107:高台の未踏地
グレースさんとPTを組み、やって来たのはウミル砦の南側、私からすると初めての王都方面という事になりますね。
まだ見ぬスライムを求めてゾクゾクと他のプレイヤー達は南に向かって歩いて行っているのですが、私達はその流れに乗らず、少し脇に逸れました。
ちなみにこの辺りに出てくるモンスターはホークとボアと武装ゴブリンと、全体的にランクが上がっている感じですね。そのまま王都付近まで行けばグリフォンやワイバーンの襲撃も受けるようなのですが、この辺りは他のプレイヤーも多いのかモンスターの気配はありません。
私はウェスト港方面の磯臭さや氷結の大地のような匂いすら凍える空気とは違う、何かヒリヒリした乾いた空気を吸いながら、辺りを見回しました。
第一エリアを大雑把に表すと「フ」の形をしており、「9」の形をしたムドエスベル山脈がエリアを区切っているのですが、王都方面は下に伸びた棒の部分になりますね。
東側は南北に延びたムドエスベル山脈の稜線が塞いでおり、その麓には森が広がっているのですが、それ以外の部分は見通しの良い平原になっています。
このまま石畳の敷かれた大通りを南に2~3時間も歩けば、王都付近とそれ以外を区切るように東西に向かって流れる川があるらしいのですが、今回はそこまで行く気はありません。
今私達の居る場所は、壁のようにそそり立つムドエスベル山脈を越えた谷間といいますか、うねる山道という感じになっている所なのですが、その崖の上には台地となっているような場所があるのですよね。
こちらに来る人の大半はそのまま南下して王都方面に向かってしまいますし、意外とその高台の部分が穴場になっているのではないかと思うのですが、どうでしょう?
勿論すでに誰かが登った後かもしれませんし、攻略掲示板を見る限りでは、山脈沿いに西に向かった人達がいるようなので、どこかしらに登れるような場所があって先をこされているという可能性はありますが……この辺りの崖の高さは低い所でも10メートル以上はありますからね、ロッククライミングが趣味とかでもない限り、この辺りからわざわざ登る人はいないでしょうし、人が少ない場所である事は確実だと思うので、ちょっと行ってみたいのですよね。
「え……ここを登るのですか?」
ただ、移動中にどこに向かっているのか説明しておいたグレースさんは、そそり立つ断崖を見上げながらそう言いました。
「はい、流石に全部が全部垂直という訳でもないですし、スキルがあれば登れるかと」
私は周囲に人が居ない事を確認してから、レッサーリリムを【展開】しておきました。ばさりと広がる【腰翼】と伸びた【尻尾】に解放感を覚えながら、準備運動のように各部に異常がないか軽く動かしておきます。
【鞭】スキルを取得した影響か、【尻尾】が少し長くなり、撓るように動かせるようになっていますね。
魔法も他のスキルによって使える呪文が変わったりと、影響を与え合ったりしていますからね、【鞭】スキルで【尻尾】が動かしやすくなるという私の予想は当たったようです。
まあ動かす難易度は上がってしまったような気がしますが、その辺りは徐々に慣れていきましょう。
「それでは……どうしました?」
私が登りやすそうな崖を見極めていると、グレースさんは何故か鼻を押さえながらしゃがみ込み、ブツブツと何か唱えるように呟いていました。
「い、いえ、なんでも…抱きしめてもいいですか?」
何か台詞の前後が繋がっていないような気がしますし、血走った目で鼻息荒く言われるとちょっと怖いですね。
「はい、どうぞ」
とはいえ流石にグレースさんにここを登れというのは酷ですからね、最初から担いで登る気だったので私が軽く手を開いて見せると、「うひぃ」みたいな奇妙な悲鳴を上げられました。そして恐る恐る抱きしめてくるのですが……ちょっと手つきがいやらしいですね。
「あの……んっ…」
体格差があるので包まれるような感じになるのですが、グレースさんの柔らかさを感じる前に、服が硬いからか、ドレスを固定する蔦が擦れるたびにコツコツといった硬質な刺激が伝わってきます。
背中に回された手が尻尾の付け根辺りを撫でるたびに、お腹の中をかき混ぜられているような刺激が広がり微かに汗ばむのですが、グレースさんはそれ以上に緊張しているようですね。
挙動不審なグレースさんから香るシンプルな洗剤の匂いは何か懐かしい香りで、抱きしめられているのも嫌ではなかったのですが……何かグレースさんの理性が切れそうな感じなので、【魅了】がこれ以上進行する前に崖を登っておいた方がいいかもしれません。
正面から抱きしめられ、おでこの辺りに顔を埋めているグレースさんをそのまま運ぶのは難しそうだったので、一度ちゃんと肩に担ごうと持つ場所を変えようとしたところで……。
「ぷぃ!!」
イビルストラのフードの中から、威嚇するような透明スライムの鳴き声が聞こえてきました。
「ヒっ!?…え…?す、スライム…?」
顔を近づけていたグレースさんはいきなりドッタンバッタンと暴れ出したフードに驚いて顔を離し、「何事!?」という顔で私と暴れだしたフードを見比べていました。
フードの根元を縛っておいたのですが、どうやら隙間からスライムの「ω」みたいな口が見えているようですね、恐る恐るというように「何ですか、これ?」と呟くグレースさんになんて説明しようかと一瞬悩んだのですが……。
「えっと、【テイミング】しているスライムです」
成り行きで捕まえておいたとか、高レートになった時に倒そうとストックしている非常食的な何かだとかいう説明はややこしかったので、そういう事にしておきました。
「な、なるほど…」
私の言った事をそのまま鵜吞みにしたようにグレースさんは頷き、隙間から透明スライムの様子を伺うのですが……。
「ぷぅー!」
「うひっ!?」
何故か透明スライムはグレースさんを嫌っているようですね。理由はわかりませんが、単純に人間が嫌いなだけかもしれませんし、その辺りは考えても仕方がないかと棚上げする事にしておきました。
「それでは運ぼうと思いますが、いいですか?」
「あ、はい…」
暴れる透明スライムを警戒しながら、グレースさんは私の言葉に頷きます。
最初は肩に担ごうと思っていたのですが、それをするとフード側に体がいきますからね、透明スライムに嫌われている現状でそれをすると大変な事になりそうですし、前から抱える事にしましょう。
「では、失礼します」
グレースさんの体を抱え上げると短い悲鳴を上げ抱きつき返し、その事に抗議するように透明スライムがどったんばったんと暴れだしたのですが、その辺りの事は無視する事にして、私は腕にかかる重さや崖の高さを見比べます。
高さは10数メートル。傾斜がきつくない場所で、足場となる突起も多いルートを選んでいるのですが……魔人の補正ならともかく、レッサーリリムの場合は正直ちょっと厳しいかもしれませんね。その辺りのちょっとした感覚の違いなども修正していかなければいけないと思うのですが、ここまできて「やっぱり無理そうです」と言うのも何なので、ちょっと気合を入れましょう。
「すみません、少し固定します」
「は、はヒッ!?」
私は尻尾をグレースさんの足に巻き付けて、動かないように固定しておきます。そのまま腰を支えるように【尻尾】を添えたのですが……何て言いますか、尻尾越しに感じるグレースさんの体というのが、ちょっと変な感じですね。
【尻尾】の感覚はお尻や中に繋がっているのですが、【鞭】スキルを取った後から更に感度が高くなったような気がします。漫画やゲームの尻尾持ちのキャラが弱点というのがよくわかるようなむず痒さがあり、グレースさんの黒タイツ越しのスベスベした太ももの辺りの感触が癖になりそうです。
「あ、あにょ!ユリエルさん!!?」
「すみません…」
太ももに巻きつけていた尻尾をモニモニと動かされるのは擽ったいのか、グレースさんが赤くなってしまっているので、これ以上撫でまわすのはやめておきましょう。
それでは改めて目の前の崖……とはいえ、それほど傾斜がなく足場の多い場所を選んでいますが、目星を付けていた場所の前まで移動します。
「では、いきます!」
「は、はい!」
私の体をギュっと掴むグレースさんを抱えたまま、私は【キック】の反動を使い一気に崖を駆け上がります。
スキル頼みのフリークライミング。強化された脚力で足場を蹴り、少しでも体が浮けば【腰翼】でバランスをとって再度また蹴って、そのまま勢いと補正とスキルでゴリ押します。
1歩ごとに感じる重力の重さと、その衝撃を伝える蔦と【尻尾】、あちこち雑に引っ張られる感触に挫けかけるのですが……私は無心に駆け上がります。
「ふぁぁあああ……」
時間にすれば数秒、視界一杯に広がっていた岩肌が見えなくなった瞬間見えたのは……西の海まで続く広い台地と、色とりどりのスライム達の姿でした。
どうやら何とか登り切ったようですね。グレースさんが目の前の光景に驚嘆したような声を漏らしていたのですが、私は一気に押し寄せて来た疲労と刺激に息を詰まらせ、それどころではありませんでした。
いくらゲームだからと言って、この登り方は人を抱えながらするものではありませんね……補正が下がっている事やグレースさんの装備が重くなっている可能性など、色々な事をもう少し考慮するべきでした。
「だ、だいじょうふですが!?」
「はい…なんとか……」
「ぷぃッ!ぷぃッ!」
グレースさんが呼吸を整える私を心配したように声をかけてきてくれたのですが、それが気に入らないのか、それとも何かの警告なのか、透明スライムがフードをバッタンバッタン揺らす勢いで暴れ始め、私達は顔を見合わせました。その暴れっぷりに何かあるのかと周囲を見てみると……。
「ぶい゙」
近くのスライム達を押し退け、私達の前にノシリノシリと現れたのは……3メートルくらいの高さのある、巨大な紫のスライムでした。
確かに、集まったスライムが合体して大きくなるのはある意味セオリー通りなのかもしれませんが、出来れば息が整うまでゆっくりしていたかったのですね。
「グレー…ス、さん、構えてください」
「は、はい!」
とはいえ、襲ってくる気満々の巨大な紫スライムの前でそう悠長にしている余裕はありません。私は戦闘態勢に入る巨大紫スライムを眺めながら、まずはグレースさんを下ろしてから剣を抜き、スタミナ回復ポーションを取り出しながら臨戦態勢をとりました。
※Q:透明スライムがグレースさんを威嚇していた理由は何ですか? A:ユリエルをエッチな目で見ているからです。




