可愛い妹のために
・クラリス : 伯爵家嫡子の長女
・クロード : 伯爵家二人目の長男
・クエス: 伯爵家三人目の次女
・ロイド : 侯爵家令息。クラリスの婚約者。
・カイル : 伯爵家令息。クラリスたちの幼馴染み。
「ずるい、お姉さまばかりずるいわ」
珍しく、とても珍しく、妹のクエスが怒りを露に呟きます。
王都にある、王族・貴族の子息や息女の通う学園の休日、我が伯爵家の当主である父に呼び出されて話を聞けば、婚約者が決まったとのこと。
婚約を申し込む相手方からの書状を読み、父からの説明を受けたあと、今回の意味の分からない婚約に戸惑い、落ち着くために妹とお茶を飲んでいるときのことです。
以前より、婚約者が決まったら教えて欲しいと目を輝かせていたので、決まったばかりの話を教えてあげたらこうなりました。
相手の方は、二つとなりの領地の跡取り息子のロイド様。
侯爵家のロイド様は伯爵家の我が家より家格は上に当たります。
また、領地に鉱山をいくつも所有する侯爵家は、とても裕福で知られています。
領地で採れる鉱物を、王都まで運ぶ街道が我が領地にも繋がっていて、通行の際は多額の通行税を我が領地に納めているそうです。
その代わり、伯爵家からは兵士団の精鋭を護衛として同行させているとのこと。もちろん、伯爵家の領内に限りますが。
その縁で、わたくしに婚約の話が舞い込んだというのでした。
『娘をもらってくれたなら、通行税を減免する用意がある』
と、父が書状を送ったこともきっかけの一つでもあるとか。
可愛い妹のことですから、今回の婚約、譲っても私は構わないのですが……。
ことは我が伯爵家と領地のこれからのことに関わってきます。
一時の感情で、この婚約を断るわけには……。
とはいえ、我が伯爵家は、その歴史は長くとも裕福ではありません。
わたくしの着ているドレスは、母や祖母の着た物を仕立て直したお下がりです。
妹のクエスは、そんなお下がりの、さらにお下がりを着ているのですから、不満を溜め込んでいたとしてもおかしくありません。
さらにいえば、同い年のロイド様は、見目麗しき貴公子と名高く、縁談が絶えずに困っていると苦笑している始末。
それゆえに、領地としては隣のとなり、年は同じとはいえ、流行の遅れたドレスを着た地味で目立たないわたくしとは、縁もゆかりもないといっていいくらいなのです。
ロイド様の侯爵家が納めてくれる多額の通行税によって成り立っているような貧乏伯爵家では、とてもとてもおそれ多くて。
それゆえに、一計を案じてみましょう。
可愛い妹が、これ以上惨めな思いをしなくて済むように。
※※※
「申し訳ありませんが、此度の婚約、何も聞かずに無かったことにしてくださいませ」
休日明けの学園でのこと。
生徒たちが相談するために用意されている個室の使用を申請し、ロイド様をご足労ねがっての第一声がそれです。
戸惑った様子のロイド様に、頭を下げることしかできないわたくし自身を愚かと思いながらも、それ以外にできることが浮かびませんでした。
「……こちらも、急な縁談……ではなかったな。婚約の申し込みをして、さぞ戸惑っていたことと思う。まずは、落ち着いて話をしよう」
お優しいことです。
わたくしの不躾な言葉に、話を聞いてくれるといいます。
けれど、わたくしからは何も言えることがありません。
「……はぁ、此度の婚約は、双方にとって益のある話なのだよ。そもそもは、曽祖父の代にまで遡るという」
ロイド様のお話は、わたくしは聞いたことの無いものでした。
互いの曽祖父は、友人関係にあったといいます。
武の伯爵家と、文の侯爵家。
道は違えど、それぞれにできることで国を支えていたといいます。
そんな折、当時の侯爵から、侯爵家の鉱山から採れる鉱石や宝石を狙った盗賊による被害があとを絶たないと相談を受けた当時の伯爵は、ならば友のため、王都まで護衛をつけてやろう。と精鋭を派遣したのが始まりといいます。
時代と共に街道も整備され、王都までの日程も短くなり、治安も改善して他領に兵団を派遣するということが必要なくなってからも、伯爵家の領内では護衛を続けていたそうです。
……治安が悪かったとはいっても、他領に兵団を派遣するということがどれだけ危険か、聞いた時は気が遠くなりそうでした。
それでも、当時の王命によって、街道が繋がっている領地の全てにお触れが出たそうで、不満を漏らそうものなら、容赦なく苛烈な仕置きがあったといいます。
……関係各所の皆々様方は、よく、当時の王家に不満を爆発させなかったなと、不思議に思うのですが……。
そんなことを説明されたあと、代々の当主間で、婚約に関して幾度かやり取りがあったといいます。
しかし、これまでは都合良くいかなかったそうで、今の代になってようやく、年の近い男女が産まれたことで、婚約と相成ったという事情もあったそうです。
……それは、つまり?
「婚約相手は、わたくしでなくても構わないということではありませんか?」
「そうなるな」
「ではやはり、この婚約は破棄させていただけませんこと?」
「……なぜそうなる?」
なぜと問われましても。
「妹君が居るだろう? ならば、婚約を破棄するのではなく、相手を妹君にすればよい」
視線が厳しいものになるのを自覚しながらも、ロイド様になぜと問えば。
「私はロリコンでな」
「ぶふっ!? ……けほ、けほ。……し、失礼いたしました。どうか、お許しになってくださいませ」
「構わぬよ。それより続きを。私は、同年や年上より、年下の方が好みでな。年初の城でのパーティーで見かけたそちらの妹君のクエス嬢に、その……」
口元を押さえて目をそらすロイド様を見て、クエスが何かやらかしてしまったのでしょうか? と戦々恐々となりますが……。
「その、恥ずかしながら、一目惚れをしてしまってな」
「………………差し支えなければ、妹のなにがそこまでお気に召したのかうかがってもよろしくて?」
「構わん。……波打つような癖毛に、小柄な背丈に細い手足、コロコロとよく変わる表情、抱けば折れそうな細い腰に、薄い胸。……まるで、妖精のようだと心惹かれたよ……」
貴公子と名高い殿方が胸に手を当て、うっとりと頬を染める様子は、わたくしから見ても大変に心ときめくものはございますが……。
……令嬢にあるまじきことでございますが、若干口元が引きつっているのは、どうか、寛大なお心でお許しくださいませ。
それらは全て、クエスが劣等感を覚えるものなのですから。
母と共に、妹に栄養のあるものを食べさせてあげられなかったからと嘆くこともありましたが、わたくしも同じものを同じくらいしか食べておりませんから、これはもう産まれ持った体質によるものとしか。
「その点、クラリス嬢は髪は金糸のようなストレートで、令嬢にしては背は高めで、平均以上の立派な胸をお持ちだ。私の好みではない。そのため、この婚約は喜んで破棄させてもらおう」
望みが叶った上に容姿を褒められたというのに、嬉しくないのはなぜでしょうね?
「しかしながら、家格が下の伯爵家令嬢から侯爵家令息の私が婚約を破棄されたとなると、外聞が悪い。そのため、恥さらしも甚だしいが、婚約を申し込む書状の内容が間違っていたということにしてはもらえないだろうか?」
わたくしとしては、書状に記された相手が実際に間違っていたので、否やもありません。
「ありがとうクラリス嬢。改めて、謝罪と感謝を」
といいつつ、真顔でわたくしの胸を見てからうんと頷くのはなぜでしょうか?
一度、張り倒しておいたほうが良いのかしら?
……冗談はさておき、クエスには、ロイド様とよく話し合いなさいと伝えなくては。
……とはいえ、妹がずっと劣等感を覚えていた容姿を、好ましく思う方が現れたのは、喜ばしいことですわね。
ロイド様との婚約を聞き、わたくしの背丈や胸や髪質を指して、ずるいと言われた時はどうしたらいいのかと悩みましたが……。
ことが、良い方向に進むことを祈るばかりでございます。
「では、クラリス嬢。良しなに頼むぞ」
「承りました。それではロイド様、ごきげんよう」
ロイド様を先に、わたくしは後から個室を出ます。
個室の使用を申請した側が後片付けや戸締まりをして鍵をかけてから、個室の鍵を返却しなければなりません。
別の棟にある職員室に行かなければ、と思っていたところに、幼馴染みのカイルが現れます。
「では。……やあ、クラリス。これから帰るのかい?」
ロイド様と目が合うや、頷き合うカイル。
なにやら、あやしい雰囲気を感じますが、わたくしに挨拶する時にはそんな雰囲気を微塵も感じさせません。
「ええ、カイル。これから、職員棟へ鍵を返してから帰宅します」
「そうか。それなら、おれも一緒に行くよ」
中肉中背、凡庸な顔立ち、この国ではありふれた赤い髪。
平凡を絵に描いたような少年が、寄り添います。
それと同時に、ほっとするのを自覚します。
……やはり、家格が上の男性との話し合いは緊張していたのでしょう。
幼馴染みのカイルが隣にいるのは、やはり落ち着きます。
貴族は皆、王都とそれぞれの領地とに邸宅を構えています。
こちらのカイルは、我が伯爵領の隣の領地の伯爵家で、王都の邸宅もまた隣同士。絵に描いたようなお隣さんです。
武の一族である我が貧乏伯爵家と違い、穀物で潤っている裕福な家です。
それゆえに、父はカイルのことを良く思っていないようですが……。
「結局、断るの? 婚約」
「ええ。わたくしには釣り合いませんもの。向こうもわたくしのことは好みではないとはっきりおっしゃいましたし」
婚約と聞いて、ドキリとしましたが、動揺を悟られないように返事ができたと思います。
「そっか。なら、話があるんだ。とても大事な話が」
「その話、今ではいけないのですか?」
なんでも遠慮なく話す幼馴染みにしては珍しく、緊張した面持ちです。
その緊張を長引かせるよりはと思い今言えばと言ってみますが、首を横に振られます。
「次の学園が休みの日に、きみの邸宅にお邪魔するよ。おじさまにもよろしく伝えておいてね」
そういって、額にキスをするカイル。
……もう、子供の頃とは違うのですよと何度言ってもやめてくれません。
いつものような親愛の情を示すのは結構なのですが、学園では人の目もありますし、こんなキス魔な幼馴染みを、いったい誰がもらってくれるのでしょう?
……ああ、こんなのでも長男で跡継ぎでしたね。
誰か、善い方は……。
……? 数年後の未来を想像してみますと、カイルの隣にいるのはわたくしでした。なぜでしょうね?
「……ほほう、来るか、小僧」
「お父様、カイルはもう子供ではありませんよ? いずれ伯爵家の家督を継ぐために、日々励んでいます。いつも見ているわたくしが宣言いたします。カイルは、善き領主になると」
「あらあら、クラリスったら。……ねえ、旦那様? カイルくんとのお話、色眼鏡越しではなく、ちゃんとしなくてはいけませんね?」
「うぐぐぐ……。わかっている……」
「カイル兄さまが本当の兄さまになるのなら、となりの領地を継ぐものとしてはやりやすいと思うけどな」
「私も、カイル兄さまをお兄さまと呼べるのなら、賛成です♪」
「うぐぐぐ……」
「うふふ♪」
「ところで、カイルはいったいどんなお話をしに来るのでしょう?」
「……」
「あら……」
「姉さん……」
「お姉さま……」
「あら、みんな、どうしたの?」