129:出港
「あの、やっぱりやめませんか?」
フィッチさん達の重大なうっかりのせいで、作り上げた蒸気船は無用の長物となってしまったのですが、そんな事で海への情熱を諦める人達ではなかったようですね。
「そうそう、流石に筏じゃ無理だって」
あのウィルチェさんですら呆れた様子で木材を切り出すフィッチさん達を眺めているのですが、皆さん気にした様子なく元気に斧や鋸を振るっていました。
場所はウェスト港にほど近い林の中で、スコルさんは一頻り大笑いしたあと満足したように出社していったので、この場に居るのは私とウィルチェさんとフィッチさん、後はあの作業場にいた人達ですね。
「いいや、我らは引けぬ、引けぬのだ!あの船を作る為に借金をし、その返済期限が迫っている故!」
ギコギコと鋸を振るうフィッチさんが言うには、返済期限を過ぎて返せない場合は強制労働で、借金を踏み倒すとレッドネームになってしまうようですね。
というよりブレイクヒーローズで借金が出来る事に驚いたのですが、ギルドでお金について相談すると借金が出来るとの事でした。
フィッチさん達はその情報をまだ広めていないとの事なのですが、そもそも軽いペナルティで借金が帳消しになるのなら皆がお金を借りるようになりますからね、かなりキツめの取り立てがあるらしく、返済できなければ鉱山での強制労働が待っていたりそれに準ずる労役に従事させられる事となり、あまりの辛さに逃げ出すとレッドネームになり、借金取りや官憲に追いかけられるので借金するのはお勧めしないとの事でした。
では何故フィッチさん達が借金しているのかは謎ではあるのですが、とにかくそういう状況なので島に行く事を強行するらしいですね。
まあ倉庫のレンタル料や各種工具や材料費、船体の木材に蒸気機関の鉄鉱石やあと諸々と、量はともかく単価は安い物ばかりなので金額にしたらそれ程でもないらしく、全員が少しずつ出し合ったら返せる額ではあるらしいので、きっとフィッチさん達はこのトラブルを楽しんでいるのでしょう。
「俺、一攫千金を手にしたら結婚するんだ」
「おい待て、今死亡フラグを立てた奴は誰だ!?」
私が借金の肩代わりをするのは簡単なのですが、何かワイワイと本人達が楽しんでいる間はそっとしておく事にしましょう。
「ユリエルちゃん、もし俺達が帰らなかったら故郷の両親に俺は頑張っていたと伝えてくれないか?」
「いえ、私も一緒に行くのですが…」
こんなノリなので不安しかないのですが、他にする事がないので私も島に行く予定なのですよね。
「おいてめぇ、ユリエルちゃんに話を振るのは反則だろ!?協定はどうした協定は!!」
「はっは~ん、羨ましいのならお前も話しかけてみろよ!」
いつの間にかよくわからない協定と言うものが出来ていたり、取っ組み合いが起きていたりするのですが……そんな様子を見てウィルチェさんはニヨニヨと笑っていますね。
「もー皆~可愛い僕もいるのに反応が違いすぎない?」
「お前の場合はなんていうか、残念だし…そもそも男だろ?」
「残念とか言わないで!?」
因みにあまり船とか冒険に思い入れのなさそうなウィルチェさんも一緒に行くようなのですが、どうやら彼は攻略サイトの運営をしており、時折配信もしているとの事で、新情報を求めて島に渡るようですね。
詳しく聞いてみると実は私も知っている情報サイトを運営していた事がわかったのですが、ゴシップ寄りのマニアックな情報を扱っているサイトだったので、失礼ながら殆ど利用した事はありません。
流石に誰でも知っている有名情報サイトや、まふかさんのような有名配信者程ではないのですが細々と広告料を稼いでいるとの事で、王都方面の攻略情報や配信をしている大手とは違う事をしようとの事でした。
「は~ユリユリって人気だよね~まあおっぱい大きいし…流石にそこだけは僕も負けるからねー可愛さなら僕が勝っているんだけど」
「胸は関係ないと思いますが……少し時間がかかりそうですし、私は散歩でもしてきますね」
とはいえ今は露出がちょっと多めですし、牡丹に乗っているのでポヨンポヨンと揺れて、何時もより周囲の視線を引いているような気がするのですよね。
お客様だという事で筏が出来るまで自由にしていて良いとは言われていますし、ここに居ても『魅了』の効果が出て作業の邪魔なだけですからね、少し離れておく事にしましょう。
「船については我らに任せたまえ、必ずや完璧な船を作り上げてみせよう!」
「そんな、むさくるしい男達の中で唯一の癒しが!?」
「ぐぉぉおお、誰だユリエルちゃんに色目使った奴は!?ユリエルちゃんが行っちゃったじゃないか!」
一々大袈裟な騒ぎになるフィッチさん達に見送られてその場を離れたのですが、このままだと町の中に入れませんし、どうしましょう?
「牡丹、もう大丈夫ですよ、誰も気にしていません」
「ぷぃ…」
大暴れして物を壊した後、流石に不味いと思ったのか牡丹はしょげてしまい黙り込んでいたのですが、時間がたつにつれてちょっとずつ立ち直ったようですね、やっと返事をしてくれましたね。
「さて…」
とにかく、木材を切り出していた場所からモンスターのいない安全な場所というとウェスト港方面だったので港に近づいてみる事にしたのですが、あまり近づくとトラブルになりそうなのですよね。
スキル【隠陰】を牡丹に付与して潜入するという事も出来そうですが、急ぎ補充したいアイテムもなかったのでその辺りで時間を潰す事にしましょう。
そう思い、辺りを警戒するついでにウェスト港を出入りしているプレイヤー達を見ていたのですが……その中に知っている人を見つけました。
どうやらグレースさんはイベントの武器ガチャか何かで新しい武器を手に入れたようで、上側が開いたCの字のような装飾のついた、市販されていない新しい杖を持っていました。
見ている限りでは新しい武器の試し振りに来たと言った感じで、なんとなく私はその様子を見守っていたのですが……その視線に気づいたグレースさんと視線がパチリと合うと、グレースさんは目をキラッキラに輝かせて、物凄い勢いで突進してきました。
「おおおぉぉぉぉぉおおっつっ!!!」
「ぷっっ!??」
その勢いは牡丹が思わず回避行動をとるくらいの鬼気迫るもので、グレースさんは平常時では考えられない反射神経で牡丹のサイドステップを読み切り、上に乗る私を的確にガシリと掴み取りました。
「ふっぉぉぉおおおおおおおおぉっっっ!!!!」
そのまま両手で天に掲げるように持ち上げられると、ギチギチと体が締め付けられます。
まるで「逃がしてなるものか」という勢いで握り込まれているのですが、バランスをとるために出していた【腰翼】ごと握り込んでいるので変な関節技かけられているような状態で……持ち上げられ、下に垂れる形で宙吊りになった牡丹がグレースさんに反撃しようと暴れるので、私の下半身がグリングリンと変な方向に引っ張られました。
「痛い、痛いです…グレースさん放し…牡丹も揺れないでッ」
グレースさんはまだ見える設定にしていない筈なのですが、何故かピンポイントで握り込まれているのですよね。
「ユユユリエルさん!?っつぅッ!!?」」
誰だと思って掴んだのかはわかりませんが、慌てたように手を離すと、自由になった牡丹が着地の反動を使いグレースさんの拗ねに体当たりを入れていました。
「ちょ、ちょっと落ち着いてください」
「ぷぅぅぅうううう!!!」
基本的に私と敵対する人には手厳しい牡丹なのですが、特に傷つけた人には攻撃的ですね。何とか興奮する牡丹を宥めようとしながら、そういえば『小人化』は魂の清らかな人には見える設定だった事を思い出します。
グレースさんの魂が清らかだと言われると何かそれっぽいと言いますか、納得できるような納得できないような絶妙な塩梅のような気がしますね
「す、すみません、ちょっと興奮しすぎてしまって…そ、れにしても……その素晴らしいお姿はどうしたのですか?」
私の高さに合わせる為でしょう、地面の上にペタンとお尻を付けて座るグレースさんは穴が開きそうな眼光でまじまじと見つめてくるのですが、圧が凄いですね。
そういえば妖精好きとも言っていましたし、何かしら琴線に触れるものがあったのかもしれません。
「色々ありまして」
ちゃんと説明しないと落ち着かなさそうなグレースさんに事情を話していると、ウィルチェさんが私を呼びに来ました。
「お~い、ユリエル~そろそろ筏出来るよ~って、あれー?グレースじゃん、どうしたの?」
「あ、ど、どうも」
呼びに来るのが早いような気がするのですが、フィッチさん達の情熱なのか技術力なのか、もう筏が完成したようですね。
あのノリと勢いでサクッと作り上げられるとある意味心配しかないのですが、とにかく出来たのなら戻る事にしましょう。
「あ、えと…」
グレースさんはついて来たそうにしていたのですが、私は筏に乗せてもらう立場ですし、決定権はないのですよね。
そういう訳でどうしようかと悩んだのですが、ウィルチェさんが言うには「いいんじゃない?むしろ皆喜ぶと思うよ」との事なので、グレースさんと一緒にフィッチさん達のもとに戻ったのですが……。
「ふーぅ、おっぱいの追加きたー!!」
「おっぱいがおっぱいを連れて来たぞー!!」
確かにノリノリで受け入れてくれたのですが、その発言はどうかと思いますね。いくらゲームだからと言って少し悪ノリしすぎなような気がしますが、もうこの人達はこういう人達なのでしょう。
色々と諦めた私とは違い、男性陣の異様な熱狂に怯えて私をガッシリ握り込むグレースさんは俯いてしまったのですが、同乗が認められたのは何よりですね。
とにかくフィッチさん達が作った筏は4人乗りが3艘、第一陣として島に渡るのは12名の予定だとの事でした。
残りの筏は随時制作中との事で、まずは試しに浮かべてみようという感じのようですね。
本当にその場のノリと勢いで計画が進んでいるような気がするのですが、まあテストは大事ですからね、ただ気になるところは……。
「ささ、まずは客人達が乗りたまえ、処女航海と行こうではないか!」
1艘目が私とグレースさんとウィルチェさんのお客様組、2艘目にフィッチさんが乗り込み、後は順番に皆さんが乗り込むという……何故か私達が先陣という事でした。
いえ、レディーファーストとかそういう感覚なのかもしれませんが、本当に大丈夫なのでしょうか?
私達の乗る1艘目が3人乗りなのも少し気になったのですが、どうやら最後の同乗者を巡って血みどろな争いになりそうだったので空白にしておいたそうで、人の代わりにキャンプ用品やテントなどの物資を積み込む事にしたみたいですね。
このテントは臨時ログアウト出来るようになる簡易セーフティーエリアで、テントを立てた場所で安全にログアウト出来るようになるという物でした。
そういうアイテムがある事はゲーム開始当時から言われていたのですが、フィッチさん達はこういうアイテムを作れるだけの技術力があると言う事なのでしょう。
「ふっ、これだけの物資があれば島で1週間は野宿が出来るだろう、我ながら完璧な計画だ!」
そうフィッチさんは高笑いするのですが、流石にそんなに泊まり込む気はないですからね、そもそもよく見てみれば浮き輪やバナナボートなんて言う世界観にそぐわない物まで積まれていますし……よくこんな物がありましたねと思ったのですが、どうやらアルバボッシュの裏路地とかの雑貨屋で売られているようですね。
そんな遊びに行くような荷物を積み込み、私達は大海原を目指して出発する事になったのですが……そういえば牡丹はどうしましょう?
私だけなら死んでもリスポーンするだけですが、牡丹の場合は最悪ロストするのですよね。
「ぷっ!」
ただそれでもついて来るとの事なので、本人の意思を尊重してあげる事にしましょう。
「くれぐれも海に落ちないでくださいね、安全第一ですよ?」
私は何かあったら筏にしがみつくのだという事を徹底させて、牡丹の同行を許可しました。
「それではまずは客人を送り出そう。さあ、ノーチラス2世号に乗り込みたまえ」
因みに1世はあの蒸気船らしいので、2世になり一気にグレードダウンしている気がするのですが……とにかく10人近くで波打ち際に固定されている筏に3人と1匹が乗り込み、オール代わりの木の板がウィルチェさんに渡されます。
「おぉ~結構揺れるね、それじゃあ配信を開始して…島に目掛けてレッツゴーだねー?って、これどうやって操縦するの?」
「あ、あの、これ沈みませんよね?」
「それは……」
流石にその辺りのプールに浮かべたという訳ではなく、まだほぼ陸地とはいえ外洋ですからね、それなりに波の影響というものがありました。
フィッチさん達が手を離し少し漕ぎ出すと、素人作りの筏のロープの結び目が波に揺れギシギシと嫌な音を立てて擦れているのですが……流石にこの程度では壊れませんよね?心配になってフィッチさん達の方を見てみるのですが……。
「やはり結構な波があるな、本当に強度は大丈夫か?」
「僕のデータに間違いは……いや、この波の勢いは…僕のデータにない、だと!?」
「ふぅーどうにもヤバそうと思っていたが、乗らなくて正解だったな」
何か可笑しな事を言っている人が居るのですが、そんな事より思いっきり流されていませんか、この筏?
「ちょちょちょっ、まって!何か凄い勢いで沖に流されているんだけど!?」
「ユ、ユリエルさん!?」
『小人化』していなければ【腰翼】を使い無理やり戻れたかもしれませんが、離岸流にでも掴まったのか、それともある程度海に出ると何かしらの力が働くのか、私達を乗せた筏はぐんぐんと陸地を離れ、沖の方に流されていく事になりました。
※Q:ユリエルは人に見つからない(騒ぎにならない)ようにどうやって町と町を移動したの? A:工具とかと一緒に箱詰めされて運んでもらいました。
※Q:フィッチさん達変じゃない? A:彼らはブレヒロの中でも特に変人です。皆が王都攻略を目指しているなか蒸気船を作っていたような連中です、面構えが違います。
※それでは1日~3日の間は正月休みを頂こうと思いますので、次回の更新は4日9時から再開する予定です。少し早いですが皆さま良いお年を、来年もブレイクヒーローズとユリエルののんびりVR生活をよろしくお願いいたします。




