164:翠皇竜ゴルオダス
増援のワイバーンを従え登場した翠皇竜ゴルオダスは、どこか爬虫類めいた皮膚を持つ一般的なワイバーンと比べるとゴツゴツした表面をしており、まるで濁った水晶のような結晶に覆われていました。
大きさはワイバーンの3倍くらいでしょうか、体高は10メートル、翼を広げた広さは30メートルもある巨体です。
ガッシリとしたフォルムはどこか竜を思わせるのですが、翼と手が一体化しているので一応種類的にはワイバーンのようですね。
肌の色はグリーンベリーを沢山食べたからか黒寄りの深緑色で、その体からは黒い靄のような物を立ち昇らせ、そこに居るだけで強烈な存在感を放っていました。
そのプレッシャーは海嘯蝕洞のタコ足の感覚を少し薄めたものに近く、肌感覚で強敵だとわかるピリピリした刺激に【精神対抗(微)】が反応しています。
高ぶった身体はそんな微かな刺激だけで甘くいってしまいそうになるのですが、そのオーラには何かしらの効果があるのかスッと背筋が凍る感じで、【高揚】の効果が2段階ほど下がり、オートスペルが解除されました。
MPが枯渇しそうだった私にとっては助かったのですが、精神対抗系のスキルを持っていないプレイヤーにとってはなかなかやっかいなもののようで、青ざめた顔で翠皇竜を見つめて棒立ちになっている人が多数見受けられます。
特に海嘯蝕洞にまだ行った事がなく、タコ足の恐怖を感じた事のないプレイヤーを中心に動揺が広がっており、それに乗じる形でワイバーンの攻勢が強まり、プレイヤー側が押し返され始めました。
その押し返されるスピードが異様に早いような気がするのですが、どうやら翠皇竜がこちら側でいう所の祭壇の役目を担っているようで、周囲のワイバーンを強化する力を持っているようですね。
あからさまに翠皇竜の近くのワイバーンは手強くなっており、プレッシャーによる恐慌状態も相まって、一気に陣形が崩されます。
『ニンゲンどもアイテにナニをテコずっている』
そんな中、念話という事でいいのでしょうか?直接脳内に翠皇竜の言葉が響いてきて驚いたのですが……エリアボスって喋るんですね。
まあエリアボスとなると魔王軍から派遣された前線指揮官のようなものですし、モンスターを統制する力があるとは思っていましたが、人語を話すのは予想していませんでした。
その辺りは特別仕様と言いますか、特別な個体であるという事を運営は強調したいのかもしれません。
『イマイマしいセイレイジュのチカラか……まあいい、スベてハカイすればイいだけだ』
翠皇竜は祭壇と私達プレイヤーを睥睨すると、翼を広げて吠えました。
『コい、ニンゲンども、ここをおマエタチのハカバにしてくれる!!』
翠皇竜のわかりやすい悪役ムーブ、これが平時なら笑い話になるような陳腐な言い回しなのですが、プレッシャーの効果もあってその遠吠えにはなかなかの迫力がありますね。
特に精神対抗を持たないプレイヤーには覿面のようで、あからさまに浮足立っているのがわかります。
『ワールドクエスト『翠皇竜ゴルオダスの討伐』が開始されました。セントラルライド西の平原に翠皇竜ゴルオダスが出現しています、ブレイカーの皆さんはただちに討伐してください。またこの戦闘の結果は今後の情勢に大きな変化を与えますので、その点を留意し討伐に臨んでください』
翠皇竜が動き始めるのに合わせてワールドアナウンスが入り、本格的にクエストが始まったようですね。
まあ今更な内容ではあったのですが、ここで負けたらセントラルライドが崩壊、一気に勢力圏が押し返されるという可能性があります。
緩いゲームなら多少の救済措置や、何かしらの次善の策というのがあるのかもしれませんが……容赦のないBADEND直行という可能性があるゲームですからね、この一戦、負ける訳にはいきません。
「ぷ、ぷぃ…」
「大丈夫ですよ」
プレッシャーに押されかけてプルプル震えている牡丹を宥めながら、私は一度深呼吸をして、辺りを見回します。
現時点で残っているプレイヤーは5千人程度、トーチカに籠る遠距離攻撃組は安全圏に居たからか殆ど残っており、東西の被害も軽微、突撃の前面に立った南側に多少の被害が出ていて、単純に強さの点で劣っていた北側が半数ほど減ってしまっているという感じのようですね。
対する翠皇竜の方は、最初に戦闘に入った500匹のワイバーンの半数程度がブレイカーに倒されところに同数の500匹が増援され、そこに翠皇竜が追加された状態です。
牡丹には強がって見せましたが、これはハッキリ言って不利ですね。
こちらの人数は二割から三割減、連戦による疲労が溜まっているのに対して敵の数は1.5倍、そこにエリアボスが加わっています。
これはもう正面からぶつかり合う総力戦を仕掛けるより、ボスの撃破に集中した方がいいのかもしれません。
まあこの後の恒常イベントでもワイバーンが出てくるようですし、運営としてもワイバーン達を根絶やしにされるという事は想定していないのだと思いますので、ボス狙いが正攻法だと思うのですが……後はその辺りの情報をプレイヤー間で共有できるかですね。
周囲の人に呼び掛け指示を出せばいいだけなのかもしれませんが、私が声をかけるとまた変な効果が発揮されるかもしれませんし、代わりに誰かが指示を出してくれたら良いのですが……そういうのが得意そうなモモさんはプレッシャーの効果で立ち尽くしていますし、言えば動いてくれそうな人が多いまふかさんは埋もれてしまっていて、ここからだと何処にいるのかよくわかりません。
スコルさんやシグルドさんなどの知り合いも乱戦のうちに見失いましたし、すぐに反撃というのは難しそうですね。
ちょっと状態も悪いですし、私は一度態勢を立て直そうとMP回復ポーションを飲みながら近くのトーチカの中に駆け込む事にしたのですが……私の居た東陣地の近くのトーチカには同じように一時避難している人で一杯で、どこもぎゅうぎゅう詰めでした。
プレッシャーにより色々とバフは解除されているようなのですが、他のプレイヤーの詰めるトーチカに入って魅了が暴発しても大変ですし、どうしましょうと考えていると、出入口が糸で覆われた異様なトーチカが目に入ります。
どうやらそのトーチカはティータさんやエルゼさんが逃げ込んだ場所のようで、今は防御力アップなのか警戒用なのか、出入口にはエルゼさんの糸が張られているようですね。
そんな状態だからか、祭壇からほど近い場所なのに他のプレイヤーがいないのも今の私には丁度良さそうです。
2人ならまだ気心も知れていますし、この際なので2人が占領するトーチカにご厄介になろうと、私は出入り口の糸を切り裂いて中に入らせてもらう事にしました。
「ふぅお!?って、ユ、ユリエルか…あ、えっと…」
糸を張って進入禁止にしていたから少し油断していたのでしょう、端の木箱の陰で蹲っていたティータさんが飛び込んできた私にビクリと体を震わせ、真っ赤な顔で視線を躍らせます。
「すみません、お邪魔します」
その股間を押さえて蹲る姿勢や、指先が湿っているようだったので一気に気まずい雰囲気が漂ったのですが、とにかく今は戦闘ですね、戦闘、戦闘に集中しましょう。
何故か私の中のレッサーリリムセンサーともいえるような物がピコンと立ったような気がするのですが、ここにはエルゼさんも居る筈だと頬を押さえながら呼吸を整え辺りを見回します。
トーチカには騎士が居る筈なのですが、外に出てもらっているのかいないようですし、魅了を気にせず休憩するには丁度いい場所ですね。
トーチカの内部の大きさは直径5メートル程の円形で、半分ほど地面に埋まっている構造のようで、中央には投石器が設置されているようでした。
どうやってトーチカの中にある大掛かりな兵器で狙いをつけるのかと思っていたのですが、このトーチカ自体が回転式の砲塔になっているようで、壁についているレバーを回して方角を決定、後は投石器の方を弄って発射という感じのようですね。
地味に大掛かりな装置だった事に驚いたのですが、とにかくそういう構造の為大きく空いている場所は一カ所だけ、それ以外の場所を攻撃する場合は弓用の銃眼から攻撃するようです。
まあ銃眼と言ってもワイバーンが侵入できない程度の大きさであれば良いのでそれなりの大きさがあり、よほどノーコンでなければ内部から攻撃できる仕組みになっているようでした。
「うぉーすげーっす、何あれ何あれ、格好いい!」
因みにエルゼさんなのですが、何故か小窓から外を眺め、目を輝かせながらから腕を振り上げてはしゃいでいました。
その感想の是非はともかくとして、恐怖を感じた時に人は色々な反応を示すと言われていますし、このプレッシャーも人によっては可笑しな方向に反応するようですね。
「あ、天使ちゃん、ねね、あんなのが出てきてぼく達どうなっちゃうんっすか!?」
トタタと軽快な足取りでピョンと飛び乗って来たエルゼさんの足の感触がくすぐったかったのと、可愛らしい蜘蛛とはいえ蜘蛛ですからね、いきなり顔の辺りに飛んでこられると若干の嫌悪感にゾワリと肌が泡立つのですが、プレイヤー相手ですし、そういう感情は表に出さずに答えます。
「倒すしかないんでしょうけど…」
「えー何それー優等生みたいな反応お姉さんつまんないっす…お、おぉ…?」
「ぷっい!」
ぺしぺしと前足で私を叩くエルゼさんを牡丹が前垂れで絡めとったりと、とにかくちょっと騒がしいのですが、私は今のうちに二本目のスタミナ回復ポーションを開けて飲みながら、攻撃用に開けられている銃眼から空を見上げます。
翠皇竜の登場でワイバーン側にバフがかかっているというのもあるのですが、どうやらきちんと指示が出されているようで、Aという梯団が正面から攻撃を仕掛けるとBやCと言った梯団が横から回り込んでという組織的な戦いに切り替わったようで、戦況はかなり悪いですね。
こういう考える敵というのは本当にやっかいで、ちゃんとプレイヤー側の強さを考えて戦力が割り振られているようで、強いグループには多数を、弱いグループには少数をという感じで、良くて拮抗、全体的にはジワジワと前線が押され始めているようです。
唯一の救いは遠距離攻撃組の攻撃が安定している事で、トーチカという安全圏に居るからかプレッシャーからの立ち直りも早く、近接攻撃組がまともな反撃を開始できない内に攻撃が再開されていました。
そして中には戦況の悪さを察したのか、それとも一発逆転を狙ったのか、翠皇竜に向けてパラパラと弩や投石を放つ人もいるのですが、単発に近い攻撃がエリアボスに当たる筈もなく、風を巻き起こしたりするアクションをするのも億劫だという感じで、ひょいっと避けられています。
『サキにジャマなモノをカタずけるとしよう』
ただ攻撃されっぱなしというのも相手にとって鬱陶しかったようで、翠皇竜はそんな事を呟いたかと思うと、その巨体で攻撃して来たトーチカを……踏みつぶしました。
内部の人を即死させるような威力は無いのですが、今まで安全だと思われていたトーチカが破壊された事にプレイヤーの間から叫び声があがります。
安全(ただし絶対ではない)という事なのでしょうか?とにかくワイバーンの巨体から繰り出される物理攻撃やブレス攻撃からはプレイヤーを守ってくれていた頑丈なトーチカも、エリアボスには通じないという事なのでしょう。というより冷静に考えると、これはきっと恐怖を煽るための演出ですね。
やられた事と言えば無数に点在するトーチカの一つが壊されただけで、しかも中の人は無事です。これは戦闘前のムービーとかによくある、巨大なモンスターが力を誇示するように物を壊すとか、派手な爆発を起こするとかいうそういう類の演出だと思うのですが、それを実際に目の当たりにし、巨大な翠皇竜の爪や牙が実際に迫ると竦んでしまうようで、トーチカに籠っていた人達は動けなくなってしまっているようです。
早く逃げ出せばもしかしたら助かったのかもしれませんが、その開けられた大穴にワイバーンが群がり、中に居たプレイヤーやNPCが引きずり出されて食べられるというなかなか凄い絵面が広がりました。
その生々しい叫び声に、翠皇竜に向けられていた攻撃が一旦止みます。狙えば次の犠牲者は自分達だと考えてしまったのでしょう、むしろ地上まで降りて来ているこの隙に攻撃を続けるべきなのですが、プレイヤー側の動きが止まった事でワイバーンの動きが活性化し、形勢が悪い方に傾きます。
とはいえ全員が怖気ずいた訳ではなく、遊撃に出ていたプレイヤー達がトーチカを遮蔽物に翠皇竜に駆け寄ると、その巨体目掛けて斬りかかりました。
その先頭を走るのはシグルドさんで、いつの間に西側陣地からそこまで走っていたのかはわかりませんが、持久戦は不利だと悟り、翠皇竜の首を狙う事に賭けたようですね。
「行け、シグルドの兄貴!!」
それに気づいたプレイヤー達、特に西側陣地で今までシグルドさんと戦っていた人達から声援が飛び、その声に背を押されるようにシグルドさんが加速します。
翠皇竜はワラワラと駆け寄る小癪なプレイヤー達を認識したのでしょう、ニヤリと意味深に笑うと、まるで羽虫を振り払うようにその巨大な尻尾を振るうのですが……シグルドさんは近くにあったトーチカの壁を蹴り三角飛びで高さを稼ぐと、物凄い速さで振るわれる尻尾に一瞬手をついて受け身を取りました。
幾らスキルの補助があるとはいえシグルドさんの種族は人間です。人外系の身体スペックがある訳でも翼による補助がある訳でもないのですが、相変わらず滅茶苦茶な動きで翠皇竜に近づくと、その勢いのまま斬りかかります。
流石にその巨体を一刀両断という訳にはいかないと考えたのでしょう、まずはその機動力を削ごうと翼に渾身の袈裟斬りを叩き込むつもりのようです。
翠皇竜は強襲するシグルドさんを迎撃するようなそぶりを見せたのですが、不意に何かに気をとられたように視線を動かし、その瞬間を完全に捉えたシグルドさんが剣を振るい……キーンッという澄んだ硬質な音を立てて、その剣は水晶のような皮膚に弾かれました。
切断は出来なくても最低でも切れ込みは入ると考えていたのでしょう、完全に弾かれたシグルドさんはバランスを崩し、再度振るわれた尻尾を何とかガードしたものの、そのまま吹き飛ばされていきます。
ここからではトーチカや人垣が邪魔でシグルドさんが無事なのかはわからなかったのですが、勢いよく吹き飛ばされた割には大袈裟な砂煙は上がりませんでしたので、受け身には成功したようですね。
ただ攻撃の中核だったシグルドさんを失い開幕特攻組の攻撃は頓挫してしまったようで、共に攻撃をしかけていたプレイヤー達も何とか手傷を負わせようと攻撃を続けるのですが、鬱陶し気に奮われる爪や尻尾により無残なホログラムになっていき、その攻撃の成否を見守っていた人達の間から悲鳴が上がります。
そして登場時の陳腐な言い回しも含め、まるで目立つ事が翠皇竜の作戦だったという様に多くの人の視線が集まった瞬間、モブワイバーンによる祭壇への一斉攻撃が強行されました。
特に主力のシグルドさんが抜けた西側の戦況は絶望的で、瞬く間にワイバーンが祭壇まで侵入してしまい、四本ある柱のうちの一本が破壊され……結界が揺らぎました。
※呆気なく返り討ちにあったシグルドさんをフォローすると、素の身体能力だけで戦っている彼はこの手の大型モンスターとの相性がすこぶる悪いだけで、決して弱い訳ではありません。むしろちゃんとした戦闘スキルを覚えていたら単体でも良い勝負が出来るくらいの腕があります。
※ユリエルがティータさんとエルゼさんのトーチカに入った理由を「他の場所がぎゅうぎゅうだったから」という風に捕捉しました(2/21)。




