170:起死回生と呆気ない結末
牡丹に弾かれてもなお食べられるか食べられないかはギリギリで、私は掠めるような形で翠皇竜の下顎辺りに激突し、滑り落ちるように落下していく事になりました。
口の中に感触があったからなのか、たまたま死角に入っていたのかはわかりませんが、どうやら翠皇竜は私の事を見失っていたようで、そのまま地上に向けて真っ逆さまに落ちていきます。
そして私は目の前でゆっくり閉じていく翠皇竜の大きな口を見上げながら、牡丹が食べられていくのを見つめていました。
唖然とした虚無感に思考が空転し、左手の痛みも一瞬だけ忘れかける程なのですが、やっぱり気のせいですね、滅茶苦茶痛いです。
そんな場違いな事を考えるくらいには頭が混乱し、私は慌てて牡丹のテイム画面を確認するのですが、翠皇竜がガムでも噛むようにくちゃくちゃと口を動かせば、牡丹のHPがガシガシと減っていきます。
やはり一思いに噛み千切るという事はせずにいたぶっているのでしょう、即死はしていないようなのですが、回復ポーションは使い切り、【ドレイン】の効果も限定的、そんな状態では牡丹のHPは減っていく一方です。
プレイヤーは死んでもリスポーンするだけなので、何で牡丹が命を張っているんですかとか色々と言いたい事はあるのですが、今はそんな事を言っている場合ではないですね。
このままだと牡丹が消滅してしまうと焦るのですが、落下中の私にはどうする事も出来ません。
攻撃しようにも魔光剣はどこかに飛んで行ってしまいましたし、遠距離武器も全部牡丹の中です。
こうなったらさっさと地面に叩きつけられてリスポーンした方が牡丹を助けられる可能性があるのですが、一分一秒を争う事態になると数秒間の落下すら長く感じられます。
地上ではワイバーンと戦いながらも何人かが私の救出に動いてくれているようで、スコルさんが辺りを走り回っていました。
そして流石に翠皇竜は馬鹿ではないので、代わりにくちゃくちゃしていた牡丹の体が小さい事もあり途中で気付いたようなのですが、その頃にはもう私は地上付近まで落下しており、忌々し気に舌打ちしたように口の動きが止まりました。
「ぐっ…つ…」
これなら何とか間に合うかもしれないと思っていると、途中で何か薄いガラスにでも叩きつけられたような感触があり、大きく減速しながら薄い壁を突き抜けました。
【魔力視】で痕跡を辿ってみれば、乱戦に巻き込まれながらも私を助けるために呪文を唱えてくれたグレースさんが居て、何かしらの減速する魔法を使ってくれたようなのですが、それで一気に速度が緩んでしまいます。
「天使ちゃん!」
「おーらいおーらい、そら、今よ!」
そこからはトーチカの上に張られたエルゼさんの糸と、その下に広げられた投網でしょうか?スコルさんや何人かのプレイヤーが広げて待ってくれている網に落下し、絡まり勢いを殺されました。
普通なら助かったと喜ぶべきところですし、格好良く受け止められて救出される場面なのかもしれませんが、下で網を広げていたプレイヤーの皆さんも突貫作業だったらしく、踏ん張りが足らず網が緩んで、勢いを殺しきれずに地面でお尻を強打する事になりました。
「つぅ…ぅあ…」
左手の痛みが強く、痛覚が麻痺してきているので鈍い衝撃くらいだったのですが、これ絶対あとで青痣になっていますよね?地味な痛みに気が遠くなり、悶えます。
「ユリちー動ける!?ここも不味いから早く逃げないと!誰かポーションない!?この中にお医者さんは居ませんかー!?」
「ユリエルさん!」
ワラワラと集まってくるプレイヤーの騒々しさと、戦闘の騒音、皆は「良かった」と私の生存を喜んでくれているのですが、死にたかった私はそんな事よりも早く自殺しなければと目を開けると、そこに見えたのは……HPバーが真っ黒になったテイム画面でした。
間に合わなかった?
私は少しの間その画面を見つめていたのですが、周囲の喧騒を縫って聞こえて来たグレースさんの声と魔法に、正気を取り戻します。
「…祝福の一端をお見せください、【ヒール】!」
外から見て一番損傷が酷いと判断されたのでしょう、左腕を中心に回復魔法が飛び、指が再生しました。
相変わらずありえない効果のような気がするのですが、内臓の方はまだグルグルしていますし、牡丹の喪失に頭がクラクラするのですが、茫然自失して反応が遅れている私と戦闘準備をしている周囲のプレイヤー達の頭上に、ワイバーン達が群がります。
「不味い…ユリちー!?」
スコルさんはまだ身動きの取れない私を引っ張って逃げようとするのですが、ゆっくりと降りてきた翠皇竜はまるでブレスを吐く前のように口内を膨らませており、そして勢いよく……砂を吐きました。
「ひぃぃぃいいい!!!」
ザーッ!!!っといきなり大量の砂が降ってきて、その砂を浴びたプレイヤーは恐れおののき逃げ惑うのですが、効果はそれだけですね。
頭上に降りてきていたので私もその砂を浴びたのですが、別に攻撃だとかなんだという物でもないようで、いったいなんだろうと変な意味での動揺がプレイヤー間に走ります。
そしてどうやらこれが翠皇竜の新しい作戦という訳ではないようで、ワイバーン達もいきなり砂を吐き出した翠皇竜を見て不安そうな顔をしており、どこか戸惑ったように顔を見合わせ羽ばたいていました。
そんな敵味方が見つめる中、翠皇竜は猫が毛玉を吐くようにペッと30センチちょっとの毛玉を吐いたのですが、その毛玉は吐き続けられる砂に埋もれて見えなくなっていきます。
(牡丹?)
私はもしかしてと思い、恐る恐る【意思疎通】で牡丹に話しかけてみたのですが……。
(…ぷぅ)
繋がる、繋がっています!何か砂に埋まっているようなのですが、モゾモゾと這い出て来た牡丹はプルプルと砂を払うと、ケフケフと咳をしてビヨンと伸びるのですが、生きていました!
改めてテイム画面を見るとHPバーは真っ黒のままだったのですが、よく考えてみると操作自体は出来ますし、どうやら1とか2とか、本当にミリ単位でHPが残っていたようですね。
とはいえこれ以上は本当に微かでも減ったらロストしてしまいますので、私は慌てて砂の中から牡丹を抱え上げたのですが、どうやら毛玉だと思っていた部分は『幻獣種の毛皮』だったようです。
牡丹はこれを咥えて盾代わりにしたようで、スキルを込めて何とか翠皇竜の牙をやり過ごしたようですね。
ただ幾ら『S R』ランクのアイテムであるとはいえ、あの大きな牙で噛まれるとただでは済まないようで、あちこち穴が開いてボロボロになってしまっています。
「という事は、あの砂は…」
「ぷぃ…」
私がある事に気づいて呟くと、牡丹は勝手にアイテムを使ってしまった事を謝るようにしょげるのですが、むしろ良く機転が利きましたと褒めてあげたいくらいです。
「ねね、どういう事?おっさん達にもわかるように説明して欲しいんだけど?」
砂を吐き続ける翠皇竜の事を警戒しながらも、どこか不思議そうな顔でスコルさんは首を傾げているのですが、どこから説明しましょう。
「簡単に説明すると、砂が出るアイテムを翠皇竜の口の中で使ったみたいです」
「ぷ!」
「そう!」と自信満々に私の言葉に同意する牡丹なのですが、これってどうなるのでしょう?
『ごっ、げ…ふっ…』
翠皇竜の言葉は念話に近いので発音自体は出来る様なのですが、流石に口の中で『砂の十字架』が発動し、常に砂を生成し続けている状態では喋りづらいようですね。
牡丹はすぐに吐き出されないように、ちゃんと胃の中に『砂の十字架』を投げ入れたようで、翠皇竜がどれだけ頑張っても吐き出されるのは砂だけです。
こんな状態ではまともな指揮も出来ませんし、口内弱点による砂ダメージが継続的に入っているようですし、増え続ける砂の重みに耐えかねてお腹が膨れていき……とうとう翠皇竜は飛べなくなり地上に落ちてきました。
アイテムの説明文がどこまで本当なのかはわかりませんが『辺り一面を砂だらけにする』量の砂が出るとの事なのですが、翠皇竜のお腹の中に溜まり続けている砂は具体的にはどれくらいの量になっているのでしょう?
「そんな事より、今がチャンスって事でしょ!!」
何とか生き延びていたまふかさんがズカズカと大股で近づいて来て怪気炎を上げているのですが、確かにその通りですね。
「そうだね、立て直される前に止めを刺した方が良いと思うよ」
シグルドさんが近場のワイバーンを蹴散らせながら駆けつけてきてくれました。
「では、総攻撃を開始しましてよ!」
モモさん達や何とか今まで生き延びていたプレイヤー全員でお腹をポッコリさせた翠皇竜に総攻撃が開始され……ここまで来ると何か可哀そうになる程呆気なく、翠皇竜は討伐されていました。
※決まる時はスパッと決まります。そしてこの結果を受けて2回目以降の『上級ブレイカー試験』は砂が広がった砂漠フィールドで戦う羽目になり、大量の砂に足を取られる事になります。
※ユリエルが落下中にぶつかった壁は威力を調整した【ホーリーウォール】で、使用者はグレースさんです。この時ユリエルが早く落下したいと思っていたとは露程も思わず、助けたい一心で魔法を使っています。




