166:一矢
「ふぐっ!?」
いきなりズボっと何か口の中に入れられたかと思うと、濃縮された生薬の苦みの中にハッカの味が爆発して、ごちゃごちゃとした味覚が脳天に突き刺さり呼吸が止まります。
訳の分からないまま反射的に口の中の物を吐き出したのですが、次の瞬間感じたのは物凄い風圧で、薄目を開けた先に見えて来たのは眼下に広がる広大な大地と、そこに群がるワイバーン達や人の姿でした。
どうやら投石器から射出される時の衝撃で気絶していたのでしょう、念のためと牡丹に渡しておいた『気付け薬』で無理やり意識を取り戻したようなのですが、凄い味ですね。
ただ効果はいかにもゲーム的と言いますか、アイテム使用と同時に『気絶』という状態異常が解除されたように目が冴えきったのですが、急激な周辺環境の変化に多少脳が混乱しています。
気が付いたらいきなり高空に放り出されていたような状態でドキドキしたのですが、それでもある程度は身構えていた事もあり、私は即座に落下姿勢を変えて速度を調整しました。
地上までの距離は目算1000メートル。パラシュートもつけていない自由落下にヒュッと息を飲み、口の中に残るエグ味とハッカの匂いが肺に入り咽かけるのですが……眩暈が起きそうな高さと風圧でうまく呼吸が出来ません。
自由落下による終端速度に達していると思いますので時速は大体200キロ、秒速で言うと約55メートルで落下中です。
翠皇竜が地上数メートルに浮いていますので、このままだと18秒程度の猶予しかありません。
「ぷっい、ぷっい」
私がそんな風に状況整理をしている間にも、妙に色々な耐性がある牡丹が『気付け薬』をティータさんとエルゼさんの口の中に放り込んでいるようで、背後からえずくような何とも言えない声が響いてきます。
「っぅあっはーーーー!!落ちてるっす落ちてるっす!!」
「…うっひ!!?」
目を覚ました2人は大絶叫。こんな状態でもティータさんはヒャッホーとテンションが高く手足をバタバタさせており、妖精で飛べるはずのティータさんの方が怖がっているのが少し面白いですね。
そして目を覚ましたティータさんが高所と加速度の恐怖で私の首に縋りつくと、たぶん妖精由来の飛行補助スキルが適用されたのでしょう、風圧が少し和らぎ、落下が安定したような気がします。
それでも浮く程でもないですし、ティータさんの飛行能力だと全員を持ち上げるという事も出来ません。
依然として私達は100キロ近い速度で落下中で、そして何より問題なのが、おもいっきり着弾点がズレている事ですね。
まあNPC頼りの発射だったので正確な射出は難しいと思っていたのですが、ここまでズレるのは予想外です。
とはいえここまで飛ぶとも考えていなかったので、色々と前提条件から間違っていたのでしょう。
ワイバーンの壁を超える必要があった事や、高度さえ稼いでおけば後はどういう軌道を描いても対処できるだろうと打ち上げていたので助かりました。
これでもし直接照準で狙おうなんて考えていたら、目覚める前にどこかの壁に激突して終わっていましたね。
そしてそんな大外れの軌道を描いているからか翠皇竜もスルー気味で、一度チラリとこちらを確認した後は、足元でじゃれつくように攻撃してくる黒い狼の方に視線を戻していました。
『ユリちーこれは貸しだかんね!』
私が何とか呼吸をして集中力を高めた所で、スコルさんから連絡があります。
あんなよくわからない連絡だけで突出して攪乱してくれているスコルさんには感謝しかないのですが、言うと調子に乗りそうなので黙っておきましょう。
『こっちの貸しの方が多いような気がしますが?』
だから出来るだけ素っ気ない感じで言い返しながら、私は改めて戦場を見下ろしました。
前線の動きとしては入り乱れている感じで、東西北はもう祭壇周辺の防衛が手一杯、唯一壁となっている南側はモモさん達や戦線に復帰したシグルドさん達、他にも有名な配信者や実力の高い人達が支えているのですが、徐々に押されて後続の中堅クラスのプレイヤーと入り乱れている状態で混沌としています。
そんな中、何人かが私達の方を指さして空を見上げているのですが、何かリアクションしている余裕もないですし、さっさと攻撃モーションに入りましょう。
「2人とも…しっかり掴まっていてくださっいぃ!?」
私は頭を下にして空気抵抗を減らそうとするのですが、おもいっきり胸がエアブレーキになってしまい、風圧で暴れて物凄く痛いです。
そんな状態なのに先端はドレスの蔦で摘まれている状態で、私は歯を食いしばって痛みとむず痒さに耐えながら、【腰翼】で無理やり翠皇竜と交差する軌道に乗せると、魔光剣を構えます。
直接持っていると着弾時に反動で吹き飛びますからね、牡丹の前垂れに握らせて、私の左手は添えるだけです。
『ほぅ…』
急角度を描きながら鋭く切り込んできたからでしょう、翠皇竜が面白げに視線を向けてきました。
そのまま羽ばたきの動作に入るのを見ながら、私はティータさんに合図を送ります。
「ティータさん!」
「っーー!!」
ただ恐怖で動けないのか、パニック状態一歩手前のティータさんはギュッと強く首にしがみついて来るだけで、固まってしまっています。
事前の作戦では、この突風はティータさんの魔法で受け流す予定だったのですが、これは自力で何とかしなければいけませんねと大きめの回避運動を取ろうとした矢先……私が動くよりも早く、エルゼさんがティータさんに手を伸ばしていました。
「このままじゃ3人纏めてミンチっす、ファイトー!ほら、スキルスキル!!」
エルザさんに揺すられ、その言葉にティータさんは奮起したようで、小さく息を吸うような感触が伝わって来た後……。
「う、【ウィンドブレーカー】ァア!」
ティータさんが叫んだ言葉は別に服の種類という訳ではなく、高空を飛行する時用の補助スキルですね。
効果は強風や暴風を緩和するという物で、若干の冷気耐性もあり。種族由来のスキルらしく、私のスキルで言うと【ルドラの火】や【ドレイン】に近く、魔法っぽい効果ですけどワンフレーズ発動が可能なアクティブスキルです。
ティータさんのスキルが発動し薄い膜のような物に包まれた瞬間、物凄い風が襲って来て私達はもみくちゃにされました。
「うっひぃっ!?」
「っぅ!!!?」
「ぷ!」
あくまで安定させるスキルなので、翠皇竜の巻きあげた風を完全に打ち消せる程の効果はなく、大きく煽られ、かき混ぜられます。
平衡感覚が無くなるような勢いでめちゃくちゃに振り回され、これがただの矢や投擲のような遠距離からの攻撃なら吹き飛ばされて終わりですが、翼のある私達なら軌道修正が出来ます。
多少のエネルギーの喪失はありましたが、突風を突破した後再突入コースに乗せ、そこでトラブルに気づきました。
「え、あ…っ」
『サルースのドレス』は蔦の部分はそれなりの強度があるのですが、半透明の薄いところは擦れば破ける程度の強度しかありません。
そんな衣装が突風でおもいっきり煽られると、ダメージを受けると服だけ弾け飛ぶという変な漫画か何かのように破れてしまい、ほぼ全裸という姿になっていました。
ただでさえ上空からの特攻中で皆の目があり、自由落下とは別の意味で体がキュと実が縮こまり、体温が急上昇します。
空気抵抗で振動する蔦が敏感な所を責め、恥ずかしさと【高揚】の効果で無駄に頭はクリアになっていき、向けられている視線が突き刺さり痛いです。
破損した部分はすぐさま修復したいのですが、翠皇竜はもう目の前で、その微かな時間が惜しいですね。
『コシャクな…』
ただそんな恰好になったせいで【アピール】の効果が強化されたのか、それとも吹き飛ばせる自信があった突風を受け流された怒りからか、翠皇竜のヘイトが私達の方に向きました。
忌々し気な様子で改めてウィンドカッターを放つ姿勢に入るのですが、このウィンドカッターの回避が正念場ですね。
この攻撃はタンクの全力防御すら切り裂く威力がありますので、今の私達に防御する手段はありません。
ただ突風と比べて威力重視で連射してこない事がわかっているので、何とか回避できる事に賭けていたのですが……ここでもスコルさんが動いてくれました。
最初に動いた時点で知り合いにでも連絡を取っていたのでしょう、近場のトーチカの観測所に付くと、本当に微かな微調整が行われ、スコルさんの合図で投網が発射されます。
それは大まかに翠皇竜のいる方向に向けられていただけの一撃だったのですが、上に意識を向けていた翠皇竜の反応が遅れ、舌打ちをするような様子で私達に向けて撃とうとしていたウィンドカッターを投網に向けて撃ち、ズタズタにしていました。
これはたかだかプレイヤー1人分の攻撃と、投網に絡みとられ落下してからのタコ殴りにあう可能性を天秤にかけた結果で、翠皇竜は無難な安全策をとったようですね。
上下への意識誘導による判断の遅延、1撃程度ならくれてやるという微かな油断、その小さな隙間に渾身の一撃をお見舞いしてあげましょう。
「ダブル【ルドラの火】!!」
最悪の場合はもたない可能性がありましたが、ティータさんの飛行補助スキルを受けて全速力を出しながら、私は牡丹と同時発動の【ルドラの火】を魔光剣に込めます。
「いけええええええ!!!」
最後にエルゼさんの声援を乗せて、私達の渾身の一撃が翠皇竜の脳天に突き刺さりました。
※攻撃時以外はスキルで減速していますし、突風に煽られた時は上にかちあげられているので秒数は気づいた時点での目安です、実際はもっと長い時間落下しています。
※それにしてもボス戦のたびに全裸になりかけるユリエル、着ている服の脆さを忘れていました。




