異世界だと分かっていたのでしょう?
「面を上げよ」
この国の女王であるアーデルハイトは、謁見室の一段高い所にある椅子に座り、跪くこの国の第二王子ヘクトールと、近頃話題の“渡り人”である渡辺亜由に向かって声をかけた。
「それで、如何した?」
「はっ。此度この渡り人であるアユ・ワタナベを私のものにしたく、許可を得に参上いたしました」
それを聞き、キラキラと目を輝かせながら可愛らしく着飾っている少女の方を見て、女王は報告通りであるか、と内心で溜息をついた。
「それは双方の合意の元か?」
「はい、もちろんにございます」
「……だが渡り人を王族が囲うのは推奨されぬ」
「で、でも! 過去の聖女様は王族に嫁がれていますよね!?」
許可なく話し出した少女に対し、後ろに控えた侍従が動き出そうとした。
それを扇で止めながら女王は、少女を見据えて言う。
「其方は渡り人ではあるが、聖女ではない。誰が其方に聖女だと言った?」
「えっ!? そ、それは……はっきりとは言われてないけど……でもでも聖女様は渡り人で……」
「確かに過去の渡り人は聖女であった。だが其方には魔力がないであろう。魔力がなければ聖女ではない。ただの平民だ。ヘクトール、其方はその娘が聖女だと思っておったのか?」
「いえ、まさか。彼女には魔力がございませんので、聖女だとは思っておりません」
「え? ヘクトール様は私が聖女だから選んでくれたんじゃないの?」
「いや、其方が可愛らしいから選んだのだが?」
「そうなの? なんだ、それなら別に聖女じゃなくても良いのか……な?」
そんな二人をじっと見詰めながら、もう一度女王は告げた。
「平民である渡り人を王族が囲う事は推奨せぬ」
「そんなっ! それって身分差って事ですか? 平民だって貴族だって同じ人間なのに、そんなのおかしいです!」
両手を胸に当てながら必死に訴える少女のその言葉に、周りの空気がザワリと揺れた。
明らかに空気が変わったのを感じとった少女がキョロキョロと周りを見渡すと、信じられないと言った目で自分を見るヘクトールと目が合った。
「其方は学院で何を学んでおるのだ? そもそも最初に保護した神殿で、教育は受けなんだのか?」
そう問われて亜由は、当時を思い出そうとした。
はっきり言ってしまえば、ここに来た当初は「異世界転移キタコレ!」と浮かれきっていた。神官が色々と説明してくれていたような気もするが、その肝心の神官が綺麗過ぎてぽ〜っとしていたのであまりよく覚えていない。
学院に入ってからは王子様たちが構ってくれて、これまた浮かれまくっていたので勉強にも身が入っていなかった。
それに数学や言語といったものに関しては、亜由にとって簡単だったのもそれに拍車をかけた。
冷や汗を掻きながら「どうしよう!?」と焦っている亜由は「えっと……えっと……」を小声で呟くしか出来なかった。
そんな少女を見て、女王は優雅に扇を口元に当て、軽い溜息をつきながら言う。
「貴族と平民は同じ人間ではないぞ」
「えっっ!!? うそっ!?」
その慌て様を見て、今度は女王が少し思案した後に閉じた扇で少女をさし命じた。
「其方、貴族と平民を自国語で発してみよ」
「え? あ、はい。えっと……『貴族』と『平民』です……」
「……なるほど。そこからしておかしいのか。それとも自身の望むようにしか聴こえぬのかもしれぬな」
「えっと……どういう事でしょうか?」
「そうだな、まずは我々貴族は魔力を持っている。それは知っているな?」
流石にそれは知っている亜由は、「はい」と言いながらコクンと頷いた。
「貴族には魔力を作る臓器、“魔臓”がある。心臓は左に、魔臓は右にある。平民はこの魔臓を持っていないため、魔力を持たぬ。ゆえにそれぞれの種族は違うものである」
「えーーーっ!? そうなの!?」
「言うなれば……ン、ンンッ『魔族』と『人間』かの」
「え? どうして女王様が日本語を話せるんですか?」
「簡単な事じゃ。我は『転生者』であるからの」
「えーーーーっ!!」
「それは置いておいて、とりあえず種族が違うのは分かったか?」
「…………はい。なんとなく?」
「む……そうか。そうじゃな……其方、今息をしておるじゃろ?」
なぜそんな当たり前の事を聞くのか分からなかったが、取り敢えず亜由は頷いた。
「だがそれは『酸素』を吸っているのではない。魔素を吸っているのじゃ」
「魔素!?」
「そうだ。そもそもこの世界には『酸素』も『水素』もない」
「そうなんですか!?」
「以前研究してみたが、この世界には『原子』自体がないようだ。代わりに魔素があるがな。つまり完全に異世界という事だ。分かったか?」
「はぁ」
「ちなみに 貴族と 平民では寿命も違うぞ。見た目は同じでも種族が違うから、当たり前だな」
「え?」
さらりと言われた事があまりにも衝撃で、亜由は理解するのに数秒かかった。
「そ、そんな……」
「 平民の寿命は百年くらいだろう。我らは最低でも二千年は生きる。魔力が多ければ多い程、長く生きるため一概には言えぬがな」
与えられる情報が多過ぎて、亜由は理解が追いついていない。
「“渡り人”は界を渡る際にその身体も変化する。其方がこちらの言葉がわかるように、新たなスキルを与えられたり身体の構造が造り変えられるのだ。でなければ、呼吸も出来ぬであろう」
「そうなんだ……」
「その際に魔臓も与えられ、治癒のスキルを持つ者が聖女と呼ばれる者達だ。だが、其方は魔臓を持っておらぬゆえ、聖女ではないのだ」
確かに亜由も治癒のスキルを持ってはいるが、魔力が無いためほんの少ししか使えない。紙で切った切り傷が塞がる程度のものだった。
魔力の作れない人間でも魔素を吸って生きているため、呼吸によって取り入れたほんの僅かの魔力によって多少の魔法は使えるのだ。
「さらに其方の言語スキルには多少のバグがあったようだな。思い込みもあったかも知れぬ。だがそろそろ修正されてきたのではないか? 貴族と 平民、どのように聞こえる?」
顔色を無くした亜由は「……魔族と人間に、聞こえます……」と震えながら答えた。
その様子を見て女王は、ふむ、と閉じたままの扇を今度はヘクトールに向けた。
「ではヘクトールよ、其方の望みをもう一度述べよ」
「は、此度この渡り人であるアユ・ワタナベを飼う事の許可を得に参上いたしました」
亜由はそれを聞いて目を見開き、バッと顔を上げて横を見るが、そこにはいつもと変わらないヘクトールが居るだけだった。
ヘクトールはヘクトールで、なぜ亜由からそんな信じられないと言った風な目で見られるのか全く分からなかった。
そんな二人を見比べて、やはりな、と独り言ちながら女王は続けた。
「魔族が人間を側に置くという事は、そういう事だ。ちなみに『生殖器も違うゆえに、まぐわう事もない。ただただペットとして可愛がられるだけだ』。この国の人間はその辺をきちんと理解しておるが、其方はどうじゃ?」
「……そんな……」
亜由は王子様にチヤホヤされて、綺麗なドレスを着て、側に居れればそれで良かった。仕事もしなくていいなら、なお良し。
だけど、だからと言ってペットとして飼われるのはどうかと思う。
確かに三食昼寝付きっぽいし、大事にされそうだけども!
そこで改めて、王子様の婚約者さんが何もしなかった訳が分かった。
そりゃペットにはヤキモチ焼かないよね。
しかもさっき聞いた限りでも、人の寿命で考えたら五年くらいじゃない? マジでペット。
口に手を当てて、俯きながらぐるぐると考え込む亜由を見て、女王は声をかけた。
「其方は人間と共に生きた方が良いとも思うが、そこは其方の望みを聞こう。ヘクトールに飼われるもよし、人間と共に生きるもよし。“渡り人”ゆえ、多少の援助はするぞ」
亜由は涙目で顔を上げたが、「あの……わ、私……」と視線を彷徨わせてしまう。
十七歳の高校生には厳しい選択かも知れないが、これでも我が国の人間の扱いはこの世界で最上級である。
ヴァンパイアの国では家畜として養殖されているし、獣王国では弱過ぎて見向きもされない為、生きていけない。
それに比べれば魔獣から守り、学院を作り、様々なものを作らせてはいるが、我が国ほど人間の自由を認めている国はそうない。
まあ、学院は頭の良い人間たちを集めて、脳筋の多い魔族のプライドを刺激しつつ魔族の知識レベルを上げるためだったりもするが。
よくもこんなに人間に優しい国を作ったものだ、頑張った自分。うんうんと心の中で頷き、可哀想なくらいぷるぷると震えている少女を見る。
「さあ、どうするのじゃ? どちらでも好きな方を選ぶがよい」
はくはくと声にならず、ただ立ち尽くしている亜由。
女王は軽く開いていた扇をパシンと閉じた。たったそれだけで今までの優しげな様子を一変させ、女王たる威厳が周囲に落ちる。
「其方もここが、異世界であると分かっていたのであろう? 覚悟を決めよ」
ペットの場合
室内小型犬のような扱い。
主人の好きな服を着せられ、限られた場所のみ移動可能。
たまにペット可の夜会に連れられたり、品評会的なものに出される可能性有り。
お世話はメイド(人間)がしてくれるため、基本的に健康に過ごせる。
人として生きる場合
女性のみ住居可のアパートの一室が与えられる。
基本的に朝食はついている。
身元引き受け人は神殿になるため、どうしても仕事が見つからない場合は神殿で過ごす事になる。