさりした様子につい確認してしまったのですが、キリアちゃんは特に気にした様子なく首を傾げます。
「別に、ゴルオダスの事はそこまで好きじゃなかったし、むしろ倒されていて安心したわ、そうじゃないと辻褄が……あれ?」
魔王軍側は意外とドライな関係なのですねと思っていると、キリアちゃんはついうっかり口走ってしまったというように止まり、首を傾げたのですが、少し考えてから「何で?」と小さく呟き、考え込んでしまいました。
「キリアちゃん?」
少し待ってみても状況は変わらず、むしろだんだんと青ざめていくキリアちゃん。
どうしたのかと心配になって声をかけてみると、キリアちゃんは体をビクリと震わせると、急に迷子になってしまったような不安そうな顔をした後、強がるような笑みを浮かべます。
「たおされてしまったのはしかたがないわ、それじゃあお姉ちゃんがキリアのなかまにならない?」
そして泣きそうな顔をしたまま、キリアちゃんは物凄く平坦な言葉でそんな事を提案してきました。
※ユリエルとキリアの転換点。
※キリアちゃんがちょっとうっかり発言してしまった感じに修正しました(3/11)。




